003 勇者の加護
長い地下階段を息を切らせながら一歩一歩上る俺をよそに、先に駆け上がった勇者が外へと繋がる扉を開いた。差し込む陽の光が眩しい。
遠くで鐘の音が響く。どうやら正午の刻を伝えているらしい。
地下室では時間の感覚が掴めなかったが今は昼間のようだ。この世界での時間の流れも俺の感覚とそう違いはないのかもしれないな。
「賢者さーん! だーいじょーぶですかーっ!」
「はぁ……平気、だ……っ」
平坦な道を長いこと歩くのは平気だが、階段や坂道は上るのも下るのも苦手だ。心拍数がぐっと跳ね上がる。五十段を超えたところで数えるのをやめた。
というか、ローブが重い。サイズもデカいし引きずるし、陽の光が反射して目に痛い。
……いや、せっかく用意してもらった物に文句をつけるのは違うな。
思考を切り替えるんだ、和巳。早く階段を上り切って、深呼吸をして、息を整えよう。
「はっ……はっ………はぁーーーーっ……」
「本当に大丈夫ですか……!? 座ります? あっ、横になった方が楽ですかっ?」
「いや……ちょっと休めば……すぐ落ち着くから……」
心配して慌てる勇者に「大丈夫だからこのまま案内してほしい」と頼む。すると心配しながらも前を向いた勇者は、まるで使命感を抱いたような顔をして声音と身体を弾ませた。
「じゃあ、賢者さんのことはあたしが抱っこしていきますね!」
「ちょ、ま……! いい、いい! そんなことしなくていいから……!!」
「遠慮しないでくださいっ。賢者さんくらいなら、三人でも四人でもへっちゃらですから!」
年下の、しかも少女然とした体格の子にやすやすと抱えられるとめちゃくちゃビビる。そもそも他人に抱えられる経験なんて普通はせいぜい低学年くらいが最後だろう。
つまり、だ。他人に身体をゆだねるの、すげぇ怖い。
「解った! 休む、休むから……! 降ろしてくれ……ッ!」
「騎士団本部行きシェーファー便、出発しまーすっ」
どうやら彼女の中で何かのスイッチが入ったらしい。
このあとに来るであろう衝撃に備えて、俺はただただ彼女の腕の中で祈ることしかできなかった。
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勇者に抱えられた道のりは案外揺れもなく快適だった。
いや、人に見られていたたまれない気持ちにはなったが、軽快な足取りながらも喋り続けていた勇者が息ひとつ乱していないことが衝撃的で感情の行きどころが解らない。
道中、一生懸命説明してくれた内容は半分くらいでキャパオーバーしてしまった。
ひとまず今日が六月九日であること、時間の概念は同じであることは理解できたのでまぁよし。他はまたその都度聞いていくことにしよう。
最初に王城へ続く道を案内され、今は騎士団とやらにある鍛錬場に来たところ。
他の場所へはまだ地図を見ながらでないと迷ってしまうようだ。どうやら、勇者もここに来てまだ半年かそこららしい。
「あたしもよくあそこで鍛錬してるんですっ。力の使い方を覚えてもっと強くなるために!」
勇者というくらいだから、王城に来るまでは特別な場所で特訓でもしていたのか?
俺を軽々と持ち上げるパワーを身に付けるくらいだから、きっと過酷な日々だったのだろう。
それでもこうして笑顔でいるのはすごいことだ。彼女との差はせいぜい二~三歳程度だと思う。その頃の俺は心身共に不調が続き、高校に当たり前に通うことができなくなっていたな。
日頃は思い出さないようにしている記憶が過ぎり、頭を振って意識を強制的に切り替えた。
「勇者は……華奢に見えるけど、どれくらい強いんだ?」
「ふふん! こう見えて勇者ですからねっ。騎士団の人相手でも勝てますよ! ……あ、隊長さんとかはまだなんですけど……えへへ」
なるほど。隊長がいるってことは、騎士団の中でも分隊があるのか?
あんまり人が多いと覚えられる自信がないな……。
「騎士団って、国を守ったりする人のことか?」
「はいっそうです。隊によって違いがあるみたいなんですけど、基本は国と民を守護するのが役目だって聞きましたっ。その中でも隊長さんはとっても強くてキュピーンとしてるんですよ。賢者さんにも今度紹介しますねっ」
勇者でも勝てない相手が騎士団にいるのに、隊長達は〝勇者〟じゃないんだな。騎士団員はなれないとか? もしかすると、この子にはこれから強くなれる素質がある、とか?
「あんたは……〝強い〟から〝勇者〟になったのか?」
「へっ? 違いますよ?」
「違うの……?」
「はい! 〝勇者〟になったから〝強い〟んですっ。女神様からふたつとない『勇者の加護』を授ったので!」
女神様、勇者の加護、ついでに騎士団もろもろ。
自分の中で嚙み砕いて納得したふりをするには、そろそろ限界が来てしまったようだ。
「……ごめん、聞きたいことめちゃくちゃ増えたんだけど」
「任せてください! あたしに解ることならなんでも教えますよっ」
曰く〝勇者〟とは、この国を守るために女神から選ばれた者――通称祝福者と呼ばれる人のこと。
加護を授かることで単純なパワーだけでも獣人族並みとなり、魔力量は格段に増加すること。
判別する方法はうなじに紋章が出ること、そして髪の一部が変色すること。
勇者が死んでしまうと、国のどこかで誰かが新たに加護を授かること。
勇者に選ばれた者の法則性は、今のところ解っていないこと。
…………うん、ますます混乱してきた。
「この世界には獣人族がいるのか……? それに魔力もある、ってことは……あんたも魔法とか、使えるってことか……!?」
情報を懸命に飲み下しながらもそのワードには心が躍ってしまう。声色にも出てしまっているだろう。
きょとんとする勇者の反応を待っている間にも、頭の中では世界的に有名な魔法使い映画のワンシーンが過ぎり、次から次へとあふれ出そうになる質問をぐっと飲み込んだ。
「はっ! もしかして賢者さんの世界ってこことは全然違ったりするんですか!?」
頷けば、はっとした顔からまた表情が変わる。感情豊かな小動物を見ている気になってきた。
勝手に和みを感じている俺のために、勇者はうんうん唸りながらも説明の文言を紡ぐ。
勇者の話を要約するとこうだ。
獣人族は凄い種族だが勇者はまだ一人としか会ったことがない。
彼女が使える魔法は強化術が主で、他は鍛錬の半ば。
魔力は「えいっとすれば」今よりもっと強くできる。
さらに言えば、「せいってやればわーってなります!」らしい。
…………うんうん、なるほどな。
この世界の情報がさっきよりも少しだけアップデートされた。
しかし、話が進むほど感覚的な説明が増えていっている。常識に相違がある俺が聞いても要領が掴めない。
俺相手に頑張って言葉にしてくれているんだ。ちゃんと理解したい気持ちはあるのに、どこから話を切り込めばいいのか上手くまとめられない。
一方、首を傾げる俺に気付いたのか、勇者はまた唸り始めてしまった。力強い擬音を発しては「伝わってますか?」と不安そうな目を向けられ、申し訳なくて閉口してしまう。
「う~ん、ごめんなさい。あたし、説明ってちっちゃい頃から苦手で……」
「いや、教えてくれるだけありがたいよ」
「でもこのままじゃ、賢者さんも解らないことだらけですよね。どうにかしてあげたいんですけど……」
二人してう~んと声を揃えて呻いていると――
「やっほーアニカちゃん。やーっと見付けたよ」
「わあ! どうしてここに!?」
――後ろから、突然知らない男の声がした。