─9─
僕が呆然とその様子を見ていると、
背後からパタパタという足音が、
こちらに向けて駆けてくる音がした。
僕が咄嗟に振り向くとそこは誰もいない通路だった。
ふと下から視線を感じ目線を下げると、
そこには僕の横で立ち止まり、
不思議そうに僕を見上げる幼女がいた。
僕はその幼児の顔を見て愕然とした。
その少女は先ほど僕が座席の下から助け出した、
首なし幼女だったのだ。
幼女は不思議そうに僕をじっと見つめていた。
まるで異物を見つめるように。
『リリちゃん、廊下は駆けないで下さい』
通路からこれまた先ほどあった看護師が、
こちらに向かって歩いて来ていた。
首の取れたこの子を治療すると言って、
車イスで連れていた看護師。
僕は夢を見ているのだろうか?
それとも治療が成功して、
首の取れた幼女が生き返ったとでも?
幼女は看護師を確認するとチラリとこちらを見てから、
看護師から逃げるように再び駆けて行った。
『待って下さいリリちゃん』
子供が連結車両の扉の前まで行った時、扉が開き
後ろの車両から女性が1人こちらに入ってきた。
『リリちゃん!どこ言ってたの!?』
すぐにその女性は幼女を叱るように話しかけていた。
『ママ見て』
幼女は何事もなかったように窓の外を指差していた。
─生命の原初に浮かぶ命─
『お魚』
『仕方ない子ね』
女性は苦笑すると、
一緒に窓の向こう側の深世界を眺めていた。
その時、唐突に車内アナウンスが流れだした。
【ただいまより深海特急オクトパス3000は、
魔の三角海域にさしかかります。
海底遺跡クリスタルピラミッドが眠る海域です。
本船はこれより海底遺跡をご堪能して頂くため、
スピードを40キロまで減速します。
それでは存分に海底遺跡をご堪能下さい】
そのアナウンスが終わると共に、
人がこのガラス張りの通路に集まり出していた。
『皆様ご覧下さい。
車両の向こう側は深淵の深海、
深度マイナス2000メートルの深層世界です』
背後で聞こえた声に振り向くと、
いつの間にか通路に集まった男女に向かって、
看護師が深海ガイドを始めていた。
『このマリンエクスプレスはご存じの通り、
深海に作られた海底チューブの中を進んでいます』
『オクトパスは電車の形状をしていますが、
線路などは無く、動力源は主に帆船に近く、
進んでいると言いましたが流れるプールの様に、
中を流されていると言ったほうがいいかもしれません』
『深海の外温度はおよそ2℃。
水圧は約200kgf/c㎡。
チューブ内の水圧は130kgfです』
『普通水圧は10メートル潜るたびに、
1気圧増えるので水深2000メートルでは、
201khfになりますが大西洋では、
塩分濃度が高いため水圧は上がります。
これは塩分濃度の高い海水は重いためで、
グリーンランド沖で固まって氷が原因です。
氷は真水に近い為、海水が凍るときに、
余分な塩分を排出するためです。
このため大西洋では塩分濃度が、
他の海域より高くなっている為です。
この時冷たく重い塩水は海底に沈み込み、
海流を作っています。
このため大西洋の深海は、
太平洋より若干冷たくなっています。
この海流は約2000年かけて地球を一周します』
『チューブ内の水圧を下げて140lhfにしているのは、
チューブに水圧でかかる重量を下げ、
チューブの耐久性を向上させる為です。
このお陰でチューブにかかる水圧は、
200kgfから約60kgfまで下がっています。
車両にはチューブ内の水圧.約140kgfが、
常にかかっている事になります』
『人が簡単に潰される程の水圧ですがご安心下さい。
このオクトパス3000は、
水圧300kgf/c㎡まで耐えられる
設計になっています』