精神的ストレス
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──精神的ストレス
66階層の掃討には子供のキメラも混じっていた。ネイトは文句を言わずそれを殺していたが、どうやら限界が来たらしい。明らかに精神に支障をきたしていた。それもあって的矢は早期に撤退した。
ネイトを軍医に預け、的矢たちは弾薬の補充を行う。
たっぷりの弾丸。たっぷりの爆薬。たっぷりの殺意。
無言で弾丸をマガジンに詰めていると、陸奥がそわそわし始めた。
「どうした、准尉」
「いえ……。ただ、自分も一度、精神科医に診ておいてもらった方がいいような気がしまして……。やはり、化け物だと分かっていても、子供の姿をした存在を殺すのは、どうしても思い出してしまうんです」
陸奥が率直にそう述べた。
「分かった。行ってこい。椎葉、代わりに陸奥の分の弾丸を詰めておけ」
「了解です」
椎葉も文句を言っている場合ではないと弾丸を込め始める。
「中央アジアかね?」
「だろうな。ネイトもそこでやられたくさい。あいつの経歴には中央アジアへの派遣記録が残っている。何をしていたかは記録されていないが、やっていたことは俺たちと同じことだろう」
「あれぐらいでヘタレてたら仕事にならんぜ」
「お前ぐらい無神経な人間の方が戦場には適応しやすいんだろうな」
「ひでえ」
「事実だろ」
椎葉は的矢と信濃の話を何の話だろうと聞いていた。彼女は幸運にも中央アジアに派遣されていない。中央アジアでは地獄が繰り広げられていたことを知らない。人間が作り出す地獄を彼女は知らない。
《その無垢さは残酷ですらある。君たちは初めての人殺しの体験を中央アジアで済ませたのだろう? 自分たちが駒にしてきた人間を殺すという不毛な作戦を戦ってきたのだろう? それが彼女にはない。故にダンジョンカルトを殺しても過去がフラッシュバックしたりはしない》
その無垢さは強さだ。俺たちの精神は満身創痍の状態に追い込まれた。まあ、俺はそれほどでもないがな。ネイトや陸奥はやられた。連中が中央アジアを経験してなければ、もっと優秀な兵士になったに違いない。
《中央アジアの軍事作戦は無意味だったと思っているのかい?》
思っているね。無意味どころか、有害ですらあった。あそこで将来の道を断たれた日本情報軍の将兵のことを思うとリソースの無駄遣いという言葉が浮かんで来る。今は口減らしに次男坊、三男坊を軍隊に送る時代じゃない。軍隊は志願率が低下し続け、無人化を推し進めている。それなのに貴重な人材を廃人にしてしまうとは。
《そうだね。少子高齢化と軍への魅力のなさが志願率の低下を招いた。そうやって集まった貴重な人材を将軍たちは無駄に使った。到底許容されるものではないね。そのまま続いていたら、人材は払底していただろう》
だから、ある時期から日本情報軍は徐々に中央アジアから手を引き始めた。もう自分たちは必要ないと判断したのか、本当に人材が底を突くのを恐れたのか。いずれにせよ、椎葉たちのような若手が派遣されることはもうあるまいさ。
《本当にそう思う?》
危機は別の場所にある。安全保障環境は緩やかに、だが確実に第二次冷戦期のそれに戻りつつある。ロシアでは超国家主義派ロシア軍と忠誠派ロシア軍の内戦が続き、超国家主義派ロシア軍は西側諸国を憎んでいる。中国もまたかつてのような地域覇権国家になろうとしている。
《中央アジアだけが戦場じゃないってわけか。君はまた戦争になると思っているかい? また2020年のような大戦が勃発すると思っているかい?》
いいや。どちらの指導部も間抜けじゃない。2020年に受けた打撃のことを忘れていない。中国だって軍への志願率は低下していて人材不足だ。だから、連中は技術供与やインフラ整備といったソフトパワーで周辺国に影響を及ぼそうとしている。第二次冷戦期よりずっと穏やかだが、着実な手段で。それに対抗しなければならない。
《親中派の指導者を盗聴し、盗撮し、汚職の疑惑を掴み、暴露する。あるいは暗殺してしまう。そんなところかい?》
そ。ソフトパワーは所詮はハードパワーの裏付けがなければ意味を持たない力だ。今の中国のハードパワーは復活傾向にあるが、全盛期には及ばない。数十年かけて作った軍隊が打撃を被ったんだ。しょうがないさ。
《この国は上手くやったね。あくまでアメリカ軍を補助する形で動き、本格的な戦闘は南西諸島のそれだけ。後はひたすらアシストに回った。君らには1.5個師団のパワープロジェクション能力があったにもかかわらず、それがないふりをした》
先人たちは上手く立ち回った。まあ、そのツケは戦後に支払わされたが。
《中国とアメリカという軍事大国の衰退に伴う暴力の空白。湧き起るカオス。テロリスト、犯罪者集団、海賊。君たちは本格的な戦闘に参加するのを避けた代わりに、そういうものへ対処することを強制された。そして、穏やかに出血していった》
ああ。地味な東南アジアでの軍事作戦。だが、重要な東南アジアでの軍事作戦。現地の政府軍を指導し、現地のテロリストを叩き、時として殺される。
《結局のところ、何もせずに平和は手に入らないってことを君たちは学んだわけだ》
もっと早く学んでおくべきだった。新宿駅が吹き飛ばされてからでは遅すぎた。テロの脅威は再燃し、日本本土が攻撃された。だから、中央アジアに派兵する羽目になったんだ。もっと努力するべきだった。暴力の空白を避けるために。
《君たちは努力したさ。だが、あの状況ではどうしようもなかった。もう誰も引けない状況に来ていた。引けば負けだった。そういう状況に追い込まれ、そして爆発した。誰も悪くはない。悪いと言えば、もっと前の世代だ》
平和、平和と念仏唱えていれば平和が手に入ると信じていた世代の話か?
《そのもっと前。戦争でこの地域を滅茶苦茶にしてパワーバランスを崩壊させた連中。平和、平和と念仏唱える連中だって、そいつらがいたから生まれたんだ。君たちのもっと、もっと前の世代が上手くやっていれば、このカオスは避けられたかもしれない》
どうしようもないな。
《過ぎ去った過去は墓石のごとく重く、どうしようもできない。そういうことさ。過去を振り返ってもしょうがない。未来を見るしかない。過去にああしてたら、こうしていたらと考えたってしょうがない。前を見なければ》
随分とまともなことを言うんだな。まるで政治家みたいだったぞ。
《選挙中の? それは誉め言葉になってないよ。嫌味だよ》
ははっ。そうかもな。
的矢は珍しくラルヴァンダードの言葉に笑って見せた。
《そろそろアメリカ人の方が帰ってくるよ。彼らと接するときは気を付けなよ。彼らには彼らが望んでいないことを命じられている可能性がある。それは決して表にはでないけれど、確実に実行される可能性がある》
気を付けておこう。常に連中からは目を離さない。
《そうすべきだね》
全くだ。
そして、ネイトが戻ってきた。
「調子はどうだ、ヤンキー。元通りか? また殺せるか?」
「あなたは人でなしだな、的矢大尉。あんたの戦闘技術には敬意を払うつもりだが、その態度にはまるで敬意を払う気にならないぞ」
「指示にさえ従ってくれれば敬意など必要ない。俺たちは駒だ。命令を実行するだけの駒だ。命令を忠実に実行していればそれでいい」
「そういう態度だ」
ネイトはぶつぶつ文句を言いながらもマガジンに弾を込める作業を始めた。
「大尉。戻りました」
「殺せそうか?」
「ええ。化け物どもを殺しましょう。それが我々の仕事ですから」
「それでこそだ」
陸奥も戻ってきて、自分の分の弾も込めてくれていた椎葉に礼を言う。
「さて、準備は整ったな。仕事を始めるぞ。次はエリアボスとご対面と行きたいところだ。へばってくれるなよ」
「了解」
そして、的矢たちはまた地下に潜る。
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