時すでに遅し(1)
「君はワレに話しかけることができるのか?」
忘れもしない。それが教祖様――舞泉美都が、僕――志茂部遼に放った第一声である。
今その言葉を聞けば、いかにも舞泉さんらしいな、と思うのだが、当時の僕には、少しも訳が分からなかった。
「……ワレ?」
「私のことだ」
「……ああ」
言われてみると、「我」と漢字をあてることができるのだが、一人称に「我」を使う人物が現存することに驚きを隠せなかった。
今は令和の時代であり、ここは蔵書検索システムと移動式の書架がバッチリ備わった最新鋭の図書室である。
彼女の装いも、オリーブグリーンの、現代風の制服のブレザーなのだ。
まさかと思い、舞泉さんが木製の長机に広げている本を確認したが、聖徳太子の伝記でなければ、デカルトの哲学本でもない。
何の本だかはよく分からない。西洋の建物と、大樹の写真に、何やら英語で解説が加えられている。
「君が我に話しかけられるということは、君が聖なるものを失っていないということだ。名前は?」
「……はい?」
「君の名前は?」
僕の名前を訊かれている、ということは分かったが、舞泉さんがその前に言っていたことの意味は全く分からなかった。
聖なるもの?
一体何のことだ?
とにかく、僕は、「志茂部遼」と短く答えた。
「シモベ君か。悪くない名前だ」
「志茂部」という名字のイントネーションの上がりは、最初の「シ」にある。僕もそう発音したはずだ。
しかし、舞泉さんは、明らかに「モ」にアクセントを置いていた。
それだと「下僕」の発音である。これが意図された発音なのか、それとも、舞泉さんの発音が訛っているのか、この時の僕には判断できなかった。
今なら分かる。間違いなく前者だと。
「我の名は舞泉美都という」
舞泉さんが、僕に名乗る。
実は僕は、名乗られる前から、舞泉さんの名字も、下の名前も知っていた。
僕らが通う高校の図書室では、本を借りる際には、受付に置かれたコンピューターに、学籍番号と名前を入力する必要がある。
僕は、舞泉さんが入力するコンピューターの画面を覗き見ていたのである。
なお、学籍番号の上3桁から、舞泉さんが僕と同じ1年生であることも、僕は知っていた。
「シモベ君、お願いがある」
「お願い?」
「頼むから、そこに立ってないで、私の正面か、隣の席に座ってくれないか? 首が疲れるから」
たしかに身体をテーブルに正対させたまま、首を横に捻って背後にいる僕を見るのは、無理な姿勢だといえる。
「……あ、はい」
ここまでの展開は、舞泉さんに思い切って声を掛ける直前までの僕の目標を考えれば、あまりにも上出来だ。
舞泉さんが僕のことを見てくれただけで大きな成果であるのに、舞泉さんと言葉を交わせて、僕の名前も伝えられた。
それだけではない。
舞泉さんと同じテーブルにつくことが許されたのである。
遠くのテーブルから、「あの子、可愛いな」と憧憬の眼差しを送り続けた日々からの脱却としては、あまりにも劇的だ。
しかし、悩んだ末、舞泉さんの隣の席ではなく、正面の席を選んだ僕には、片想いをしていた相手への最初のノックが成功したことの達成感も、爽快感もなかった。
僕のその時の感情は、「なんだか思っていたのと違う」――それに尽きる。
遠くから見ていて美少女だと思っていたが、近くから、しかも正面から見ると、より一層浮世離れしているように見えた。
他の女子との違いはなんだろう。
サイズ、だろうか。舞泉さんは小柄で、顔が小さい。骨格もシャープだ。
顔のパーツの配置は、間違いなく大事な要素だろう。
どのパーツも小さ過ぎるということも、大き過ぎるということもなく、ちょうど良いのだ。美人の顔は平均顔、とどこかで聞いたことがある気がする。
1点特徴的なのは、外国人のように色素の薄い茶色い瞳だろう。
顔が整っているので、顔を露出させたポニーテールがよく似合う。
そして、肌が綺麗なことは美少女の条件だろう。舞泉さんの肌は、きめ細かく、初雪のような白さである。
白い肌に、血色の良い赤い唇が際立つ。
その唇が艶かしく動き、ちんぷんかんぷんな言葉を紡ぐ。
「シモベ君はどう思う? やはりこのままだと、この地球は悪魔によって滅ぼされてしまうと思う?」
「……え?」




