5 早馬。
「まいどありー!」
女主人の、甲高いその言葉に会釈をして、佐知子は踊り子の衣装屋をあとにした。
革のカバンに入った品物を見て、ほっとしながらスークを歩く。
(これで下着問題はやっと解決だ……)
アフマドと知り合ってから数日後の夕方、佐知子は勉強会を終えて使用人小屋に戻ってから、出来上がり予定日なので、上下の下着を受け取るべく、アイシャに相談して紹介してもらった踊り子の衣装屋に向かった。
アイシャにも不思議がられた佐知子の下着だが、なんとか踊り子の衣装屋で、何着か作ってもらえた。仕立て代も週払いでもらった給金でなんとかなった。この数週間、一枚のブラジャーとパンツでしのいできた。
ブラジャーは一枚でもしのげたが、パンツはずっと履いているわけにはいかないので、洗って乾くまでは、履かずにいた。少しなれはしたが、やはり不安感はあった。しかし、これでようやく解決だ。
佐知子は上機嫌に、いまだ見慣れない、見ているだけで楽しいスークを眺めながら帰り道を歩く。すると、前方に見知った顔を見つけた。
(アイシャさんと、アフマドさんだ!)
そう、仲良く親子で買い物をしている二人を見つけたのだ。
アイシャはめずらしくカンラを着ている。アフマドはいつもの訓練着だ。二人とも、楽しそうに笑顔で買い物をしている。
(……声、かけようかな……どうしよう……)
なんとなく、邪魔しては悪いような気がして、佐知子が声をかけるのをためらっていると、アイシャと目があってしまった。
「あらー! サチコじゃないかい! 買い物かい?」
佐知子に気づいたアイシャは、明るい声でそういい、手をあげて歩み寄ってくる。余計な気は無用だったらしい。
「サチコちゃん、買い物~?」
アフマドもアイシャに引っ張られながら、いつもの軽い調子でやってくる。
「はい、偶然ですね」
人混みの中で、道のはしに寄りながら、三人は会話をする。
「あ、仕立て頼んだやつができたのかい?」
勘のいいアイシャが佐知子の買い物の内容に気づいた。
「あ……はい」
アフマドがいる手前、詳しい話はしたくないのだが……と思いながら、佐知子が答えると、
「そうかい、なんだかよくわからないが、よかったね!」
「はい、ありがとうございます」
アイシャは詳しく話す気はなさそうなので、佐知子はほっとした。
「今日はめずらしくあたしもアフマドも休みでね! 一緒に芝居でも見ようかって、出かけてきたんだよ! 今、その帰り! いやー! 面白かったね! 久々にあんな笑ったよ!」
アイシャは聞かれてもないのに、今日の自分たちの話をする。おばさんはどの世界でも同じなのだなぁ。と思いつつ、嬉しそうなアイシャの表情を見て、アフマドさんと一緒にでかけられて楽しかったんだなぁ……と、佐知子はほほえましく思う。
今日のことを楽しそうに話すアイシャの話を聞きつつ、佐知子がアフマドを見ると、少しげんなりとしながらも、どこか照れくさそうに苦笑している。佐知子はそんなアフマドが少し可愛らしく思えた。
「まぁ、私なんかとじゃなく、この子も女の子と芝居行ったりなんだりしたほうがいいんだろうけど……この子もこれで結構モテるんだけどねぇ……なかなか彼女は作らないし、身をかためないから…………で、お前さんとヨウはどうなんだい? どんな感じだい?」
「あ、それは俺も気になる」
「は?」
アイシャのマシンガントークを聞いていたら、突然、自分とヨウの話。しかも、恋愛についての話をふられ、佐知子は硬直しながら、小さく叫ぶ。しかも、黙って二人を見ていたアフマドまでもが、喜々として食いついてきた。
「ど、どんな感じって……別になにも……」
佐知子は両手を胸の前でふりながら、しどろもどろに答える。本当になにもないのだ。
「なんだいなんだい! ヨウはなにしてるんだい! 押しが弱いねー! 戦は強いのに、女にはからきしなんだから!」
「ほんとにねー……好きな人がやっと現れたんだから早く告白しちゃえばいいのに~」
「!」
アフマドの言葉に、佐知子は目を見開く。
(は? 好きな人? 告白?)
「え? 好きな人がやっと現れたってどういうことだい?」
アフマドの言葉にアイシャが怪訝な顔をして問う。
「え? あ~……まぁ、それはいろいろ……まぁ、とにかく、早くヨウとサチコちゃんが結婚すればいいよね! な! 母さん!」
「そうだね~。なんなら、あんたから告白するっていう手もあるからね?」
アイシャにそういわれ、佐知子は顔を赤くする。
「い、いや……告白とか……結婚とか……」
何を言っていいかわからない。
前々からヨウが、自分を女神様だと思ったり、いったりしたりしていたのは知っていた。直接、面と向かっていわれたりもしたのだから。
しかし、それは幼い頃のことで……だが、この世界へ来た初日、今でも女神様だ。と、いわれたことは覚えている……なんとなく、スルーしてはいたが……。
親切にしてくれるのも、元々、やさしくて、昔、恩を売ったからだと思っていたが……アフマドのさきほどの言葉……好きな人……告白……結婚……まさか、ヨウは自分のことを、今、現在、好きなのだろうか……恋愛としての意味で……。
そう思うと、顔がどんどん熱くなる。きっとはたから見たら顔が真っ赤だろう……。
「おや~? 急に真っ赤になっちまったよ!」
「ぷっ! あはは! ヨウ、脈アリか~?」
アイシャとアフマドはのんきに笑う。
「いや! そういうんじゃなくて!」
そんな二人に、佐知子は少しムッとして真っ赤なまま言い返した。
「どけどけ! 早馬が通るぞ!」
しかし、そんな和やかな空気が一転。スークに大声が響き、人々がざわっと、どよめく。
佐知子たちも声のしたほうを見ると、門のほうから人々が叫び声をあげながら、逃げ惑い、スークに一筋の道ができ、そこに一頭の馬が駆けてくる。
道の端にいた佐知子たちは、呆然と馬が駆けていくのをただ眺めていたが、その光景は異様なものだった。
馬とその騎手がすごい勢いと必死の形相で駆けていった。早馬が去ったあとも、皆、去った馬のほうを見て、ざわざわと話をしている。
「早馬だって……なんだろうねぇ……」
「早馬……」
(って、いそいで手紙とか持ってきたり、連絡したりするやつだよね……)
佐知子がなんとなく知っている知識でそんなことを考えていると、向かいにいるアフマドが少し怖い、真剣な表情をしていることに気がついた。
えっ……。と、佐知子が動揺していると……
「母さん、悪い。俺、軍に行ってくる!」
「え!」
「先、帰ってて!」
アフマドは駆け出しながらそういい、その場を去っていった。
「なんだろうねぇ……やだねぇ……」
「……はい」
何だかとても嫌な感じがした。
佐知子とアイシャは、残されて立ち尽くしながら、走って去っていくアフマドの後ろ姿を、消えて見えなくなるまで見つめていた。




