10 自分の仕事。
大きな水瓶を持って歩き出す。
左右には絨毯の上に敷かれた布団に寝て、唸っている包帯だらけの男性たち……しかもその包帯には血がにじんでいる……。
歩いても歩いても、ずっと両脇には苦しむ男性たちが並んでいた。佐知子は見るのをやめた。お湯を沸かしている奥の扉まで、うつむいて、足元を見て歩いた。
扉まで来て外に出ると、強烈な外の日差しと、風が舞い、新鮮な空気が一気に佐知子を包み込む。
「…………」
佐知子は風の去った天を仰いだ。
世界が、違った。
一歩、看護部屋を出ただけで、世界がこんなにも違うのかと、佐知子は無表情で口を半開きにして、青い空を見上げた。
「あなた! お湯!?」
「!」
しかし、状況は待ってくれない。佐知子が水瓶を抱え空を見上げていると、不審に思ったすぐ横の大釜でお湯を沸かしていた数名の女性のうちの一人が、声をかけてきた。
「あ、はい!」
佐知子はあせって返事をする。
「そこに水瓶おいて!」
女性たちは大汗をかきながら、炎天下の中、日差しを避けるため、頭上に布を張られた下で火を焚き、大釜で湯を沸かしキビキビと仕事をしていた。そんな女性たちに佐知子は圧倒される。
女性が杓子で置いた水瓶にお湯を入れると、
「はいよ! 持ってきな!!」
と、叫んだ。
「……ありがとうございます」
佐知子は水瓶を持とうとする。
「あつ!」
しかし、水瓶は思った以上に熱く、そして重かった。持つのにはコツが入りそうだ。
取っ手を持ち、底の縁に手を添えて持ち上げると、なんとか持てた。熱湯の湯気に顔に一気に汗が吹き出る。そして重い。しかし、こぼしてはならない。看護部屋でひっくり返すなんてもってのほかだ。
佐知子は気をつけて、慎重に看護部屋へと戻った。そして、さきほど指示された医師のところへ行く。
水瓶を抱えているためよく見えないが、医師や看護婦数名で囲み、何やら治療をしているようだ。
「あ、あの……お湯をお持ちしました……」
一番外側にいた看護婦に、佐知子は声をかけた。
「え!? ああ! ありがとう!! そこにおいて!」
「はい……」
佐知子は抱えていた水瓶を床に置く、そして、ふぅっと一息ついて立ち上がると、目に飛び込んできたのは、
「っ!」
瞬時に佐知子は顔をそむけた。
それは生理的な条件反射だった。
佐知子が目にしたものは、口に丸めた布をくわえ、おそらく脂汗だろう汗をびっしりとかき、痛みに耐えて悶絶した表情。そして、左腕にぱっくりと開いた赤い滲む血と、ピンクのおそらく肉と、白い何か……おそらく骨……だった。
一瞬見ただけで、ぐちゃぐちゃとしていてはっきりとはわからないが、そんなようなものが見えた。
「…………」
その場で下を向き、目を見開き、頭が空っぽになる。今、何を見たのかわからない。だが、強烈に頭には残っている。体がこわばる。鼓動が早まる。
(えっ、えっ……え……)
戸惑って佐知子がその場でうつむいていると、
「あなた! これ外に捨ててきて!!」
「!!」
そういって渡されたのは、陶器の桶に入った真っ赤な水だった。
おそらく、手についた血や治療道具の血を落とした冷めたお湯だろう。
水は真っ赤だった。思わず佐知子は目を見開いて見つめてしまう。
「ちょっと!! いそいでね! 外の水場で捨てて石鹸で桶洗ってまた持ってきて!」
しかし、せかされる。本当にこの世界は状況を飲み込む時間を与えてくれない。
「はい!!」
佐知子は目をギュッとつむり、大きく返事をした。
そして、桶を持つ手にぐっと力をいれ、腹部に力を入れ、前を向いて歩き出した。
歩く両側には血だらけ包帯だらけの負傷兵。臭いはきつい。虫も少し飛び交っている。だが、これがここの現実。自分が今いる現実。自分の仕事。この世界なのだ。呆然としている暇はない。させてくれないのだ。




