第17話 第2編 科学と夢 03:綺麗ごと
第二章 起承転結の「起」の部分はここまでです。第18話から徐々に話をまた転がしていきますので、よろしくお願いします。
第17話 文字数:5498文字
竜兵、海斗、キムの3人は、男子トイレで用を足しながら休憩時間に反省会を開いた。海斗とキムが秋奈をやたら持ち上げていたら、一緒に訪問中のクラスの女子2人が不機嫌になってしまったのだ。
「しょうがねえだろ。ブスより可愛いコと一緒にいたいって思うのは当然じゃん。女だって、ブサイクよりイケメンと一緒にいたがるだろうが」
というふうに完全に開き直っているキムに対し、海斗はわずかに反省しているかのようだ。
「うーん、あんまり可愛いコだけにしか興味を見せないような男は、可愛いコからも嫌われそうだな。確かに、反省すべき行動ではあったな」
「まあでも今回は、俺もおまえら2人に少し同情する。あの2人は、クラスの中でも面倒くせえ部類に入る女子だからなあ……」
「そうそう、竜兵もわかってるじゃねえか。あいつら、悪い意味で真面目過ぎるんだ」
反省どころか、愚痴をこぼしただけで反省会は終わった。
もといた視聴覚室に戻ると、引率の体育教師が3人を待っていた。
よく話を聞くと、教師が待っていたのは海斗とキムの2人らしい。力仕事があるから手伝え――という何とも簡潔な理由で、2人は問答無用で連れ出された。
大教室に残った生徒のうち、三本橋高校の女子2人と倉山学院の生徒3人が、女性スタッフに連れられてまた別の手伝いに連れて行かれた。
残された竜兵は、とりあえず秋奈の力を借りて残りの生徒たちとコミュニケーションをとることにした。
「竜兵くんって、陸上100メートルで全国7位だったの! すごい!」
「そう言われると、素直にうれしいぜ。一応、この場にいない海斗とキムもフォローしておくと、あの2人もそれぞれ柔道と相撲で全国に出てるんだぜ」
あの2人も、何だかんだでスポーツの実績がある。それくらいしか取り柄が無いと言うと失礼なので、そこまでは言わない。
「次の陸上大会は何があるの? 都大会?」
「都大会はもう終わった。次は地方ブロック大会だな」
都大会で2位だった竜兵は、6月の後半にある関東大会が控えている。しかし、現在はほとんど練習に参加していないし、練習する気にもなれないでいる。
なぜなら、部活に使う時間を、春海との特訓と技術研究に全て充てているからだ。竜兵の直近の目標は、何としても雪子に闘いで勝てるようになること。その目標が目の前にある限り、正直関東大会なんてどうでもいいとさえ感じている。
あらためて考えると、生体兵器である自分がスポーツの大会に出場して上位の成績を収めることが、正しいことでないように思える。足が速いという才能も、生体兵器という身体がベースにあったからこそ発揮できたのではないかと思い始めている。
生体兵器が生身の人間と争って何が面白いのだろう――初めて変身した夜から、薄々と感じていた問いが、再び頭をよぎる。
「竜兵くん、少し失礼な質問していい?」
「ああ、いいぜ。何でもどうぞ」
「……ふてくされたり、帰って私のことを失礼な人だったなって言ったりしない?」
「言わないから、質問って何なんだ?」
再び少しの迷いを見せてから、秋奈は口を開いた。
「陸上の短距離って、才能がほとんどよね? 高校生くらいになると、男子も女子も100メートルのタイムを1秒縮めることって、ほとんど不可能なんでしょう? そういう競技を続けられるモチベーションって、みんなどこから来るの?」
すごくいい質問だと竜兵は思った。
いい質問というのは、気が効いた質問という意味だ。秋奈はおそらく、生まれてから一度もかけっこで勝った経験が無い。いわゆる「健常者」との間には大きな壁があるといえるだろう。一方で健常者同士、さらにはスポーツ選手同士にも、秋奈の感じる壁よりはずっと小さいが、壁は存在する。彼女はその存在に敏感に気付き、竜兵が今まさに続けようか悩んでいた陸上競技へのモチベーションを刺激する問いをしてくれた。
「そうだな。――結論から言うと、俺は他のやつと競走してるんじゃない。自分自身との戦いだと思ってるから、モチベーションを維持できてるんだと思う」
大教室にいる一同の関心が、竜兵に集まる。別に大したことを言ったつもりはないのだが、妙に恥ずかしくなった。
それでも、竜兵の回答を聞く秋奈は真剣な表情のままだ。竜兵は彼女を見て言葉を続けた。
「俺の100メートルの自己ベストは10秒7。もし自己ベスト10秒3のやつと俺が対戦したら、100パーセント負ける。逆に俺が、自己ベスト11秒0のやつと勝負したら100パーセント勝てる。陸上の100メートルなんて、やる前から結果がわかりきってる競技だ。こういう言い方を嫌う連中もいるけどな」
「そうかもしれないわね」
「ベストが10秒3とか11秒0のやつと競ったって、何も面白くねえ。でも、同じ10秒7のやつ――例えば昨日の自分とかとなら、競う価値がある。っていうか、絶対に勝ちたいって思える。一番の好敵手は、自分自身だと俺は思ってるから」
「そういうことね! うん、すごく納得できる!」
秋奈は、何かが晴れたように、いっそう表情が明るくなった。
本当に、竜兵は大したことを言ってはいないのだが、彼女はどこかすっきりする部分があったようだ。
竜兵も、秋奈のおかげで迷いが少し消えた。
野球や空手、また陸上競技でも長距離走などには、相手との駆け引きが存在する。陸上の短距離走――特に100メートル走では、勝負の中での駆け引きがほとんど無い競技だ。そんな競技を続け、そして楽しむ動機に、竜兵は今再び気がついた。
「竜兵くん。ちょっと教室に取りに行きたい物があるんだけど、車椅子を押してもらえるかな?」
「ああ、いいぜ」
竜兵は、秋奈の後ろに回り、車椅子のハンドルを握る。他の生徒たちが見ている中、竜兵は秋奈が乗った車椅子を押して大教室を出た。
廊下に出るとひと気はなく、急に雰囲気が変わったように思える。今日が休日なのだと再び思い知らされた。
「竜兵くん、今日の交流会は、楽しかった?」
「そうだな――」
「正直な気持ちを教えて。綺麗ごととかは抜きにして。本音を聞きたいの」
おっとりとした秋奈の声に、重さと真剣さの成分が増す。後ろから見下ろす限り、秋奈の表情にそんなに変化はない。
竜兵は、少し考えてから、ほとんどありのままの気持ちを話した。
「色々勉強になったよ。別に、手話を習ったとか介助の仕方を覚えたとかそういうんじゃなくて、自分と全く違う感覚を持つ相手とどうやってコミュニケーションをとったらいいのか、すごくよくわかった」
「それって、どういうことなの?」
「例えばさ、視覚障害者と聴覚障害者が意思疎通しようとすると、すごく大変じゃん。それでも今日いた2人は、お互いに相手がどうすれば自分を理解してくれるか、色々相手の立場になって気遣いながらコミュニケーションしてるのがわかった。そこまで極端な例じゃなくても、今日の森園さんはずっとみんなにニコニコしてたよな。ちょっと戸惑うことがあっても、ヘンな顔しないでうまく相手とやろうって感じがずっとしてた。色んな人と仲良くやるコツを教えてもらった。まあ俺の場合、実践できるか極めて怪しいけどな」
「そんなにすごいことじゃないのに」
秋奈は、多少可笑しそうに笑った。
それでも竜兵は、秋奈については本気ですごい人だと尊敬できると思う。
「でも、そう見えるのも無理がないのかもね。今日、竜兵くんたちの前に出て来たこっちの生徒は、全員が人物面で優秀な人たちばっかりだもん。倉山学院には、他にも3学年合わせて80人の生徒がいるの。竜兵くんは、倉山学院や障害者の別の面を見ていないわ」
少しだけ、秋奈の顔に影が見えたような気がした。
「何か俺に、伝えたいことがあるのか?」
秋奈が何かモヤモヤとしたものを抱えていると思った竜兵は、もっと間接的にうまく彼女の考えていることを引き出そうと思った。しかし結局、とても直接的な問いになってしまった。
「どんな障害者も、コンプレックスを抱えている扱いづらい存在だってことは、覚えておいて欲しいかな」
「なかなかの、直球発言だな」
「だって、その通りだもの。少なくとも、倉山学院にいるみんなは、心の底では健常者になりたいって思っているわ。『自分は不幸じゃない』って周囲に明るく言っている人もね。そして、コンプレックスを変にこじらせて、性格がねじ曲がっちゃっている人も、正直いるわ」
「みんながみんな、いいやつじゃないって言いたいのか」
「そうね。障害者は、単に善意を施せばハッピーになってくれる単純な聖者じゃない。色々なコンプレックスを持っていて、他人の善意がそのコンプレックスを爆発させちゃうときもある――そういうような、扱いが面倒な存在だって思っておいてほしいの。その方がむしろ、お互いに幸せになれると思うから」
「健常者の善意も、ある意味じゃ障害者を自分より下の存在だと思う感情から出てくるのかもな。そういう健常者側の無意識の感情が、障害者のプライドを傷つけるわけか」
「そういうこと」
「……ちなみに俺は、何か悪かった場面とかあったか?」
「ううん。竜兵くんからは、全然そんな感じはしなかった。あと私は、仮に竜兵くんからそういう意識を感じても、怒らないわ。健常者が障害者を下に見るのは、当然だと思うから」
「おいおい……」
意外な発言だった。優しくふわふわとしたイメージの秋奈と違う、はっきりとした言葉。
秋奈は言葉を続けた。
「例えば健常者同士でも、スポーツや学業成績、それにコミュニケーション力で自分より下の人間には、自然と優越感を抱くでしょ。能力で自分より劣る者に優越感を抱くこと自体は人間の本能からくる自然な感情で、それ自体を悪だと私は思わない。健常者が障害者に抱く感情も、これと同じものじゃない?」
「すごく平たく言えば、そうなるのかもな」
彼女の発言を否定できず、かといって全面肯定もしづらい竜兵は、中途半端な言葉と共に相槌を打った。
「私が本当に嫌なのは、その上下意識は『悪』だから『消そう』と本気で思っている人たち。そういう人たちはまた、健常者がいかに障害者側に合わせて行動するのが大事かを説くわね。よく障害者交流イベントなんかを開いて。健常者と障害者の手をつながせて、障害者用に作られた『バリアフリー』施設を一緒に回って、健常者が障害者に合わせた環境で、一緒に手をつないで分け隔てなく平等に接してあげる社会が理想なんですって刷り込もうとする」
「うちの学校も、まさにそんなつもりで俺や海斗やキムたちを倉山学院に放り込んだのかもな」
皮肉っぽく竜兵が笑うと、秋奈もそれなりの笑いで返した。
「でも、そこでできた『平等』なんて、健常者が障害者のために合わせて作ってあげた仮想に過ぎない。結局障害者は、障害がある以上、健常者の手を借りないとだめ。だから人間が自然と抱く能力差による上下意識は消えないまま残る。ピントを外したときに感じる違和感と一緒に、潜在意識に残るわ」
「森園さんは、どんなやり方なら、障害者と健常者のベストな関係を作れると思うんだ? 綺麗ごとは抜きで、森園さんの本心が聞きたい」
ちょうど、目的の教室についた。誰もいない休日の教室。教室内も全体的に緑色を中心とした明るい色で構成されていて、大きな窓からは昼間と夕暮れ時の中間くらいのやさしい日差しが差し込んでいる。その日差しが、秋奈の白く美しい顔を照らした。
「健常者が障害者に合わせる社会じゃなくて、障害者も健常者並の能力をどうにかして獲得しようとする社会の方が、私は正しいと思う。竜兵くん、クラスでテストがあるとき、みんながクラスの最下位に会わせて点を取ろうとするクラスと、勉強できない人を周囲が何とかして良い点を取らせようとするクラスの、どっちが健全なクラスだと思う?」
秋奈はさすがだと、竜兵は感じた。自分に厳しいからこそ、他人にも厳しい。
「私、将来は再生治療の研究者になりたいの。腕や脚や臓器を失っても、ちゃんとまた能力を回復できる環境を作りたい。すごく嫌な言い方に聞こえるかもしれないけど、私みたいな障害者が全員健常者になってくれたらいいなって思うの」
その言葉が、竜兵の心に突き刺さった。
(森園さんも、改造人間の力を必要としてる。こういう人達こそ、科学技術の力を手に入れるべきじゃないのか?)
秋奈の机のすぐ隣まで車椅子を寄せてやる。秋奈は机の上のバッグから携帯電話を取り出した。
「竜兵くん、もしよかったら――」
「――連絡先、交換しようぜ。帰ったらまた、連絡する」
2人は、自然に連絡先を交換して、お互いに向かい合って少し恥ずかしそうに笑った。
「今日は、森園さんと話せて本当によかった。なかなかこういう話は聞けないからな。ありがとう」
「私も、竜兵くんと本音でお話できてよかった」
「なあ、森園さん――」
「秋奈って呼んで。同い年でしょ?」
竜兵は、不意を突かれて言葉がとっさに出なかった。
「……そうだな。もう、余所余所しくする必要もねえか。――じゃあ秋奈、またここに遊びに来てもいいか?」
「うん! また竜兵とお話したい」
竜兵は照れくさくなり、黙ったまま彼女の後ろに回り、車椅子のハンドルを押して教室まで戻って行った。
また秋奈に会いたい――いつの間にか竜兵は、そのことだけを考えていた。