030 魔法薬書と落書きと
翌朝。ちょうどお茶を淹れ終わったところに扉が開き、鍛錬を一通り終えたアニカが今日も変わらぬ眩しい笑顔で室内を照らす。
「カズミさん、今日はおでかけですか?」
本部での鍛錬は休みの日だし、せっかくだからアニカも一緒に行かないか誘ってみようかな。
「魔法薬の本がないか見て回ろうと思ってるんだけど、心当たりとかある?」
「う~ん……あっ! 城下町にはクノル古書店がありますよっ。前に行った時、童話の絵本がたっくさんありました!」
魔法薬に関する本があるかまでは不明だが、彼女曰く難しそうな本もたくさんあったらしい。
文字は読めなくても、絵なら多少は物語も理解できるかも。
行って損はないだろうと判断した俺は、ソファにかけていたローブを羽織って身支度を整えた。
「なら今日はそこに行ってみようかな」
「案内はあたしに任せてくださいっ。そうだ、アレクさんも一緒に行きませんか?」
「小生もかね?」
「はい! 仲間として、アレクさんのこともっと知りたいな~と思って!」
「いや、まだ仲間になったわけじゃ……」
「ほう! それが仲間として必要なことならば是非ともアニカクンの案に乗ろうじゃないか!」
想像以上に乗り気なアレクサンダーを加えた三人で揃って城下町へと向かう。
またよからぬことでもしでかさないかと不安はあるが、知識面ではこれ以上なく頼りになることもまた事実だ。
それに昨日のやりとりを思い返して気付いたことがある。
この男は喋る気のない時は一瞥もくれず、喋る気のある時は視線がうるさい。
今もそうだ。俺達の少し後ろを歩きながらも細められた瞳は観察するかのようにこちらを見ている。ちょっと落ち着かないけれど……まぁ、無視されるよりはずっといい。
いつもならストレスに苛まれるところだが、存外胃が痛むでもなく好調だった。
道中、他にどんな店があるのかをアニカから聞きながら右に左にと城下町を見渡す。
クノル古書店は表通りから少し外れた日陰の道にあり、店内は外よりもひんやりとしていた。
「いらっしゃい」と優しい男の声に迎え入れられて辺りを見回せばあまり広くはないスペースにびっしりと本が並べられており、場所によっては床に積み上げられてある本も目に留まる。
秘密基地みたいだ、なんて感想を抱いている俺を置いてアレクサンダーはさっさと奥に行ってしまった。
アニカもなんだかそわそわしている。俺は大丈夫だと伝えれば、ニッコニコの笑顔で近くにあった絵本をゆっくりめくりと始めた。
さて、俺はどうしよう。
アニカには「大丈夫」だと言ってしまったわけだが、当然どの本の文字も紙の上を踊るだけで魔法薬の本かどうかは判別できない。
楽しい時間を邪魔するのは気が引けるし、すっかり本に興味が移った男の意識を引くのはもう難しいだろう。
改めて店内を見ると、奥にあるカウンターに人がいるようだ。店員と思われる男に声をかけると気のよさそうな穏やかな顔がこちらを向く。
「あの、すいません。魔法薬の本って置いてますか?」
「……魔法薬ですか?」
「その、ないならいいんですけど……」
不思議そうな目が俺を見る。そういえば「魔法薬師は稀少」だって聞いたし、そもそも魔法薬の本なんて出回ってないんじゃないか……?
おかしな客が来たと思われただろうか。
ばつが悪くなり尻すぼみになると、店員は幾ばくか思案したのち少し待つように言ってカウンターの裏へ下がった。
しばらく物音が続き、ぴたりと止まる。
戻ってきた彼が手に持っていたのは、かなり装丁が古くなっているが分厚く立派な本だった。
「うちにある魔法薬関連の本はこれ一冊です。しかしこの通り、かなり古くなっておりまして……単語や文法も今と少し異なりますので解読が必要な書籍になります」
「……売り物なんですか?」
「はい。ですがほとんどのページに落書きがありますので、そちらをご了承いただければお売りできますよ。どうぞお手に取ってご覧ください」
言われるがままに受け取ったものの表題すら読めず眉を顰めてしまう。現代と言葉がどれだけ違うのかなんて俺には比べようもないのだ。
解読が必要なほどの書籍でもアレクサンダーなら読めるかもしれない。が、頼むのは癪だ。
あいつの興味関心がどのくらい保たれるのか予想もつかないしな。その点、副団長なら安心して頼りにできる。
よし、一応買って帰ろう。
念のためにどの程度落書きされているのかを確認すべく、色褪せたページを丁重にめくり――
「『リンゴの種』……『雄鶏の尾羽』……『濾した水銀』……!」
――それが日本語である事実に息を飲んだ。
「す、すいません! これ、読めますか……!?」
「へ? 落書きのことですか? ええと……文字のようにも見えますが僕にはなんとも……」
「じ、じゃあ! この辺りの文章はなんて書いてあるか解りますか!?」
食い気味に聞いてみるとわざわざ回り込んで来てくれた。どうやら原文では魔法薬の素材が記載されているらしい。俺が口にした文言とも一致している。
つまり、それぞれ原文の近くに書かれている日本語はひとつの魔法薬に使う素材を翻訳したものなんじゃないか……!?
「これ、買います!」
行き詰っていた調薬の道に光明が差す。やった、これは最高の収穫だぞ。
満足感と共に本を入手した俺は、返事のないアレクサンダーを置いてアニカと一緒に店を出た。
「ご機嫌ですねっカズミさん! ってことは、欲しかった本が見付かったんですか?」
「ああ、求めてた以上の本だ。これでどんな素材を組み合わせればいいかが俺でも解るんだ!」
自分でも驚くくらい気分が高揚している。
こんなところで祖国を感じられるだなんて夢にも思わなかった分、前向きな懐かしさが胸中を占めているのだ。
そのままお腹を鳴らすアニカと城下町の露店に向かった。
毎回動いてくれる彼女を座らせて本を託し、鼻歌を漏らしながら店員に声をかける。
「いらっしゃいませ~。ご注文をどうぞ~」
「……バゲットサンド二つと、ぶどうジュース二つでお願いします」
「はーい。すぐにお持ちしますね~」
しかしすぐにメニューが読めないことを思い出し、浮かれていた頭がじわじわと冷静になっていく。
そうだ、落ち着け和巳。
まだ本が手に入っただけだ。喜ぶには気が早い。肝心なのは、書かれている素材で実際に魔法薬が完成できるかどうかだ。
気持ちを切り替えよう。フードの中から視覚の情報に意識を向けると、注文を用意する店員の姿が目に入った。
彼女はこの店の看板店員なんだっけ。大きな二重リボンは一度見れば確かに記憶に残りやすい。
あれ、よく見るとリボンの質が違うんだな。
ツインテールにした髪の色と同じ金のリボンはふわふわと手触りがよさそうで、その根元を結ぶ赤いリボンはよれひとつなく綺麗に結ばれている。
アニカにも似合いそうだな、なんて考えていると不意に目が合った。
ニコッと笑う彼女に会釈を返すと何事もなかったかのように作業へ戻っていく。
……見過ぎてしまったか。無遠慮だったな。
自省しつつ目を逸らし、相変わらず平穏に過ぎていく街並みを眺めながら料理が出来上がるのを待つことにした。




