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神様の外交官  作者: 山下小枝子
第一部 第六章

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24 二人の涙。

「落ち着いたか……?」

「うんっ……ごめん、ありがとう……ハンカチ洗って返すね」


 雲は去り、月と星と、チラチラと光る小さな無数の灯りの中、川のほとりにある大きな石に二人は座り、佐知子が落ち着くのを待った。


 ヨウは綿で出来た淡い水色のハンカチをポケットから出し、佐知子に貸した。佐知子はそれで溢れ出る涙を拭った。


「はぁ……」


 佐知子は一息つく。目元は熱いが、もう涙は引っ込み、泣きやんだ。落ち着いた。


「…………」


 そんな佐知子を見て、ヨウはふっとほほえむ。


「落ち着いたみたいだな……」

「うん……」


 二人は月明かりに照らされる川を見ながら話す。


「そうか……じゃあ……また泣かせるかもしれないが……聞いてくれ…………サチコも何回か会ったこともあるし…………アイシャさんには世話になってるからな……」


 するとヨウが川を見つめたまま話し出す。


「?」


 佐知子は何の話かと疑問に思い、月明かりで白く見えるヨウの横顔を見た。



「……アフマドが、戦死した」



「…………」


 佐知子はそのまま瞳を大きく見開き、言葉を失くした。


「明日、一斉埋葬だから……アフマドの葬儀には行ってやってほしい……」


 佐知子は言葉が出てこない。ヨウの横顔を見つめたままで眉根を寄せる。

 そして、やっと出た言葉は……


「え……? アフマド……さん……死んじゃ……ったの?」


 という、愕然とした表情と、たどたどしい言葉だった。


「……ああ、今回の戦で亡くなった」


 ヨウはいつもと変わらない、無表情ともとれる真顔で川を見つめていた。


「え? なんで……だって…………」


 佐知子の脳裏にアフマドの顔が浮かんだ。


 アフマドとの数少ない思い出とも呼べない記憶が浮かんだ。


 はじめて会った時のこと、アイシャと楽しそうに出かけていた時のこと、たまに見かけた訓練していた姿、ヨウと楽しそうにじゃれていた姿……そして、最後になってしまった出陣の時の会話、声、姿……。


 ヨウを探していたため、軽く交わした別れのあいさつ……あれが、最後の、永遠の別れになってしまった……。


「なんで……! うそ! なんで……っ!」


 ヨウに渡された白い綿のハンカチを両手で握り締めて額に当てながら、肩を震わす佐知子、涙が溢れて来た……しかし、ハッとする。バッとヨウを見た。


「…………」


 ヨウは悲しそうに眉を下げ、けれども悲しそうにほほえみ、佐知子を見ていた。


(ダメだ……ヨウのほうが辛いんだから……)


 佐知子は気づいた。出会って日の浅い自分よりも、小さい頃からずっと一緒だったヨウの方が何倍も、何十倍も、何百倍も辛いはずだ。


 ぐっと口を閉じ、零れ落ちそうな涙を手の甲で拭うと、それでも溢れ出てくる涙を必死で堪えながら、佐知子は涙目でヨウを見た。


「ヨウ……大丈夫? 平気……じゃないと思うけど……大丈夫?」


 その涙声に、ヨウは少し驚いたように瞳を見開き、真顔になり、伏し目がちになると……


「……もう、慣れてるからな……」


 と、少し困ったような、泣きそうな笑顔で笑った。


「っ……」


 ヨウはあまり笑わない。

 軽くほほえんだりするだけだ。

 そのヨウが、眉を下げ、瞳を閉じ弧を描き、口角をあげ歯を見せ笑っている……佐知子に今までで一番大きく笑って見せてくれたのが……この時だった……。


(こんな時に……そんな笑顔で笑わないでよ……)


 佐知子の瞳に、涙が溢れた。

 もう止まらなかった。


「!」


 涙が零れ落ちるのと同時に、佐知子はヨウを抱きしめていた。


「っ……そんなこと! 笑顔で言わなくていいよ!」


 ヨウの首に両手を回し、抱きつきながらしゃくりあげ、声をあげて泣きながら叫ぶ佐知子。


「っ……!」


 ヨウは突然の佐知子の行動に驚き、硬直する。


「いいんだよ! 辛い時は辛いって言って! 悲しいって言って! 泣いたっていいんだよ!」


 泣きながら涙声で、佐知子は叫ぶ。


「言えない時や泣けない時もあるけど! 泣き言は人選んで言わなきゃいけないけど! 今はいいし! 私にならいいから! 無理して笑わないでっ!」


 言い終わると、佐知子は大声で子供のように、うわあああん! と、泣き出した。


「…………」


 ヨウは呆気にとられ、両手を広げたまま呆然とする。


「…………」


 そして考える。

 この背に、体に……触れてもいいのだろうか……と、腕を回してもいいのだろうかと……。

 幾度となく自制した、この汚れた手で、触れてもいいのかと……。


「…………」


 ぎゅっとしがみつく、佐知子の体温が伝わってくる。肩に零れ落ちる涙の粒の感触も、湿り気も、近くで聞こえる泣き声も、吐息も……。


 自分からではなく、佐知子から飛び込んできた……この汚れた自分に……。


 触れても……いいのだろうか……。

 ヨウの手がゆっくりと動く。

 しかしヨウはハッとする。


(いや……いけない……こんな俺なんかが……)


 そう思い、手を下ろす……。


「アフマドさんっ……」


 しかし、次の瞬間、耳元で小さく聞こえたのは……亡くした友の名。

 その瞬間、ヨウの中で、蓋をしていたアフマドとの思い出が走馬灯のように駆け巡った。


「っ…………」


 ぐっとヨウの表情が歪む。

 もう、抑えは効かなかった。

 ヨウはぎゅっと佐知子を抱きしめ。その肩に顔を埋めた……。


「……っ……サチコ」


 そして絞り出したかのような震えた小さな声で、佐知子の名を呼んだ。

 それに気づいた佐知子は泣いていた声を止める。


「…………ダメだな……すがれる人がいると……弱くなる」


 そして再度、ぽつりと聞こえた、その震えた小さな声とともに、肩がほんの少しだけ濡れた気がした。

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