日常
「かっらあげ! かっらあげ!」
「へい! へい!」
夏本番の日差しから守られた一軒家のキッチンは熱気に溢れていた。
から揚げコールを背中に受けながら菜箸を動かす男。梶野宮土筆は二度揚げ前のから揚げを油切り用の格子のあるバッドに移す。
大柄な背丈にやや太り気味の体にはヒヨコがプリントされたエプロンが巻かれ、から揚げを移すたびにひょこひょこと揺れる。
土筆の後ろからテンション爆上げで、から揚げコールをするのは二人の女性。
一人は中二女子であり土筆よりは低いものの、クラスでは一番の背丈を誇る梶野宮笑美。
クラスのムードメーカーという地位を明るさと、自虐ボケ発言で確立した残念女子である。
もう一人は天然の長い金髪を靡かせた樽体型。愛嬌ある丸顔には汗をかきながらも「へい! へい!」と合いの手を入れ、ヲタ芸を繰り返す。
女性の名はトクベリカ。年齢不詳の居候であり、梶野宮家の母であるラッテリアの自称妹である。
そのキッチンをリビングから呆れた顔で見る末弟の輝。笑美との双子であり身長以外はそっくりな顔立ち。活発な姉とは違い、静かに土筆や笑美の後ろに隠れる梶野宮家の癒し系である。
最後に紹介するのは梶野宮家の御隣に住む佐藤美土里。クラスでの立ち位置は笑美へのツッコミ。将来二人で漫才師になるという笑美の夢をどうにか変えようと日々努力するメガネっ子である。
笑美と輝の幼馴染であり佐藤家と梶野宮家は家族ぐるみの付き合いがある。両親が共働きなこともあり、安心して一人娘を預けることができる梶野宮家で夕方まで過ごすのが日課になっているのだ。
「あっじみ! あっじみ!」
「へい! へい!」
からあげコールから味見コールへ変わるキッチン。その声を無視するように二度揚げへ移行する。
ワカメ多めの卵スープに胡麻ドレッシングで和えたツナサラダがダイニングテーブルに並び、さっくりと揚がった鳥のから揚げが山積みになり中央へ鎮座する。
中華鍋が熱せられ投入されたニンニクの香りが立ち上る。
溶き卵を投入しパラパラになるようヘラでコメを中華鍋に押し付けそして煽る。
煽る煽る煽る。
角切りチャーシューと長ネギ投入しひたすら煽る。
醤油を鍋肌に回し入れ止めに煽る。
「これこれ! このニンニクでむせ返るような、これぞ中華の香り!」
「焦がし醤油の香りきたー」
爆上がりのテンションに任せて踊る二人。トクベリカに至っては汗だくである。
「そこの二人はキッチンで踊らない! あっちに座って静かに待つ!」
リビングをオタマで差し暑苦しい二人をキッチンから遠ざけようとする土筆に対し、二人はその場で敬礼。チャーハンコールを合わせながらリビングへ。
リビングのソファーで寛いでいた美土里と輝はお互いの通知表を見せ合い課題の計画中だったが、近づいてくるカラアゲコールに手が止まる。
「ネエチャンいいもん持ってんじゃねぇか」
「オヤビン任せてくだせぇ。ほれ手に持ったもんを寄こしな」
汗だくの悪者二人に抵抗せず持っていた通知表を差し出す。
二人は知っているのだ。ここで抵抗するとこのコントが長くなるだけだと……
「美土里の通知表は英語以外に個性を感じないわね」
「英語で2を取るのがもったいない。もっと日常会話に英語をインしてトークキングでエブリシングだよ。オーケー?」
「輝は理科と英語と社会が5とは、よくやったわ! あとでお姉ちゃんがハグしてあげよう」
そこ言葉が耳に入り身を遠ざけ眉間にしわを寄せる輝。
汗だく樽体型女子のハグは罰ゲームでしかないだろうと、口が裂けても言えない末っ子。
「数学も現国も、まだまだ伸び代がありますねぇ。ポテンシャルはもっとあるはず頑張れ輝!」
輝と美土里の通知表を勝手に開き好きかって話し合う汗だく金髪と残念女子。
「体育以外の教科全部に伸び代ある姉ちゃんに言われたくないよ……」
「輝は気にしない。平均4なんてすごいことよ。それにほら備考に書いてあるじゃない。笑美に勉強を教えてあげてほしいって……」
あきれ顔の二人が見る通知表。それはアヒルの大行列の如く整列する2。体育の評価だけ5であることに対して、それも2ならパーフェクトなのにと思う笑美は、まさに残念女子であった。
通知表をイジリ終えた二人の興味はダイニングテーブルに鎮座する昼食へと変わっていく。
「からあげですねぇ」
「からあげは揚げたてが美味しいのよね」
「からあげのポテンシャルは計り知れないですねぇ」
「サックリした衣の中にある肉汁が、こう口の中に広がるとね」
視線をから揚げからお互いの瞳へと視線を移し、目を合わせ静かに頷く。
静かに手を伸ばす二人。
楊枝を装備する。
目指す先は積み上がったから揚げの頂上。
ゆっくりと手を伸ばし目標を見定める。
から揚げまでの距離が数ミリ。
音を立てる掛け時計。
針が十二時を指し、楊枝もから揚げを指し……
「あっ、兄ちゃん! 金髪濡れニートと平均2がつまみぐっふ」
密告者が現れ、一瞬のうちに身を拘束。
体重を生かしソファーに座っていた輝を押さえ付けた金髪濡れニート。
手を口へと伸ばし塞ぎにかかる平均2。
じっとりとした汗の感触に不快感を覚えるが、樽体型が圧し掛かればそれどころではない。
助けを呼ぼうと口を開けばふごふごとしか声が出せない。
笑美が口を押さえているのだ。
犯行現場を見ながらゆっくりとソファーから距離を取る美土里。
誰しも巻き添えにはなりたくないものである。
必死にもがく輝。
抱きしめ放さないトクベリカ。
口をふさぎ、鼻おも塞ごうか悩む笑美。
トイレに立とうとする美土里。
そして事態が動き出す。
トクベリカの樽ン樽ンの腕から輝の引き締まった右腕がヌルリと抜けたのだ。
引き抜くように抜けた右手はそのまま助走をつけるかの如く下がり、トクベリカの顔を押し返す。
水を浴びたかのごとく濡れる顔は輝の右手をヌルリと受け流す。
もう一度。
力いっぱい押す輝。
向かい受けるトクベリカの顔。
力の入った右手はトクベリカの顔を捉え……
「ヘブピャー」
奇声を発し飛び退くほどの一撃を与えた。
人差し指と中指には渾身の一撃を与えた副産物が残され、鼻を押さえフローリングを転がるトクベリカを指差し笑う笑美の夏服スカートで拭う輝。
ひとしきり転がったトクベリカは鼻血が出てないか確認し輝を指差した。
「そんな乱暴に育てた覚えはないわよ!」
「育てられてない!」
お約束のやり取りをする二人。
「育てたのは僕ですけどね」
大皿に山盛りのチャーハンを抱え会話に参加する土筆。
両親の職業柄家を空けることが多く、小学生の頃から家事を手伝う。十九歳になる今では梶野宮家の家事を一手に引き受ける母親的存在なのである。
「ほら、みんなも手を洗ってきて」
輝拘束事件に参加しなかった美土里は手を洗い土筆の登場前に席へと着いていた。
「トクさんはシャワー浴びたほうがよさそうですが……」
「大丈夫よ。この後出かけてまた汗かくしさ」
「輝と笑美は先に食べ終わったほうからシャワーな」
チャーハンをテーブルに置きながら汗だくの三人に指示を出す。
「はい!」「チャーハン!」「カラアゲ!」
元気の良い返事はひとつだが洗面所へと去る双子。
「カラアゲ!」と返事をしたトクベリカは、左手に楊枝を持つ。察した土筆はチャーハンに添えようと持っていた大きなスプーンで楊枝を撃退しようと身構えた。
美土里はそっと席を立つ。
美土里は知っているのだ。関わると碌なことがないと……
静寂が支配したダイニングではテーブルを挟み、お互いが視線を合わせ死闘の幕開けを予感させる。
動いたトクベリカは楊枝の持つ右手を高く上げ左手を下げる。その構えは鶴を連想させた。
ゆっくりと大きなスプーンを正眼に構えた土筆。別に剣道をやっていたわけではない。
「あれは伝説の胡蝶の舞! 対する兄ちゃんは近代剣術だ!」
手洗いを終えた二人が戻ると笑美は解説をはじめ、輝は美土里の横へ行き成り行きを見守る。
美土里は思う。
みんな手洗いから帰ってきたのだから、食べ始めればいいのに……
トクベリカが動く。右手の楊枝で数度のフェイントを入れた後、頂上に鎮座するから揚げ。
土筆は弾く。トクベリカがフェイントを入れつつも、視線が捉えていた頂上のから揚げを守るべく大型スプーンの曲面を使い上へと楊枝を弾く。
「トクベリカ選手のフェイントを全て見切る兄ちゃん選手。どう思いますか? 解説の輝さん」
「やはりここ数年でついてきた腹周りの贅肉がスピードを殺しているのでしょう? て、何言わすんだよ!」
耳まで真っ赤に染めながらもノリツッコミをする輝。
笑美はなおも実況を続ける。
「おっと、ここで楊枝の二刀流!? スピードを手数でカバーする気か! 攻める! 攻める! トクベリカ選手が交互に出す突きをしのぐ兄ちゃん選しゅぅぅぅぅ! 兄ちゃん選手の鉄壁の守りぃぃぃぃぃっ! から揚げには届かなうぃぃぃぃぃっ!」
お互いを見つめ肩で息をしあう二人。
「昔は、味見してトク姉ちゃんと、持ってくるほどっ、可愛かったのに。今じゃ口うるさい小姑のよう! 見た目だって熊かっ! 無駄に大きくなりやがって! 熊かっ!」
息を整えながら叫ぶトクベリカ。
ここにいる誰しもが思っただろう。
「お前は豚か!」と……
「熊と豚の攻防は激しさを増すのか!? 解説の美土里さんどう思いますか?」
「うぇっ、私!? 土筆さんもトクベリカさんも、いい大人なにの何をやっていのだろうか? とか?」
自分には来ないと思っていた解説役を急に振られ驚くも、至極真っ当な意見で返す美土里。
正論である。
そんな正論を年下に言われた恥ずかしさと、ノリ良く乗ってしまったことへの後悔を咳払いで誤魔化しつつ、
「手が洗えたなら食べ……」
土筆の言葉で昼食が始まるかと思っていた実況と解説者二名。しかし、トクベリカが動いた。
右手に持っていた楊枝を指で弾いたのだ。
皆の眼がその楊枝の軌道を追い、あさっての方向へ飛ぶ。
陽動とは敵の注意を引き誤認させ任務を実行する作戦行動である。
左手に持った楊枝は真っ直ぐにから揚げの山を目指す。
土筆はまだ持っていた大きなスプーンで迎撃しようと迎え撃つ構えを見せる。
が、楊枝はまたも宙を舞った。
土筆が防いだのではなくトクベリカがスプーンに触れる前に指で弾いたのだ。
二本持っていた楊枝を指で弾いたトクベリカ。手持ちの武器がなくなればこの無駄な攻防も終わると誰もが思っただろう。
そう、トクベリカ以外。
席に着こうと歩み出す三人の中二は驚愕する。
楊枝を持たない右手がから揚げへ伸びたのだ。
完全に不意を突かれたが、持っていた盾役が大きなスプーンということもあり、リーチの長さが如実に表れる。
トクベリカの大蛇のごとき腕よりもタッチの差でから揚げの前に差し込まれた大きなスプーン。
大蛇がスプーンを飲み込んだ。
ぷっくりした右手でスプーンを力いっぱい握りしめるトクベリカ。
土筆も右手で応戦する。
力が均衡するがゆっくりとバランスが崩壊する。
先に悲鳴を上げたのは戦う両者ではなく大きなスプーンであった。少しずつ柄の部分が曲がり始めたのだ。三人のギャラリー中で、この変化にいち早く気が付いた笑美は実況を再開する。
「スプーンが曲がるっ! まがぁーーーるっ! テーブルを挟む攻防はクライマックス! クライマックス!? クライマックス? 解説の輝さんどう思いますか? 私は長年思うのです。カラアゲはフライ? これはフライマックス?」
「姉ちゃんの頭が残念なのはわかってたけど、あっ」
テーブルを挟んだ攻防は思いもよらぬ形で決着を迎えることとなる。
冷房の効いたダイニングに木霊する着信音に反応する持主のトクベリカ。
反応したと同時に手を離しバランスを崩す土筆をよそに、テーブル端にあるスマートフォンを手に取り確認する。
急に止まれない土筆は力を入れていた左前へと体が流される。が、眼下には先ほど気合を入れて作った昼食中華が広がる。
このままではテーブルダイブは免れない。
力いっぱい体を捻りテーブル外へ逃れようとする土筆。
「このままダイブかっ!」
実況する笑美は残念であった。
必死の抵抗虚しくよりバランスを崩す。
から揚げの山へダイブする直前、土筆は浮遊感を感じた直後、衝撃が体を走り床に伏せていた。
「トク姉ちゃん何、いまのっ!」
実況も忘れ興奮する笑美。
バランスを崩した土筆がまるで誰かに投げられたかのようだったのだ。それこそ透明人間に一本背負いされたかのように進路を変えて。
視線の先にはスマートフォン片手に両腕を大きく広げ片足立ちの珍妙なポーズでキメ顔をするトクベリカ。
「ふふふっ、私が数多く日本で会得した秘儀の中でもトップクラスの秘儀! アルティメット空気投げデトックスよ!」
「おおおおおおっ!」
尊敬の眼差しを向ける笑美に対し、輝と美土里は先ほどの奇妙な現象には触れず席に着く。
「明らかに触れてなかった……」
「トクベリカさんがデトックスしたほうが……」
そんな感想を小声でもらす二人。
「トク姉ちゃんはもしかして魔法使い? 大魔道士? 詐欺師?」
「笑美、いい女には秘密があるのよ。覚えておきなさい」
珍妙なポーズをゆっくりと戻し語るトクベリカは、左手でから揚げの山を鷲掴む。
「あっ!」
輝と美土里の驚きが重なる。
「時間がないのよ! もぐ、私の分は取って置いてね! もぐ、行ってくるわ!」
片手に持つ揚げをひとつずつ食べながら走り去るトクベリカ。
「流石トク姉ちゃん! いい女は時間を無駄にしないんだ!」
「頼むからトクさんみたいに育つなよ……」
ゆっくりと立ち上がる土筆の小さな願いだった。
お読み頂き、ありがとうございます。
こっちはちゃんと終わりまで書き続けたい……
あっちも気が向いたら更新するかもしれませんが、旧PCがコーヒー飲んでデータが……
気持ちを新たに頑張ります。