黒夜(2)
布瀬川校長がわざわざ新調したソファーベッド。そのソファーベッドの上で――
「時雨に憧れていたシモベ君からすると聞きたくもない話かもしれないが、悪魔は、時雨の身体を何度も楽しんだのだろう」
たしかに聞きたくも想像したくもない話である。
それは、水城先輩の訃報を聞いた時にも劣らないくらいに、僕にとってショックな話だ。
「悪魔は、時雨の弱みを掴んだのだ。それはレジ窃盗の『真犯人』というものだけではない。時雨が苦学生であるということを知り、それも利用したのであろう」
「……どういうこと?」
「悪魔はこの学校の最高権力者だ。たとえば、言うことを聞けば高校の学費を免除する、ということだってできるだろう」
なんと卑劣なのだろうか。水城先輩の経済状況につけ込み、水城先輩を意のままにしていただなんて。
「加えて、時雨が極度の怖がりであることもやがて知った。そこで、悪魔は、時雨の口止めのために、澪葉を利用することにしたのだ」
「……口止めに澪葉さんを利用したって、どういうこと?」
「ご自慢のバタフライナイフを突きつけながら、『澪葉は私が殺した。お前も下手なことを喋ったら同じようにする』というようなことを言ったのだろう」
つまり、「入水自殺」をしたものの死体が見つからない、という状況を、脅しに利用したということか。
「そして、澪葉の死体が見つからないのは、『私が校庭に埋めたから』と言ったのだ」
え!? それって――
「舞泉さん、図書館にあった本の落書きは……」
「シモベ君の考えているとおりだ。あれは時雨による、悪魔の犯行を告発するための落書きなのだ」
あの謎の落書きが、まさか僕に身近な人が書いたものだっただなんて、少しも想像もしなかった。
「時雨の立場は、とても微妙なものだった。これ以上悪魔の言いなりになり、身体を弄ばれたくはない。とはいえ、実名を出して、私はレイプされている、と告発することは、どう考えてもできない」
当事者を知っているだけに、聞いていてあまりにも辛い。
「性犯罪被害者は一般にそうだろうし、時雨の場合だと、悪魔にレイプされるようになった経緯の説明の中で、レジ泥棒の話も不可避的に出てきてしまう。免除されていた学費の返還も求められるかもしれない。ゆえに、時雨がレイプを告発することはできない」
他方、と舞泉さんは続ける。
「『悪魔が澪葉を殺して校庭に埋めた』ということの告発であれば、時雨自身には関係のないものとしてすることができる。その告発に従って、誰かが校庭に埋まっている澪葉の死体を発見することができれば、悪魔は逮捕され、自然と時雨への性暴力も止まる」
実際には、澪葉さんの死体は校庭には埋まっていなかったし、澪葉さんは死んですらいなかった。
しかし、水城先輩は、布瀬川校長の「脅し」に騙され、勘違いをしていたのだ。
「とはいえ、『澪葉の死体が校庭に埋まってる』と時雨が大っぴらに主張することは、結局、なぜその情報を知ったのかという話になり、レイプやレジ窃盗について明かさざるを得なくなりかねない。そもそも、学費免除など、自分も甘い蜜を吸っている面もあり、告発をすべきかどうかも悩ましい。そこで、時雨が、選んだ手段が、あの落書きなのだ」
「落書き」という言葉の持つイメージとは裏腹に、実に考え込まれた「落書き」だということらしい。
「あの落書きは、時雨が、自己の名前も、また、情報の出処も明かさずにできるものだった。さらに、落書きに気付き、興味を持ってくれて追求をした者だけが、『SAEGUSA MIOHA』の暗号にたどり着くという仕様だった」
そうだった。
落書きは、12冊の本に書かれていた。
誰かに気付かれそうと言われれば気付かれそうだし、いつまでも気付かれない可能性もある。それは、水城先輩が告発すべきかどうかを悩んだ結果の産物なのだ。
そして、「SAEGUSA MIOHA」の暗号にたどり着く、すなわち、落書きのある本を12冊集めるというのは、かなり根気のいる作業である。
それこそ、今回の舞泉さんのように、「校庭に埋まっている死体」を本気で探そうとしている人間でない限り、暗号を解くことはできなかったはずだ。
すなわち、澪葉さんの死体を本気で探してくれる人にだけ告発が届くシステムが、あの本の落書きだったのである。
そして、僕と舞泉さんが校庭で発見した、澪葉さんの子どもの死体と、落書きにあった「校庭に埋まっている死体」とは、別物であり、ともに「校庭に埋まっている」とされたのは、「偶然の一致」だった。
――否、「偶然の一致」ではないかもしれない。
布瀬川校長が、「校庭に死体が埋まってる」と発言したのは、千翔高校が布瀬川校長の「庭」であり、千翔高校に澪葉さんの「幽霊」が出ていたからだ。
そして、澪葉さんが、早産で亡くした子を校庭に埋めたのは、千翔高校に幽閉された澪葉さんが死体を埋葬できる場所が、校庭しかなかったからだ。
布瀬川校長においても、澪葉さんにとっても、死体を埋めうる場所は、校庭しかなかったのである。




