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正体(1)

 実際にギターを触ってみるまで、音を出すことがここまで難しいことだとは思わなかった。



 アコースティックギターの弦は、ゲームセンターの音ゲーのボタンとは違い、押せば良いというわけではなく、ほど良い力で押さえなければならない。


 これが思った以上に力のいることであり、歯を食いしばって、左手に精一杯力を入れると、ようやくジャーンと狙った音がするのだが、その様子を見ていた先輩曰く、「それだと力の入れ過ぎ」だそうだ。


 そういうわけで、音楽系の部活に入った僕だったが、加入後2ヶ月しても、曲を弾くどころか、未だ思いどおりに音を出すことさえできていない。



「上手くいかないなあ……」


 人差し指で5本の指をまとめて押さえなければならないFコードは鬼門である。


 弦が上手く押さえられず、何度やっても、カスッカスッという音しか出ない。


 僕はため息をつきながら、力の入れ過ぎで痺れた左手首を振って休める。



 ふと、流れるようなピアノの旋律が耳に入ってくる。



 顔を上げると、やはり演奏者は水城みずしろ時雨しぐれ先輩である。

 

 水城先輩のしなやかな指が、鍵盤の上を滑らかに進む。


 身体を少し弾ませながら演奏する姿は、まるでピアノと一体になっているかのようである。



 僕は水城先輩が奏でる音楽に聴き惚れてしまう。


 部室内には、他の楽器の音も鳴らされているはずなのに、水城先輩の鳴らす、憂いのあるピアノの音しか聞こえない。



 そして、水城先輩の美しい姿に見惚れてしまう。



――新歓オリエンテーションのときと同じだ。


 僕は、中学校では貴矢と同じくサッカー部に入っていたが、運動神経が良くなかったことに加えて、体育会系の雰囲気が肌に合わなかった。

 ゆえに、高校でもサッカーを続けようとはつゆ思わず、高校は帰宅部で良いかなと思っていた。


 しかし、体育館で行われた新入生強制参加の新歓オリエンテーションにおいて、ステージでの水城先輩のピアノの演奏を見た僕は、衝動的に、水城先輩と同じ部活に入ろうと決めた。


 それくらいに水城先輩のピアノが、そして、水城先輩が、魅力的に映ったのである。


 

 こうして、僕は、ポップソング部に入部した。


 音楽未経験であったが、ありがたいことに「初心者大歓迎」と謳われていたのである。



 僕の入部の動機は、水城先輩とお近づきになりたい、というよりは、水城先輩に憧れて、ということになる。


 実際には、部員数も12名で、幽霊部員を除くともっと少なく、部室として与えられた音楽室もそこまで広くはないため、水城先輩との物理的距離は近い。


 話す機会もそれなりにはある。


 ただ、別に僕は水城先輩を狙っているわけではない。


 そもそも、水城先輩は3年生であり、今月末の追い出しコンサートを最後に、部活を引退し、受験勉強に専念しなければならない立場なのだ。



 それに、僕には舞泉さんが――



「上手くいかないなあ……」


 またもやため息が出る。


 舞泉さんは、Fコードよりもはるかに手強い。


 昨日だって、「この高校には凶悪な悪魔が棲んでいると確信してる」とか言い出して、「悪魔退治」をするだなんて言い出すのだ。


 もう何が何だか分からない。


 舞泉さんの思惑は、そして、僕の恋心は一体どこに着地するのだろうか。



「遼、水城先輩に見惚れてるだなんて、随分な余裕だね」


「わっ!」


 突然横から声を掛けられ、僕は座っていた椅子から飛び上がりそうになる。


 声の主は、粕屋かすや詠一えいいちだった。


 詠一は僕と同じ新入生である。


 目に掛かるくらいに長く伸びた前髪と、ニキビ面が野暮ったい感じであるが、音楽にかける情熱は、僕と比較するまでもなく、本物である。「詠一」という名前も、音楽好きの両親が、ミュージシャンの大瀧詠一からとったらしい。


 詠一は、ストラップ付きのアコースティックギターを肩に掛けて立っていた。



「……別に水城先輩に見惚れてたわけじゃないよ」


 事実である。


 最初は見惚れていたかもしれないが、詠一に声を掛けられたときには、僕は舞泉さんのことを考えていたのだから。



「まあ、見惚れる気持ちは分かるよ。水城先輩は美人だから。大人の魅力があるよね」


「まあね」


 水城先輩は、背が高く、肌は白く、面長で、唇は薄く、目は切れ長である。誰が見ても美人だろう。おそらく、女性からもモテる。



「でも、今は美人に見惚れてる場合じゃないよね? 追いコンまで1ヶ月を切ってるんだから」


 たしかに水城先輩に見惚れている場合でも、舞泉さんに翻弄されている場合でもない。


 追いコンまでに、ギターで1曲演奏できるのにならなければならないのだ。


 曲目はスピッツの「チェリー」。


 基本的なコード進行で構成された曲とはいえ、難敵のFコードが頻繁に出てくるし、跳ねるような16ビートに、右手のストロークもついていかない。


 ポップソング部の活動は、火曜日と金曜日の週2回しかない。

 コンサートに間に合わせるためには、ギターを買って、家で練習する必要があるかもしれない。



「ちなみに、詠一の方はどうなの? もう『チェリー』は弾けるの?」


 「チェリー」は、詠一と2人で弾くことになっている。



「完璧だよ。もうすでに次の曲の練習に取り掛かってるさ。追いコンで2曲やろうと思ってるんだ」


 訊かなければ良かった。


 詠一も、僕同様にギターは初心者であるが、中学時代は吹奏楽部であり、音楽の心得はあるのである。スタートラインが違うのだ。



「遼は、僕が音楽経験者だから覚えが早いと思ってるだろ?」


「……違うの?」


「違うね。練習量の差さ。僕は、遼が図書室に通ってる間にも、家で地道に練習していたのさ」


「え!?」


 思わず感嘆の声を上げてしまったのは、詠一の練習熱心さに驚いたわけではない。


 部活のない日の図書室通いがバレていたことにビックリしたのである。


 貴矢にだけでなく、詠一にも舞泉さんのことを冷やかされるのは本意ではない。


 ましてや、練習不足と舞泉さんとを結びつけられてしまうのは、とてもじゃないけど耐えられない。



 僕は言い逃れを必死で探したのであるが、杞憂であった。


 その証拠に、詠一は、僕をこう非難してきたのである。



「遼、まさか図書室で勉強してるんじゃないだろうね? 追いコンそっちのけで定期試験に向けて勉強するだなんて裏切り、僕は断じて許さないからね」




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