恵美のお仕事事情 3
田中さんからもらったサンプルを使いながら、その後もダンジョンに潜る生活を続けた。
ある日いつものように田中さんのところにお茶っ葉を受け取りに行った康太が、興奮気味にアパートに帰ってきた。この日は幼馴染たちで、晩御飯でも食べようかと康太の部屋に集まっていたところだった。
「田中さんが、会社作るって!!」
「どういうこと?」「ソレがオレラになんの関係が?」
ざわつく私たちに、康太はつっかえつっかえ説明した。
田中さんがポーションを作って売る会社を興すことにした。なので、一緒にポーションを作る人を2人ほど紹介してほしい。あんまり高くはないが、月給と住むところを用意してくれる、という話だった。
私たちは色めき立った。ひょっとしたら私たちもダイバーを出来なくなっても、働ける場所が出来るかも、という期待感で。
あのポーションなら絶対売れる、という予想も明らかだった。
「史郎とくららに声をかけようと思ってる」康太は言った。
くららは私達より1学年下の女の子で、大人しい子だった。たぶん何かを殺す、ということにかなり忌避感があったのだと思う。その上、ちょっとだけドンクサかった。ダイバーにはものすごく向いてなかった。だから康太がそう言うのは、みんな心から納得したのだった。
史郎は足が上手く動かなくなって、コンビニバイトと薬草採取やスライム狩りで、なんとか生計を立てていた。今はちょうどコンビニの深夜バイトに出かけていた。掛け持ちで働く史郎は、康太の部屋に住んでるとは言え、やはり疲れて見えた。
私たちダイバーは一応健康保険が使える。だからポーションで治らないようなケガは、病院で医者にかかるか、治癒士にかかるかを選ぶ事ができる。医者にかかるのは、時間とお金がかかる。治癒士にかかるのは保険適用外で、さらにお金がかかる。私たちのように自分の生活を自分一人で支払う人間には、どちらも選択肢にはなかった。
せめてもう少しみんなに蓄えがあれば、医者に診てもらえたのに、と思わなくもない。私たちは生活保護や福祉といったセーフティネットのお陰で、すぐに死ぬことはないが「家族」というネットの層が1枚少ないのだった。
もちろん家族がいても全く助けにならない事もあった。かえって、家族がいない方がいい場合だってあった。私たちは施設でそんな例を身近で見てきた。
田中さんが私たちの中から社員を〜と言うのは、めったにない希望だった。史郎とくららが、頑張ってくれたら。
その日は明るいニュースにみんなで笑ってご飯を食べた。
ちなみに翌朝、史郎は仕事から帰ってきてその話を聞かされて、号泣したそうだ。
康太も泣く史郎をなだめつつ、結局2人で顔が腫れるまで泣いたらしい。
康太はくららの所に話しに行くつもりだったのが、電話で話すことになったんだって。




