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現実世界で悪役令嬢みたいな私は

 私には悪癖がある。

 いつからついたのかなんてわからない。

 これといったきっかけはないのだから。




 ただ、すこしばかり家庭環境が悪かっただけで。

 それ以外は問題なんてなかった。

 普通に保育園にいって、幼稚園に行って、小学校に通って、中学校に通った。

 そして今高校に通っている。

 至って平凡な人生を歩んできた。


 

 みんなと変わらない道を、私も同じようにたどってきた。

 なら、私もみんなと同じような性格になって、同じような価値観を持って、同じようなことで共感できるはずなのに…


 それなのにどうしてこんな悪癖が付いてしまったのだろう。

 どこで道を踏み外してしまったのだろう。

 どこでみんなとは違うレールに乗ってしまったのだろう。


 いや、気づいていないふりをしているだけで、原因は心の奥で分かっている。

 ただ、それを隠し通しているだけ。


 一体どんな悪癖なのか気になるだろう。

 今に見ていれば分かる。


 「相崎さん、おはよう」


 午前八時。登校中の私はクラスメイトに話しかけられた。

 何気ない、朝の挨拶。

 至って穏やかな声で、嫌味なんて感じない純粋な笑顔で、彼女は私に話かけてきた。


 それなのに。

 いつも通りの悪癖が出てしまう。



 「ふん、今日は中間テストだというのにずいぶんとお気楽じゃない?」



 こんな風に。

 自分では制御できず、悪態をついてしまう。

 虚勢を張ってしまう。


 


 そして、後悔する。


 『おはよう』とその一言すら私は言えない。




 「あ、あはは……ごめんね、うざかったよね」




 彼女はそう言って先に行く。

 隣にいる彼女の友達がヒソヒソと話しているのが聞こえてくる。


 「なーにあの態度。せっかく唯が話しかけて上げたのに。唯も、もうあの子に話しかけるのやめなよ」


 ざわざわと周りの生徒達も私の噂話をしている。




 『今日も容赦ねぇなあ、あいつ』

 『感じ悪ーい』

 『お前も話し掛けてみろよ(笑)』

 『嫌だよ(笑)』

 『顔は良くても性格があれじゃあな」

 『でたでた冷酷姫』




 こんな事はもう慣れっこだ。言い返す言葉もない。

 全部私が悪いのだから。 


 校門への真っ直ぐに伸びた道を歩く生徒達の視線は、ほとんどが私に集まっていた。

 そのすべてが、近寄りがたい者に向ける好奇な目をしている。


 あいつは変な奴だ、と。

 あいつには近づかない方がいい、と。




 この場を切り抜ける方法はただ一つ。

 ただ逃げること。

 私は視線を下にさげ、歩くペースを上げた。

 もう慣れてしまったその行為を、今日もまた繰り返す。




 これでいいのだ。陰口も、噂話も聞き流す。

 私が口を開けば、また悪態をついてしまうから。


 ヒソヒソ、ヒソヒソと。


 彼らはもう、私に聞こえないようにする努力もしない。


 


 校門までの数十メートルの距離がとても長く感じられる。まるで、どこまでも続いているように。

 どこまででも、この陰口が聞こえるように。




 手提げのカバンを握る手に力を込めた。さらに歩くペースを速め、私だけが動く歩道に乗っているように玄関へと向かった。


 


  ---------




 校門を抜け、正面玄関に入っていく。

 靴を脱ぎ、自分の下足箱の扉を開ける。




 自分の靴があること、そして、そのほかには何も入っていないことを確認して安堵する。

 入学当初こそ、そういういたずらは後を絶たなかったが、最近はあまりなくなった。


 理由はわからない。


 私が変わったわけではないし、みんなが変わったわけでもない。


 まぁ、考えても仕方のないことだ。


 

 靴を履き替えて教室へ進む。職員室の廊下を通り、突き当りの階段を上がる。

 そこに3年2組の教室がある。




 ガラガラと扉を開け、最短距離で自分の席へと向かう。

 前から見て、一番右下の角席。

 窓際の、隅っこの席だ。

 私は席に座ると、すぐさまカバンから教科書とノートを取り出し、机に広げた。


 今日の中間試験に向けて勉強をするため、というのは建前で、私は普段から席に着いたらこうしている。



 自分だけの世界を作るためだ。勉強に集中することで他の事は考えなくてすむ。周りから孤立し、自分だけの世界に没頭できる。


 そしてこうしていると誰にも話し掛けられないし、そして誰にも迷惑をかけない。


 


 静かに時を過ごす。

 これが私が編み出した教室での過ごし方。


 そして私の教室での立ち位置。みんなとの間に壁を作る。その壁は高ければ高いほどいい。




 誰も介入できないほどの壁を作る。

 深い思考に浸り、感情を鎮める。


 しかし、私が築く壁の高さが足りないのか、はたまた、単純にその壁すら見えていないのか、私に話しかけてくる奴はいる。


 「おはよー。今日も元気?」


 声がした方に少しだけ目線を向ける。

 この男の名前は佐々原陽平。

 身長が高くイケメンでサッカー部のキャプテンをしており、学校のリーダー的存在、というのがこの男に対するクラスの評価だろう。


 私からしたら、ただの面倒な奴。

 当然、いつも通りにスルーする。



 「いや~昨日の『世界ビックリニュース』見た?あれやばかったよな!」



 馬鹿な私はここでも我慢できずに悪態をつく。


 「そんな幼稚な番組なんて見てるわけないじゃない。テスト前日にそんな物を見ている暇があるの? さぞかしテストは余裕何でしょうね」


 「全然余裕じゃねぇよ! あ、思い出した。俺ここの問題が分からなかったんだよ。ちょっと教えてくれね?」


 そう言って佐々原君は教科書の問題を指さした。


 「何で私があなたに勉強を教えないといけないの?」

 「まぁまぁ、そう言わずに。俺に恩を売ると思ってさ」

 「別に佐々原君に売る恩なんて……」


 そう言おうとしている時にクラスの男子連中からの声が聞こえる。


 『陽平と相崎、今日もやってるよ。あいつも懲りねぇよな。毎日相崎に話しかけてさ』


 噂されている。


 


 当然だ。

 学校一の人気者が、学校一の嫌われ者と一緒にいるのだ。周りから何か言われるに決まっている。

 私は構わないが、彼にまで飛び火するのはいい気分ではない。


 申し訳ない気持ちになる。


 「ほっとけよ! ほら、しっしっ」 


 佐々原君は軽く男子たちを追っ払う。


 「ごめんごめん。あいつらデリカシーとかないからさ」

 「デリカシーがないのは……」


 デリカシーがないのは君もじゃない。毎日私に話しかけて。一人にさせてよ。


 言いかけて、辞める。

 私にしてはよくやった方だ。




 そんな事まで言ったら、本当に最低だ。

 私がクラスで馴染めるように、彼は毎日、私に話しかけているのだから。

 私のせいで良からぬ噂までされているのに……


 

 せめて、と。

 罪滅ぼしに。

 彼が指さした問題を見る。

 


 「この問題はまず、分母をtで置換して……」


 

 説明を始めると、佐々原君は真面目な顔になり、うんうんと相槌を打ちながら、真剣に聞いていた。

 


 「なるほど、そういうことか! ありがとな。おかげで今日の試験は乗り越えられそうだ!」


 「べ、別にたいしたことじゃないわ」

 「これからも分からないが問題があったら、聞きに来ていいか?」

 「え!? ま、まぁ……それくらいなら…………」


 


 そう答えてすぐに後悔した。

 彼は私に関わるべきじゃない。

 また変な噂を流されてしまうのだから。

 

 佐々原は入学したばかりの頃から何かと私にかまってきた。クラスも違うし、私達の間ではこれといった接点もなかったはずなのに。


 今まではなんとなく受け流してきたのに、3年生になり同じクラスになってからは、そうはいかなくなった。



 「よっしゃ!」



 彼は軽くガッツポーズをした。


 


 その時、やる気のなさそうに教室の前の扉がゆっくりと開いた。

 担任の先生が入ってくる。

 宮下純一。三十代後半の、まだ若い男の先生だ。

 


 「よーし、お前らもう席に着け。テスト始めるぞー」


 

 宮下先生がそう言うと、みんなそれぞれ自分の席に戻り始めた。


 「じゃあな相崎。お互い頑張ろうぜ!」

 「ふんっ」


 

 この男ルックスだけはいいのだ。


 眩しい笑顔のVサインに、ほかの女子なら思わず照れそうになるのだろうが、でも私には通じない。

 私は答えることなく、まるで佐々原君を自分から遠ざけるように窓の外に視線を移した。






 ----------


 




 テストはつつがなく、順調に進んだ。

 午前中は数学、国語、英語。午後からは、社会科目と、理科科目。


 今、最後の科目の終了時刻を告げるチャイムがなった。

 


 私は勉強が得意なほう。

 それはそうだ。

 教室では常に勉強しているんだし。だから今日のテストもいつも通りにできた。


 クラスでは中間テストが終わったことに対する喜びの声があふれていた。


 

 友達同士で来週に控えたゴールデンウイークの予定を立てている。遊園地に行こうだとか、家族との予定があるのだとかを楽しそうに話していた。


 また、解けなかった問題について助け合いながら話す声や、軽い冗談に笑い声が混ざり合っていた。


 

 運動部に所属している者は、すぐに部活が始まるのか慌ただしく教室を飛び出していく。


 困難なことを乗り越えた後の、この雰囲気が私は好き。ありがたいことに、誰も私のことを意識していないのだから。


 私はそそくさと帰宅の準備を始めた。誰も見ていない間に帰ってしまおうと急ぐ。


 運動部連中の次に早く、私は教室を出た。



 一目散に図書館に向かう私を、しかし、呼び止める声があった。


 「おーい、相崎」


 その声は無視できるものではなかったので、私は振り返る。

 宮下先生だ。


 「なんでしょうか」


 不愛想にそう問いかける。


 「悪いがこの回答用紙を理科室の俺の机まで運んでおいくれないか?」


 「それくらいなら……特に予定もないので」


  そう伝えると、宮下先生は腕に抱えていた回答用紙をドサッと手渡した。


 「そうか。助かる。俺も後で向かうからちょっと理科室で待ってろ」


 そのまま宮下先生は理科室と反対方向に歩いて行った。


 不用心な先生だ。ただ一介の生徒に、テストの回答用紙を預けるなんて。彼なりに私を信頼してくれているのだろうか。


 そんなことはないか、と否定する。あの人の性格からして、誰かを信用するとか無縁なことだろう。



 宮下先生は今年からこの学校に転任になり、3年2組の担任を務めている。このクラスを持ってから、すでに1か月以上経過している。

 学校の空気にも大分なれただろう。



 しかし、こんなことを私に頼んでくるのは初めてだ。

 おそらく私と話をするための口実だろう。


 この時が来たか、と思う。


 

 毎年、担任が入れ替われば先生に呼び出される。毎回起こるこのイベントに、私はもう飽き飽きしていた。

 大体が、2パターンに分かれる。

 私の悪態を注意するか、いじめられてはいないかと聞いてくる。


 どちらの場合でも、もう定型文ができている。

 できてしまっている。


 これから起こる未来について憂鬱な気分になりながら、私は理科室へと向かった。




 ----------






 理科室に到着し、ノックをして中に入った。


 中には誰もいなかった。

 6つある先生たちの机から、宮下先生の机を探す。

 

 一番奥の、入り口から見て右側にあった。

意外にもかたずけられたその机に、抱えていた回答用紙を置いた。


 宮下先生が来るまでまだもう少しかかりそうなので、私は窓の外のグランドを見た。晴天のなか、サッカー部の活気ある光景が目に映る。


 赤と青のビブスに分かれて紅白戦をしているようだ。ボールが素早く動き回りながら、コーチの指導に生徒たちが集中している。



 当然そこには佐々原君の姿もあった。


 相手コートでボールを奪うと一人かわして、右サイドにいる仲間に大きくパスを出した。

 受け取った味方は見事なトラップでボールを足元にとどめた。それをペナルティーエリアまでドリブルで運び、今度は中へクロスを上げる。



 高く浮かしたそのボールに対して、走りこんできた佐々原君が豪快にヘディングシュートを決めた。

 素人の私から見ても、プレーが上手いのが一目瞭然だ。


 爽やかな笑顔を見せる佐々原君に仲間がかけあい、ハイタッチを交わしている。


 マネージャーの女子たちが頬を赤らめているのが遠くからでもわかる。サッカー部の後輩も佐々原君のゴールに興奮していた。


 みんなのあこがれの的。佐々原陽平とはそういう男。

 私とは住む世界が違う。

 そんな人間がなぜ私にかまうのだろうか。


 本来ならば関わり合うはずのない二人なのに。


 単に、私にもクラスに馴染んでほしいだけなのか。なんとなく、それだけではない気はしていた。



 ガチャリ。


 私がサッカー部の練習を見ていると、急に理科室のドアノブがまわった。



 「おー、すまんすまん。。適当に座ってくれ」


 宮下先生は頭をかきながら、けだるそうに入ってきた。私はそこら辺のパイプ椅子に腰を落す。宮下先生も自分の椅子に座る。私たちは向かい合う形になった。


 「まあなんだ。最近元気か?」


 触れずらそうな話題に宮下先生がそう話始める。彼は初めてかもしれないが、私は何度も経験している。

 早くしてもらいたい。



 「先生、私をここに連れてきたのはただの元気確認のため何ですか? 早く本題に入ってください」


 

 そうせかす。宮下先生は、はぁ、と大きくため息をついてから、気だるげに、だけど覚悟を決めたような顔つきになった。

 

 「率直に言う。お前、いじめられているのか?」



 きた。何回も、違う先生から聞いた同じ言葉。

 私は頭の中で作られたテンプレートを、そのままコピーして吐き出す。


 「いえ、私自身がみんなを遠ざけているんです。だから、みんなも私を遠ざけているだけで、物理的に何かをされたり、というのはありません」

 「そうか……お前がそう言うなら、俺にあまり深く詮索してほしくないんだろう」



 これで、一件落着。このセリフで今までの担任たちは、もう私に関わってこなくなった。

 それにしても、こういう不真面目そうな先生が学校のいじめに対処するなんて少し意外だった。

 このタイプは分かっていても黙認するか、そもそも気づかないかのどちらか


 「俺は教師としての立場上、いじめを容認するわけにはいかない。それが表沙汰になりゃあ俺の教師としての立場が危ういからな。お前の心配より自分の心配の方が大きい」



 ああ、やっぱり。

 自分のため。

 しかし、ここまで本音を言われると逆にすがすがしい。


 「だがな」


 と。それまでの気の抜けた口調とは打って変わって、緊張感を含む強い話し方になった。

 そして迫るように、私に告げた。


 「ここからは全部俺の本音だ。俺はお前の味方だし…………」


 宮下先生は語りに重さを加えるため、そこでたっぷりと言葉をためて、それから私に言った。


 「この世にはな。俺みたいに自分の利益しか考えてねえような奴じゃなくて、他人のことを自分のことのように大切にする善意の塊みたいな奴らもいるんだ。そいつらとは、ちゃんと向き合ってやれよ」


 「…………」


 胸が痛くなった。

 思い当たる節があったからだ。

 クラスの人気者で、誰にでも優しい一人の男子生徒。


 「でも……」


 と、私は宮下先生に反論するかのように口を開いた。


 「……私と一緒にいると、きっと迷惑になる……現に良くない噂を立てられたりしているし……。だから、このまま遠ざけていた方が、あの人のためでも、そして私のためでもあるんです」

 「少なくとも佐々原はそんなこと、望んで無いと思うぞ」


 突然でてきた佐々原という言葉に私は少し動揺した。

 先生も、分かっているのだ。


 「佐々原は、全部分かってるよ。噂のことも、相崎のこともな」

 「私の……ことも?」

 「ま、俺の勘だけどな」


 勘、という言葉に少し呆れる。

 根拠のない主張は、ただの詭弁だ。


 「私は、自分が何か言われるのはもう慣れているので大丈夫なんです。ただ、他の人が私の件で噂を立てられているのは、胸が痛いんです……」


 本音だった。

 教師にここまで打ち明けたのは初めてだ。


 「相崎が変わればいいんじゃないのか?」

 「それは……」


 それはその通りだ。

 私が変われば、普通の女子高校生になれればきっと変な噂は減ると思う。

 『なんであんな変な奴に関わるのか?』

 それは最も多く言われていることだった。

 そう考えると、悪いのは全部私だ。


 「でも、いまさら変わるなんて……」


 できっこない。

 何度挑戦しても、何回努力しても、結局私は変われなかったのだから。

 

 小学校、いや、もっと前。

 幼稚園の頃から、私はこの悪癖をずっと治したかった。

 けれど、その度に失敗してきた。


 「いまさら、変われないですよ、私は……」

 「そうか? 俺は今なら行けると思うんだけどな」


 先生の、言葉の意味が分からなかった。

 今なら?


 「今度は自分じゃなくて、佐々原のために変わってやるんだ」

 「!?」


 「……他人のために、自分を変える?」

 「ああ。そうだ」


 宮下先生の目を見ると、至って真剣だった。


 「時に、他人を思いやる気持ちっていうのは、自分よりも優先されることがあるんだよ」


 宮下先生は、何か知っているようにそう言った。

 

 いつも自分のために、自分を変えようとしてきた。

 それは当たり前のことだ。

 他人のため、なんて考えたことがなかった。

 だからなのか、妙に、腑に落ちた気がした。


 「…………今からでも、間に合うでしょうか?」


 私のその発言に、先生はフッと笑ってからこう言った。


 「まだ、高校3年生だろ? 十分、間に合うと思うぜ」


 その言葉が。

 とても、嬉しかった。

 

 今まで、私に関わった人間は、すぐに私に嫌気が差し身を引いた。

 こんなにずっと私に関わろうとしてきた人は、佐々原君が初めてだった。

 そんな彼のためになら、きっと……

 


 「さっ、俺からは以上だ。悪かったな、こんなに引き留めて」


 ふと、空を見る。

 じんわりと赤色が滲む夕日が理科室全体を染めていた。


 「もう帰った、帰った。俺も採点が終わったら念願のゴールデンウイークだ! パチンコに競馬に…………」


 楽しそうに話す宮下先生を前に、私は立ち上がる。


 「教師がギャンブルとは呆れるものね」


 得意の悪態をついてから。



 「あ、ありがとう…………ございました…………」


 「おう!」


 私は恥ずかしさを隠すように、理科室から飛び出した。



―――――――――――――



 ゴールデンウィークが始まる前、宮下先生に言われた言葉。

 それがずっと頭の中から離れなかった。

 私には長すぎた休日。その間ずっと考えていた。これまでの私のこと、これからの私のこと、そして……


 結論ならすでにでた。

 私は向き合うのだ。

 自分と。

 そして、佐々原君と。


 『十八年間未整理のまま放置してきた私の気持ちに、今決着をつける』

 

 ーーーーー


 ゴールデンウイークが開けた。

 私は特に何もしていない。

 どこにも出かけてはないし、友達と遊んでもいない。

 休みの間の思い出なんて、私には何も無いが、しかし、胸に抱える気持ちは軽くなっていた。


 午前八時。今日も私はいつも通りの時刻に登校していた。

 連休明けのせいか、生徒達の顔はどこか元気がない。

 いつもは目線をさげて歩くこの道を、今日は胸を張って歩く。道に沿ってきれいに咲いていた桜が、もうすでに散っていたことに気づく。

 しかし、新しい緑がしっかりと枝に芽生えていた。


 「相崎さんおはよう」


 今日も懲りずに私に話しかける声があった。


 「ちょっと唯、もう挨拶するのやめなって」

 「で、でも……」

 

 隣にいる友達が軽く服を引っ張りながら注意する。

 

 「ふん、今日も懲りずに私に挨拶するなんて、そのメンタルだけは褒めてあげるわ。………………お、お、お、おはよう……ご、ございましゅ」

 「どーせ挨拶なんてしても無駄なの―――――って、え!?」


 驚いたようにこちらを見ている。なぜだか他の生徒達も私を見つめて固まっていた。自転車に乗っていた者は急ブレーキをかけて止まり、眠そうに朝ごはんのパンをくわえていた者は、ぽろっと、そのパンを地面に落としていた。

 噛んだ。何度も頭の中でシミュレーションしたはずなのに。

 私は恥ずかしくて赤面した自分の顔を隠すため、下を向く。


 「ほ、ほらね! やっぱり! ちゃんと伝わってるんだよ!」


 『唯』と呼ばれていた彼女は興奮した表情でそう言った。


 周りの生徒達の声が、今日も耳に入ってくる。


 『う、嘘だろ!?』

 『今日は氷でも降るんじゃないのか!?』

 『あの冷酷姫が!?』

 『夢か?夢なのか?まだ俺はゴールデンウイークという夢の中に囚われているのか!?』

 

 私に集まる視線はどんどん増えていく。

 私はそれに耐えられなくなり、スカートの端をギュッと握りしめる。

 そして、全力で走り出した。


 「あ、ちょっと! 相崎さん!」


 呼び止める声に逃げるように足を動かした。

 私は変われているのだろうか。



 ーーーーー


 

 「おーい!」

 

 佐々原君が今日も私の所によってくる。


 「今日はどうしたのさ!?」

 「どうしたって、何のことかしら?」

 「何のことって、今日は朝から学校中が相崎さんの話題で持ちきりだよ!」


 やはり今朝の件だろうか。

 

 「おはようございましゅ」

 「ば、馬鹿にしてるの!」


 思わず立ち上がる。その反動で椅子がバタンと後ろに倒れる。


 「あははっ。違う違う。でも、何か合ったの?心の変化とか?」

 「べ、別に佐々原君には関係ないじゃない」

 「そーだけどさー。教えてくれてもいいじゃーん。俺と相崎さんの仲だろ?」

 「ふんっ」


 目を閉じて、そっぽを向く。

 本当のことなんて、言えるわけ、ないじゃない。


 「おはようございましゅ!」

 「もう!」

 「あっははは」


 豪快に佐々原君は笑った。愛嬌のある笑窪を寄せながら。

 彼のこんな笑顔を見たのは初めてだ。

 そして初めて、彼と同じ世界に入れている気がした。


 「でも、何だか俺も嬉しくなってさ。こうして相崎さんがいい意味でみんなの話題になってるのを見るとね」


 へへっと。今度はカッコつけるように笑った。


 「みんなが相崎さんの良さに、気づいたみたいじゃん!」

 「っっ///」

 

 突然の賛辞に照れくさくなる。

 得意な悪態も、出なかった。

 まったく!

 そんな恥ずかしいセリフ、よく言えたものだ!

 

 しかし、それを言った本人は、さして何も気にしてはいないようだ。

 この男の純粋さを痛感する。

 これが学校一の人気を誇る理由なのだろう。

 

 私もこれを身につければ……と一瞬考えたが、すぐに無理だと悟った。

 きっとこれは天性のもの。

 私みたいは者にはできっこない。



 ちょうどその時、担任の宮下先生が教室に入ってくる。

 不意に目が合うが、すぐに反らした。

 ゴールデンウィーク前の事が頭に浮かぶ。

 宮下先生は意味有りげにフッ、と微笑んでいた。


 「朝礼始めるぞー」


 今日も気だるそうな声でそう言った。

 みんながぼちぼちと、自分の席に戻る。


 「起立」


 室長を務める佐々原君の声にみんなが反応する。

 

 「礼」


 こうして、今日も新しい一日が始まった。私達が一斉に頭を下げると、宮下先生は


 「はい、おはよーございまーしゅ」


 ドッッ!!とクラス中が笑いの渦に包まれた。

 教室には爽やかな笑い声が広がり、クラスメイトたちが楽しげに笑い合っている。

 その中で私だけが頬を紅潮させる。


 「いや、教師もいじるのかよ!」

 「しかも、謎アレンジ(笑)」

 「アラフォーのおっさんにはキツイって(笑)」

 「やべぇ、俺、腹痛い!」


 こんな賑やかな朝礼は初めてだ。


 「おい、今俺のことキツイって言った小山、廊下に立ってろ。後、今後この教室では『アラフォー』という単語は禁止だ。分かったかー」

 「えーー」

 

 朝から教室中の笑いものになってしまった。

 しかし、私が一歩踏み出した、今日この日から。

 私と、そして周りが、着実に変わり始めたのだった。


 この日から約一週間、変な挨拶が学校中で流行ったのはまた別のお話。

 

 

続編を少し書き始めており、もしかしたら連載するかもしれません


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