時すでに遅し(2)
悪魔が地球を滅ぼすとは、一体全体、舞泉さんは何を言っているのだろうか?
もしかすると、新手の「ナンパ撃退法」で、僕をからかっているのだろうか。
舞泉さんの表情を見ても、彼女の本心は分からない。
ニヤリともしなければ、不安げな表情というわけでもない。
真顔のまま、僕の顔を一直線に見つめているのだ。
やむなく僕は質問を質問で返す。
「悪魔なんて実在するの?」
「実在というのは、この物質世界に、という意味か?」
「はい……多分」
「それならば、答えは否だ。今のところはな」
だが、と舞泉さんは続ける。
「これから先は分からぬ。地球上における悪魔の勢力は日増しに強くなってるから」
「悪魔は実在しないんじゃなかったの?」
「実在はしない。ただ、決していないわけではない。現に、この世界は悪魔によって支配されようとしているだろ」
聞けば聞くほど何が何だか分からなくなる一方だった。
「舞泉さん、それって何の話? アニメとかマンガとか?」
「そんな下らないものは見ない」
「じゃあ何? 小説?」
「シモベ君は、聖なるものを内に秘めてるくせに何も見えてないんだな」
舞泉さんは、眉を顰め、心底がっかりしたような顔をする。
そんなこと言われても、と僕は思う。
そもそも、僕が「聖なるもの」たるものを有しているという前提からして、僕には理解不能なのである。
舞泉さんとのやりとりの中で、僕がハッキリと理解したことが1つだけある。
それは、舞泉さんが、「普通ではない」ということだ。
シモベ君、と舞泉さんがため息混じりに言う。
「仮に君には真理が見えていないのだとして、君はなぜ我に話しかけたんだ?」
「え……あ、いや……」
この質問には、僕は今までと違った意味で閉口せざるを得ない。
真理云々はともかくとして、質問の意味自体は理解できる。
ただ、答えを正直に披瀝するのであれば、今まで舞泉さんのことを遠くから見ていて、可愛いと思っていたから、ということになってしまう。
他意はない。
別に、付き合いたいだとか、お茶したいだとか、そういう下心はなく、単に気になってたから声を掛けただけである。
とはいえ、そのことをそのまま言っても、なるほど、とはならないだろう。舞泉さんには、おそらくは低俗なナンパだと思われてしまう。
下心がないことは、それこそ悪魔の証明だ。
ゆえに、僕は、口籠もりつつ、
「特に理由はないけど」
と述べた。
それは、ある種の言い逃れでしかなかったのだが、舞泉さんは、
「特に理由がない、とはどういう意味だ?」
と追及してきた。
「え?……別に深い意味はなくて、本当に、理由もなく話しかけた、ということだけど」
「そんなわけはないだろう。話しかけるという行為は、無意識のうちや、過失によって為せる行為ではない。まさか人違いで話しかけた、ということもないだろう?」
「それはそうだけど……」
「だとすると、シモベ君には、我に話しかける理由があったはずなんだ。しかし、シモベ君は、それが何なのだか気付いていない。そういうことではないのか?」
予想外に、なんだか難しい話になってしまっている。
あなたが可愛いから、と自白した方が良いのだろうか。
なんというか、そのあたりは言わずとも察して欲しい気もするが。
僕がうんともすんとも言えずにいるうちに、舞泉さんは、独自の解釈をさらに突き進めた。
「それはやはりシモベ君が聖なるものを有していて、その聖なるものが、我に話しかけるという行為を選択させたのではないか?」
それは違う……と思う。
「だとすると、シモベ君が我に話しかけたということには、極めて重大な意義があるはずだ。それにも関わらず、シモベ君はそれに気付けていないんだ。それは、おそらく君のロゴスが不十分なものだから」
それも違う。
「重大な意義」なんてない。ただの一目惚れなんだから。
舞泉さんの解釈は、僕には独りよがりにしか思えなかったが、当の本人はスッキリとした顔をしている。
やはり、舞泉さんは明らかにオカシイ。
「シモベ君、何やら解せぬ顔をしているな」
「その、僕にはよく分からなくて。『聖なるもの』とか『ロゴス』だとか」
「そうか……」
舞泉さんは、うーんと考え込む。
「魂の導き、と言ったら伝わるかな?」
「それもちょっとよく分からない」
「そうか……」
「なんだかごめんなさい」
「謝る必要はない。真理が見えていないのは、シモベ君だけではないからな」
それはそうだろう。真理が見えていない、というか、舞泉さんが言っていることが理解できないのは、僕だけではないはずだ。
おそらく、僕のクラス全員、いや、この学校に通う全員が理解できないはずだ。
要するに、僕は、声を掛けてはいけない相手に声を掛けてしまったのだ。
関わってはならない人に関わってしまったのだ。
――今ならまだ間に合う。
よく分からない世界に引き込まれる前に、早くこの会話を断ち切って、何事もなかったように図書室を去るのだ。
そして、しばらく図書室には足を踏み入れないようにすれば良い。
舞泉さんと関わってしまったことをなかったことにするのだ。
そうすれば、僕は、明日からまたいつもどおりの日常を、のほほんと送ることができるのである。
一度舞泉さんの前の席に座ってしまった以上、中座するのはなかなかハードルが高い。
ただ、これは予想だにしなかった緊急事態なのである。
「トイレに行く」と嘘をついてでも、さっさとトンズラするべきである。そうしても、多分僕は許される。
「舞泉さん、僕……」
「シモベ君、分かったぞ!」
僕が椅子から腰を浮かすのと、舞泉さんが大きな声を上げたのは同時だった。
「……分かったって、何が?」
「説明だ。シモベ君が我に話しかけた理由について、シモベ君も理解できるような説明が分かったのだ!」
舞泉さんは、先ほどからしばらく考え込んでいる様子だったのだが、そのことをずっと考えていたということらしい。
「僕に分かる説明?」
「そうだ。『ロゴス』も『魂』もまだ理解できていない君であっても、この状況が理解できるとっておきの説明を思いついたのだ」
なかなかに中座しにくい状況である。
舞泉さんは、他でもない僕のために頭を捻り、「説明」とやらを編み出したのである。
それを聞く前に、僕が逃げ出すというのは、あまりにも無礼であるし、怨みを買うおそれがある。
金輪際関わらないとは言っても、同じ高校の同じ学年である以上、校舎内で鉢合わせする可能性は十分あるのである。
「どういう説明?」
僕は、再び椅子にお尻をつける。
「『運命』だよ」
舞泉さんの瞳に、鮮やかな光が宿る。
「シモベ君が我に声を掛けたのは『運命』なんだ。こう言い換えても良い。我とシモベ君が出会ったのは『運命』なんだ、と」
「運命」――その言葉を聞いた途端、心臓がポンッと飛び跳ね、大袈裟に鼓動を始めた。
目の前にいる美少女が、視覚を超えて、僕の五感全てに飛び込んでくる。
――ああ、そうか。もう手遅れだったか。
僕は悟った。
僕はすでに恋に落ちていて、舞泉さんとは無関係にはならないことを。
3分割しましたが、僕の中の整理では、ここまでが第1話、となります。
明日以降、毎日投稿するつもりで頑張りますので、応援よろしくお願いします!