010 賢者のローブ
次の日、目が覚めると太陽は完全に昇りきっていた。
一階に降りると少しだけ焦げた香りがする。原因を探すこと数分、テーブルの上に置かれた弁当箱が焦げた香りの正体を教えてくれた。
「俺の分も作ってくれたのか……」
アニカはもう寄宿舎の中にはいなかった。毎朝鍛錬をしているらしいからもう外に出てしまったんだろう。
弁当は昨日俺が座ってた場所に置かれ、フォークも添えられている。ふたを開けてしっかり過ぎるほど焼き色のついたおかずを見ると、火力全開調理をするアニカの姿が目に浮かんで思わず頬が緩んだ。
広い談話室でひとり、陽気に包まれながら腹を満たす。
それがあまりにも穏やかで、緩やかに時が過ぎていく。
召喚される前でさえこんなにゆっくりしたのは随分と前のことだ。
今までは思考を上塗りするようにずっと何かしら考えていたけれど、不思議と今は切迫感に襲われたりしない。
他人が作った料理を何も考えずに楽しみ、ただただぼうっとして過ごすのは久しぶりだった。
「……いや、こんなんじゃ駄目だよな」
だが、何もしない状況を続けるのは性に合わなくて。
そわそわしてしまう自分を落ち着かせるように弁当箱を片付け、地図を頼りに近場を歩いてみることにした。
せっかく用意してもらったんだ。賢者として生きると決めた以上、この世界に少しでも早く慣れるように頑張らないと。
真っ白なローブは部屋の中にいても太陽の光を浴びて目に痛いほど輝く。しかし代わりはまだないため諦めて羽織った。
フードを被り、玄関の扉の前で右手を握る。
大丈夫、大丈夫だ。ただ、散歩をするだけ。誰も俺のことなんか気にしやしない。
いつものように自分自身に言い聞かせ、「よし」と気を張って扉を開くと――
「や。ご機嫌いかが?」
――目の前には動く箱の山が……いや、荷物を抱えた副団長が立っていた。
驚く俺をよそに、にこやかな顔をしたかと思えば有無を言わさず中に入ってくる。
そのまま談話室まで進み、テーブルの上に重量感のある箱をドンっと置いた。
「あの、副団長……なんですかそれ?」
「よくぞ聞いてくれたね!」
誇らしげに笑う副団長は数ある荷物の中から丁寧にたたまれた青い布を手に取る。じゃーんと広げられたローブはどうやら〝賢者専用〟の逸品のようだ。
言われるがままに細部まで見遣れば、装飾に疎い俺でもローブに費やされた技術がどれほどのものか考えさせられる。
深い青の生地に金の刺繡が施されているだけでも壮観なのに、背面にはなんと星のマークまで刺繍されていた。
俺のTシャツや帽子からわざわざあしらってくれたのだろう。ありがたい気遣いだが、ここまで手の込んだものを用意してもらうと申し訳なさもあるな。
これはこれで目立ちそうだけど……まぁ、真っ白なローブよりは落ち着きそうだ。
昨日の今日でもう完成したローブと共に質のよさげな服を渡され、部屋で着替えてくるようにと背中を押される。
強引な人だなと思いつつも用意された衣類に袖を通した。
下は腰を紐で縛るタイプのスボンで、上は薄い藍色のワイシャツで。調整できることを加味してもサイズが俺の身体にピッタリ過ぎるほど。
あの薄暗い地下室でよくここまでできたなと感嘆の息をもらしつつ、フードの深さにもまた感謝の念を深めた。
「帽子、被らなくてもよさそうだな」
フードを被るだけで顔にしっかりと影が出る。これなら人の視線を遮るのも楽だ。
万が一帽子をなくしてしまうことがあったら困るし、部屋で保管できるのもありがたい。
Tシャツは……保管する前に洗っておくか。
洗濯機とかあるのかな。洗濯場とかがあるなら副団長に場所を聞いておかないとな。
自分の服と白いローブを手に一階へ戻ると、テーブルの上にはちょっとした規模のお茶会が開催できそうな品々が並んでいた。
「……こういうの好きなんですか?」
迷いに迷って聞いてみると、副団長は眼鏡を輝かせて生き生きと喋り出す。
「ティータイムはもちろん好きだけど、どっちかっていうと目新しいモノが好きなんだよね。ほら、これとか凄いよ。なんと、コンディートア社が最近売り出したばっかりの『チョコレート』ってのを使った甘~いお菓子!」
籠に入った焼き菓子からいい香りが漂ってくる。
この世界ではチョコレートは新しい部類なんだな。昨日食べたクッキーにもチョコ味があったはずだ。もしかしてアレも貴重だったのか?
「そんでこっちは商会から融通してもらった茶葉だよ。おれも今朝飲んでみたんだけどあっさりしてて美味いよ~」
次々と紹介されていくが、副団長の物言いからはこれらが貴重な品かどうか読み取れない。でも下手に聞くのも失礼かもしれないし、今はまだ聞かなくてもいいか。
「食べたら感想聞かせてよ。アニカちゃんにもよろしく言っといて♪」
一方的にまくしたてたと思ったらふわっと締めくくられた。
え……それだけ? 他に用があって来たんじゃないのか……?
「このためにわざわざ来たんですか……?」
副団長って案外暇なのかな。
そう思ったのが顔に出てしまった気がするけれど、彼はそれだけじゃないよと胸を張って話を続ける。
「カズミくん専用の賢者部屋が用意できましたー! はい、拍手ー!」
「……部屋? ここ以外にってことですか?」
「そ。約束したでしょ、君が魔法薬を作る手助けをするってさ」
言われるがままに拍手をすると副団長は満足げに笑った。そのまま俺が手に持っていた衣服をひったくって空いた箱に詰めてしまう。
「あとでうちの子が取りに来るから。おれたちはこのまま調薬室へレッツゴー!」
俺が質問なんかする暇もなく、楽し気な偉い人に連れられて寄宿舎を出ることになった。
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副団長に連れて行かれた先は騎士団本部にある部屋のひとつだった。
中にはさまざまな植物や鉱石、それによく解らない物まで用意されており、調合に使うのか鍋も複数並べられている。
「昨日もちらっと話したと思うけど、魔法薬を作るには結構な魔力量が必要なんだよね」
「どのくらい必要なんですか?」
「Aランクじゃないと無理かなぁ」
なるほど、魔法薬を作るのと治癒をするのに必要なランクは同じってことか。
歴代の賢者がこの二つの分野に挑戦してきたのにも納得だ。
「魔力量以外だと素材の質がかなり影響してくるんだって。市場に出回ってない物も多いし、欲しいのがあったらうちの子に言ってくれればいいからさ」
値段を聞くのは……怖いからやめておこう。
それだけ希少なら、俺がたくさん作れるようになれば元が取れるくらいには貢献できるかもしれないしな。
うん、そのスタンスでいよう。
「魔法薬ってどうやって作るんですか?」
「一定量の魔力と素材を調和させることで完成するらしいよ。本当はおれが実演してみせたいところだけど、そっちはおれの分野じゃないんだ」
そもそも副団長の魔力量はCランクだから、魔法薬を作ることすらできないみたいだ。
ランクが低くても騎士団の偉い人になれるんだな。
それだけ強いってことか? 副官って参謀的なイメージもあるし、体格も俺より少し大きいくらいだし、この人もそっち側かもしれないな。
……いや、体格と強さはあんまり関係ないんだっけ。
Cランクでも極めれば体術の威力が激増するとアニカが興奮しながら語っていたし、俺の常識では計り知れないことがまだまだあるんだろう。
「しかもこの『調和』ってのがなかなか難しいらしくてさ。薬師最初の難関とも言われてて、今までならコツ掴むのに結構苦戦する人も多かったんだよね」
「『今までなら』……?」
「そう! なんと今回ご用意いたしましたのは、うちの技術チームが心血を注いだ調薬鍋! 歴代の調薬鍋と何が違うのか、気になる? 気になるでしょ?」
「そりゃあまぁ、もちろん」
「なんと! 贅沢に魔晶石を加工してるんだ! 魔法陣も組み込んであるから、特別な技術がなくても魔力さえあれば誰でも素材と魔力を馴染ませることができる特級品!」
魔法陣って言えば……俺が召喚された時に床にあったアレのことだよな。特定の手順を短縮させたり、負担を軽くさせたりするものなのか?
「あ、カズミくんなら問題なく使えると思うけど、最終実験段階だからこれも使い心地とか教えてもらえるとお兄さん嬉しいな~」
この人、こういうところがある。もう驚かないぞ。
だけど俺に使わせてくれるってことはそれなりの安全性は証明されているんだと思う。
了承の返事と一緒に、もうひとつの気になる単語を聞いてみることにした。
「魔晶石ってなんですか?」
「魔力を含んだ稀有な鉱石のことだよ」
「へえ、魔力って物に込められるんですね」
「んーん、人工的に魔力を込めても恒久的に留めることは基本的にはできないんだよね。だけど特定の地域で採掘できる魔晶石はもともと魔力を持ってるんだ。同時に、人間が込めた魔力を貯蔵しておける特性があるってわけ。ちなみにピアスもそうだよ」
そう言って両耳に付けている特徴的なピアスに触れた。魔晶石を普段から身に付けることによって自身や他者の魔力を貯め続けることができるらしい。
この特性を活かし、Cランクの副団長でも瞬間的に魔力を増幅できる仕組みのようだ。
聞けばなるほど、面白い。
アニカみたいに戦闘面に特化した人もいれば、技術面を磨く人もいる。どんな人達がこの調薬鍋を作ったのだろう。
どちらかといえば俺も後者側のタイプだから、いつかそういう人達と会って話せるといいな。
「話を戻そうか。本当はこの国で最も信頼できる魔法薬師に来てもらいたかったんだけど、ちょーっと遠出してるとこなんだ。帰ってきたらまた紹介するから、その間はカズミくんの好きに作っちゃってよ」
「いや……作り方、知らないんすけど……」
「そっか! 資料なら騎士団本部にある図書室にあるかもしれないから行くのもありだね!」
おお……そこは丸投げなんだな。
まぁ充分過ぎるくらい手助けしてもらってるし、そのくらいは自分でやるか。
「……ちなみに、失敗したらどうなるんですか?」
「ははっ、その場合は効果がない物ができあがるだけだから心配しなくていいよ」
万が一にでも調薬鍋が大爆発することがあるなら困るが、それなら気軽に作ってみてもよさそうだ。
その後、副団長から道具の使い方と魔力を鍋に注ぎ込む方法を教わった。
一通り俺の理解が進んだところで彼は仕事があるからと調薬室を出ていこうとし――扉の外からひょこっと顔を覗かせる。
ああ、何かあるなこれは。
嫌な予感が脳裏を過ぎると同時に、その言葉は投げ込まれた。
「そうそう、一週間後に国王陛下と要人相手にお披露目会やるから覚えといてね」
驚く俺にいたずらっ子のような笑みを残し、副団長は軽い足取りで俺の前から去って行った。




