また、走る
初投稿となります。
つたない文章でお目汚しになるやもしれませんが、最後まで呼んで頂けると幸いです。
「……よし……いける」
空は快晴、少し肌寒いが走る分には申し分無い天気。
体調を確かめるように一つ小さく気合いを入れ長蛇となった列の最後尾へ。
小規模ながら有力者も集うマラソン大会、俺はそのスタート位置についた。
見上げるとスタートラインは遥か彼方。
かつて自分も混じっていた先頭集団。
そこに立つ者の視線の先にはどこまでもまっすぐに開けた道があり、
スタート直後から自由に走れる喜びを得られる。
それは実力者の証、怪我で実践を離れた自分との遠い距離。
1年のブランクがこんなにもあるのかと嫌でも認識させられる。
「でも……ちゃんと帰ってこれた」
絶望とも思える状況とは裏腹に自然と拳に力が入る、
と同時に周りのざわつきも嘘のようにかき消える。
そして聞こえるのは自分の心音、感じるは己の体温と足に巻いた小さなお守りのぬくもり。
「ありがとな……雫」
送り主に小さく感謝の言葉を述べた矢先その時はやってきた。
『スタート10秒前』
先頭集団が腕時計に手をやりその時を待つ、そして
『パァァーンッ!』
乾いた銃声と共に飛び出す集団、前が動き出すと同時に列はどんどんと前に進み。
「よしっ!行くぞっ!」
それに続くようにスタートラインをまたぎ新たな自分が飛び出していった。
日も落ちかけようとした校庭、沈みゆく影と共に走る、飛ぶ、投げる。
その様子に一喜一憂する人々を羨ましそうに眺めながら俺は今日も一人下校する。
「ふぅ……」
一つため息をつくと視線の先にはちいさな小石。
何気なくたたずむその小石へ向けて足を振り下ろす。
指先に小さな痛みが走る、と同時に飛んでいく小石は自分が元いた居場所へすんなりと入って消えていく。
「なにやってんだか……」
未練なんて無い、そう思ってたのは自分の理性だけなんだろう。
本能はまたあの場所へ、舞台へ行きたいと叫ぶ。
今も笑いながら1分1秒を競い合うみんながいるあのグラウンドへ
だが、それは唐突にうずき出した足の痛みと共にかき消える。
何度も繰り返し感じた感情と痛みはまた俺の心を暗くし
「はぁ……帰るか……」
その感情を引きずりながら今日も帰り道へと重く感じる足を伸ばすのであった。
「あっと、ごめんそれ先に片付けておいて」
先ほどまで使われていたハードルを後輩へと託し私は先輩に頼まれたタオルを届けようと駆け出す。
丁度グラウンドの反対側にいる先輩を捜すように中央をつっきていると、
下校途中の生徒の中にある人物を見つけてしまう。
それは幼なじみにしてお隣さんである一人の男性、
同じ陸上部に所属していた元選手
「雄一……」
今日もトボトボと小さな背中が下校路へと消えていく。
それはあの日、安藤雄一が怪我を負いリハビリから退院してから続いている光景。
陸上で、長距離で眩しいほどに輝いていた雄一の姿とは思えない後ろ姿に、
私の心はズキズキと悲鳴をあげ、苦しめる。
この気持ちを解消するために出来れば今すぐにでも雄一の元へ行って励まし、
一緒にグラウンドへ戻ってこれたら……
幾度も重ねた想い、しかしそれは叶えられずにいた、なぜなら
「まだ私にその勇気がないから……」
誰にも聞こえないように小さく呟き誤魔化すように視線を戻しまた駆け出す。
私高田雫はまた心に嘘をつき最悪な気分でマネージャー業務をこなすのであった。
「ただいま、っと」
暗闇に支配された空間に無言に響く自分の声、
手探りで壁の電球スイッチを探し光を差し込む。
チチチ……特有の少々もの悲しい音と共に明るくてらされた廊下は当然の如く無人、
昔はこの光景が嫌いでランドセルを廊下に投げ捨ててすぐ外に飛び出したっけな、
そんな事を思い出しながらいつも通り台所に向かう。
重苦しいドアを空けた先も当然真っ暗で静かな部屋、
灯りを付けテーブルに目をやるとそこには少し大きめなさらに盛られた食事とメモ用紙があった。
『今日も遅くなります、戸締まりを忘れずに』
女性特有の少し丸みを帯びた文字を流し読みしゴミ箱へと投げ入れる。
そしてふと気づく、炊飯器にスイッチが入っていない事を
「あー……母さんまた入れ忘れか……」
きっちりした性格で何事にも手を抜かない、
でも時々抜けてしまうのが母の唯一の欠点、それが今回は炊飯器とは。
仕方なく中身を確認し、また驚愕した。
「ははっなんだよお米も入ってないじゃん」
今日は大当たりの日だな、心のなかでそう呟きながら乾いた笑いしか出なかった。
しかしこのままでは空腹は満たされる事は当然無く、
仕方なく俺は米研ぎを始めるのだった。
ご飯が炊けるまでの間リビングに設置してあるソファーに身を預け、テレビへと視線を向ける。
今日もキッチリとしたスーツにネクタイ姿の男性と清楚に包まれた女性が
ニュース1つ1つにどうでもいい感想を述べ、年老いた解説者がさらに味付けする。
しかし話の内容は全然頭の中には入ってこず、
心地よいだるさが少しずつ雄一の睡魔を誘う、そして
「はぁはぁはぁ……」
ペースが上がらない、残り5kmを切っているのに。
いつもの俺ならここからギアを一段上げ身体全体を使ったストライドで
一気に追いつき追い越し突き放す。
「くっ、そっ、あっ、がれぇぇぇえっ!」
歯を食いしばり必死に身体を動かすが
いつもより荒い呼吸が焦りに繋がりさらにペースが乱れる。
歩道を併走する部員も声を張り上げ何かを叫んでいるが全然耳に入ってこない。
それどころか歓声や対面を走る自動車、風を切って走る心地よい音ですら聞こえず無音。
視線はしっかりと先頭の選手を捕らえているのにまるで一人で走っているかのように錯覚する世界。
原因は分かっている、試合前に痛めた右足のせいだ。
今では火がついたように熱く地面を踏み込む度に脳を貫かんばかりの激痛が走る。
怪我をした状態で走った事は当然何度となくある、だが今日のそれはいつもとは全く違う。
まるで走ることを問答無用で全否定される暴力的な痛み。
本能を蝕むようにぶつけられ続け次第にストライドが小さくなっていく。
「ちくっしょうがっ……」
絞り出すように放った言葉と共に止まりかけた足を踏み出す。
瞬間膝がガクガクと笑ったと感じたのを最後に俺の意識はそこで消えていき……
「……う、んー……」
嫌な記憶がよみがえった頭をふりテレビへと視線を向ける。
画面にはでかでかと日本列島が映し出され
明日の天気を淡々と告げる男性キャスターの声が流れていた
「明日は……雨か……」
恨めしげに呟きそっと右足へと手を伸ばし、手術痕が残る傷をさする。
今は熱もなく痛みも引いているが、明日は朝から疼きが止まらないだろう。
雨の日は大抵我慢出来る程度の痛みが日中も続く。
雨の日だけではない湿気が高くなっても同様だ。
そして痛覚は身体だけでなく心にも響く。
自分があの頃のように楽しく走る事が出来ないんだと嫌がおうにも思い知らされ憂鬱になる。
「今晩はちゃんと痛み止め飲んで寝ないとな……」
ふと時間を確認すればもうご飯は炊けている時間だ。
ドアの隙間から心地よい香りが空腹を刺激し、
それを合図にいそいそと晩ご飯の準備へと取りかかるのであった。
「雫せんぱーいお先でーす」
「はーい気をつけてねー」
元気のよい後輩を見送り一人残った部室で部員の今日の記録を整理する。
みんなの日々の頑張りを明確な数字で実感出来るマネージャーの仕事は、
私にとってとてもやりがいがあり喜びでもある。
1つ1つの結果をしっかりと記録しているかチェックし修正し追記し
「よし、今日もみんなお疲れさま」
努力がいっぱい詰まったノートへ今日も感謝の意を表し部室に備え付けられた記録棚へとしまう。
そしてふと、視線が捕らえたのは1冊のノート。
『2年 安藤雄一 長距離記録』
見慣れた私の文字に導かれるようにそっと手を伸ばしパラパラと自然に中身が開かれていく
『2月18日 10km 32分42秒30』
雄一特有のちょっと角張った文字で淡々と書かれた日付とタイムが
1枚毎にぎっしりと敷き詰められている。
『今日のタイムは過去最高っ!やったねっ!』
『↑まだまだ全国的にも遅いのでダメダメ』
クスリと自然に笑みがこぼれる。
あの頃は雄一のタイム記録だけで一喜一憂していた私
タイムが伸びれば嬉々としてノートにコメントし、
逆に伸び悩んでる時は私なりのアドバイスで励ましていた。
そして、そのコメントにもめんどうながら答えてくれていた雄一が
「きっと私は……」
呟きと共に開かれたのは白紙。
ゆっくりと一枚めくっても白紙。
ずっとずっと白紙のページが続いていく。
あの大会以降走る事が出来なくなった雄一。
病院の見舞いに行ってもまるで抜け殻のように私の声に応えてくれることは無かった。
そんな雄一を見るのが辛くて切なくて週に2、3度の見舞いは次第に回数は減り、
マネージャーの仕事を理由に足が向かうことは無くなってしまった。
そんな矢先だった、退院した雄一がその足で最初に向かったこの部室で
顧問と共に退部を発表したのは
『待ってよっ!雄一っ!』
『雫……ごめんな、見舞いありがとな、後は頑張れよ……』
去り際に声をかけた時、返って来た言葉は弱々しくだけど悔しそうであった。
だから余計にそれ以上声がかけらず見送ってしまった。
今思えばあの時もっと声をかけていれば、もっと見舞いにいってあげてれば、
そう思うと自然と頬に伝うものがあふれ出す。
「もっと、もっと私に出来る事あったはずなのに……」
ノートを握る手に力がこもる。
グッと引き寄せられた先に後悔だけが残った涙が垂れ、塗らしそうになる。
それに気づき慌てて頬をぬぐっていると唐突に部室のドアが開いた。
「ふわっ!」
「どあっ!なんだなんだっ!」
ガチャリッと聞き慣れた音なのに驚愕し、私自身意味不明な叫びを上げる。
それに驚きドアを開けた男性が後ろに飛び退くが私の顔を見て少しため息をつきながら
「高田さん……灯りが付いてると思えばまた君か」
「あっ……すいません、上田先生」
陸上部の顧問であり指導者でもある上田先生は体育教師とは思えない程の童顔で私を叱る。
ちなみに身長も私達高校生女子の平均身長と変わらないくらいなので
叱られても威厳がなさ過ぎる事で校内では有名だ。
しかしどことなく諭される感じが今の子達にあっているのか
自ら叱られに行く生徒がいるほどファンが多かったりする。
なので私も上田先生の話にはいつも素直に従っているのだが
「こないだも話したのに……今の時期は暗くなるのも早いから記録管理は時間区切ってやれっていったのに」
「あー……すいませんなんだか集中してたらこんな時間に」
チラリと時計へ視線を向けると時刻は既に19時を過ぎていた。
どうりで外も真っ暗になっている訳だ。
「でも徒歩で通えるほど私の家近いですから」
「そうだとしても高田さんは女子高生なんだから」
怒っているのにどことなく可愛く見えてしまう上田先生に心の中で謝罪しながら
背を向けそっと手元のノートをばれないように棚に戻す。
ついでに頬をもう一度制服の袖でぬぐいくるりと反転、上田先生へと告げる。
「それでは高田雫、お先しまーす」
「はいはい、気をつけて帰るんだよ」
部室内に用事があるのか上田先生は私の横を素通りし、と不意に
「あー、そうだ高田さんちょっと頼まれてもいいかな?」
「はい、私でよければ」
なんだか歯切れが悪い様子で呼び止められる。
本当ならそのことに疑問も持つべきだったのだが、
反射的に応えた事を後に後悔する。
「えーと、安藤君に明日放課後僕の所に来るように伝えてくれないかな?」
バツが悪そうに要請する様子に多分先生も気づいているのだろう、
私と雄一がギクシャクしていることに。
私は昔からよく雄一と一緒に行動する事が多かった。
それこそ小学生時代は夫婦とからかわれたりするほどに。
中学時代からは多少は減ったがそれも家がお隣同士だし昔からの幼なじみだからという理由で
周囲にも認知されていた。
でも、最近は雄一の姿が私には苦痛でしか無く
雄一が帰宅部になった事もあり次第に一緒にいる事がほぼ無くなってしまった。
だからこれ幸いと接点を出来るだけ作らずにいたのだが
「……分かりました、メールで連絡でもいいですか?」
「あぁ構わないよ、助かる」
包み隠さずホッとする先生の姿にクスリと笑みがこぼれ心の中で応援したくなる。
これからも先生や顧問として頑張って欲しいと思えるほどに。
「それでは今度こそお先です」
だけどそれを見透かされるのもなんとなく嫌だった私は
いそいそとその場を後にするのだった。
夕食後、風呂を終え自室に戻った俺はここ最近の日課になった勉強に勤しんでいた。
「……数ヶ月前なら親が居ないのを幸いにすぐ走りに行って雫に怒られてたっけ」
小さな頃から走る事が大好きだった。
風を切りながら聞こえる音、歩く時とは違って早く移りゆく景色がすごく魅力的で
暇があれば一人で町中を駆け回っていた。
みんなが嫌がるマラソン大会も前日は楽しみで寝付けないほどだった。
中学生になってもそれは変わらず自然な流れで陸上部に、
だがそこにはただただ楽しく走るだけでは終わらない世界があった。
競い合う事、競技として走る事をそこで覚えた。
と同時に先頭で誰よりも早く見る景色と音に魅了されていった。
しかし世界は、この小さな地域だけでも甘くはなかった。
俺自身誰よりも速く走る自信はあった。
それは陸上部内でも長距離なら誰よりも速いタイムを叩き出していたからだ。
でも実際はもっと速いやつが沢山いた。
そうなれば自然と先頭を走る事が出来なくなる。
同時に魅了された景色は色あせ、音が消え、走る事が苦痛になり始めていた。
そんな時だった、雫が、世話焼きな隣人の幼なじみが言ってくれた一言で
俺はまた楽しく走れるようになったのは
「雄一はさ、どんな時でも、例え先頭を追いかけてる最中でも楽しそうに嬉しそうに走ってるよね」
夕焼けに照らされ微笑む雫の表情はとてもきれいでまるで女神のようだった。
そんな雫から放たれた言葉は、部活の友人達にさえ言われた事がない。
「そんな表情してる時の雄一ってね、キラキラしててとても眩しくてね……例えビリっけつでもとても格好いいんだよ?」
まるで自分の事のように嬉しそうに話す雫にその時の俺は
「なに言ってんだよ、バカかって笑い返してたっけなぁ……」
思い出す度自然と笑みが止まらなくなる、自分の子供っぽさに。
それから俺はまた走る喜びが復活し伸び悩んでいたタイムも徐々に改善されていった。
それでもなんとか地域のトップランカーへ食らいつける程度だが
「それでも……あいつが救ってくれたんだよな……」
色あせていた景色も音も息を吹き返したかのように復活し、
例え先頭に立っていなくても楽しく走れるようになった。
それでも先頭の景色は格別なのだが。
少し固まった身体をほぐすように椅子の背もたれに身体を預けながら天上へ顔を上げる。
頭をクリアにしようとゆっくり、静かに瞳を閉じると
いつものように退部の日の光景が浮かび上がる。
悲痛な声で俺を呼び止め理由を聞きたがる雫の姿が……
『ピンポーン』
遠慮がちな音と共に室内に木霊するベルの音
時刻を確認すると20時過ぎ、親が帰るにはまだ早すぎる時間だが
「……親ならインターホン鳴らす事も無い……」
いいつつ自分の母親を思い出す、そうだ今日は大当たりの日だ、と。
鍵を職場に置き忘れた可能性だってある。
そんな事を考えていると再びベルの音が木霊し
「ハイハイ、今行きますよー」
一人愚痴るように言葉を溢しながら玄関へと向かうのだった。
「……こんばんわ、雄一……」
そこには意外な人物が待っていた。
先ほどまで記憶で思い描いていた雫、だが明るく微笑えんでくれた彼女とは違う。
伏し目がちに視線を落としなるべく俺をみないようにしながら居心地悪そうに立っていた。
「えっと……どうしたこんな時間に」
過去を振り返っていた最中、思い浮かべた人物が目の前に表れた事に内心動揺し、
同時に不安を覚えていた。
あの日、俺が部活を退部してから雫とはまともに話していない。
それだけにどんな言葉が投げかけられるのか、
正直すぐにドアを閉め逃げ出したい気持ちにも駆られたがなんとか平然を装い言葉を促した。
「あのね、明日上田先生が放課後に来てくれって」
「上田先生が……」
俺の呟きにチラリと雫の視線が上がる。
上田先生は退部後もなにかと俺を気遣ってくれていた。
先生の手伝いに駆り出される度色々と話をした、時にはまた走らないかと誘ってくれた。
だが、俺はその都度断り先生も察してくれてるのかそれ以上食い下がる事もなかったのだが
「あーまあわざわざありがとな、メールでもよかったのに」
「……うん……」
そしてまた伏し目がちになった雫、正直俺もかける言葉が見つからずその場に立ち尽くす
「その……みんな元気にやってるか?あっ後輩のマネージャーもだいぶ役立つようになったんじゃないか?」
俺が怪我をする少し前に突発的にマネージャーとして入部した子。
なんでも雫のグラウンドでの立ち回りに憧れ1ヶ月ほどストーキングし完璧に仕事を覚えて来たとか。
よくよく考えればその1ヶ月で十分仕事を学べたはずなのだが……
そんなちょっと要領が悪そうな子だったが、
雫はとても嬉しそうにその後輩の話してくれた事もあったのを思い出し話題にあげてみた。
「うん……五月ちゃんはいい子だよ……しっかりやってくれて私も助かってる……」
「そ……っか」
簡潔に当たり障りのない答えが帰ってくるとまた沈黙に戻ってしまった。
その五月って子になぜか俺は会った事無いんだけどな、
と冗談めかして言ってもよかったのだがとてもそんな雰囲気ではなかった。
そんな時だった、視線の片隅で雫が小さく握り拳を作っているのに気づく。
そして勢いよく顔を上げ俺を見据える。
何か決意が籠もったまなざしに少々気圧されるが
「あ、あのねっ!雄一っ!」
「お、おう……」
グイっと身体を密着させ下から突き上げるように顔がせまった。
きれいな顔立ちに大きめな瞳、その奧に何かを宿しながら。
しかし言葉はそこで途切れてしまう
「……やっぱりごめん、なんでもない……」
「あっおい……」
急に背を向け一人来た道へと戻る雫、
それを引き留めようと小さく声を上げるが、雫は振り返る事無くそのまま自宅へと帰っていく。
まるで俺が退部したあの日を逆にしたような光景。
「あー……もうなんだかなー……」
「やっぱり……聞けないよ……」
つい数時間前の光景を思い浮かべながら大好きな熊のぬいぐるみを抱え一人ベットの上で溢す、
帰宅前に行った雄一の家、
玄関から見える雄一の部屋だけ電気が付いており彼が居ることは分かっていた。
と同時に無性に雄一の顔を見たくなり、
悩んだ末に直接上田先生の頼み事を伝える事に。
だが期待していたその姿は当然無かった。
学校で見る雄一よりは元気そうに最初は見えた。
でも、私の姿を見るなり驚愕と気まずさが入り混じった表情を見逃さなかった。
「やっぱり……私のせいだからかな……」
急激な脱力感にそのままベットに横たわる。
適度に効いたスプリングによる反動でポスッと心地よい音を立て私を優しく包み込んでくれる。
そのぬくもりを感じながらゆっくりと瞳を閉じていく。
あの日、あの時をを思い浮かべるように……
「よしっ!今日こそ、今日……こそ」
ギュッと両手で握りしめ今一度想いを込める。
部活が休みの試験期間中、友人宅での勉強会から帰る途中に見つけた小さな神社。
なぜか引き寄せられるように社をくぐった先で見つけた小さなお守り。
「祈願……成就?」
お守りとしては珍しい気がする文字に引き寄せられると、
社務所に立つ同い年くらいの巫女さんが柔らかく微笑みながら
「巾着の中にお札が入ってるんですよ、それに御願い事を書いて入れておくと願いが叶う、かもしれません」
冗談めかして説明してくれる。
「あの、こういうのって大抵『大願成就』とかじゃないんですか?」
私の問いかけに巫女さんは小さく声を上げながら笑い
「神主様がちょっと変わってらしてね」
嘘か誠か、またまた冗談めかして説明してくれた。
でもなんだか惹かれるものを感じた私はいつの間にやら財布を取り出し購入。
「ご利益がありますように」
この巫女さんに言われるとほんとにありそう、
そんな感想を抱きながら丁寧に袋に詰められたお守りを受け取る。
そしてちょっと気恥ずかしさの中に心地よい暖かさを感じながらその日は帰宅した。
その後、勉強そっちのけでお守りの文面を考えて
「だから今度こそちゃんと渡さないと」
次の日から幾度もあったチャンスを悉く逃し渡しそびれていたお守りを今日こそ、スタート前に
「せーんぱいっ♪」
「わひゃぁぁああっ!」
唐突に背中からギュッと抱きしめられ驚きで悲鳴を上げる。
その様子にも動じずさらに強めながら私の頬へと手を伸ばす。
「あーもう先輩は可愛いですねー、早く私のお嫁さんに……」
「ちょっと五月ちゃんっ!やめなさいっ!」
こんな悪戯するのは誰か、頭の中で思い浮かぶのは一人しかいない。
だから、その人物の名前を叫びながら抱きしめる腕を引き離し距離を取る。
「もう……五月ちゃんはいつもいつも」
「にしし、ごめんなさい先輩」
誠意が全くこもってない笑顔で謝罪する後輩。
普通ならカチンときてもおかしくない状況なのだが、
この子の持っている天性の素質なのだろう
「はーもうしょうがないんだから」
「うん♪だから先輩大好きです♪」
なんとも言えないその笑顔にほだされて許してしまう。
全く私も甘いなーと思いつつも悪い気分じゃない事に心地よくなる。
だがそれも一瞬、めざとく見つける後輩はやっぱり苦手な相手だった。
「あー先輩それまだ渡せてないんですかー」
「えっ!……う、ん……」
手に持ったお守りを見つけられ咄嗟に後ろに隠す。
もじもじと自分でやってても恥ずかしく思える仕草に
五月ちゃんはニヤニヤしながら私を観察、本当に恥ずかしい。
暫くこの時間が続くのかなと思ったが、それは唐突に終わる。
いつもなら奇声をあげながらさらに抱きついてくるのだが今日は来ない。
その違いに違和感を覚え落としていた視線を上げると、
五月ちゃんがぶつぶつ独り言を放つ姿、
そして諦め気味に意外な助け船を出してくれる。
「まー時間もないですし、安藤先輩ならさっき一人で木陰に行くって言ってましたよ、今がチャンスですよー」
そう言いながら指先でチョイチョイとその場所を示してくれる。
ここからではよく見えないが多分探せばいるのだろう。
「ほ、ほんと?分かった行ってみるっ!」
「はいはい、スタートまで時間ないですし他の事は私が準備しておきますから」
グイグイと背中を押され早くしろと促してくれる。
その行為にお礼を言いつつ私は雄一の元へと駆け出すのだった。
小さな公園の奧にちょっとした木陰、
そこが五月ちゃんが教えてくれた場所、
果たしてそこには雄一がいた。
木の根元に腰を下ろし静かに瞳を閉じている。
おそらく集中力を高めているのだろう微動だにしない姿はまるで眠っているかのよう。
暫くそのきれいな光景を瞳に焼き付けたく私もただただ佇み眺めていた。
時間にして30秒も経ってない頃、
乱すのも悪いと感じ始め戻ろうと背を向けた時だった。
そう、私がすぐにその場を後にしてれば、きっと大事にはならない出来事が……
「…んー?雫か?」
「えっ?」
不意に呼びかけられた声に反射的に振り返る。
だが見えた雄一の姿は斜め、世界も斜め。
この時私は足がもつれたことにも気づかずそのまま倒れそうになっていた。
そしてそれに気づいた雄一は咄嗟に手を伸ばし私を抱き留めようとして
「あぐっ!」
「えっ!」
雄一が身体を支えてくれた瞬間悲鳴にも似た声が発せられそのまま二人倒れ込む。
私は抱きかかえられるように守られたが雄一は
「雄一っ!大丈夫っ!」
急いで飛び退き倒れたままの雄一へと視線を向ける。
その雄一はしかし笑っていた、額に汗をにじませながら。
「あー大丈夫大丈夫、何ともないない」
まるで心配をかけないように起き上がり微笑む。
「ちょっとすりむいたかな、絆創膏でももらってくるわ」
そして私へ心配するなと応えるような満面の笑み、
でもこの時の私には分かっていたあの笑顔は雄一の本当の笑顔ではない事に。
「待ってっ!なら私が絆創膏取ってくるからっ!」
「いいって、お前もスタート準備で忙しいだろ一人でいってくらー」
陽気な声でそう言うと強引に駆け出す、
このまま行かせたらダメだ、私の心が告げる。
しかし、それは叶わぬ願いだった。
止めようと伸ばす私の手からするりとお守りが落ちる。
そちらに気を取られているうちに雄一の後ろ姿は彼方に消え
「……そして、雄一は……」
ゆっくりと瞳を開けると光りが灯された天上。
そのまま眠ろうかと少し悩んだがもそもそとベットのぬくもりから抜け出し机へと向かう。
私の大切なものをしまっている引き出しを引くと今でもそこに眠るひとつのお守り
『祈願成就』
その言葉に私は無性に悲しくなりまた一人すすり泣く夜を送るのだった。
「失礼しまーす」
少し控えめな声と共にドアをスライドさせ中を見渡す。
部活をやめてから久しく来ていない職員室ではあったが変わることない空間であった。
連なったデスクの上には書類の数々、
それに悠然と立ち向かう教職員の後ろを邪魔にならないように素通りしながら
俺は呼び出された先生の元へと近づく。
当の先生は背中を向け誰かと話をしているようだが、
「あっ来たね」
女性徒が俺に気づき先生へと指摘してくれたのだろう
こちらへ椅子ごと回転しながらニッコリと笑顔で呼びかけてくれる。
「ども、上田先生」
俺はいつも通りの挨拶で応え、チラリと女性徒を見るが
彼女は気にした風もなく上田先生に挨拶してその場を後にする。
「ごめんね、急な呼び出しで」
「あぁ、いえ大丈夫っす」
「ん?あぁ、彼女なら大丈夫だよ、話はもう終わってたし」
俺の視線に気づいたのかこちらが聞こうと思っていた事を先に言われてしまう。
流石に勘はいいなと感心する俺を尻目にのほほんと束になったプリント軽く整理し立ち上がる。
「さて、じゃあここじゃなんだしちょっと場所変えて話そうか」
「………………」
気になる、非常に気になる。
私は上田先生が雄一を呼び出す理由で今日一日もんもんとしていた。
忘れようとしても片隅からすぐに飛び出し、頭の中を支配する。
おかげで今日一日の授業ノートはほぼ白紙で終わってしまった。
「はー……今日は雨で助かった……」
こんな状態ではマネージャー業務どころかタイムすらも計り忘れかねない。
だが本日は雨のためグラウンドが使えない、
そのため部活自体は中止、各個人で必要な者は自主練習へとメニューが切り替わった。
恵みの雨とはこの事だなとつくづく思いながらシトシトと降りしきる雨に感謝する。
「あっいたいたせんぱーい」
机に頬杖をつきながらこの後どうしようかと悩んでいると
人懐っこい声とともに部活の後輩が早足で私の元へと飛び込んでくる。
「五月ちゃん、どうしたの?今日は部活は中止でっ!」
「急ぎますよっ!もう始まっちゃうっ!」
いきなり右手を鷲掴みにしたと思ったらすごい勢いで私を椅子から立ち上がらせそのまま駆け出す。
まるでアニメのように私の足は宙を踊りそのまま教室を後にするのだった。
「えっとそれでお話とは」
職員室を後にした俺と上田先生は珍しいところで立ち止まった。
進路指導室、主に3年生が今後の進路について先生と相談する際に使う部屋だが、
この学校ではそれ以外の用途でも度々使われている。
部屋の構成がとにかく狭いため中央に対面式の机が一つ、
それと小さなロッカーと進路指導で使うファイルなどが詰まった棚があるだけ。
そのため生徒と先生が1対1で話し合う場合にも用いられる部屋であった。
部屋へ入ると当然の様に対面で座り俺から本題を促していた。
1対1で話す必要があるその内容を。
「そうだね……この場合は単刀直入に言った方がいいかな」
どこかもったいぶるような態度ででもその瞳は真剣に俺から何かを問いただそうとしていた。
「安藤君、また一緒に走らないかな?」
「……上田先生、その話はありがたいですけど、俺にはもう無理です」
以前と同じ答えを俺はいつも通り伏し目がちにしながら答える。
その様子に小さく息を吐き、先生は1つの封筒を俺の前に差し出した。
「これは……」
先生はなにも答えずジッと俺を見つめている。
自分で確かめなさい、そう言われている気がした。
ならば、と恐る恐る俺はその封筒を開け中身を確認する。
そこには1枚の用紙が入っていた。
「診断……書?」
果たしてそこには1枚の薄っぺらい、だけど重要な書類が入っていた。
「……な、んで……?」
五月ちゃんに連れてこられたのは進路指導室のすぐ隣の空き教室。
普段から使われおらずほとんど物置と化しているその教室へ押し込まれると
いきなり耳にイヤホンを押しつけられ集中するよう促された。
普段から鍵がかかっているこの教室をどうやって
さらにこのイヤホンはなんなのか問いただそうとするが、
五月ちゃんから静かにとのお達しに仕方なくイヤホンの音に集中する。
『安藤君、また一緒に走らないかい?』
聞こえて来た声に驚愕する、
それはまさしく上田先生の声そして、
『……上田先生、その話はありがたいですけど、俺にはもう無理です』
朝から悩まされていた原因でもある雄一の声。
そう、それは上田先生と雄一との会話であった。
驚きに声を出しそうになるが慌てて口元を抑え目で五月ちゃんへ目で抗議をするが、
「黙って聞いててくださいっ!」
耳元に小さくだけど迫力ある声で私の意見を一蹴する。
仕方なくそのまま会話を聞いていると
『診断……書?』
ドクンッ、と鼓動が1つ、嫌になるほど大きくそして力強く。
恐怖が、不安が、つま先から一気に脳天まで遡ってくる。
ガクガクと自分でも分かるほどに肩が震え止まらない。
怖い、怖い、怖い、聞くのが怖い。
私のせいで、もしかしなくとも私のせいで雄一はやはり永遠に走れなくなったのではないか。
その通知なのではないか、と。
心が嫌だと叫ぶ、脳が聞きたくないと拒絶する。
耳からイヤホンを引き抜こうと震える手をあげ、そして
「先輩、大丈夫ですから、信じて」
そこには五月ちゃんの手があった。
信じられないほどの暖かさで私の手をそっと両手で包んでくれている。
いつの間にか目からはポロポロと涙が出ている私を
まるで慈しむかのように優しく微笑んでくれている。
その姿に私は安心感を覚え自然と震えも止まりイヤホンへの集中も高まっていく。
すると、そこには意外な言葉が発せられていた。
「スポーツ的なランニングの可能性も……十分可能……」
それは驚きでしかなかった。
あの日、怪我をした日、俺は近場の病院へ緊急搬送されそのまま手術を受けた。
結果、大事には至らなかったがそこでの医師の判断は
「残念ですがリハビリ後も、走る事……ましてやスポーツなどは難しいでしょう」
残酷な通知だった。俺の唯一で絶対だった走りが出来なくなる。
目の前の世界が全て意味をなさないものになった気がした。
その後暫く入院、その際には雫はもちろんのこと部活の友人も見舞いに来てくれたが、
絶望へと落とされて俺はみんなの好意を疎ましくまた走り続けられる彼らを妬ましくも思った。
だから見舞いに来てくれたみんなには沈黙を貫いていた。
怪我が癒えそのまま入院しながらのリハビリも走れないならと
あまりやる気は起きなかったがなんとか歩く程度まで回復した。
その後も病院に通い診断とリハビリを続けてもらっているが
「こんな……診断は……無かった……」
驚きと戸惑いで身体が震える。
それは喜びによるものだったのかもしれない。
カタカタと膝が揺れ、足が小刻みに動き、
それに釣られるように顔が震え、頬に冷たいものが流れ落ちていく。
そんな俺の様子とは対照的に目を閉じ下を向いていた先生は
ゆっくりと息を吐きながら顔を上げ柔らかな笑顔で俺へと告げる。
「セカンドオピニオン、は知っていますか?」
言葉だけは聞いたことがあった。
確か、病院の診断結果による治療が適切かを他の病院にも確認し意見を求める方法だ。
俺の無言を肯定と取ったのか先生は話を進める。
「実は……僕の友人にスポーツ医学を嗜んでいる人がいてね、その人に頼んで有名な先生に安藤君の診断書と治療経過をみてもらったんだよ」
初耳だった。
先生はそんな事までやっていてくれてたなんて
「でも……俺の診断書なんて……どうやって」
未だに驚きが絶えない状態でなんとか頭に浮かんだ疑問をぶつける。
基本的に診断書は本人でない限り病院から引き出す事は出来ないはずだが
その答えは極々単純なものだった
「もちろん安藤君の親御さんに頭を下げて、ね」
「な、んで……」
そこまでしてくれるんだ、と声に出す前に涙で遮られる。
クシャクシャになっているであろう俺の顔を気にする風もなく照れながら先生は言葉を続けた。
「まぁ、僕は安藤君の部活の指導者でもありますからね、これくらいは当然ですよ」
あっけらかんと、全然そんなの問題ではないと。
この先生はそう言ってくれていた。
今までまた走る事を誘われても断る事しかできなかった自分。
ふて腐れて遠くから眺める事しかできなっかった自分がものすごく恥ずかしい。
絶望することしか俺には出来なかったのに先生は、
いわば赤の他人の俺よりも走る事、走れる方法を探してくれていた。
その事だけでも感謝してもしたりないのに見つける事まで
「先生……本当に……ありがとうございますっ!」
震えていた足に力を込め一気に席を立つと、
俺は頭をしっかりと下げ先生へ謝罪と感謝を込めた礼をしていた。
「あぁぁ、ちょっと待ってっ!でもちゃんと診てもらわないと100%走れるとは言い切れないからっ!」
俺のお辞儀に慌てふためきながら先生が否定的な意見も付け加えるが、それでも俺は嬉しかった。
それは雨が止みドス黒い雲の隙間から太陽の光が差すような希望だから。
それに後押しされるように流れていた涙を止め俺は今一度先生へと顔を上げる。
今止み始めた空のように夕暮れ前の一時の青空のような笑顔で
「でも、それでも、本当に嬉しかったからっ!」
俺は自然とそう答えていた。
「よかった……本当によかったよ……」
顔は既に涙でクシャクシャ、
それでも止まらずに流れ続けている状態で私は本心からの言葉をはき出していた。
その様子を静かに見ていた五月ちゃんは不意に私のイヤホンへと手を伸ばし
「あっ……」
ポンッと小気味よい音を立てて抜いてくれる。
しかし中では二人が話している最中でありまだ続きがあるようだったが
「先輩、答えは自分で聞かないとフェアじゃない、ですよね?」
いつもの悪戯をした時の笑顔、にししと小さく呟きながら言ったその言葉を私は瞬時に理解した。
「……うん、そうだよね……私も逃げてちゃダメだ……」
流れていた涙が自然と止まり私も一つの決意を決める。
そう、お守りの時と一緒だ、
何度も何度も何度も逃したチャンスを今度は、今度こそはちゃんと捕まえて
「ちゃんと雄一の口から聞いて、ちゃんとけじめ、つけなきゃね」
詳しいことは後日また相談という事で上田先生と別れた俺はいつもの下校路へと向かっていた。
普段ならどんよりとした気持ちで帰る場所も希望が満ちていると違って見えてくるもので
「痛っ!」
だが無情にも現実へと戻される、この走るような痛みはまた俺に暗い影を落とす。
『ただ1つ不安要素として突発的な痛みですが、それは解消される可能性は極めて低いとの話です』
上田先生から先に注意された重大な事。
おそらくこの痛みは例え走れるようになっても消えず、
場合によってはランニング中にも突発的に起こり得る。
それだけは覚悟しておいて欲しい、と。
「でも、走れる代償がそれなら……軽いっよなっ!」
今までの自分ならこの痛みで再び暗闇へと落ちていただろう。
しかし少しでも希望が見えた俺にはこの痛みこそ走るための糧になる、
そう感じられるようになっていた。
「ん?誰だろ?」
痛みを堪えながら歩き始めて数分、それは唐突に鳴ったメール音。
苦痛を和らげる意味でも丁度良いと思った俺は足を止めメールの内容を確認する。
『今日時間あれば会いたいけど、どうかな?』
簡潔に書かれた内容と差出人に少し躊躇したが
『いいよ、時間はどうする?』
こちらも簡潔に内容を送信し、スマホをしまおうとした矢先
『なら20時頃にそっち行くね』
「……ったく俺がすぐ返信したからいいものを……」
なぜか笑顔が止まらない顔で痛む足を引っ張り帰宅するのだった。
時間だ。
暗闇に浮かぶ大きめな家の前で私は律儀に時間を待っていた。
「今から雄一に会う……」
そう思うと心臓がバクバクと高鳴る
落ち着かせるよう胸に手を当て大きく息を吸い、吐き出し
よしっ!小さなかけ声を上げ顔を上げると、そこには雄一の姿が
「って、雄一っ?!」
「おう」
ヒラヒラと手を挙げて立っていた。
突然の登場に私は先ほど以上に鼓動が早まり落ち着きが無くなる。
「あぅあぅ、なんで……」
明らかに不審者っぽくなっている私を落ち着かせるように
自然に私の頭に手を当て雄一が促してくれる。
「まぁ、ここじゃなんだし、ちょっと歩きながら話すか」
暗い夜道を二人で歩く。
ロマンチックな状況とはほど遠い、
なぜなら私は雄一の背中を見ながら後ろから付いて来ているだけだから。
『でも、やっぱりなんだか雄一戻った感じがする』
先ほどの一連のやり取りで見た雄一は
少なくとも私に嫌悪感を抱いてる感じではなかった。
むしろ昔の、昔から一緒に笑いながらお話に付き合ってくれた頃のように、
優しく聞いてくれた顔だった、気がした。
それは私にとってとても嬉しい事であり、不安な事でもあった。
今から私が聞こうとする事、その返答次第ではこの関係は永遠の終わりを告げる事になるかもしれない。
それは嫌だ、嫌だけど、このままの関係が続くのはもっと嫌だしダメだ。
もう私の心に嘘はつけないし、きっちりとけじめつけないと。
そう決心し私は雄一へと問いかけるのだった。
「あのさ、雄一」
雫からかけられ声に足を止め後ろへ振り返る。
そこには地面をジッと見つめながらしかし何かを決心したかのような、
そう、昨日俺の家の前で何かを聞こうとしていた雫の姿があった。
ギュッと握られた両手に力を込め懸命に何かを絞り出すように視線を上げ俺に問いかけてきた。
「雄一の怪我、あの大会の怪我ってやっぱり私の……」
そこで雫の言葉が詰まる、その先を俺が促してもよかったが、
ただじっとその場で静かに立つことで雫の勇気を引き上げた。
「私の……せい……だったのかな……」
何かを恐れるように怖がるように、それでもなんとかはき出して、
雫がずっと抱えていた闇が今やっと言葉となって出てきた。
声としてはか細く弱弱しかったものの、雫の精一杯の勇気に俺は上田先生の言葉を思い出す。
『それと安藤君、苦しんでいるのは君だけではないんですよ』
あの時の先生は今までで一番恐ろしい顔をしていた気がする。
いつもは童顔のせいで怒ってもどこか可愛らしく愛着があるのだが、
あの時の顔にはその面影はまったく無くまるで般若のようであった。
『分かっていると思いますけど高田さんはずっと苦しんでいます、貴方の怪我が自分のせいではないか、と』
言われなくても分かっていた。
だから雫は何も答えてくれない俺を避け、その苦しみから逃れようとしていたんだ。
だけど、それは俺も同じだった。
雫にもう俺の走る姿を見せられない、
それはあんなに嬉しそうに、それこそキラキラと輝いた笑顔で俺の話をしてくれる雫にもう会えない。
そう思うと自然と雫に会うのをためらう自分が出来ていた。
俺はあの笑顔を永遠に失ったと同時に奪ってしまったんだ、と。
自覚させられるのが怖かったのだ、恐ろしかったのだ。
だから、
『だから、二人でキチンと話をつけて下さいね』
「分かってますよ、上田先生」
小さく呟きながら俺は弱々しく震える雫をそっと抱きしめた。
「ふぇっ!」
それは唐突だった。
私の精一杯の問いかけに無言で佇んでいた雄一が何かを呟くと同時に私を抱きしめていた。
『なんでっ!どうしてっ!?』
頭の中が真っ白になり何も考えられなくなる、が、
なんとか先ほどまでの状況を確認する。
私の言葉に当初無言だった雄一、その永遠ともいえる間に私は最悪なシナリオを想定していた。
このままお別れかな、と覚悟もしていた。
だから雄一にはバレないようにうつむき必死に涙を堪え言葉を待っていたら
「あのな、雫」
「ふぁいっ!」
自分でもなんと間抜けな返事をしてしまったのか、そう思っていると
「確かにあの大会の怪我は、お前を助けた時に負った怪我が原因でもあるんだ」
「あっ……」
やっぱり、そうなんだ、心の中で認めたくなかった事、
私のせいで雄一の一番を奪ってしまったんだと自覚させられ自然と涙があふれ出す。
だが、雄一はそんな私に気づかずさらに言葉を続ける。
「でもそれだけじゃないんだ、俺が無理して走ったせいでもあるんだ」
何かを反省するように、謝罪するように雄一も苦しみながら話している、そんな風に聞こえた。
「怪我したまま走った結果悪化して走れなくなった、だからこれは完全に俺のせいなんだ」
「そんな……ちが……」
私が否定しようとすると抱きしめる雄一の手に力がこもる
「違わないんだ、俺が悪いんだよ、そのせいでお前まで辛く悲しい思いをさせてしまったんだから」
そしてゆっくりと抱きしめる力を弱め雄一の手が私の肩へと伸びていく。
「だからお前はなにも悪くないし、謝ることはなにもない」
腕を伸ばし離された身体、雄一のぬくもりが遠ざかる。
でもそれ以上のものが私の前にあり涙が止まらなかった。
「だからさ、また前みたいに笑って過ごそうや」
そこにはいつもの輝くような雄一の笑顔、
とてもとても長い年月をかけて出会えた時のような感動が心を支配し、
その喜びで私の顔はクシャクシャになっていくのだった。
「うぅぅぅ……雄一のばか、ばかばか、ばかばかばか」
あの後暫く大声で泣き続けてた雫、
流石に路上でまずいと感じた俺は雫を背負い自宅へと戻っていた。
俺の精一杯の謝罪と願いを終えて暫く立つのだが、
未だに泣き止まない雫を慰めようと
「あーもしもし雫さん?そろそろですねー」
「うるさい、ばか」
そう言って涙と鼻水まみれのティッシュを投げつけてくる。
かなりタチが悪い状況だ。
「お前いい加減にだな……」
諦め半分に提案すると、雫はやっと落ち着いたのか目頭に涙を溜めつつ聞いてくる。
「それで、走るためのリハビリはいつからでどれくらいなの?」
「あーそれはまだ決まってなくて後日……」
そこまで言ってふと疑問に感じる。
雫にはまだ俺が走れる可能性がある事を話した覚えがないのだが
「うるさい、ばか」
くるりと視線を向けて問いただそうとした瞬間またグシャグシャティッシュが顔面を直撃した。
まだ何も言ってないのにまるで言わせないかのような反応。
それを機に疑問は一度破棄する事に決めた俺は雫へと一つ提案しようとするが
「まぁだから、詳しいことは分からないしまだ走れるようになるかは分からないんだが」
「違うっ!走れるようになるのっ!」
まるでだだっ子のように否定され話が遮られるため全く進まない。
どうしたもんかと悩み始めた時、雫の方から思わぬ行動が飛び出した。
「じゃあ、とりあえずこれあげるから、それと約束」
「ちょ、また唐突だな、で約束って」
雫の手から放たれたのは『祈願成就』と書かれた小さなお守り、
それを受け取ったのをしっかり確認した雫はなぜかもじもじしながら約束を告げる
「……そのお守りはね痛いのによく効くお守りだから今日から手術痕に巻いておくこと、それとリハビリは私も手伝うからちゃんと日程とメニューを教えること」
視線を泳がせながら確認を取る雫。
その様子はまるで小動物のようで少しからかいたくなり
「痛みにねー、祈願成就なのに?」
「そうなのっ!私がそう書いたからきっとそうなるのっ!」
自分の発言にしまった、と気づいたのだろう、顔を赤らめてうつむいてしまう雫。
その姿に大笑いしてやろうかとも思ったが、まあここまでにしておこう。
俺は心の中でそう締めくくりながら
「そうだな、なら御利益あるだろうなきっと、だからリハビリもしっかり手伝ってくれると助かるよ」
「あっ……うん♪」
満面の笑みで答えてくれる雫、
それはとても眩しく輝いた、俺が見たかった笑顔だったのは言うまでもなかった
その後、雄一は上田先生と共に新たな病院で診断し
結果また昔のように走れる可能性が少なからずあることが分かった。
たが、そのためのリハビリは過酷なもので
雄一の苦しむ姿を幾度となく私は目撃しその都度応援をしていた。
そして私にも問題が無かった訳ではない。
雄一のリハビリに付き合う際にどうしても陸上部のマネージャー業務がおろそかになる事。
しかし、それも可愛い、もとい、ちょっと意地悪な後輩が
「にしし、先輩は気にせず安藤先輩へ鞭打ちに行って下さい」
と、全面的にバックアップしてくれた。
五月ちゃんは私の元気が無いこと、苦痛に思っていることを初めから見抜いていた。
だから、そのことを予め上田先生に相談しあの日盗聴まがいな事をしてくれた、と後日語ってくれた。
「先輩はね、私の憧れで大切な人ですから♪」
人懐っこい笑顔全開でさも当然の如く。
そんな後輩に私はとても感謝しまた泣いていたっけ。
「その後のプロポーズが無ければ最高だったのにな……」
冗談……とは思えないほど真剣に告白されたので正直心が揺れたのはここだけの話。
五月ちゃんだけでは無い、
上田先生はもちろん、部活のみんなも雄一のためならと快く私をリハビリへと向かわせてくれた。
時には様子を見にきてくれた事あり、その都度雄一は勇気と元気をもらったと話していた。
『あれからみんなでずっと頑張った、だから今日はきっと……』
私はゴールでじっとただ祈るようにその時を待った。
ドリンク補給の部員は雄一が好調そうに走ってるのを確認している。
順位こそ全体で真ん中辺りだが復帰戦とは思えない良いペースとの話もあった。
その言葉を信じひたすら待っている。
既に先頭集団組は次々とゴールしており、表彰式の準備を執り行っている。
マラソン大会とは言えいつまでも道路を封鎖し続ける事は出来ない、
そのためこのゴールも一定時間が経てば撤去が開始されるし、
中間地点も封鎖されそこで止められれば終了となってしまう。
幸い今のところ雄一の途中リタイアの知らせはないので最後まで走ってはいるようだが。
「ここもそろそろ終わっちゃうよ……雄一……」
それほど余裕が残っているわけではない。
ペース的にはもう着いてもおかしくないタイムを出していただけに遅れは焦りと不安を増幅させる。
「もしかしてまた…」
そう思った矢先だった角を曲がって最後の直線に入ってくる選手に目を奪われる。
「あっ……雄一っ!」
辛そうにだけどどこか楽しそうに駆けるその足は若干ストライドが小さく
ラストスパートと呼ぶには弱々しい走り。
でも懸命に誰よりもゴールを目指す姿勢と私が憧れた笑顔は健在だった。
「雄一っ!ラストっ!」
あの日、あの時出来なかった事、また後悔しないようにと心が走る。
精一杯の声で、今私が出来る全力を雄一にぶつけることで。
そして雄一もそれに応えるようにチラリとこちらに視線を送り、
まるで最後まで楽しむように走る走る走る。
この日この場所に戻ってくるための練習とリハビリの成果を全部出すかのように、
最後まで自分の想いと走りを出し切るように、そして
「雄一っ!」
「ははっ!」
私と雄一はここからまた新たに走り出しいく。
それはそれは長い長い道のりでも、きっと二人で、走り抜けるために。
如何でしたでしょうか?
ちょっとでも心に何かを感じて頂けたら書いたかいがあります、ありがとうございました。
何も感じなかったら…それは私の小説がまだまだですので全然問題ありません、
後書きまで呼んで頂きありがとうございました。