─6─
狂っている
狂っている
狂っている
そしてふと我にかえり、
急いで近くのWCと書かれた扉を開き中に転げ込むと、
すぐに錠をかけその場に座り込んでいた。
ひんやりした扉に背をつけ思考停止する。
どれくらいそうしてただろうか。
中は薄暗く時間だけが永く流れていた。
ここはどこだ?
何が起こっている?
僕はもしかして、すでに死んでるのか?
答えの無い永劫の深淵の中で、
疑念だけが壊れたようにループしていた。
その時、唐突にどこからか声が聞こえた。
─あなたは誰?─
その声はあまりに唐突で。
空耳かと疑い辺りを見渡す。
便座の奥から再び声がした。
『ここよ』
そこには便座の影に隠れる様に膝を抱え座り込んだ、
1人の少女がいた。
幽霊かと動転しひきつった顔を、
すぐに自制心でどうにか抑え、
悟られないように取り繕う。
「君いつからそこに?」
『あなたより前から』
その答えにようやく先客がいたのだと気がつく。
「なにしてるの?」
彼女は不思議そうに僕を見つめ呟いた。
『オブザべーション』
ここがトイレだった事を思い出す。
配慮のかけた質問を誤魔化す様に、
僕は彼女に再びたずねた。
「電気つけなくて怖くないの?」
『闇を恐れるのは恵まれた人間。
闇の住人は光を恐れる。
知ってる?
タコには9つ脳があるのよ。
それぞれの足に1つづつ。 心臓は3つ 』
その意味が解らず彼女を見つめる。
『隠れているの』
『オクトパスの目が唯一無い場所だから』
「オクトパス?」
『この深海特急の名前』
やっぱりここは深海なのか?
どうやら彼女もここに避難してきたらしい。
『君は何をしてるの?』
そう言った彼女の顔にはどこか見覚えがあった。
「多分、君と同じ」
「君、どこかであった?」
その問いに彼女はしばし僕の顔を見つめると呟いた。
『会ってない。初めて』
それでもじっと見つめる僕に、
彼女は小さく付け加えた。
『私はね』
その声にはどこか既視感があった。
近くて遠い記憶。
その彼方で、その声がリフレインしていた。
─私はね─
─私はね─
─私はね─
『もういいかな』
彼女は諦めたように空を眺め、
塵芥の笑みをたたえ、そう呟いた。
インモラルな瞳の奥に、
それでも拭えない悲しみの色があった。
『ifもし、明日世界が滅ぶとして、
最後の日、あなたがもし、
美女と1日過ごして終われるとしたらどうする?
美女と1日過ごして終わる?
それともあがいて、
答えのない迷路をさ迷う? 』
そう言った彼女は、
自分自身にそう問いただしてるようだった。
僕は無意識に呟いていた。
「今日は去りました。
明日はまだ来てません。
だから進みましょう 」
迷走する彼女の問いに、
自然とそんな言葉が口から漏れていた。
『それは初めて聞く・・・ 』
『それがあなたの選択?』
「いや誰かが、そんな事を言ってたなと思って」
『誰の言葉?』
「わからない」
『わからないの?』
「僕には記憶が無いんだ。
正確にはさっき、
車両で目覚めてからの記憶しかない」
『jane Doe』
彼女は小さくそう呟き続けた。
『 テ レ サ 』
「えっなに?」
『名前』
「えっ?」
『あなたは記憶喪失。
自分の名前がわからない。
だからつけてあげた』
・・・
「ありがとう。
でもテレサはね・・・ 」
『嫌なの?』
「嫌と言うか、ぼく男だからね」
そう言った僕の声は低くこもり室内に響いていた。