3-3 傷を負った少年とぶどう。
少年は、年の頃は七、八歳だろうか。褐色の肌にぼさぼさの黒髪で、後ろ髪は肩まで伸び、前髪は目まで隠れていたが、ちらちらと見える深い緑色の瞳が印象的だった。元は白だったであろう長袖のワンピースのような服は薄汚れてねずみ色をしていて、そしてそこから伸びる手足は痩せ細っている。風呂にも何ヶ月も入っていないのであろう、その子からは異臭がした。
しかし涙の理由も気になったが、次の瞬間、佐知子の目を奪ったのは、位置が逆で見えずにいた右腕からドクドクと流れ落ちる真っ赤な血だった。
「え! ちょ! どうしたの! 右腕、すごい血だよ!」
慌てながら手を差し伸べると、少年は恐怖に顔をゆがめ、体を引いた。
「あ……」
佐知子は瞬時に察した。まずは打ち解けなくては、と。
「あ、えーと……あ、暑いね。あ、お水、お水飲む? 確かリュックの中に水があると思うんだけど……」
そう言いながら足元のリュックをひざにのせ、ごそごそとリュックの中をあさる。飲みかけの水が残っていた。
「あー……飲みかけだけど、いる?」
それをその少年に差し出すと、少年は少し疑り深い目で見つめたあと、そっとそれを受け取る。
しかし、開け方がわからないようで必死に三百六十度ひっくり返しては飲もうとしている。
「あ、ごめんね。かして、開けてあげる」
佐知子が苦笑しながら手を差し出すと、少年は少し残念そうな顔をして、ペットボトルを渡してきた。しかし、佐知子がふたを開け、再び渡そうとすると、奪うかのようにペットボトルを取り、中の水を一気に飲む。
「…………」
佐知子は唖然としてしまう。
飲みきった後も、最後の一滴までと言わんばかりにペットボトルをふり、水滴を口の中へと落とす。
(喉、渇いてたのかな……まぁ、怪我してるし……なんかわけありっぽいし……ここ暑いしね)
唖然としながら見ていると、次に少年のお腹がなった。
「あ、お腹すいた? あー……食べ物はもってないんだよねー……あ! そうだ!」
そう言うと佐知子は、背後の黒い布をめくり、小さな崩れかけの建物の出入り口からまた中へと入っていく。そして戻ってきた佐知子が手に持っていたのは、先ほど見た、少し干からびた緑のぶどうだった。
「これ食べようか。なんか……勝手に食べるのは悪いけど、今は非常事態だし」
階段に座り直し、佐知子は、はいっ。と、少年にぶどうを渡す。少年は今度も奪うように佐知子の手からぶどうを取ると、今度も貪るようにバクバクとぶどうを頬張った。
「…………」
その間にも、右腕からは服越しに血があふれ、つたい、地面にポタポタと滴り落ちている。
(早く血、なんとかしないとなぁ……)
佐知子は少しあせっていた。
すると少年が、うつむいたままじっとしている。佐知子は少年の体調になにかあったのかとドキリとした。
「どうかした?」
声をかけると、少年は、ぱっと顔を上げ、ぶどうの最後の一粒を、佐知子に差し出した。
「え……」
佐知子は戸惑う。
「あ、いいよいいよ。食べて。私は平気だから」
手をふり首をふるが、ずいっと少年はぶどうを差し出す。少年なりのお礼なのだろうか……と、佐知子は思い、少しほほえましくなり、素直に受け取ることにした。
「じゃあ……ありがとう」
そういって受け取り、口に含んだぶどうは、干からびていてすっぱくて、少し土の味がして……おせじにもおいしいとはいえないものだったが、佐知子はその味を噛みしめる。
「うん、おいしい。ありがとうね」
そして、笑顔でそう返すと、少年はきょとんとした顔で佐知子を見つめた。
「ん? どうしたの?」
「お……」
少年が、はじめて口を開いた。
「……おねえちゃんが……なにいってるのか……わかる……」
「は?」
今度は佐知子がきょとんとしてしまった。
「……さっきまで……なにいってるのかぜんぜんわかんなかったのに……きゅうに……わかるようになった……」
「え! さっきまで言葉、通じてなかったの?」
「……うん」
「えぇ!」
衝撃の事実に、驚く佐知子。
「でも……なんで急に……」
しかしそこでハッとした、
「ぶどうか!」
そう、どうやら今、こちらの世界の食べ物を食べたため、言葉が通じるようになったようだ。
「あっぶない! 君が最後のぶどうくれなかったら、ずっと言葉通じないままだったよ! よかったー! ありがとね!」
佐知子はぎゅっと少年の手をにぎる。
しかしにぎった手をつたって、ぬるりと血が手に触れ、ハッとした。
「って! そんなことより! 言葉通じるようになったなら、腕! 腕の手当てさせて! 私、医者じゃないから治療とか何もできないけど、せめてタオルとか当ててぎゅっとしばるくらいしないと!」
「あ……うん」
少年は、今度は素直に応じてくれた。