4 アイシャとの出会い。
大理石の廊下を歩き、入ってきた時と別の扉を開くとそこは食堂だった。
そこから人のいない炊事場を通って炊事場の裏に出た。
たくさんの女性の使用人たちが、地面に大小様々な絨毯を敷き、飲み物を飲みながら談笑して休憩している。
ヨウがそこに現れると女性たちが一気に色めきどよめいた。
それだけで佐知子にはヨウの立場と人気がわかった。
(やっぱりヨウくんはモテるんだなぁ……)
佐知子はヨウの影に何となく隠れる。
「……アイシャさん、知らないか?」
ヨウは辺りを見渡したが探していた人物が見当たらなく、近くにいた女性に声をかけた。
「あ、えっと、あっちに! 行きました!」
女性は頬を紅潮させながら指を差し答える。
「ありがとう……」
そう答えると歩き出す。
二人が去った背後では、きゃー! と、女性たちが騒いでいた。
「おや? ヨウじゃないかい。こんな所にどうしたんだい?」
すると曲がり角からふっくらとした中年の、アラブ系の女性が現れた。
ゆるいウェーブのかかった黒髪をスカーフでまとめている。
「あ、アイシャさん……よかった」
ヨウは、ほっと安堵した。
「こんな女だらけの使用人の休憩所にくるなんて! ついにあんたも嫁さん探しする気になったかい! ん?」
アイシャと呼ばれる女性はふくよかな手でヨウの二の腕をバシバシと叩いている。
「い、いや、そうじゃなくて……新しい使用人で、ちょっと頼みたい人がいるんだ……」
げんなりした表情をしながらも、背後にいた佐知子の背を軽く押し、サチコ……と、前へと促す。
「この人……なんだけど……ちょっと……色々あって、何も持ってなくて、使用人で雇うことにはなったんだけど、その……身の回りのものとか何もないから、これで用意してくれないか」
腰に巻いた黒い布の間から革袋を取り出した。
「まぁー! こんなにたくさん! なんだいなんだい!! ついに恋人見つけたかい!?」
アイシャはまたもやヨウの二の腕を叩く。
「違うから……」
今日、何度目かのやりとりにヨウは重いため息をついた。
「とにかく……大切な人だから……頼みます……」
ヨウは俯き加減に斜め下を向いてそう言った。
「…………」
アイシャはきょとんする。そして柔らかくほほえんだ。
「何だかよくわからないけど、ヨウにそんなこと言わせる人が現れるなんてねぇ! わかったよ! まかせな!」
「……ありがとう」
顔を上げると、ヨウは安堵してほんの少しほほえんだ。
「あんた名前は?」
突然話しかけられ佐知子は慌てる。
「あ、えっと、高橋佐知子です!」
「タカハシサチコ……随分長い名前だねぇ……」
「あ! 名前はサチコです!」
「サチコかい! よろしくね! あたしはアイシャ!」
握手の手を差し出された。
「よ、よろしくおねがいします!」
慌ててその手に自分の手を重ねた。
アイシャの手は、労働者の手だった。
水仕事をしているのかガサガサで、分厚くて……だがとても温かくて柔らかい……お母さんの手をしていた。
「……じゃあ……俺は……行くから……」
佐知子とアイシャが握手を終えると、後は頼みます……と、ヨウはアイシャに伝える。
そして佐知子を見た。
「…………」
佐知子もヨウを見つめる。
十年後のこの世界に飛ばされて、最初に会った人がヨウくんで本当によかった……佐知子はそう思った。
十年前のこともあり自分のことを知ってくれていて好意的でここまで連れて来てくれて……仕事も住む場所も見つけてくれた。これはきっと、とても幸運なことなのだろう……十年前のことを思い出してそう思った。
離れるのが少し不安な気持ちもあるが、いつまでも一緒にはいられない……頼ってはいられない……いけない気がする……佐知子はぎゅっと口を引き結び、すっと息を吸い込んだ。
「ここまでありがとう! ヨウくん、またね!」
佐知子はにっこりとほほえんだ。
そのほほえみにヨウはすこし瞳を見開く。
そして、ほんの少し瞳を細めるとほほえみ。手を上げ、また……と、その場を去った。
「……で~? あんた、ヨウとはどんな関係なんだい? 大切な人とか言ってたけど~? こーんな大金、持たせてくれるなんて」
先程ヨウが腰から取り出した革袋をアイシャはジャラジャラと鳴らす。
「え?」
「こりゃ、十ディナ……ひょっとしたら二十ディナはあるかもねぇ……」
「え……えっ! あ! もしかしてお金ですか!?」
「当たり前だろう」
その言葉に佐知子はしまったと、呆然とする。
「金がなくてどうやって身の回りのもん揃えるんだい。あんたお金持ってないんだろ?」
「……はい」
うなだれつつ答える佐知子。
うっかりしていた。お金を借りてしまうなんて……しかし、今、自分はこの世界のお金を持っていない……これはしかたのない事なのかもしれない……。
(働いて稼いだら返そう……)
佐知子はそう思う。
「で、あんた何がないんだい?」
「え、えっと……何も……持っていなくて……」
しどろもどろにそう答える。
「……まぁ、この村は訳ありの奴らが集まる所だから深くは聞かないけど……よくそんなんでここまで来れたねぇ、それに何でそんな布まとってるんだい?」
「え、あ! あの!!」
アイシャは佐知子の布の裾を掴み、めくる。
「まぁ~……あんたどこから来たんだい……めずらしい服だねぇ、体でも売ってたのかい?」
「売ってません!」
今日、何度目かの質問に佐知子はうんざりしながら即座に否定した。
「まずはその服をなんとかしないとだね。よし、スークに行くかね。あたしも仕事、昼番で終わりだし。タイミングがよかったよ」
アイシャは、ほれ、行くよ! と、歩き出した。




