020 白煙の男
仲間の選抜――つまるところ、自分達で勇者パーティを選べというお達しだ。
見ず知らずの人と行動しなくていいのは助かるが、俺はまだ召喚されたばかりでアニカと騎士団員以外に知り合いはいない。
アニカも村からここに来て半年ほど。鍛錬に精を出している日々だ。
「お友達ならいっぱいいるんですけど、鍛錬してる人ってなると騎士団の人達以外にはあんまりいないかもです……」
鍛錬に重きを置いた半年で友達がたくさんできるのもそれはそれで凄いな。確かにアニカは人と打ち解けやすいタイプだし、話しているとこっちが勝手に元気をもらえる。
少し言葉を交わしただけでも友達になりたいと思う人も多いだろう。
「うーん。一緒に戦ってくれる人ってなるとやっぱり騎士団にお願いした方がいいんでしょうか?」
「まぁ……頼んだ方が無難かもな」
「解りました! 師匠がいらしたら聞いてみますっ」
食事と話が一段落ついたところで、アニカは鍛錬のために本部へと元気に走り出していった。俺も大きく手を振る彼女に応えつつ席を立ち、二重リボンで頭を飾った店員にお礼を言って歩き出す。
本当に平和だった。
聞こえてくるのは隣人と歓談する声と、走り回る子供の足音と、建築を進める金槌の音。
ところ構わず怒号が飛んでくることもなく、無遠慮な眼差しが向けられることもない。
目を閉じて耳を塞がずに歩いていける。なんて素晴らしいんだろう。
人混みを避けながらも城下町を散策するのは楽しかった。
花を愛で、噴水を眺め、親は子を見守り、子は親を見て笑う。そして誰もが、口々に女神へ感謝の言葉を口にした。
夕刻の鐘が町中に響き渡ると彼らは屋内に入り、どこからともなくいい香りが漂ってきた。
窓から漏れる部屋の明かりそれぞれに日常が根差している。仕事を終えた大人達が酒場に入って行く姿にすら温かみを感じた。
誰も俺のことなんか知らない。
誰も俺のことなんか見ていない。
薬師寺和巳で在る必要すらない世界は、足が震えるほど、安心した。
「……そろそろ帰るか」
星が見え始めた空を見上げ、少し高いところにある王城を目指して歩き出す。
日中は表通りを通ってきたし、せっかくなら帰りは他の道も見ていこう。
なんて軽い気持ちで裏路地に入ると、入り組んだ道をぐるぐると進む羽目になってしまった。
右に左にと繋がる分岐をいくつか超えたところで、何度も立ち塞がる壁についには方向すら見失ってしまう。
ダメだ。これ以上進んでもらちが明かない。大人しく表通りに戻って帰ろう。
と、振り返った俺の前にも壁があった。
いや、違う。人がいた。俺よりも大柄な男が三人揃って路地を塞ぐようにたたずみ、ぶつかった俺をじっと見下ろしている。
謝ってからすぐに逃げよう。
俺の決意は早かったが――身体が動くよりもさらに早く、男達が背負っていた革袋から斧を取り出してこう言った。
「おう兄ちゃん。身ぐるみ、全部置いてってもらおうか」
凄いな、いかにもな悪人っぷりだ。かえって現実味が薄れてきたぞ。
もしかして俺、魔法薬の副作用とかで幻覚でも見てるのか?
「まずは金だ。その上等なおべべもオレらが有効に使ってやるから安心して渡しな」
勢いよく振り落とされた斧が石畳を砕く。頬を掠めた破片が痛みをもたらし、ついでに冷や汗が背中を流れる。
逃げないと。
――どうやって?
全力で走ろう。
――でも道が解らない。見るからに屈強な男達と戦えるだけの力ももちろんない。
……手持ちの魔法薬を投げたり女の子になって驚かせたら隙を作れるかもしれない。
――待てよ、この状況じゃ逆に危険になるだけじゃないか?
できないことばかりが脳裏を過ぎり、何ひとつとして対処法が思い浮かばない。
じりじりと後退するだけの子供ひとり。思えばとんだ〝カモ〟だ。町中が平和だったからすっかり危機感が薄れてしまっていた。
ああ、視界がだんだんと白んでいく。こういう時でさえストレスはこの身に襲い掛かってくるのか。
このまま倒れたら俺はどうなるんだろう。
身ぐるみを剥がされるだけならまだマシだ。殴られたり、最悪殺される可能性だってある。
もしそうなったら……あの世でアニカに謝ろう。賢者として役に立てなくてごめん、って――
「うわっ! おい、なんだこれ!」
――野盗の狼狽える声にハッと目を開けた。瞬きをするたびに視界は白くなっていくのに平衡感覚はちゃんとある。どうやら俺は立ち眩んだわけじゃなさそうだ。
ストレスからの視野狭窄だと思っていたこの〝白〟の正体は、足元から路地中に広がっていく〝白い煙〟だった。
あっという間に路地を埋め尽くした白い煙は俺の姿を野盗から隠す。しかし俺からも逃げ道を隠してしまった。
幸いなことにまだ前後の感覚はある。このまま壁伝いに距離を取って道を探していけばなんとかなるかもしれない。
一縷の望みをかけて壁に伸ばした手を――誰かが、掴んだ。
「こっちだ」
そいつは焦る俺の声なんて完全に無視して走り出す。俺はただ引かれるままに走ることしかできず、不明瞭な視界の中で必死に足を動かした。
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一度も止まることなくしばらく走り続けていると、薄れた煙の先に表通りが見えてきた。
無事に野盗から逃げおおせた安堵で地面に膝をつき、乱れ切った呼吸を必死に整える。
俺を助けてくれた人はといえば軽く息をつき、煙粉末で真っ白になった旅の外套を手で払うことなく脱ぎ捨てた。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます」
「いやなに、絡まれている君の姿を見かけたのでね」
ただ「見かけたから」と見ず知らずの俺を助けてくれるなんていい人だな。
疲労で鈍った思考をなんとか巡らせて「お礼をさせてほしい」と言えば、夜だというのにサングラスをかけた白い男はニコリと一笑した。
「実は小生、王都には今日来たばかりなのだよ。共に食事をする相手がほしかったところだ」
「? それって……」
「明日、君が昼食を取った店で食事をしながら話をしよう。心待ちにしているよ」
俺の返事も待たずに男は一方的に約束をして去っていく。姿が見えなくなるまで呆然と見送った後、また襲われては敵わないと表通りを早足で進んだ。
まぁ、俺も知り合いがほしかったところだしちょうどいい機会か。
昼間の露店なら人目もあるし、騎士団も見回りをしているし、万が一野盗がまた出てきてもなんとかなるだろう。
王城から下りた道をたどって確実な帰路につく。もうひとりで人気のないところに入らないと心に固く誓い、歩きながらローブについた煙粉末を叩き払った。
「――待てよ。なんであの人、見えない路地を迷いなく走れたんだ?」
地元の人ならいざ知らず、あの男は確かに「今日来たばかり」だと言った。それなのにどうして見えないはずの道が解ったんだろう。
それにさっきの言葉も妙だ。あの人は何故、俺が昼食を取った店を知っている?
「……なんだってんだよ」
結局浮かんだ疑問は解消されず。俺は五体満足で寄宿舎の扉をくぐって、平然とした態度でアニカの帰りを待った。




