29 ハーシム邸にて。
日は落ち夜も更けたころ、この村では広大な、けれど装飾や調度品などは限りなく質素にしているある邸の、四畳半ほどの更に質素な布団と絨毯とクッションしかない部屋で、模様も何もない質素な手持ちの丸いランプを床に置き、ハーシムはたくさんのクッションを背もたれと肘掛けにし寄りかかりながら、コポコポと水音をさせ水たばこを吸うとフーッと、この部屋で唯一こだわった明け放たれた大きめの窓に向けて煙を吹き出した。
白い煙はハーシムの唇から一直線に出て行くが、窓の手前で空の闇に浮かぶたくさんの星と三日月の手前でゆらゆらと揺れ、そして消えてゆく。
「…………」
そんな煙を、ハーシムは水たばこのお気に入りの甘い香りを口の中に感じながらぼーっと見つめていた。
するとドスドスと歩いてくる音と話し声がハーシムの耳に届いた。やってきた人物の予想はついていた。そして何を誰と話しているのかも。
「はぁー……」
ハーシムは眉間に皺を寄せ重い溜息をついた。
それと同時にガチャリと鉄製の扉が開き、
「よー! ハーシム! 邪魔するぜ!」
ノックもせず片手を上げ笑顔でやってきたのは黄だ。
「ハーシム様! 申し訳ございません! もうご就寝されたと申し上げたのですが……話を聞いてもらえなく……」
ハーシムのいつもそばにいる少年、タカヤが寝間着用の厚手の白いカンラにストールを羽織り、申し訳なさそうに謝る。
「いい……お前のせいではない……こいつは誰の言うこともきかないからな。タカヤ、お前はもう寝ろ」
リラックスしていた体勢から体を起こしハーシムは姿勢を正す。
「あ、タカヤ。なら寝る前にグラスと水頼むわ。これ飲むからな」
黄は持ってきた瓶をくったくのない笑顔で振る。
「……ハーシム様はお酒はお召しになられません……」
少しむっとして、タカヤはそっぽを向く。
「俺が飲むんだよ! でも、あいつも後で飲むかもしれねぇから、グラス二つな」
笑顔のまま黄はタカヤの頭をわしゃわしゃとなでる。タカヤは溜息をついた。
「かしこまりました……」
少し嫌味を込めた、諦めた言い方でいうとタカヤは廊下を歩き部屋を後にする。
「あいつは相変わらず、お前大好きだな……」
ふっと息をつき、黄は何とも言えない表情をしながら扉を閉める。
「まぁ……私にどうなるか分からない身の上を買われて自由になったのだからな……しかし、好きにしろと金も渡したのに故郷にも帰らず私の側にいさせてくれなど……物好きな子供だ……」
水たばこを吸い、ふーっと窓の外を見上げハーシムは吐き出す。
「あんなガキじゃ金があっても故郷までたどり着けないって分かってたんじゃねぇか? あの島の出身だろ? 誰かが早く送ってやらねぇとな……」
よいせっ! と言いながら黄はハーシムの前に座り胡坐をかく。
「さー! 飲むか!」
そして酒瓶をドン! と二人の間に置いた。
「……飲まん」
それを見てハーシムは冷たい表情と言葉で言い放つ。
「ははは! まぁ、お前さんは飲むとちょっとめんどくさいからな、俺もあんまり付き合いたくはねぇ」
黄は笑う。
「うるさい、飲んだらお前が来た用件が話せないだろうが!」
ハーシムは、ふーっ! と煙を黄に吹きかける。
「はいはい、すまんすまん」
そう話していると扉がコンコンとノックされた。
「ハーシム様、入ってもよろしいでしょうか」
タカヤがグラスなどを持ちやって来た。
「ああ、入れ」
言葉を返すハーシム。
「失礼いたします」
小さな体で重い扉を開き、床に置いたグラスと水差しのトレイを持ち部屋へと入る。そして二人の間に置いた。
「……私はこれにて就寝させていただきます……」
何か心配そうな様子でタカヤはちらちらとハーシムを見る。
「大丈夫だ、タカヤ……飲まないし、飲んでもここは私の寝室だ。朝までこいつしかいない」
ハッとしたタカヤは、
「申し訳ございません! これにて失礼いたします!」
慌てて部屋を出て行った。
「お前さんの醜態が相当、衝撃だったようだな」
くっくっと黄は笑う。
「うるさい。早くお前は酒でも飲んでろ。どうせいくら飲んでも酔わないくせに」
タカヤも律儀につまみのナッツまで持ってきて……と、ハーシムはぶつぶつ言いながらボスンと、起こしていた体をクッションに投げた。




