海の家(2)
やはり海の家の中には誰もいない。
出入り口の付近は売り場兼厨房になっているのだが、そこには段ボール箱が積み上がっているだけである。
奥の飲食用のスペースも、テーブルを囲むのは無人の椅子だけだ。
「石月さん、ここ、勝手に入って大丈夫なの?」
「もちろん大丈夫です! 今日はお金を払って、特別に開けてもらい、貸切にしてもらっているんです!」
――そういうことだったのか。
さすがに海の家は石月家の別邸ではなかったものの、石月家の財力があれば、そんなことは関係ないのだ。所有物件以外でも、いつでも自由に使えるのである。
「お店の人はいないので、食べ物や飲み物は自分たちで用意しなければならないんですが……」
そう言いながら、石月さんは、売り場兼厨房に入っていく。
そして、スカートの裾を押さえながらしゃがみ込むと、積まれた段ボール箱の隣にポツンと置かれた、一見して新しい段ボール箱の封を開ける。
中には、缶ジュースや、レトルト食品が詰まっていた。
「一通りのものは揃えてあります! 簡単なものですが、今日は私がみんなをおもてなししますね!」
「やった! 小百合ちゃんの手料理だ!」
「レトルトなんですが……」
「それでも構わないさ! 長年連れ添った夫婦みたいで良いじゃないか!」
貴矢の感覚はよく分からなかったが、キャンプをしているみたいでなんだかワクワクする。
海の家の建物も、ほどよく年季の入ったログハウスで、なかなか雰囲気がある。
「それでは準備をしますので、みんなは奥のテーブルにいてください!」
「了解」
僕と舞泉さんと貴矢は、奥の飲食スペースに移動した。
それに一番初めに気付いたのは、意気揚々と小走りでテーブルに向かっていた貴矢だった。
「祥子ちゃん!」
石月さんが指定したテーブルに、水色の浴衣姿に、髪をまとめ上げてお団子にした、祥子さんがいたのである。
「野々原君、久しぶり」
「祥子ちゃん!」
貴矢は、テーブルを躱わし、祥子さんの元へ猪突猛進する。
祥子さんに抱きつこうとしたようだが、それは叶わなかった。
祥子さんは、そこにはいなかったのである。
「あれ?……俺の夢幻……?」
「違う。全くもってロゴスのない奴だな。お前が抱きしめようとしたのは、ただのスクリーンだ」
「……スクリーン?」
貴矢がぶつかった衝撃で、祥子さんはグラグラと揺れている。
それは間違いなく、白いスクリーンに映された映像だった。
入り口からもっとも近く、もっとも入り口からは死角になっている角のテーブルに、簡易なプロジェクターが乗っかっていて、そこから光の筋が出ている。
「すまんな。今日は在宅なのだ。雨の日に出掛けるのはけったいでな」
祥子さんの声は、そのプロジェクターと接続されているパソコンから出ている。
ビデオ通話システムによって、石月家の本邸と繋いでいるのだろう。
「まあ、なるべく『そこにいる感』を出すために、背景は合わせたのだが」
祥子さんはバーチャル背景を使っていて、それは間違いなく、この場所で撮影したものである。
画面の向こうの祥子さんは、等身大で、目線の位置も合っていることからすれば、「そこにいる感」を出すどころではなく、明らかに狙っている。
僕らを騙そうとし、そして、それは成功したのである。
「申し訳ありません。姉がそうしろと……」
厨房から出てきた石月さんが頭を下げている。
祥子さんに背景画像を送り、プロジェクターとスクリーン用意したのは間違いなく石月さんだから、完全な「共犯」である。
「小百合、祥子がいるなら先に言ってくれれば良いのに」
「ごめんなさい。姉がサプライズ登場したいと言い張りまして……」
「美都ちゃん、悪いな。これが私の流儀なのだ」
どこまでも悪趣味な人である。
雨の日だから家から出れなかったというのも疑わしい。
そんなものぐさな人が、わざわざ家で浴衣に着替え、それっぽい髪型にセットすることなどしないだろう。
「せっかく祥子ちゃんにハグできると思ったのに」
「野々原君、私がリアルにいたとしても、そんなことさせないからな!? というか、私がスクリーンで良かったな!? リアルだったら犯罪だぞ!?」
そのとおりである。
貴矢が、祥子さんに指一本でも触れようものなら、今度こそ絶交しよう。
「祥子、今日我々を呼びつけた目的は何なんだ?」
「そう気張らないでくれ」
「また怪談か?」
「まあまあ、美都ちゃん、そう焦るな。小百合が料理の準備を終えてからゆっくり話すとしよう」
海の家にあるのと同じデザインの椅子に座った、画面の向こうの祥子さんは、缶コーラをストローで吸う。
映写機の起動音さえなければ、ここにいるかと錯覚するほどのなじみっぷりである。
「祥子、いくつか聞きたいことがあるんだ。この前語っていた怪談のD美は……」
「美都ちゃん、だから焦るな。後でちゃんと話してあげるから。その話をするために、今日はみんなにここに来てもらったのだ」
だって、と祥子さんは、ストローを咥えたまま言う。
「今みんながいるのは、まさしく、D美こと三枝澪葉が入水自殺をした海なのだから」




