落書き(1)
「シモベ君、待ってたぞ」
舞泉さんは、図書室の、いつもの席にいた。
「舞泉さん、『相談』って何?」
「それより、アイツはいないだろうな?」
「アイツ?」
「下賤の者だ」
貴矢のことである。舞泉さんが、今朝出会ったばかりの貴矢のことを毛嫌いしてることは明らかである。
もしかすると、舞泉さんの中では、貴矢は、僕に取り憑いている「怨霊」のような扱いなのかもしれない。
ゆえに、今も僕と一緒に来ていないかを確認しているのである。
「僕1人だから大丈夫。貴矢……アイツは部活に出てるはず」
「それは良かった」
もちろん、僕も決して貴矢には図書室に来て欲しくはなかった。
今朝、舞泉さんが僕に「今日の放課後、図書室に来てくれ」と言っていたのを聞いていた貴矢は、実際、図書室までついて来ようとしていた。
図書室に向かう途中の廊下までつきまとってきた。
そこで僕は、貴矢に、「もし来たら石月さんに言いつける!」とバシッと言い、追い払ったのである。
そもそも、貴矢はサッカー部に所属していて、放課後は毎日練習があるのだ。
僕の恋路を邪魔する暇などないはずである。
「舞泉さん、『相談』って何?」
「それより、シモベ君」
舞泉さんは、自分の左隣を指差す。
「早く座ってくれ。君だけ立ってるのは明らかに奇妙だ」
ご指摘のとおりだ。
昨日のように舞泉さんの正面の席に座るのも緊張したが、舞泉さんの隣の席というのはもっと緊張する。机を挟まない分、舞泉さんとの距離が近い。
僕は畏れ多くも、舞泉さんに指定された席に座った。
舞泉さんが本当に近い。
そして、舞泉さんの匂いがする。
爽やかな良い匂い、おそらくムスクの香水をつけているのだろう。
そういえば、ここに来るまでの廊下で、貴矢に「図書室で美少女とイチャコラするなよ!」と言われた。
僕は「図書室には、他にも人がいるし、イチャイチャできるような空間じゃない」と反論したのだが、実際のところ、今図書室にいるのは、司書の先生を除けば、僕と舞泉さんだけである。
そして、司書の先生は、受付のカウンターにいて、僕と舞泉さんが座っている席からは距離があるし、死角だ。
もしも、僕と舞泉さんとがそういう関係だとしたら、イチャイチャもできてしまうような状態である。
僕が貴矢のように単純な性格なら、舞泉さんの匂いと、美しいうなじに釣られて、後先考えずに、彼女を襲えるのかもしれない。
「シモベ君、『相談』というのはな」
「……あ、はい……」
舞泉さんの横顔にすっかり見惚れていた僕は、ビクリとする。
「この本のことだ」
「この本?」
テーブルの上には、図鑑くらいのサイズの、分厚い英語の本が広がっている。
昨日舞泉さんが読んでいたのと同じ本である。
今開かれているページには、白黒の、井戸のような写真が掲載されている。
「僕、英語は読めないんだけど……」
「我も読めぬ」
「え?」
昨日は舞泉さんが読んでいる本を見て、舞泉さんは英語の本も読めてすごいなと感心していたのだが、勘違いだったらしい。
「じゃあ、どうしてこの本を広げてるの?」
「読める部分もあるのだ」
舞泉さんが、ペラペラとページをめくる。舞泉さんの細長くて綺麗な指が滑らかに動くのを眺めながら、僕は、舞泉さんが僕を隣の席に誘った理由に思い至る。
本を一緒に読むためである。
そのためには、対面より隣に座ってもらった方が便利だ。
「ここだ」と言って、舞泉さんが指を止める。
開かれていたのは、やはり何枚かの写真と、英語での説明がビッシリ書かれているページである。
「僕には何も読めないけど……」
「下の余白の落書きもか?」
「え?」
予想外の指摘だったが、舞泉さんが指差すところに、たしかにボールペンの落書きがあった。
自然に書かれたとは思えない、独特な字でこう書かれている。
【この学校の校庭に死体が埋まっている】