014 魔導士の頂点に立つ者
朝、目が覚めると枕が少し湿っていた。
どんな夢を見ていたのかは少しも思い出せないのに、何故か物寂しい気持ちが胸中を占める。
俺はホームシックになっているのだろうか。もしかすると、心の底では元いた世界に帰りたいと思っているのかもしれない。
自分の気持ちが解らなくなってベッドの上で呆然としていると、窓の向こうから威勢のいい掛け声が俺の耳に届く。
「えい! えいっ!!」
布団から抜け出して外を見てみると、身の丈ほどの大剣を何度も何度も振り回しているアニカがいた。
元気でひたむきな姿を見ていると沈みかけていた心がいつの間にかスッキリとしていて、仲間と共に歩むことを決めた小熊星もこんな気持ちだったのだろうかと笑みが込み上げてくる。
そういえば昨日副団長が持ってきた荷物の中に新鮮な果物もあったな。
鍛錬を終えたアニカがすぐに食べられるように、お茶と一緒に準備をしておこう。
俺は寝起き直後とは違って前向きな気持ちで部屋を出た。
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切り分けた果物を食べ終えてから寄宿舎を後にし、アニカと一緒に騎士団本部の道を進む。
アニカは鍛錬場へ、俺は調薬室へ向かうべく道を分かれようとしたその時、副団長が俺達を呼び止めて近寄ってきた。
「よかった、ここにいたんだ。カズミくん、今からちょっといいかな?」
「いいですけど……何かあったんですか?」
「大魔導士様が賢者に会いに来たんだ。本当はお披露目会で対面する予定だったんだけど……来ちゃったものは仕方ないし、おれについてきてよ」
どうやら大魔導士と呼ばれる人はあまり人前に出ることを好まないらしい。だからタイミングをずらしたんだろうと副団長は推測しているが、こんな自由が利くほど偉い人だと思うと身が竦む。
「大魔導士……アニカは会ったことあるのか?」
「ありますよ! っていっても一回だけですけど、国王様の次に偉い人なんだって教えてもらいましたっ」
想像以上に偉い人だった。
どんな風か全く想像できないな。五賢星みたいな感じか? それとも、副団長みたいに気さくな感じだろうか?
いや、人前が好きじゃなさそうだし、後者の可能性は低いか。
「じゃあカズミくんのこと借りてくね」
「副団長さん、あたしも一緒に行っていいですか? あの時は挨拶しかできなくて、大魔導士様とはちゃんとお話しできなかったのでっ!」
「んー、勇者なら断る理由もないしいいんじゃないかな。カズミくんもそれでいい?」
俺だってアニカが来ることに断る理由なんてない。
頷けば、副団長はいつもより早足に王城へ続く道を進んでいく。中央の建物から少し外れて古びた門をくぐると、天井が天球となったアーチ状の『控えの間』に案内された。
ここが目的地のようだが……誰もいない。
部屋の中をいくら見渡せど俺達以外に人気はなく、隠れられそうな家具さえもなかった。
「えっと……大魔導士さんはどこに――」
『ここにいますが』
「――えっ?」
何もない場所から声が聞こえた。
アニカの声でも、副団長の声でもない。平坦で落ち着いた男の声だった。
右を見ても左を見ても俺達しかいない。後ろにももちろんいない。幻聴でも聞こえたのだろうかと再び前を見遣れば――目の前で〝やっこさん〟がふよふよと浮いていた。
……は? これ、折り紙、だよな……?
なんでここに……というか、どうして浮いてるんだ……?
「カズミさん、あれが大魔導士様ですよっ」
「の、式神ね。人前には姿を見せたことがないんだよね」
俺が混乱していると二人が小声で答えをくれる。
なるほど、これも魔法の一種なのだろう。この世界に来て最も魔法らしい魔法を目にして一瞬心が昂ったものの、そんな俺を気にすることなく大魔導士は言葉を紡ぐ。
『名目上は大魔導士と呼ばれていますが強要はしません。貴方の呼びたいように呼んでいただいて構いません」
淡々と、淀みなくつらつらと話す。そこに感情はないのか、まるであらかじめ用意していた文章を読んでいるようにも聞こえる。
他には「体裁的に教会に所属しているが、勇者と賢者に関して国王から導きを任されている」ことを伝えられ、俺が返事をするとやっこさんがくるりと背を向けた。
『導くに値するかどうか、何よりもまず貴方方の適性を見定めます。勇者、アニカ・フォン・シェーファー。そして賢者、貴方のことも。それまではもう会うこともないでしょう』
それって……俺はまだこの人に賢者として認められてないってことか?
今までの対応からてっきり勇者や賢者は重宝されるものだと思っていたけれど、それが国の総意というわけではないのかもしれない。
国王に一任されるほどの人が俺達に否定的なら、結構な無理ゲーに挑むようなものじゃないか……?
『最後に、名を』
「……薬師寺和巳、です」
少しの間を開け、ローブのフードを外しながら名乗る。
この人なら魔法薬について聞けるかもしれないとわずかに期待したが、これは話を聞くことすらできなさそうだな。
ため息と共に落ちた視線をやっこさんに戻すと――いつの間にか、それが焦点の合わない眼前まで迫っていた。
『ヤクシジカズミ、貴方の誕生日と年齢を』
「えっと……六月九日生まれで、十九歳になりました、けど」
なんだ。俺、何かしたか?
ぐるぐると俺の周りを回るやっこさんに目が回りそうだ。
もう一度助けを求めるべくアニカに視線を送ると、きょとんとした顔がだんだんと驚きに染まるのが見えた。
「えっ! カズミさん、一昨日が誕生日だったんですかっ!? それって……この世界に来た日じゃないですか! 言ってくれればいっぱいお祝いしたのに……!」
「いいね、お祝い! お披露目会で同時にやっちゃう?」
「いや、それは嫌ですけど……」
あまりにも場にそぐわない声に、思わず俺もいつものように返してしまう。
落ち着け、俺。今はこんなことしてる場合じゃないだろう。
右手を握り、呼吸を整えてから改めてやっこさんと向き合った。
「あの――」
『ともあれ、再び会う日がくるまでは私の存在を思い出す必要はありません。貴方の賢者としての働きに期待しています』
「――は、ちょ、ま……!?」
俺の返事を待たず、大魔導士の式神であるやっこさんが塵のように崩れて消えていく。
しばらく呆気に取られていると副団長とアニカに腕を引かれて外に連れ出される。どうやら大魔導士個人とのお披露目会はこれで終わりのようだ。
偉い人との挨拶がこんなのでよかったのか……?
不安な気持ちが芽生えたが副団長は気にした素振りもなく、アニカに至っては「また話せなかった」と悔しがっていた。
少なくとも、この場で疑問に思っていたのは俺だけらしい。
その後、本来の予定通りアニカは鍛錬場へ向かい、俺も首を傾げながら調薬室へと向かうことにした。




