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第2話 第1編 科学の厄災 02:偶然

2話目の投稿です。

最初は1話あたり7000~1万文字くらいまでになりそうです。

よろしくお願いします。

東京23区のはずれにある高級住宅街。先ほどまで竜兵がいたのが新興の高級住宅街だとすると、ここは明治に基礎ができた伝統ある住宅街だ。その中でも群を抜いて大きいのが、竜兵が戻るべき家である。

 竜兵は、無我夢中で地下鉄の駅に駆け込み、電車に乗った。そして気が付くと、降りるべき駅を3つも乗り過ごしていた。しゃれにならないほど動揺しているのだなと自分でわかった。今でも心臓が、爆発しそうなほど鼓動している。駅を乗り過ごすだけで済んだが、道路に飛び出して車に牽かれたり、駅のホームで線路に落っこちたりしたら大変だった。

 自宅の最寄駅で電車を降りる。竜兵の早足なら15分程度で着く道を、今日は25分以上かけてゆっくりと歩いて帰ることにする。家に帰るまでに、なるべく心と頭を落ち着けておきたい。

 竜兵自身、動揺するのは無理ないと納得している。あれだけおかしなことが目の前で起こり、さらに殺されかけ、最後には自分が人ひとりをこの手で殺したのだから。

 戦いの最中に突如として真っ黒に染まった両手と両腕は、電車に駆け込む頃には元に戻っていた。偶然元に戻っていたから良いものの、あの真っ黒な腕のまま人前に出ることは絶対に避けるべきだった。本当に、慌てるとろくなことにならない。

 そんなことを考えているうちに、もう家についてしまった。時計を見ると、駅を出てから25分も経過しているが、とてもそんな歩いた気はしない。

 その家とは、周囲を高い塀に囲まれた和風建築だ。正面に門があり、威圧的な監視カメラが通行人たちを睨む。いつも竜兵は、うちは任侠映画のセットに使えるんじゃないかと思っている。

脇の指紋認証システムで開錠してから、門の扉を自ら押して中に入る。

 門の中に入ってまず目につくのは広い庭だが、その間に透明な強化ガラスに囲まれた八畳間くらいのスペースがある。この門は、いわゆる2重扉になっており、片方の扉が施錠されていないと、もう片方の扉が開かないようになっている。

 このガラス扉も指紋認証で開錠できる。それから庭に入り、植木の傍を通り抜けて、白い壁でできた3階建ての家の玄関にたどり着く。引き戸に手をかけると、鍵は開いていた。

「ただいま」

「おかえりー、竜くん」

 広い豪華な玄関には、ちょうど春海が立っていた。先に帰っていた春海は、学校指定のセーラー服から、綿のハーフパンツに白の長袖Tシャツというラフな格好に着替えている。

そして彼女の足元を、ペットのタマがまとわりつくようにぐるぐると回っている。ちなみに、タマは猫ではない。立派な雄のチーターだ。

「もう少しで夕ご飯だって。食べ終わったら一緒にテスト勉強しよっか?」

「ぜひ頼みたいけど、春海の邪魔にしかならなそうだな」

「ううん、そんなことないわよ」

 竹石春海。成績優秀、容姿端麗、さらにスポーツ万能。陸上短距離では都大会の決勝に出られる実力はある。海斗やキムの言う通り、春海は高校の生徒からも教師からも、人望がとても厚い。

「あれ、竜くん。左の肩、どうしたの?」

「え? あ、これか――」

 学生服の左肩に、さっきの怪人の爪のせいでできた穴がいくつかできていた。

「これは、海斗たちと遊んでたら引っ掛けて破けたんだ」

「そうなの。それくらいの穴なら縫うだけで十分目立たなくなるわ」

「ありがとう。助かる」

 竜兵は靴を脱いで、艶やかなセミロングヘアをかき分けながら廊下を歩く春海の後をついていく。さらに竜兵の後ろを、タマがゆっくりとまたついていく。

後ろからだとよくわかるが、春海はスタイルがいい。167センチという女子にしては背の高い骨格。お尻や背中は、陸上で鍛えたバランスの良い筋肉に包まれている。そして手首や足首はスラリと細い。海斗やキムやその他男子に注目されるのも無理はない。

 玄関から少し離れた階段で2階まで登り、さらにまた廊下を歩いたところにある一室が、竜兵と春海の部屋だ。2人が共同で使う20畳の和洋折衷形式の部屋。部屋は廊下と同じベージュの絨毯が敷き詰められ、その上に2人の机やタンスなどが置かれている。

 春海が部屋の引き戸を開けると、中の住人達が一斉にこちらに注目する。そう、この部屋に住んでいるのは春海と竜兵だけではない。大人と子供を含めて合計6匹のチーターも寝食を共にしている。もちろんタマも、この部屋で寝る。

「あらみんな、ただいま!」

 春海がそう呼びかけると、6匹のチーターはゴロゴロと喉を鳴らしながら春海にすり寄っていく。サバンナを時速100キロ以上で駆け抜ける肉食獣なのに、春海とじゃれ合う姿は飼い猫の一種にしか見えない。竜兵は生まれた時からこのチーターと一緒にいるのであまり違和感はないが、他の人が見れば驚く光景だろう。

 竜兵はすぐに詰襟の学生服を脱いで、春海と同じような紺のハーフパンツと半袖Tシャツに着替えた。

「あ、忘れていたわ」

「ん?」

 雌の赤ちゃんチーター・モモを抱いて頭を撫でていた春海は、何かを思い出したように竜兵をじっと見つめてきた。

「……なんだよ?」

 春海はモモをそっと離し、モモを撫でていたときと同じ母親のような柔らかい表情のまま、竜兵の元にやってきた。学生服をハンガーに吊るす途中だった竜兵は、何のことかさっぱりわからずにその場を動けなかった。

「竜くんにもしてあげなきゃね。おかえり、竜くん」

 春海は竜兵の後ろから抱き着き、タマやモモを撫でるのと同じように、竜兵の頭を手のひらで優しく包み込む。

「だーかーら、俺はもう頭撫でられてされて喜ぶ年齢(トシ)じゃないって!」

「いいえ、弟の頭を撫でるのは姉としての義務よ」

 竜兵が反発しても、春海は逆にさらに強い力で竜兵を抱きしめる。どういう理屈なのかわからないが、春海は竜兵の頭を撫でて満足しているらしい。

 竜兵は、春海の弟ではなく、血縁関係もない。ただ、限りなくそれに近い存在だ。

 竜兵の父親は、竜兵が生まれる前に交通事故で死亡している。母親も、竜兵を産んだ直後に体調を崩して帰らぬ人となった。そうして生まれてすぐに天涯孤独となった竜兵の身を、竜兵の両親の大の親友だった竹石夫婦が引き取ることになった。以来、竜兵は幼いころからずっとこの竹石家で育てられている。

 春海には、12歳年上の兄と8歳年上の姉がそれぞれ1人ずついるが、2人とも年齢が離れているためか、春海はいつも竜兵と一緒だ。家でも学校でも何かと竜兵の世話を焼きたがるのだ。

 世話を焼きたがるのはともかく、さらにはスキンシップも過剰気味である。頭を撫でるだけでは満足できなくなったのか、後ろから抱き着いている春海は、頬っぺたを竜兵に押し付けてきた。竜兵の右頬に、春海のやわらかくて温かい頬の感触が伝わる。

「学校とか帰り道でこういうスキンシップはやめてくれよ? 誤解を招くから」

「えー、学校だとだめなの? 学校でも竜くんとスリスリしないと落ち着かないわ……」

 ただでさえ、クラスの連中からは2人の仲をからかわれることがよくある。この上さらに話題を提供するようなことはしたくない。

「あ、そうだわ。竜くん、一緒にお風呂に入らない?」

「――やだよ! 明日、絶対に海斗とキムにネタにされるじゃんか!」

「2人だけの秘密にしておけばいいでしょう?」

「なんだかんだ言って、べらべらとしゃべっちゃうのは春海だろ!」

「だって竜くん、頭は3分以上洗うとか、お風呂には5分以上浸かるとか、きちんと守ってないでしょ?」

 姉弟同然の幼馴染とはいえ、さすがに高校生にもなって一緒に風呂に入るのは良くない。しかし、毎回こういう場面では春海に押し切られてしまう。なぜか竜兵は、春海には強く出られない。

「わかったよ、わかった!」

 こんなことをしている姉弟も幼馴染も、どこにもいないだろうに。それでも、竜兵は春海に従うことにした。


 翌朝、竜兵と春海はいつもと同じく2人揃って家を出た。一緒に電車に乗り、一緒に学校まで登校する。クラスも一緒だ。

 朝、クラスに顔を出すと、真っ先に海斗とキムの姿が目に入った。太めの男2人が机を合わせ、仲良く向かい合って座っている。

「おす。夫婦で登校か。朝から見せつけてくれるぜ。おい、紅い目が今日は一段と鮮やかに輝いてるじゃねえか」

「おまえ、絶対褒めてないだろ」

 なぜか妙にイライラしているキムがいる。反対側の海斗は、逆に気分の乗りが悪い。

「竜兵、やばいぞ。化学は何とか例題だけは解いた。けど、数学は例題すら1問も解けなかった……」

「やっぱり、昨日の調子じゃあな……。数学は1から勉強し直しだな。基礎コースなら、例題と章末問題だけ解ければ赤点は回避できるだろ。で、キムは?」

「俺は、数学・化学の両方が全滅だ。ちくしょう、昨日机に向かってた時間はなんだったんだよ! どうせなら、あの時間を古本屋でエロ本の立ち読みにでも使えばよかったぜ」

 どうやら、昨日、竜兵と分かれて以降の自宅学習時間が何の成果にもつながらなかったことに、キムは苛立っているらしい。

「んなことでイラついてんじゃねえよ。ほら、赤点取ると強制帰国だろ。気合入れろって」

「う、それだけは絶対にダメだ」

 竜兵は、登校して早速この2人の勉強を見ることにした。2人の脇に椅子を持ってきて座る。

一方で春海は、女子のグループに混じってHRまで談笑するつもりらしい。

「春海、おはよう。相変わらず三バカは朝から賑やかね」

 女子数人が、早速竜兵たちを話題にしている。「三バカ」と呼ばれるようになったのは高校に入学してすぐの頃だ。竜兵としては、海斗やキムはともかく自分までバカに含められるのは不本意で仕方がないのだが……。

「春海たち、相変わらず黒山くんと一緒よね。クラスも授業も部活も一緒だし、逆に2人が離れる時間ってあるの?」

「うーん、そう言われると、一緒にいる時間の方が多いかも。昨日は、お風呂も寝るときも一緒だったし――」

 竜兵が反応する前に、海斗とキムが盛大な音を立てて、椅子をひっくり返し立ち上がった。

「竜兵! おまえ、やっぱり竹石さんと風呂まで一緒に入ってたのか! 前々から怪しいと思ってたんだ。学校でも竹石さんからスキンシップされまくるし。しかも……」

「お風呂で、ベッドで、お、お、おっぱい揉み放題とか、とち狂ってやがる! たった今てめえは、全校男子を敵に回したぞ!」

「だあーっ、そんなんじゃない!」

 海斗とキムは、竜兵の頭の上で喚き声を上げ始めた。2人以外のクラスメートは、全員が「お風呂」発言で硬直している。当の春海は少々戸惑っていて、どうして自身の発言がこれほどインパクトを与えたのか理解しあぐねているようだ。

「は、春海……。マジで黒山くんとは一緒にお風呂に入ってるの?」

「毎日じゃないわ。たまによ。竜くんってかわいいし、私よりお肌がすべすべで、髭やうぶ毛も一切ないから、くっついて頬ずりしたりすると気持ちよくて――」

 すると海斗とキムは、机に置いてある化学のテキストやプリントを壮大に床にまき散らした。

「ひどいぞ、竜兵! 羨ましすぎる!」

「死ね! 非国民! てめえは犯罪者だ!」

「海斗、勉強に集中しろ! それとキム、なんで韓国人に非国民って言われなきゃならねえんだ!」

 朝から3人の声が教室に絶叫する。こんな会話ばかりしてるから、三バカと呼ばれるんだなと、竜兵も少しだけ納得した。


 午前中の授業を終えた昼休み。竜兵は弁当を食べる前に、5階のひと気のない男子トイレに駆け込んだ。

「昨日のあれは、何だったんだ……?」

 昨日の、あの場面――殺されると思ったそのとき、頭の中の意識が反転するような、不思議な感覚を味わった。普段以上に体がよく動くと思ったら、両手が墨をかぶったような真っ黒に染まっていた。手のひらから爪、さらには肘にかけても真っ黒になったあの現象が、竜兵の頭から離れない。

 トイレの鏡の前に立つ。顔や上半身に特に異常はない。鏡には、うさぎのような紅い瞳を除けば普通の一般人と変わらないと思われる、高校生の顔が映っている。

(まてよ。そういえば昨日、俺は首や頭蓋骨を骨折したんじゃなかったか? それに左肩だって、学ランに穴が空くくらい鋭い爪を刺されても、出血すらしなかったぞ)

 いくら考えても、謎が解決するどころか、むしろ新しい謎が出てくるだけだった。

「竜兵、こんなところにいたのか」

「海斗。どうした?」

 5階のトイレに、海斗が竜兵のことを探しに来たようだ。

「たった今、担任が教室に来た。緊急の話があるから、急いで教室に戻れだってさ」

「わかった。何の話だ?」

「さあ。他のクラスも、同じように担任が教室に急いで向かってるぜ」

 竜兵は、どうせまたくだらない説教だろうと思いながらも、海斗と一緒に3階の2年の教室まで走って戻った。

 教室に戻ると、神妙そうな顔つきをした担任が教壇に立っていた。他のクラスメートは、全員が自分の席についているようだ。弁当を広げたままの者も数人いる。

「これから緊急かつ重大な話がある。落ち着いて聞くように」

 いつもはどことなくのんびりした雰囲気の中年教師が、今日は青白い顔をして手を震わせている。これはただ事ではないとクラス全員が察知した。

「大変残念で、悲しい話をしなければならない。――拝島利樹(はいじまとしき)が、昨晩、亡くなりました」


 竜兵たち2年1組は、午後の授業を急きょ中止し、クラスメートの通夜に訪問することになった。

 拝島利樹。2年1組の目立たない男子生徒だ。その彼が昨日、亡くなったという。死んだ理由はクラスを動揺させるのに十分で、家に強盗が押し入り、偶然室内にいた拝島利樹が殺されたのだという。

とにかく5限と6限を中止にして、拝島家の通夜にクラス全員で出席するという話だけ聞かされた。

 昼休み終了と同時に、一同は拝島利樹の自宅へと移動する。10分程度電車に乗ってさらにもう何分か歩くと、拝島利樹の自宅だという一軒家に集団はたどり着いた。

(おいおい、マジかよ!)

竜兵は、駅を降りてから嫌な予感がすると思っていたが、それが当たった。クラス一同が到着した場所は、昨日、竜兵が怪人を目撃した住宅だった。

「ここが、拝島の家だったのか。俺、昨日の夜にここの傍を通って帰ったんだった」

「昨日って、ハンバーガーを食った後か?」

「ああ。おまえや海斗と分かれた後、ひと駅歩こうと思ってここの住宅街を通ったんだ。まさか、こんなことになったとは……」

 拝島利樹は、自宅の屋内で殺害されていたという。しかし殺人現場となった拝島家内部には、すでに警察関係者の姿は無かった。その代わり、すぐ脇の昨日竜兵が怪人と戦った道路は、今も黄色いテープで封鎖され、作業着を着た警察関係者が地面に屈んで証拠収集らしい作業を進めている。

 そして住宅がある一角には、マスコミ関係か野次馬かよくわからない人だかりもできていた。

 後ろから、海斗が脇腹をつついてきた。

「竜兵、昨日おまえ、この近くを通ったんだろ? 今黄色いテープで封鎖されてる現場に何かあったのか?」

「さあ、あんまりよく覚えてない。ちらっと脇を通っただけだからな。酔っ払いみたいなのが座り込んでたような気がするけど……」

 この場では適当に回答しておく。昨日の件は、とても誰かに話せるものではない。

「ちょっと失礼します」

 竜兵たちの後ろから、低く響く声で制止された。

 振り向くと、グレーのスーツに黒の革靴、73分けの髪型という一見するとサラリーマン風の男が立っていた。しかし背は高く、178センチある海斗よりも若干高い。加えて肩幅が広くがっしりした体系だ。スポーツ選手にも見えるが、おそらくは――。

「警察の方ですか?」

「その通りです。今の話、もう少し詳しく聞かせてもらえないでしょうか?」

これから通夜が始まるタイミングだが、まだ少々時間があるため、竜兵は了承した。担任や周囲のクラスメートに少しだけこの場を離れると伝えた上で、男に同行した。

竜兵は、黄色いテープが張られたすぐ傍に止まっている、シルバーのセダンまで連れていかれた。いかにも刑事が使いそうな車だ。

「立ち話もなんですから、車の中で話しましょうか」

「いえ、立ったままで大丈夫です」

 竜兵は、黄色いテープのすぐ横に陣取った。何となくだが車のような閉鎖空間に行きたくなかった。これから通夜だというのに、わざわざ狭い空間に入って今から重苦しい雰囲気に押しつぶされたくはないと思ったのだ。

 男は竜兵の横に立ち、鑑識員の作業に目を向けながらしゃべり始めた。

「自己紹介がまだでしたね。私は警視庁の中原と申します」

 IDを示しながら、中原と名乗った刑事は自己紹介をした。

「三本橋高校の黒山竜兵です」

「丁寧にどうも。黒山くんは、拝島くんの同級生だよね?」

「はい」

 最初は厳しそうな顔つきだった中原は、高校生を相手にするためか、堅苦しい態度を崩してやや柔和な表情になった。

「こんな衝撃的な事件が起こってしまい、心情はお察しする。ただ、これだけ重大な事件だから、我々もできる限りの情報を集めておきたいんだ。もちろん、一方的に君にしゃべらせるのは悪い。もしこの事件で、君が気になっていることがあったら、可能な限り私からも答えたいと思う。ここは、お互い対等な情報交換の場としようか」

 想像していた「事情聴取」とは少し違った。もっと一方的に問い詰められるだけかと思っていたのだが、中原のように言われると、こちらも気分がよくなる。

「まず、私の番だ。竜兵君は、昨日この現場の傍を通ったって言っていたね。それはどうしてだい?」

「単なる偶然です。ここから少し離れた繁華街で遊んだ帰りに、ここの住宅街を挟んで反対方向にある駅に歩いていくため、たまたま通りかかっただけです。ぶっちゃけてしまうと、もともと拝島とはほとんど話す機会もなくて、ここがあいつに家だってことも、今日まで知りませんでした。繁華街からちょっと遠い駅まで歩いたのは、どうせ乗換もあるし、電車賃が節約できるからです」

「国道を歩いてくるより近道になるもんな。実際、この黄色いテープで囲まれている中を通ったの?」

「いえ、厳密には1本隣の道路を歩きました。今日の現場は、ちらっと見たたけでした」

 ここは嘘を交えておく。嘘をつくときは、真実の中にうまく嘘を混ぜ込むのがコツだと何かの本で読んだが、確かに竜兵の今の説明だと、細かいところを突っ込まれてもほとんど矛盾が発生しない。

「なるほど。ちらっと見たら、この黄色いテープで囲まれている範囲と同じ場所に、誰か人の姿を見たんだね?」

「ええと、暗かったのでよく見えなかったですけど――」

 昨日の出来事を洗いざらい全て話す気にもなれない。竜兵は、誰かが地面に寝転がるか座っていたが、倒れて動けないような様子でもなく、単なる酔っ払いだと思って特に気にしなかったと説明した。

「そうか。それがどんな人物だったかは覚えていないか? 身長でも見てくれでも、何か特徴を覚えていたら教えて欲しいんだけど」

「んー、それも暗くてよく覚えてないですけど――」

 そんなことをもう何点か訊かれて、竜兵は嘘と真実を混ぜた回答をする、という作業を繰り返した。

「刑事さん、俺から訊いてもいいですか? あの黄色いテープが張ってある場所で、拝島が殺されたんですか?」

「いや、そうではない。彼は、自宅の中、1階と2階を結ぶ階段で殺された。あのテープで囲まれた現場は、犯人と思われる男の死体があった場所なんだ」

 竜兵は、無言で驚くふりをしながらも、自分が昨日見た事実と警察の見解とがほぼ一致していることを頭で確認する。

「ただ、まだ男が犯人だと断言できるほど証拠が集まっていない。もしかすると、男の方も犯人と全く無関係で事件に巻き込まれただけの可能性もある」

「死んでいた男からは、犯人と断定できるだけの証拠が見つからなかった。例えば凶器らしい凶器を持っていなかったってことですか?」

 一瞬だけ、中原の目が細くなる。しかし彼はすぐにまた穏やかな口調で言葉を続けた。

「なかなか鋭いな。その通りだ。ああして今日まで鑑識職員と一緒に手がかりを探しているのも、どんな小さな証拠の断片でもいいから見つけたいという、我々の思いがある」

 中原の口から、事件の概要をもう1度説明してもらう。

 拝島利樹は、昨夜、近所の図書館で勉強した後、20時15分ごろ自宅に帰宅。このとき、両親や2人いる妹は、仕事や部活動で全員外出中だった。

 拝島利樹の不幸なところは、帰宅したとき、自宅内に空き巣が入り込んでいたことだった。帰宅した住人に見つかった空き巣は居直り強盗となり、おそらくは口封じのために拝島利樹を殺害。さらに自宅の金庫から現金150万円以上を持ち出して逃走したが、敷地から出たところで、また別の何者かによって殺害された。犯人と思われる男が担いでいたリュックサックには、宅内から持ち出された金額とおなじだけの現金が入っていた。

 拝島利樹の死因は、首や上半身を鋭利な刃物で数か所刺されたことによる失血死だそうだ。ただ、拝島家やこの周辺からは、事件と関連しそうな凶器の類はまだ見つかっていない。警察は、その凶器の捜索に必死だというのだが――。

(拝島が殺された件の捜査よりも、むしろ怪人の死体の捜査にずっと力を入れてる感じがする……)

 一方で、強盗らしき男が殺された理由や動機は、全くわかっていない。最初は、強盗犯が複数いて仲間割れした可能性が捜査会議で挙がったが、盗られた現金がそのまま死体と一緒に残っていたことがわかり、仲間割れ説はすぐに怪しくなった。

それ以外に、強盗を目撃した第三者が取り押さえようとして過剰暴力を働いたとか、逆に強盗が目撃者を口封じのために殺そうとして返り討ちにあったなど様々な意見が出たが、どれも推測の域を出ていない。

 男の死因は頸骨の骨折だが、男を殺した犯人につながる手がかりは、指紋やDNAなどの痕跡が一切発見されておらず、ただ今は目撃証言だけが頼りなのだとのことだ。それを聞いて、竜兵は少し安心した。

(俺の情報が一切漏れてなくて、本当に良かった。……いや、裏ではどうかわからないけどな)

 それからさらにいくつか雑談をした後、竜兵に対する聞き取り調査は終わった。竜兵が通夜に合流しようとすると、中原はこれを使えと言い、ポケットから数珠と線香を取り出して竜兵に手渡した。中原曰く、今日は9時までこの近辺で聞き取り調査をするから、数珠は通夜が終わったら返す形で良いとのことだ。

 竜兵はありがたく数珠と線香を拝借し、中原に背を向けて拝島の自宅の玄関に向かった。

 今の聞き取りの中で、竜兵はある1つの仮説を思いついた。

 警察は、拝島利樹殺しの犯人が、昨日竜兵が殺したあの怪人であることをとっくに知っている。今日の捜査は、あの怪人を殺したのが何者なのか調べようとしているのではないか――。

(死体を回収した警察なら、あの怪人の能力を分析できる。怪人が普通の人間から隔絶した能力を持つ存在だってわかれば、それを倒した相手はさらに強力な能力を持つってことになるよな。警察の立場だと、ある意味、怪人以上の脅威として認識すべきなのかもしれないな)

 そう考えると、竜兵はますます正体を世間に知られるわけにはいかない。もし自分が怪人を殺した存在だと世間に知られると、自分はいったいどんな扱いを受けるのだろうか。

 謎だけがどんどん増えていく――竜兵は、頭の中でそうつぶやいた。


「目撃者がいたんだな。テツの死体を見たやつは何人もいたらしいが」

「ああ。今の刑事との会話を聞くと、どうやらあのガキは、昨日死ぬ前のテツを目撃している。ガキから、テツを殺したやつの手がかりを聞き出せるかもしれない」

「今あいつが刑事に話したこと以上の情報が、得られるのか?」

「得られる確率は、2割がせいぜいだ。ただ、ガキが、警察にまだ何か隠している可能性は捨て切れない。例えば、テツがあのガキを始末しようとしたところを、逆に別の誰かに襲撃されたのかもしれない。そうするとガキはその襲撃者に恩義を感じて、警察に真実を隠そうとする。いや、もっと単純に、中二病をこじらせたガキが、秘密を隠す楽しさに浸っているだけかもしれない」

「なるほど――ってありゃ、逆に言えば、8割方は無駄になるってことか」

「実際、刑事に提供した内容以上のことを、あのガキは知らない可能性が高いだろうな。ただ、今こっちに情報がないのなら、俺たちも独自の方法で情報を集めないと何も進まない。宝探しみたいなものだと思うしかない」

「つまり、ガキをいじめるだけになるかもしれねえのか。――あのガキのことは、サポートセンターに報告するか?」

「しなくていいだろう。大して役に立たないあいつらに、何の気づかいが必要なんだ?」

「おまえの言う通りだ。よし、早速あの家のお通夜が終わったら決行だ」


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