修理
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──修理
まず信濃の装備でダメになったのは最新の第5世代人工筋肉を使った義肢だけではない。熱光学迷彩もダメになった。体内循環型ナノマシンもエラーを吐いている。
つまり、何が言いたいかといえば信濃は大規模な“修理”が必要だと言うこと。
軍用義肢を改めて装着するために、ナノマシンを一度全部抜いて入れ替えるために、信濃はダンジョンから運び出され、軍病院に送られた。結局、書類仕事は的矢がするしかなかった。彼としても部下を危険にさらした責任がある。
「ボス、ボス。信濃曹長のお見舞いに行きましょう」
「信濃のか? 別に構わんが」
書類仕事もようやく終わったというところで、椎葉がそう提案する。
「あ。ところで、ボス。羽地大佐が暫くは間が空くから、戦闘後戦闘適応調整を受けておくようにって言ってましたよ。ボスのところにもメッセージ、来てないですか?」
「……ああ。ちょっと受けてくる」
「待ってます!」
戦闘後戦闘適応調整。
化け物を殺した喜びも、戦場で感じたストレスも、全てをあいまいにしてしまう処置。戦場と日常の線引き。ここまでが戦場で、ここからは日常ですと、そう精神科医が教えてくださる処置。
そんなものがなくたって自分は平気だ。俺はタフな男だと気取るつもりはない。だが、化け物を殺した手ごたえや喜びが、起きたら忘れてしまう夢のような体験になってしまうことだけは受け入れがたかった。
とは言え、的矢は軍人であり、軍人とは命令に従うものだ。
「的矢大尉。あまりストレスは感じておられないようですね」
「ああ。そこまで苦労してない」
「他の方はそうではないようですよ」
「じゃあ、俺が鈍感なんだろう」
的矢と精神科医が小さく笑う。
そして、精神科医が真面目な顔をする。
「処置に対する抵抗を感じています。確かにあなたの抱えたストレスは小さなものかもしれません。今は、まだ。ですが、日常と戦場の線引きをしなければ、そのストレスは大きなものとなっていく。処置を受け入れられてください」
「分かっているよ、先生」
これからたっぷりの薬と言葉で、化け物を殺した歓喜が夢になる。
《君から君の喜びを奪おうとしている人間。それは敵じゃないかな? そして敵とは常に打ち倒すべきものだよ。特に君にとってはね》
ああ。この点滴のチューブを引き抜いて、精神科医を絞め殺してやりたい。
《やれば? 君は君が生きたいように生きるべきだ》
ダメだ。俺が軍人として生きていくためには、ここで処置を大人しく受ける必要がある。そして、軍人としてダンジョンに潜るためにも。軍人でなければ化け物を殺すという喜びからは締め出される。
《君は野蛮でいて、理性的だね。いいことだと思うよ。そう、もっとダンジョンに潜らなくちゃいけない。あの地獄を真っ逆さまに落ちていかなといけない。そのために軍人である必要があるならば、そうしなければならない》
ああ。その通りだ、クソ野郎。
「的矢大尉?」
「なんだ?」
「処置に抵抗が見られます。力抜いてリラックスしてください。脳に緊張の反応が見られます。どうされました?」
「なんでもない」
的矢はそう言って大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
「これでいくらかまともなったか?」
「ええ。問題ありません。リラックスされていてください。処置はまだ時間がかかります。その間、少し話でもしましょう。彼女のことはまだ見ますか?」
「見る。それが何だっていうんだ? 俺の頭がおかしいとでも言いたいのか?」
「そんなことは言っていません。ただ、そのせいで注意力が減少したり、判断が鈍ったりしていないかと思っているだけです。彼女のことは意識的に無視できませんか?」
「あいつは俺の頭に話しかけてくるんだぞ。どうしろっていうんだ」
「落ち着いてください。また緊張が高まっています」
「じゃあ、落ち着ける話題にしてくれ」
的矢がまた息を大きく吸って、ゆっくりと吐く。
「我々にとって、彼女は未知の存在です。対応には慎重を期さなければなりません。何かが起きてからでは遅いのです。彼女に敵意は?」
「俺のことをおちょくるぐらいだ」
「それだけですか? 何かストレスを与えるようなことは?」
「何も」
ラルヴァンダードは精神科医の机の上に載って足をぶらぶらとさせ、にやにやと笑っている。無駄に長い髪。濡れ羽色の長髪。それがしなやかなラインを描いて、彼女の体に張り付くように流れている。
あいつは俺が何を思っているか分かるのに、俺はあいつが何を思っているか分からないなんてフェアじゃないなと的矢は思う。
《何を考えてるか知りたい?》
別に。
《この精神科医は馬鹿だなって思ってるよ》
そうかい。
「的矢大尉?」
「あいつと話していた。あんたが間抜けだと思っているそうだ」
「そうですか。それはストレスになりませんか?」
「ならない」
もう慣れたものだと的矢は思う。
「それでは点滴が終わるまで待ってください」
「お喋りは終わりか?」
「何か相談したいことでも?」
「相談、ね。聞くが、俺のような状況になった人間は最終的にどうなると予想する? 頭が本当におかしくなるか、あるいはもっと酷い結末が待っているか」
「このようなケースを我々は経験したことがないので何とも言えませんが……。自分の認識するものを他人と共有できないというのは苦痛になるでしょう。最終的にどこかで破綻をきたす可能性は否定できません」
「そうか」
つまりはこれがこのまま続けば、頭がおかしくなるってことか。
「有益なアドバイスをどうも、先生。点滴は終わったようだぞ」
「それでは処置は終了です。少し眩暈やふらつきがあると思うので注意してください」
「ああ」
処置が終わると不思議と処置を受ける前の不安や苛立ちは消えていた。ただ、ぼんやりとした空虚な感情が心を支配している。
《君の喜びも怒りも何かも消えてしまった》
また殺せばいい。化け物を殺し続ければいい。
《サディスト。けど、そうあるべきだね。過去に執着してもしょうがない。化け物狩りの楽しさはスコアを稼ぐことでも、勲章を得ることでも、倒した化け物を誇ることでもない。殺すこと。ただただ、殺すことそのものに意味があるんだ》
そうだ。殺す。化け物を殺す。その瞬間に生きがいを感じる。化け物は幸い腐るほどいる。殺し放題だ。化け物を殺して、世界を正常に戻す。
《もう元に戻りはしないよ。世界は狂ったままさ。狂気こそが正気。異常こそが正常。そんな世界になってしまったんだよ》
言ってろ。俺は世界をまともに戻してやる。化け物どもを皆殺しにしてな。
的矢はそう言うと、書類を羽地大佐に提出し、失った装備の補充とアルファ・セル全員分の暫くの間の休暇を申請し、それから椎葉と合流するために10階層を目指した。
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