泥沼
本日1回目の更新です。
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──泥沼
38階層をおり39階層に入るとそこは泥沼だった。
戦局としての泥沼ではなく、環境的に泥沼なのだ。
『畜生。膝までとはいかないが、これだと小型UGVは使えないぞ』
『クソッタレ。ダンジョンがこうなるのはある種の時間の問題だったが』
これではどこに待ち伏せ型がいるのか分からないし、振動探知センサーも鈍感になる。音響探知センサーだけでは心もとない。
『危険は冒せない。特に人命を損ねるような犠牲は、だ』
『では、どうするんで、大尉?』
『特殊資材を使う。日本陸軍が持っているはずだ』
的矢たちは泥沼には入らず、一度30階層に引き返す。
「順調なようだな、的矢大尉。この調子だと7日以内に40階層が落とせそうじゃないか」
30階層に戻ると羽地大佐が的矢たちを出迎えた。
「それで、必要なものは?」
「特殊凝固剤。アイス・エイトを」
「なるほど。泥沼か」
アイス・エイトは泥沼のような水気を含んだ地盤から水気を完全に除去し、連鎖反応的に泥沼をただの乾いた大地に変えてしまうという特殊資材である。
ちなみに、アイス・ワンからアイス・セブンがあるわけではない。古典的SF作品にちなんでつけられた愛称であり、実際の名称は58式特殊凝固剤という無機質な名前がついているだけだ。
「アイス・エイトの備蓄はある。厳重に保管されている。何せ、いくらナノマシンによって制御されているとは言え、地面から水を完全に抜き取るというのは、枯葉剤よりも酷い効果を農業にもたらすだろうからね」
「今の半自動食物プラントに取って代わられた古典的な農業では、ですね」
「まあ、確かにそうだ。今や我々は何かにつけてメティス・バイオテクノロジーの息のかかった技術で作られた食物プラントで半自動的に栽培された食物を摂取している。この熊本にも5ヵ所、食物プラントがあるそうだ」
「ひとつの食物プラントで日本人の半分が食っていけるというのに」
「ブランドは大事だからな。何にしても。いろいろと熊本ダンジョンを攻略する前に調べたが、熊本は元々農業の場だったそうじゃないか。いろいろな銘柄の作物があるようだ。今は食物プラントで作られているそうだが、品種改良のDNAデータにも値段と権利が付く時代だ。これを失うべきではないだろう」
「結構ですな。日本人はやはり日本人の舌にあった食い物じゃないと。それで、アイス・エイトは使えるんですか、使えないんですか?」
的矢が苛立った様子で尋ねる。
「……結論から言えば、使える。だが、アイス・エイトはある種のグレイ・グー問題を引き起こしかねない兵器だ。本当にアイス・エイトしか手はないのか?」
「ありませんね。泥沼で小型UGVは使えない。待ち伏せ型がどこで待ち伏せているのか分からない。加えて地下にはジャイアントウォーキングツリーが出没します。連中の探知が遅れれば遅れるほど、我々のチームは危険にさらされます」
「ふうむ。ひとつ提案があるのだが、聞いてもらえるか?」
「どうぞ」
羽地大佐は改まって、的矢に提案を語った。
「本気ですか?」
「割と本気だ。東南アジアで同じ手を使ったことがある。君と同じく、現場時代だったころにね。その時には問題なく使えた。もちろん、ダンジョンで同じて手が使える保障はない。だが、地球上の大地から水が消える可能性と、ちょっとした日曜大工で済む可能性を比較すれば後者が安全じゃないかね?」
「分かりました。降参です。それでその装備は?」
「すぐに運ばせる。大丈夫だ。ダンジョンが再構成される前には間に合わせる」
「頼みます、大佐」
的矢が敬礼を送ると羽地大佐はさっそく準備に取り掛かった。
「大佐はアイス・エイトを?」
「いいや。戦車を調達してくれるらしい」
「戦車?」
「トラクターだよ」
第二次世界大戦前夜ドイツはソ連領にてヴェルサイユ条約で禁止されていた戦車を開発するために、トラクターという名目で戦車を開発した。
だが、今回は本物のトラクターだ。
小形の園芸趣味の人間が使うトラクターが持ち込まれる。それを工兵たちが小型UGVと回線を接続するなどして無人で操作できるようにする。後はカメラを取り付けて完成。
「どうだね。現代の戦車は」
「立派なものです。オーストリアぐらいは併合できそうですね」
「まあ、とりあえずこれで頑張ってみてくれ。これでダメならアイス・エイトの投入も考える。そのためにアイス・エイトは持ってきたのだからね」
「了解」
ブラボー・セルの手伝いもあって、泥沼突破用のUGVが39階層に到着した。
『頑張ってくれ、大尉』
『ああ。ここを突破したらエリアボスにたっぷりお礼をしてやるよ』
北上とそう言葉を交わすと的矢はUGVを進めた。
このUGVには防弾性も防爆性もないが、生意気にも機関銃がついている。それも50口径のライフル弾を使用する重機関銃だ。いざという場合は火力となってくれるだろう。
『アルファ・スリー。振動探知センサーの方はやはりダメか?』
『ああ。人間についているのはダメだね。だけど、マイクロドローンのは有効そうだ』
『オーケー。素早い索敵を頼む』
『了解』
泥沼の中をUGVとマイクロドローンを先頭に進んでいく。
ぼっこと音を立てて泥沼が動く。
『待ち伏せ型だ。予定通りミュート爆薬を使うぞ』
UGVを退避させると、ぱっくり開いた穴に向けてミュート爆薬を投げ込む。
音のない爆発ののちにたくさんの泥と化け物の粘液が撒き散らされる。
ミュート爆薬を使用するのはこの泥のせいで手榴弾では効果が薄れると判断されたからだ。ミュート爆薬なら確実に殺せる。
『迂回路を探せ』
『了解』
ダンジョンのマップに従って泥沼を進む。
『前方、ジャイアントウォーキングツリー。数は3、いや5体』
『スタングレネード』
強襲制圧用スタングレネードが投擲され、泥の上で炸裂する。ジャイアントウォーキングツリーたちが一斉にスタングレネードが炸裂した方を向いてそちらに向かう。
『動きづらいぞ。慎重にやれ』
『分かってるよ、アルファ・リーダー』
足場が沼地でどうにも動きずらい。
そんな中で的矢と信濃はスタンシェルをジャイアントウォーキングツリーに叩き込み、連中の体内における魔石の位置を確認する。そして、陸奥たちが射撃を加える。
的矢も魔石の位置を確認しながら、UGVのリモートタレットを使って、ジャイアントウォーキングツリーを攻撃する。激しく、重々しい銃声が響き、ジャイアントウォーキングツリーは制圧されて行く。
『クリア』
『クリア』
最終的に11体のジャイアントウォーキングツリーを相手にする羽目になったが、何とか一先ずは制圧完了だ。
『次に進むぞ。このまま制圧する』
的矢はそう言い、前進を指示した。
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