落書き(2)
「……舞泉さん、何これ?」
「シモベ君、まさか読めぬのか?」
「読めるよ。日本語だし」
「良かった」
舞泉さんは、ホッとした様子である。
僕の日本語能力というより、この落書きが見える人にしか見えないものなのかもしれないと心配していたのであろう。話しかけられる人にしか話しかけられない舞泉さんらしい発想だ。
「……単なるイタズラじゃないかな? 校庭に死体が埋まってるなんて、ただの嘘でしょ」
そうに決まっている。学校を舞台にしたホラー映画かミステリー小説かに影響された誰かが、ふざけて書いたに違いない。
「我には『単なるイタズラ』だとは思えぬ。これを見てくれ」
そう言って、舞泉さんは、机に平積みにされていた本のうち、1番上の物を広げ、またページをめくる。
これも図鑑くらいのサイズの、難解そうな本だが、使用言語は日本語だった。
「ほら、ここだ。書いてあるだろ?」
「本当だ……」
たしかに下部の余白部分に、【この学校の校庭に死体が埋まっている】との記載がある。ボールペンで書かれていて、筆跡も先ほどと同様、不自然に角張っている。
「同じ落書きをあと3冊見つけたんだ」
舞泉さんの前に平積みされている本は、あと3冊あった。「実体概念と関数概念」など、タイトルからして、高校生の食指が動かない本ばかりである。
「全部この図書室の本で、全部同じ【この学校の校庭に死体が埋まっている】という落書きで、全部筆跡は同じだ。シモベ君、どう思う?」
「どう思う、って……」
昨日された「悪魔は地球を滅ぼすと思うか?」とか、そういう質問よりははるかに答えやすいとはいえ、やはり難問である。
1冊のみならず、何冊にも書くというのは、あまりにも執拗だなとは思う。ただ、それでも、僕には、本当に校庭に死体が埋まってるとは思えない。
「やっぱりイタズラじゃないかな。極めて悪質だとは思うけど」
「シモベ君は知ってるのか?」
「何を?」
「実際に校庭に死体が埋まってるかどうかを」
「それは分からないけど……」
そんなの、普通は、落書きをした者にしか分からないはずだ。
まさかと思い、僕は舞泉さんに訊いてみる。
「もしかして舞泉さんには分かるの? 実際に校庭に死体が埋まってるのか」
「シモベ君、なぜそう思うんだ?」
「なんというか、その、舞泉さんの目には霊魂みたいなものが見えるのかなって思って」
舞泉さんならば、そのようなスピリチュアルな超能力を備えていてもおかしくないと考えたのだ。
しかし、舞泉さんは「バカ言うな」と吐き捨てた。
「魂は生者のものだ。死者の霊などというものは単なるまやかしだ」
舞泉さんが否定したのは、自らの超能力ではなく、霊魂の存在そのものだった。
ただ、と舞泉さんが続ける。
「悪魔はいる。そして、我は悪魔を見ることができる」
「悪魔」については、舞泉さんは昨日も僕に説明していたのだが、いるのかいないのかも含めて、よく分からなかった。今、舞泉さんは「いる」と断言したが、昨日は「実在はしない」と言っていた気がする。
「舞泉さん、悪魔は僕にも見えるのかな?」
「それは訓練次第だ。ただ、その素質はある」
そういえば、今朝、校門前でも、舞泉さんは僕に「素質がある」という話をしていた。
今日こうして図書室に呼び出され、落書きについて相談されていることも、舞泉さんに「素質」を見出されたことと関係があるのかもしれない。
「もしかして、この本の落書きは、悪魔と何か関係してるの?」
「そう睨んでいる。我は、この高校には凶悪な悪魔が棲んでいると確信しているのだ」
「凶悪な悪魔? 千翔高校に?」
「ああ。そうだ」
凶悪な悪魔というのは、一体どういうものだろう。今僕の頭に浮かんでいるような、紫色で、角と羽が生えていて、目つきと爪と牙が鋭い奴、ということで合ってるだろうか。
そんな奴が、本当にこの高校にいるのか。
「まさか、その凶悪な悪魔とやらが、この学校にいる人を殺し、死体を校庭に埋めたとでも言うの?」
「そこまでは我には分からぬ。単に関与しているだけかもしれない。本当の悪魔というのは、自らの手を汚さないからな」
要するに、「黒幕」ということか。
「とにかく、シモベ君、調査に協力してくれないか?」
「ちょっと待って」
舞泉さんに好意はある。しかし、僕は、下僕ではないので、頼まれたことを二つ返事で全て了承するわけにもいかない。
「舞泉さん、調査をしてどうするの?」
「もちろん、凶悪な悪魔について明らかにするんだ」
「何のために?」
「退治するためだ」
舞泉さんは、然も当然かのようにそう言い放つ。
舞泉さんの言うところの「悪魔」が何かは僕には分からなかったが、文脈的にも、その存在が害悪であることは間違いないだろう。
放置するよりは駆逐した方が良いということも、多分そうだろう。
しかし――
「どうして舞泉さんが悪魔を退治しなきゃいけないの?」
舞泉さんは、ただの女の子――ではないかもしれないが、小柄で線も細く、決してファイタータイプではない。悪魔と戦うだなんて、危険に違いないことを引き受けるべき人のようには見えないのである。
「なぜそんなことを訊くのだ?」
「もしかして、舞泉さんって、悪魔祓いなの?」
舞泉さんが美少女悪魔払いであれば、舞泉さんの不思議なキャラクターとも辻褄が合う気がする。
しかし、舞泉さんは、間髪入れず、「そんなわけないだろう」と言った。
「というか、悪魔祓いなんて職業が日本にあるのか?」
「知らないけど」
少なくとも、僕は悪魔祓いの人に出会ったことはない。しかし、舞泉さんみたいな人にも初めて出会った。
「とにかく、どうしてわざわざ舞泉さんが悪魔を退治しなきゃいけないの? 現に舞泉さんが悪魔に困らされてるわけじゃないんだよね?」
「我に直接の害はない。ただ、そういう問題ではない」
「どういう問題なの?」
「シモベ君には分からぬのか」
「……ごめん」
舞泉さんがうーんと考え込む。昨日と同様、僕にも分かる説明を考えてくれているのだろう。
しばらくして、
「簡単に言うと、『使命』だ」
と、たしかに平易な言葉が生み落とされた。
「舞泉さんには、悪魔を退治するという使命があるということ?」
「私だけではない。シモベ君にもその使命がある」
「……え? 僕にも?」
僕は焦る。
僕は舞泉さんと違って男ではあり、華奢な舞泉さんよりも力はあるかもしれないが、とはいえ、決して喧嘩が強いわけではない。
悪魔を退治する使命だなんて、そんな大それたこと……というか、そもそも悪魔を退治するとはどういうことなのか。少しもイメージが湧かない。
「舞泉さん、悪魔を退治するって、どうやるの? というか、悪魔って何?」
「悪魔ならシモベ君の身近にいるではないか」
え? 僕の身近に悪魔がいる?
僕は知らぬ間に悪魔に取り憑かれていたということなのだろうか?
――いや、そんなことはないはずだ。
「ちょっと待って。舞泉さん、僕の身近に悪魔なんて……」
「いるではないか。ほれ、あそこに」
舞泉さんが、僕の眼前を遮るように腕を伸ばす。
その指の先には――
「……貴矢!?」
なんと部活のジャージ姿の貴矢が、窓に張り付いていたのである。
校庭から、図書室にいる僕と舞泉さんのことを覗いていたのだ。
ブックマークを下さってる方々ありがとうございます。
ミステリー小説は、最後の一行を読むまで真価が分からないと思っているので、まだ事件すら起きていない段階でブックマークをいただけるのは大変恐縮に思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。