29 ある意味閑話な優子の事情
夫は母子家庭で育った。亡父がかなりいい会社にお勤めしていたので遺族年金等の福利厚生がしっかりしていた為、夫の母は2人の子どもを抱えてもそれ程経済的に不自由はなかったそうだ。それでもやはり大変だったことに変わりはないと思う。
振り返って、もし私の父が早くに亡くなってたとしたら、母はどうしただろうか、と夫と結婚してから、考えたことがある。
私の父は、戦争未亡人の祖母に育てられた5人兄妹の長男だった。
中学を卒業して、都会に働きに出て、ひたすら真面目に働いた。時代もあってか、私と妹は贅沢はできなかったが、やはり不自由はしたことがない。でもそれは、両親が健在だったという前提の上にあった。夫の亡父のように早くに亡くなっていたら、私と妹はどう育てられただろうか?
同時代に生きた夫と私の両親たちは、ほぼ同い年。方や大卒で財閥系の会社に勤めていた夫の父、高卒で自動車関連の会社で事務をしていた夫の母。
九州の田舎で育ち、中学を卒業後「金の卵」として集団就職で実家を離れ、工場や個人経営の店で働いていた私の両親。
恥じる気持ちはないが、生まれでこれほど生活に違いが出来るものか、と悲しい気持ちになったのも事実だった。
夫は公務員だったが、その公務員と結婚することになったと両親に報告した時、私の父はそれはもう喜んだ。個人商店に勤めた父は、公務員の福利厚生をこよなく羨ましく思っていたから。これで優子は、無事に生活して行ける!と私の生活の安定を思って、泣いて喜んだ。
結婚後、夫の実家で姑は私にものすごく申し訳無さそうに言った。
「公務員でお給料も安いのに、この子のところにお嫁に来てくれてありがとう」もちろん姑には謙遜の気持ちがあったと思う。稼ぎの多寡に関係なく夫も夫の弟も、義母からすればかわいい息子に違いなかった。
その時なんと答えたかあまり覚えていない。多分、転勤もないし公務員の年収も充分頂いてるし、満足してますというような事を言ったと思う。
実際に転勤も残業もなく、実父とは違い休日出勤もない生活に満足していた。
(私の父の全く仕事をしない日は、1年間で1週間くらいだったと思う)
私は、自分の父と姑の感性の違いにひたすら驚いていた。
道徳で人間はみな平等と謳われたが、階級差は依然としてあった。幼心にもその違いははっきりと感じられたが、他家の様子などはっきりと知りようがなかったのでさほど気にはならなかった(育つにつれて、収入の違いを感じるようになったが)
経済格差をありありと感じられて、SNSで他人の生活がよく分かる今の方が辛いかもしれない。
ダラダラと語ったが、結局のところ、進学したいとか就職したい人がいれば、本人のやる気を助けたい、そしてその力が今の私には有るということに尽きる。
とりあえず、小さいモデルケースを作ってみて、どのくらいお金がかるかを試してみることにした。
「高橋くん、施設出身でめちゃめちゃ頭良かったのに進学できなかった子っている?」
「そんなのいるに決まってるでしょ」
「明里もそうだし、史郎もです」




