第6話 第1編 科学の厄災 06:紅い目
定期更新日の間に異例となる追加の更新日に投稿いたしました。
理由は、この第6話が文字が少なめだったため、執筆に余裕ができたためです。
それでは、お楽しみください。
第6話 文字数:5460
突然、竜兵は目が覚めた。コンクリートが完全に剥がれ落ち、曲がった鉄骨や割れた配管などが視界に入る。天国にしては、あまりにひどい風景だ。
上半身を起こすと、容易に周囲の様子がわかった。崩れた天井、外とつながる穴の空いた壁、そして、コンクリート片の山――。
(俺は生きてるのか?)
起き上がってまず気になったのは、血液でべっとりしたシャツである。
衝撃波により、全身の骨格や筋肉が大きな損傷を受けたはずだ。先ほどは全身から血を流して指先1つ動かせない状態だったが、今は関節にも筋肉にも異常はない。出血も完全に止まっているどころか、手で頭部や腹を直接触ったところ、傷跡すら残っていない。
(どうなってるんだ? コンクリートを簡単に粉砕する衝撃波をまともにくらったのは、間違いなんだけどな……)
だが、考えるのは後にしておく。今は、兎にも角にも、春海の救助が最優先だ。
竜兵は血に染まった長袖Tシャツを脱いで、すぐ隣の衣料品売場から適当な半袖Tシャツを手に入れて着用する。そして、春海が下敷きになっているコンクリートの山を見た。
だが、今日で何度目かの銃声が、このフロアから聞こえて来た。
銃声だけでなく、爆発音もする。しばらくして、竜兵のいる場所からやや離れたフロアの中央に、3体の人影が下の階から出現した。遠目に見ると、2体は今まで見てきたのと同じ、紫と白を基調にした改造人間だ。もう1体は、全身を紺色の服装で包み、硬質のプロテクターで保護している。さらにヘルメットで、頭から顔や首まですっぽりと覆い、顔は黒いシールドで隠され人相が見えない。そして背中には、『警視庁』の白い文字が印刷されている。警察関係者だろうか。
竜兵のいる端から、ちょうどフロア中央の戦いをよく見ることができる。自動小銃を持つテロリストの改造人間は、銃撃で警察の隊員を牽制し、壁際に走る。警察の隊員も拳銃で応戦するが、テロリストは活動をやめる素振りを全く見せない。
そして、警察官に、コンクリートも破壊する例の衝撃波が向けられた。強烈な破裂音がする。人体が一撃でバラバラになりそうな威力だ。
その警察官は、床に伏せるようにして衝撃波をかわしたが、完全には避けきれなかったらしく、ヘルメットにひびが入り、顔面シールドが砕け落ちた。
壊れたヘルメットが脱ぎ捨てられる。その中から現れた顔に、竜兵は釘づけになった。
その人物の素顔は、形と構造は女性そのものだ。二つ結びの三つ編みのせいか、やや幼い印象を受ける。だが、他の要素が普通の人間と全く違う。肌と髪の色は、ブラックホールとでも形容したくなるほど艶の無い黒色だ。その真っ黒な顔の中でひと際目立つのが、鮮血のような真っ赤な瞳――。
(あの黒い外見と紅い目は、俺と同じじゃないか!)
いつかの強盗犯、柄の悪い2人組の言っていたことは本当だった。警察の改造人間は、黒い肌に紅い瞳をしている。そしてそれは、竜兵の変身後の姿と極めて似ている。
素早くフロアの外側へ移動する2人のテロリストを、警視庁の文字を背負う彼女が追う。激しい動きで二つ結びの三つ編みが暴れている。
3人の様子から、どうもテロリストの2体が、建物の外に逃げようとしていることがわかる。テロリストたちはもう1度、衝撃波を放ち、建物の壁に穴を空けてそこから2人が飛び出す。警察側の彼女は、銃撃しながらそれを追いかける。
(えっ、浮いたぞ!)
彼女が単に飛び跳ねたのかと思ったが、違う。彼女の体は綿のようにふわりと空中に浮かび上がったのだ。そして滑らかに前方に進み、空いた穴から胴体を出す。
竜兵は、すぐに彼女の所に駆け寄った。どこかに行ってしまう前に、春海の救助を頼まなければならない。
「待ってくれ! こっちに下敷きになった人間がいるんだ!」
駆けつけた竜兵に、彼女は少しだけ疑念を含む目を向けた。そしてすぐに銃をしまい、床に両足で着地し、腰の無線機に手をかけた。竜兵は、それでも言葉を続けた。
「あなた、改造人間なんでしょ。救助を手伝ってください! 友人がコンクリの下敷きになってるんです。こっちのトイレの前!」
彼女は竜兵に向かって頷きながら、無線で2階の被害状況とトイレで救助活動を行う旨を素早く伝えた。
「わかりました。あそこですね。あなたは、フロア中央で、他の隊員を待ってください」
落ち着いた、はっきりと響く力強い女性の声。子供っぽい顔と竜兵よりもずっと低い身長という彼女の外観とのギャップに、竜兵は少々面食らってしまった。
「いや、俺も何か――」
「一般人は、退避行動に専念して、ここは私たちに任せてください」
彼女は凛として竜兵に命令した。
それでもと竜兵が反論しようとした矢先に、自分の足元の床が陥没した。コンクリートが沈み、竜兵は腰まで床の中に埋まってしまった。足や尻に、床を支えていた鉄骨が当たる。戦闘の影響で、建物自体がだいぶ脆くなっていたらしい。
「危険ですから、すぐに退避を」
確かに――穴にはまって心の中で納得していると、フロア中央から、数人の足音が聞こえてくる。竜兵は首だけ回し、何とかその姿を見ようとする。
やってきたのは、グレー基調の都市型迷彩が施された二足歩行ロボット――ではなく、頭からつま先までの全身を強化プラスチックのような素材で覆うパワードスーツを着用した2人組と、普通の救急隊員2人の、合計4人だった。前者の2人は、自動小銃も持っている。
(今度は、パワードスーツ部隊か。あのテロリストの言ってた通りだな)
パワードスーツの2人は、一見すると完全な二足歩行のロボットに見える。だが、声や仕草にあまりにも人間味溢れていたので、外骨格の中に人間がいるのだろうと竜兵はすぐに考えた。
竜兵は自力で陥没した穴から這い出た。救急隊員は竜兵の状態を心配したが、竜兵は大丈夫だと言って押し切った。
それから警察側の3人――改造人間の1人とパワードスーツの2人――は、人間の力では到底持ち上げられないはずのコンクリート片を片付け、がれきの下から春海の体を引き出し、担架に乗せた。全身から血を流している春海がとても痛々しい。
(春海、助かってくれよ!)
竜兵は、春海の付き添いとして救急車に同乗することになった。春海と竜兵を乗せた救急車は、都内の警察病院に直行した。
春海は病院到着後すぐに、救急患者専用の出入口からストレッチャーで搬送されていった。竜兵は病院の看護師に引き渡され、適当な病室で待機を命じられた。竜兵を救急車に同乗させたのは、念のため病院で怪我の有無等をチェックするためだったらしい。
病室に放り込まれた竜兵は、まず汚れたTシャツから病衣に着替え、トイレに行って顔と首から固まった血を洗い流した。
それから1時間後くらいに、竜兵の病室に医師が検査にやってきた。検査と言っても、竜兵に外傷が全く見当たらないということで、口頭で身体に異常が無いかの確認だけされて検査は終了した。
医師の帰り際、竜兵は尋ねた。
『春海は、助かるんですか? どうなんですか?』
『何とも言えないが、明日死んでもおかしくない重体だ。仮に助かったとしても、脳が圧迫された関係で、障害が残るだろう』
医者は、沈痛そうな表情で答えた。春海は、瀕死の状態のようだ。
竜兵自身は、命の別状のない状態で、ぴんぴんとしている。心配ない。だから、今は春海のことしか考えられない。どうにかして春海を助けたい、何か手は無いものか。
(改造人間か……)
病室のベッドに腰かけながら、あのテロリストが言っていた言葉を、竜兵は思い出した。
『その技術を使えば、命を救えたり、障害を治癒できる人間が、大勢いるのに』
病室の扉をノックする音がした。竜兵が何か反応する前に扉が開き、3人の人物がぞろぞろと入って来た。
1人目は――。
「また会ったな、黒山くん」
背が高くて肩幅の広い体格と七三分けの頭、それと一見厳しそうでも時折柔和な表情を見せつけるその顔に、見覚えがある。
「刑事さん。中原さんでしたっけ? どうしてここに?」
「それはもちろん、事件の聞き取り調査のためだ。それとこちらが、私の上司の――」
「井出口です。よろしく! 僕と中原は、警視庁でテロ対策を担当しているんだ」
中原に紹介を受けた男性が警察のIDを示した。
井出口信彦――警視庁所属の警視。こちらの男性は、中原以上に愛想が良くて、とっつきやすい感じがする。中肉中背の特別特徴の無い体格にびしっと決まったスーツ姿は、警察官ではなくやり手の営業マンに見える。年齢は中原共々、30歳前後という感じだ。
残りの1人は、若い女性だ。若いというか、少し幼い。身長はかなり低く、おそらくは150センチにも満たない。卵型の顔に、頭の両端できつく結んだ二つ結びの三つ編み。
(ん、この人は……!)
デパートでテロリストと撃ち合っていた、警察側の改造人間がそこにいた。しかし今は、全く普通の姿をしている。瞳の色も、一般的な日本人に多いダークブラウンだ。彼女のみ、一言も自己紹介が無かった。そしてさきほどから、大きな瞳でじっと竜兵を見つめている。
「君のその紅い目は、怪我をしているわけじゃないんだな?」
中原の問いを、竜兵は肯定した。生まれつきだと。
「それじゃあ早速だけど、僕と中原で色々質問をしようと思う。黒山くんの答えられる範囲でいいから、協力してくれるかな?」
竜兵は頷いた。
井出口ら3人はベッドの傍の椅子に腰かけ、主に中原と井出口が竜兵への聞き取り調査を進めた。
竜兵は、ざっくりと遭遇した出来事を言葉にして報告した。ただし、テロリストから話を聞いたことや、自分が頭を銃で撃たれたにも関わらず生きていることは、話す気が起こらず、その部分だけ黙っておいた。
「君のいう改造人間――我々警察は『轟』と呼んでいるが、その数を、できるだけ正確に教えてくれないか」
轟とは、彼らの発する例のとてつもない衝撃波から即席でつけられた呼称だそうだ。
井出口の要望に応えて、竜兵は自分が見たテロリストの改造人間1人1人について、個別の特徴を交えながら人数を教えた。
「なるほど。ありがとう」
「あの、井出口さん。春海は……春海は、どうなってるんですか?」
我慢できずに、こちらから尋ねた。先ほど医師から直接聞いたのに、竜兵は井出口たちにも同じ質問を繰り出した。純粋な質問というよりも、竜兵は医者とは別の言葉を、無意識に求めているのかもしれない。
問われた井出口は、中原と共に視線を伏せた。何から話そうか、迷っているようだ。
「教えてください。はっきりと、客観的な情報を知りたいんです」
「……正直、虫の息だ。全身を強打して圧迫され、生きているのが不思議なくらいなんだ。我々も手を尽くしているが、現状は良くない」
良くない――つまり、回復の見込みは厳しいということか。
井出口は、竜兵を病室から連れ出した。竜兵は、スリッパを履いて彼について行く。
中原と女性は、留守番なのか、病室の椅子に座ったままでいるようだ。そして竜兵は、やたらとその女性の視線を感じながら、いったん病室を離れた。
『あなた、改造人間なんでしょ――』
黒山竜兵は、確かにそう言った。目の前の異形人を咄嗟に形容するために「改造人間」という言葉を使ったのではなく、改造人間とは何たるかを知った上で、自分のことを改造人間だと捉えたことが、口調から考えられる。
(彼が改造人間の存在を知っているのは、なぜ?)
最も可能性が高いのは、あのテロリストから知識を吹き込まれたパターンだ。あの組織は、未来の信者や潜在的支持者を増やすために、将来有望な若者を中心に、意図的に自らの目的や日本政府の「真実」を伝えることがある。
それともう1つ、気になることがある。黒山竜兵の真紅の瞳。あれは自分が変身したときの目の色と全く同じだ。
具体的には、メラニン色素が完全に欠けて動脈血の鮮やかな赤い色が透けて見える色。人間を含む動物には、アルビノという色素を欠乏した個体が稀に生まれることがあり、その中でも特に白い個体は瞳が赤色になる。だが、瞳の部分のみ色素が欠ける個体など、聞いたことが無い。
「ついさっきのことだが――」
中原が、こちらを向いた。
「竹石春海の父親が、娘を自分の病院で引き取りたいと申し出てきた」
「父とはつまり、清海さんのお父さんになりますね」
それついては、都内有数の総合病院の院長先生を務めていると前々から聞いている。
「娘はこっちで面倒をみるから、早く移送してくれと、かなり強い調子で病院に乗り込んできたらしい」
太田は、「強い調子」という部分を強調した。
「娘を自分の手で診たいという気持ちはわかる。だが、様子が変だった。改造人間につながるような集団が、接触したのかもしれない」
うちなら治療できる、無能な役所や、そこにおんぶに抱っこの使えない医療従事者とは違う――改造人間や生体兵器を製造しようとする集団の、抱き込み工作でよくある手段だ。
「確固たる理由がなければ、重体の患者をわざわざ車に乗せて移送するようなことを、院長たる医者が求めるはずありません」
「ああ。不審なところがあったから、地元の所轄署長と公安部のエリート課長に来てもらって説得し、お引き取り願った」
「そうですか――」
改造人間の技術を望む人間は、大勢いる。しかし、それは人間が手にしてはいけない、禁断の術だ。人類が築き上げて来た生命観や倫理観を、根本から覆す恐れさえある。だからこうして日本政府は、その存在の秘匿に全力を尽くすのだ。どんなに自分たちが他者から嫌われようとも。