構造(1)
「舞泉さん、待って」
「シモベ君、我についてきてくれ」
校長室を出てから、舞泉さんは一度も振り返ることなく、同じペースで廊下を歩き続けている。
僕は、先ほど尾行していた時よりはだいぶ近い距離から、オリーブグリーンのブレザー背中を追う。
「舞泉さん、どこ行くの?」
「シモベ君に見てもらいたい場所があるのだ」
「それって校舎内?」
「ああ」
というと、それは、舞泉さんが昨日1人で学校探索をした成果発表ということだろうか。
僕は、期待を胸に抱きつつ、スタスタと歩き続ける舞泉さんを追いかける。
舞泉さんは、エレベーターの前を通り過ぎ、さらに歩き続け、階段に至る。
舞泉さんは、階段を1フロア分下る。
7階建の校舎で、校長室は最上階にあったから、今、6階に到着したことになる。
舞泉さんはそのまま歩き続ける。
そして、突然立ち止まる。
「シモベ君、ここだ」
そこは廊下だった。
舞泉さんが立ち止まったのは、ちょうど廊下が直角に曲がる部分であり、たしか、ここを曲がれば視聴覚室に突き当たる。
しかし、ここには壁と床と天井以外には何もない。
窓の1つすらない。
「……舞泉さん、ここに何があるの?」
「シモベ君には何か見えるのか?」
「……何も見えないけど」
「そうだろうな。それでは次に行くぞ」
「え!?」
僕の理解を置いてけぼりのまま、舞泉さんは、元来た廊下を引き返す。
しばらく呆然と立ち尽くしていた僕だったが、せめて身体は置いてけぼりにされないために、小走りで舞泉さんの後を追いかけることにした。
舞泉さんはまた階段を1フロア分下る。
今度は5階だ。
舞泉さんは、また、先ほどと同じような廊下の曲がり角で立ち止まる。
景色も先ほどと一切変わらない。
「舞泉さん、ここにも何もないよね……?」
「我もそう思う」
舞泉さんは、同じように階段までUターンし、4階、3階、2階の廊下の曲がり角においても、「何もない」ことを僕に確認させる。
いずれの箇所も、Y軸(高さ)は異なるものの、XZ座標平面上は同じ位置にあった。
要するに、縦に連なり、それぞれが真上と真下の関係にある場所である。
1階でも、同じ座標平面上で、つまり、今まで確認した位置の真下で舞泉さんは立ち止まる。
1階は、今までとはだいぶ景色が異なっている。
廊下は広々としているし、西校舎へとつながる渡り廊下が伸びていて、校舎の外が見える。
「シモベ君、ここにも何もないよな?」
「『何』って、何が?」
「後で説明する」
そう言って、舞泉さんは、渡り廊下へと出る。アーチのような日差しのつき、全長10mほどの、まっすぐに伸びた渡り廊下である。
舞泉さんは、その中央付近で立ち止まる。
「シモベ君、ここで少し話そう」
「……分かった」
舞泉さんの最終目的地は、この渡り廊下だった。
だとすると、先ほどまでの舞泉さんの案内には何か意味があったのだろうか。
まさか、僕に、霊的な何かが見えるのかを確認したかったのだろうか。
霊魂の存在を否定している舞泉さんなので、そんなことはないと思うが……
渡り廊下からは、例の円形校舎が見える。ようやく本丸に辿り着いた、という感がある。
しかし、舞泉さんの身体は、円形校舎とは別の方を向いている。
円形校舎ではなく、中央校舎の外壁を見ているのだ。
「そこに何かあるの?」と訊くと、今度は「ある」と返ってきた。
しかし、僕には、何も見えない。舞泉さんが一点に見つめているのは、ただの校舎の外壁だ。
「シモベ君、角の部分が、扇形に出っ張っているだろう」
たしかに舞泉さんの言うとおり、円を4分の1に切った形に出っ張っている部分がある。
――しかし、それが何だというのか。
「シモベ君、我々が先ほどまで各階で確認していたのは、扇状の出っ張りに接している部分の廊下だったのだ」
「ああ」
「シモベ君、反応が薄いな」
反応が薄い、と言われても、これ以上どう反応して良いのか分からない。「で、それがどうしたの?」というのが、紛うことなき心の声だった。
「シモベ君、オカシイと思わないのか?」
「……オカシイって、何が?」
「だって、建物の内部から見ると、扇状のスペースなどなかったではないか。それなのに、建物の外から見ると、それはあるのだ」
――なるほど。たしかに舞泉さんの言うとおりである。
校舎内で舞泉さんが立ち止まった場所は、廊下の曲がり角だったが、そこは直角に曲がっていて、4分の1の円状に膨らんでいるなどということはなかった。どの階でもそうだった。
ということは、この扇形部分は、使われていない間取りということになる。
半径は2mほどあるので、あまりにももったいないデッドスペースである。
舞泉さんは、それが「オカシイ」と言うのだ。しかし――
「舞泉さん、この部分は、単なる『飾り』なんじゃないかな? 外から見たときの見栄えを良くするための」
その可能性は十分にあるように思えたが、舞泉さんは首を横に振る。
「それはありえぬ。なぜなら、この扇形の部分は、他の壁とは色が違っていて、だいぶ新しく見えるだろう?」
「……たしかに」
「おそらく数年以内に、この部分だけ増築しているのだ。新築時に意匠を付けるならまだしも、後で意匠だけ増築するなどということはしないだろう?」
千翔高校では、毎年と言えるくらいにどこかが工事されていて、部分的な改築や増築はよくされている。
僕が舞泉さんに初めて声を掛けた図書室だって、僕らが入学する前年に改築されたばかりである。
舞泉さんの言うとおり、扇形の部分は新しいように見える。飾りをわざわざ増築しないというのもそのとおりだろう。
「この扇形の部分は、中央校舎の最上階まで伸びている。そして、最上階で、扇形の部分に接しているのは、廊下ではなく、とある部屋――校長室なのだ」
「……それで、舞泉さんは、校長室に入れるのが『チャンス』だ、って言ってたの?」
「左様。我は、校長室においても、その階下同様に、扇形の間取りが一切使われていないのかを確認したかったのだ」
なるほど。舞泉さんが、校長室でほとんど口を開かず、部屋をキョロキョロ見渡していたのはそのためだったのか。
舞泉さんが考えていた「チャンス」は、僕が想像して恐れていたものとは丸っきり違っていたということなのだ。
「……それで、どうだったの? 校長室には扇状のスペースはあった?」
「なかった」
僕は、舞泉さんほどしっかりと校長室の様子を観察していたわけではなかったのだが、たしかに扇状のスペースなどはなかったと思う。
「じゃあ、結局、この扇状のスペースは何なの?」
「分からぬ」
舞泉さんは、いつもそうである。謎を提示するだけ提示して、結局は、「分からぬ」なのだ。
まあ、実際にその謎は、僕から見ても、いずれも解明の糸口が見つからないものである。舞泉さんの思考がそこで止まるのも仕方ないと思う。
「校長室といえば、舞泉さんが校長先生に質問してたけど、あれってどういう意味?」
「質問?」
「校長の仕事は忙しいのかどうかって」
「ああ。あれか。別に大したことはない」
舞泉さんはそうは言ったが、必ずそれなりの意味があるはずだ。舞泉さんが、校長先生と他愛のない世間話をするはずがない。
「大したことはないとしても、理由があるんだったら、僕にも教えてよ」
「別に構わないが」
ただし、と舞泉さんは続ける。
「その代わり、シモベ君も我に教えてくれないか?」
「何を?」
「シモベ君は今日、どうして我と同じエレベーターに乗り込んできたのだ?」
「え……?」
……それは絶対に答えられない。




