15 心地よい風の中で。
この世界の普通の民家に入るのは初めてだった佐知子。
あまりきょろきょろ見ては失礼なので、佐知子は玄関から入り靴を脱いで立ったまま、家の中をそっと気付かれない様に見る。
他の家もそうなのかは分からないが、造りは何だか……昔の日本と少し似ていた。
靴を脱ぐ玄関の様な段差が少しあり、そこで靴を脱ぎ、居間兼客間の様な部屋がすぐにある。
綺麗な絨毯が敷かれていてクッションがたくさん置かれている。
そして壁に空いた穴に日常に使う物や飾りが置かれている。
奥には台所があるようで、釜戸や鍋などが見えた。
そしてその先は扉のない布がかけられている入口がある。
おそらく寝室やプライベートな空間なんだろう……と、思いつつ佐知子は一つだけある窓を見た。
その窓は、今まで見てきた窓格子が凝った窓と違い、鉄の扉の内側にガラスなのだろうか……濁っているからガラスとは少し違うかと思うのだが扉があり、その二つの二重扉が観音開きで開いていた。
風がそよそよと入ってくる。
「そこ座っておくれ、今シャイをいれるから、あ、それとも何か急ぎかい? あんたはもう役人さんだからねぇ」
アイシャはケラケラと笑う。
「アイシャさん! ……でも……ちょっと急ぎです……」
正直に佐知子は答えた。
「そうかい……じゃあ、シャイはいいね、お座りよ」
クッションの前に佐知子をうながすアイシャ。
「ありがとうございます。すみません」
謝りながら座る佐知子。よっこらせ。と、言いながらアイシャも反対側へ座りクッションへボスンと寄りかかった。
「…………」
そっと佐知子もクッションへ寄りかかってみる。
(うわっ!)
クッションの山はふかふかでとてもリラックスできる感覚だった。
これは、ハンムのおばさま達がクッションに寄りかかり何時間も喋っているはずだ……と、納得した。
「で、急ぎの用事ってなんだい?」
アイシャに声をかけられて、ぴっとクッションから背中をはなし、姿勢を正す佐知子。
「あ、はい! えっと……このパピスを音読してもらいたくて……」
佐知子は国事部の女性から貰ったパピス二枚をアイシャに渡した。
「ん~? 書類かい? あたしゃ読み書きは一応できるけど難しい言葉はわからないよ~」
アイシャは書類に目を通す。
「わ、わかるところだけでも……」
ノートとシャーペンを出しながら佐知子はおずおずと答える。
「うん……ああ、これくらいならわかるよ、多分ね」
その言葉に、よかった! と、佐知子は安堵する。
「えーっと、『役人宿舎利用注意事項』と『難民課窓口補佐係について』……どっちから読むね」
アイシャに問われ……佐知子は少し迷い……
「役人宿舎からで」
と、答えた。
「じゃあ、読むよ。間違ってたらごめんよ」
その言葉に大丈夫です。と答え、音読は始まった。
静かで、爽やかな風が入る部屋に、アイシャの少し低めの声だけが響く。
読む声は佐知子がメモをしているので、ゆっくりにしてくれている。
優しいな……と、佐知子は思っていた。
役人宿舎利用注意事項は、先程、国事部の人が話していた部外者立ち入り禁止、異性の階立ち入り禁止、異性間の淫らな行為禁止、に加えて、食堂の利用時間、それと門限が決められていた。
ハンムは外のいつも使っていたハンムを使うらしいのだが、門限があるので時間に追われる生活になりそうだ……と、佐知子は思った。
あとは宿舎内での飲酒、喫煙、賭博行為の禁止。
とにかく禁止禁止禁止が多かった。
ここは寺か刑務所か。と思うくらいで……まぁ、学校の寮みたいな感じだな。と、佐知子は思う。
元々、酒も煙草もギャンブルもやらないので、佐知子にはどうってことはない。
「じゃあ、次は仕事の方だね」
一枚目の紙が終わり、佐知子は長いメモを取ったので手が疲れ、息を吐きながらペンをを持ったまま手を振った。
「ははは、そんだけずっと書いてれば疲れちゃうねぇ。どれ、もうすぐお昼ご飯っぽいけど、シャイ飲むかい?」
「あ、えっと……」
その言葉に佐知子は悩む。
「いえ! 進めてください! すみません! 昼食もあっちでとりたいんで! 間に合わせたいんで!」
「…………」
アイシャは少し目を丸くしたあと、ふっとどこか淋しそうに、けれどどこか嬉しそうに笑い、
「じゃあ、続けるかね!」
と、紙を手にした。




