023 口遊むは希望の光
いつも通り薬を飲んだのになかなか寝付けない夜を過ごした。
昼間に眠ってしまった事実を差し引いても、誰かさんのおかげでしばらく胃がキリキリと痛んだからだ。きっとそう。
陰鬱とした気分で目が覚めた俺は大きく息を吐き、すっかり日が昇りきった清々しい空を見てから階段を下ると――何食わぬ顔で号外を読むアレクサンダーの姿が目に入った。
そいつは当たり前のように居座っている。遠慮なんて言葉はこの男の辞書には載っていないのだろう。
昨日まで着ていなかった白衣を纏い、煙管と口端からこぼれる煙が天井に向かって細く立ち上っていた。
その姿にすっかり怒る気も失せ、わざと足音を立てながら向かいにどかりと座る。
「アレクサンダー」
「おやおや、小生の知らぬところでぐっと距離が縮まっていたようだ。参考までに、何が君をそうさせたのか聞かせてもらえるかい?」
「あんたが薬盛ったからだろ!!」
「ふむ……何故怒る?」
何故って……そんなのいちいち言わなきゃならないことなのか?
それとも俺の反応を見て遊んでいるのか?
「君は普段から充分な睡眠が不足しているのだろう。常にうっすらと隈があった。あの魔法薬には睡眠を促すだけでなく、心身の緊張を解し、不安を解消する作用がある。おかげで倦怠感は薄れているはずだ。その証左に、隈が昨日よりも目立っていない」
「……本当に?」
言われてみれば寝付きが悪かったのに寝足りなさはなく、陰鬱とした気分とは裏腹にいつもより身体は軽かった。確か、昨日もそんなことを感じたな。
夜の城下町の光量は道を照らす程度だ。顔色が解るほどじゃない。
だというのにあの薬を用意できるくらいにはこいつの観察眼は鋭いのだろう。質のいい睡眠が取れるだけで心持ちも幾ばくか軽くなるからな。
……いや。いやいや、待て待て。何納得しようとしてるんだ俺は。
「そもそも勝手に薬を盛るなよ!」
「承知した。次は事前に伝えてからにしよう」
「飲ませないって選択肢はないのか……」
声を荒げても響いていない。何を理解したのかひとり頷くアレクサンダーに怒りを通り越して呆れてまた息をこぼして――ふと、先程の言葉が脳裏に浮かぶ。
「というかあんた、魔法薬が作れるのか……?」
「ああ、作れるとも。といっても、興味の湧いた魔法薬に限られるがね」
嘘だろ。まさか町中で魔法薬を作れる人と出会えるなんて。
これってかなり凄いことなんじゃないか?
運命の巡り会わせに一瞬心が浮き立つ。
けれど、短い時間でもこの男があまり真っ当な類ではないことは痛感させられた。
素直に喜んでいい場面……なのか?
いや、いいところを考えてみよう。魔法薬の効きは抜群だったんだ。
俺にも作れるようになれれば不眠の心配は解消されるし、違う魔法薬作りに集中することもできる。ついでにいろんな魔法薬のレシピを聞けるかもしれない。
それに俺が頼んでも頼まなくてもしばらくここに居座るつもりらしいし、だったら「教えてもらう」一択だよな。
「……なぁ、魔法薬の作り方とか、俺に教えてくれないか?」
「構わないよ」
自分の中で結論を見いだして頼んでみると、アレクサンダーは驚くほどあっさりと快諾してくれた。
回りくどく断りの文句を言われると思っていたから拍子抜けしてしまい、気の抜けたお礼の言葉を返す。
なんだ、この男のことが本当に解らない。
身勝手で厄介なのか、気まぐれなだけでいい人なのか。
中途半端な判断材料だけが俺の中で積もっていく。
「こちらからも提案がある」
かと思えば、そんなことを言い出して。
やっぱり何かあるのか?
賢者か、もしくは勇者に用があるのか。はたまた俺から騎士団について探ろうとしている、とか。
疑い出したらどんどん出てくる。
教えを乞うのは止めておいた方がいいかもな、なんて考える俺を余所にアレクサンダーは話を続けた。
「君達は共に行動する仲間を求めているのだろう?」
なんでそのことを知ってるんだ?
……いや、城下町で俺とアニカの話を聞いてたんだっけ。
だけどどうして今その話をするんだろう。
「ならば小生をその一員に加えるといい。君達は知識を得られ、小生は小生の目的が果たされる。これ以上の対価はないと断言できるとも。クフフ、これからが楽しみだな」
アレクサンダーが……俺達の仲間に……?
一方的に物事が決まりそうになり、流されそうになる空気を払拭すべく立ち上がった。
「……その件は一旦保留で」
受け入れられるほどの信頼感はないけれど、頭から拒否するほどの嫌悪感がないのが絶妙なところ。
魔法薬について知る機会が失われるのは困るし、断って出ていかれた後に襲われでもしたら良心が痛むし。
アレクサンダーという男がどういう人間なのか、何を思って仲間入りを申し出たのか、どんなことができるのか。
決定するのは様子を見てからでも遅くない……よな?
立ち上がったはいいものの、この男をひとり残して勝手をされては困る。
調薬室に行きたくても行けなくなった俺はひとまず厨房に籠り、扉の隙間から彼の様子を窺うことにした。
俺の視線を知ってか知らずか、アレクサンダーは再び号外に視線を落として煙を揺らす。
ああ……アニカ、早く帰ってきてくれないかな。
遂には虚空を見つめながら、明るい笑顔の帰還を今か今かと待ち望んだ。
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「これから仲間としてよろしく頼むよ」
「アレクさんも仲間になってくれるんですか!? やったー!」
「待て待てまだ俺は認めてないからな」
鍛錬を終えて帰ってきたアニカに事のあらましを伝えると、予想通りというかなんというか、両手を挙げて全身で喜びを露わにしてくれた。
一応はまだ「同居人」ってカテゴリだとは話したけれど、アニカの中ではもう仲間認定されてしまった気がする。
コントみたいに軽快に進む会話に先行きが不安になるも、俺に賛同してくれる人はここにはいなさそうだ。
それから数日、実にいろんなことがあった。
アレクサンダーは二階の空き部屋を勝手に占拠するし、アニカは仲間が増えたことにはしゃいで力の入れ加減を間違えて物を壊すし。
前者は何を言ってもどこ吹く風で、後者は悪気がない分怒るに怒れない。
そんな慌ただしい日々が過ぎたとある日のこと。
珍しく談話室でひとりになった俺はソファに座って目を閉じた。
「推しが恋しいってこういう気持ちなんだな……今無性に♡Vのライブを浴びたい……」
メンバーの名前が歌詞に織り込まれた曲を口遊みながら郷愁に浸る。
へこたれるな、和巳。
異世界に来てからまだ何も目的を遂げられていないだろう?
大丈夫、大丈夫だ。俺には道を照らしてくれる指輪がある。光がある。
自分の意志でここにいるんだ。この曲に思いを込めた彼女達のように前を向いて生きていこう。
よし、と力を入れて目を開けた。
いつの間に戻ってきていたのだろう。眼前に迫るアニカとアレクサンダーを見て思わず座面からずり落ちかけてしまう。
「うおっ!? いたのか……!」
「もしかしてその歌、カズミさんが好きだって言ってた踊り子さんの歌ですか!?」
聴かれていたのか。
そう瞳をキラキラと輝かせられると気恥ずかしいな。
頷くと、アニカの興味が一層深まったのを感じる。知りたいと思ってくれることが純粋に嬉しい。
彼女達に何度励まされてきたことかと懐かしむ俺に、今度はアレクサンダーがアニカにひとつの提案をした。
「ふむ、歌が聴きたいというのならいいところがある。昼時にはうってつけの店だ。行ってみるかね?」
「そんなところが……! アレクさん、お願いしますっ!」
どうやら城下町に行くようだ。乗り気のアニカには悪いが、この男の言う「いいところ」が俺達にとってもそうだとは限らない。
嫌だとは言わずに回避する方法はないだろか。
「結局誰かさんが魔法薬についてなんにも教えてくれないし、俺としては調薬室に行きたいんだけど……」
「では、食事をしながら話すとしよう」
俺の皮肉は当然のように躱され、アレクと一緒にアニカまで外に向かって歩き出してしまった。
「……俺だけ残ってやろうかな」
せめてもの反抗を示そうともしたけれど、外から俺を呼ぶアニカの声が聞こえて思わず唸る。
アレクサンダーの呼びかけなら聞こえなかったふりでもできるところだが、アニカが相手だとそういうふりをするのも気が引けてしまうな。
「…………はぁ」
何度目か知らないため息をゆっくりと吐き出して、仕方なく俺も二人について行くことにした。




