中央アジア
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──中央アジア
それは日本情報軍特別情報軍団の兵士ならば誰もが経験する地獄。
中央アジアでの軍務というものは、そういうものだった。
中央アジアは意味不明な戦場だと的矢は認識している。
昨日の敵が、明日の味方となり、昨日の味方が、明日の敵となる。
だが、やることはシンプルだ。
虐殺を行っている軍閥の指導者を暗殺し、子供兵を訓練し、その訓練した子供兵が役割を終えたら強襲して始末する。
的矢も最初は困惑を覚えていた。この戦場は一体どうなっているのかと。
だが、すぐに納得した。これが中央アジアだというのならば、それに適応しようと。
彼は殺した。軍閥の指導者を殺した。テロリストの親玉を殺した。子供兵を殺した。たくさん殺した。殺し続けた。そして、戦闘後戦闘適応調整を受けて何食わぬ顔をして昇進試験の勉強をした。
実際のところ、多くの日本情報軍特別情報軍団の兵士が精神を病みかけたのに、的矢にはその兆候は一切なかった。彼は適応していたのだ。彼は適応力が半端ではなく、高かったのである。
中央アジアでの任務を終えて帰国したときも、後に引きずったものはなかった。
だが、他の人間はそうもいかなかったようだ。
派遣されていない椎葉を除くものたちは、ちょっとした衝撃とトラウマを得た。
陸奥は大量虐殺された市民の死体を見て衝撃を受けたし、信濃も子供兵という存在に衝撃を覚えていた。彼らが何の処置も受けずに帰国していたら、そのまま自殺していたかもしれないだけの衝撃だ。
だが、現代の便利な戦闘適応調整を受けていれば、そのようなことにはならない。
戦闘適応調整は洗脳に近い。患者の記憶を改竄し、理想的なものへと強制的に変更する。戦闘後戦闘適応調整などは脳への負担が強く、繰り返せば廃人になるとの都市伝説はずっと流れ続けていた。
それほどまでに現代の精神医療技術は進歩したのだ。
全ては軍の嫌う4つのアルファベット、PTSDをなくすため。
だが、全員が全員ハッピーエンドを迎えたわけではないことを的矢は知っている。
自殺した人間はいる。どれだけ医療が発達しようとPTSDをゼロにはできない現状を的矢は知っている。中央アジアのような兵隊の限界が試される世界では当然とも言えることだったのかもしれないが。
ネイトも後に引きずったタイプだと認識している。
彼の子供殺しへの抵抗感。それはただ単に自分に同い年の子供がいるからという理由だけではないだろう。恐らくは中央アジアで嫌になるほど子供兵を訓練して十全に投入して死なせ、そして自分自身も敵の子供兵を殺し続けたが故のものだとある程度推測できるのであった。
ネイトの中央アジアへの派遣は2回。そして、3年に及ぶ。トラウマを養成するには十分過ぎるほどの時間だ。彼らは中央アジアに派遣され、心に傷を負って帰ってきた。見えない傷のため、誰も気にしない。誰も気を使ってくれない。
傷は癒されることのないまま残り続ける。戦闘適応調整でどうにかならなかったものを民間の精神科医がどうにかできることはない。戦闘適応調整というものはそれだけ高度な技術なのである。
こういう人間は子供の泣き声を聞くだけでもパニックに陥るものだ。まして子供が化け物に改造されて襲って来るという状況では正気を保つだけで精一杯だろう。また子供に向けて引き金を引くのかと躊躇うのだ。
だが、ダンジョンは中央アジアと同じだ。甘さは命取りになる。敵に情を見せれば、死ぬのは自分だ。あるいは同じ部隊の兵士か。いずれにせよ、ダンジョンで敵に甘くなっていいことなど、何もない。ネイトが積極的に作戦を妨害し、“グリムリーパー作戦”の成功を頓挫させようと思っていない限り、彼には仕事をして貰わなければならない。
幸い、シャーリーは普通だ。彼女も1度の中央アジアの派遣と1年の軍務を経験しているが、子供に対して引き金が引ける。精神的にタフなのはネイトではなく、シャーリーなのかもしれない。
中央アジアの地獄を潜り抜け、生き延びたものだけが出世する。
羽地大佐も2055年に中央アジア派遣を体験している。彼は4年もの任務を務めた。
だから、彼には将官になる道が示されているのである。日本情報軍の秘密結社めいた上層部への加入のための秘密の儀式を終えたということだ。上層部の人間たちも電子情報軍団であれ、空間情報軍団であれ、中央アジアへの派遣を経験していると言われている。それが義務であるかのように、それが儀式であるかのように、と。
どう転んでもここは戦場。甘さは命取り。怪物がどんな姿をしていようと殺さなければならないのである。
『目標マーク』
『振り分けだ。射撃開始』
だが、奴らの歌声には応える。音程も何もかも狂った歌。それを化け物たちは歌い続けているのである。こちらの気がどうにかなりそうな音を聞かされ続けて、ただでさえメンタル状況は悪化している兵士たちはさらにメンタルを悪化させている。
『クリア』
『クリア』
ただ、ダンジョンの探索そのものは順調に進んでいる。的矢たちは確実に化け物を掃討して行っているし、ダンジョンの深部に向けて前進を続けている。ほぼ、予定通りのペースで。ブラボー・セルもちゃんと通信設備を設置していっている。
電波ジャックに妨害されることもなく、倒せない化け物に立ちふさがられることもなく、的矢たちは確実にダンジョンの地下へ、地下へと潜り続けている。今は65階層。かなり順調に進んできている。
ただ、弾薬の消耗が想定していたものよりも多い。一度補給に戻らなければならないかもしれない。幸い時間ならばある。ペースは順調で、一度補給に戻ったくらいでは、ダンジョンがリセットされるほどの時間はかからないだろう。
『次の階層を一掃したら、上に上がる。弾薬の補充だ。思った以上に弾薬を消耗している。敵が多いこともあるが、キメラのバイタルパートが分かりにくいということもある』
キメラの本体である獣の体の弱点となる場所は分かりにくい。クモであったり、ウマであったり、あるいはライオンであったりするのだが、どこに心肺機能があるのかはランダムのように決められているのである。そのため余計な弾薬を使いがちになり、そのせいで弾薬の消耗が激しくなる。
特に活躍してきた陸奥の重機関銃は50口径ライフル弾がそこを見せかけている。底が見えてからでは遅い。ある程度余裕のある間に退かなければ。
次の1階層が限界だろう。そこでも無理だったら途中で撤退だ。
『さあ、いくぞ。気合を入れろ』
『おー』
椎葉だけが間抜けな声を発した。
的矢たちは信濃を先頭に地下に潜る。潜り続ける。次の1階層でも人体をおぞましく改造したものたちが蠢き、歌を歌っていた。『サイレンの音』『冷たい』『地獄はそこにある』と。そういうワードが使われているような気がしていてならなかった。ダンジョンカルトたちと同じ単語を使っているような気がしてならなかった。
だが、それは所詮は的矢の妄想だ。実際には理解不能な言語すら不明の歌を歌い続けているだけだ。音程もテンポも狂った歌未満も騒音を歌っているだけである。
的矢たちはそいつらを皆殺しにした。
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