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第16話 第2編 科学と夢 02:ボランティア実習

第16話です。日常的な場面の描写が多いです。文字数も多めで、退屈しないで読んでいただけるか不安ではありますが、よろしくお願いします。


第16話 文字数:9402文字

 竜兵は、土曜日の午後1時に目的の駅に到着するように家を出た。都内とはいえ、周辺には畑が目立つ、西の端。JRの終点に近い駅まで行くことになっている。

 駅に着くと、すぐに他のメンバーがどこにいるのかわかった。土曜日なのに、学ランやセーラー服を着た人間が4人も集まっていれば、遠くからでも目立つ。

 男子3人、女子2人に引率の男性体育教師を加えた6人は、その駅から徒歩20分くらいの、障害を持つ同年代の高校生が集まる施設に到着した。

 高さ3メートルほどの立派な塀に囲まれた、郊外の学校に病院が併設された施設だ。中にはグラウンドや体育館の他に、3階建てと4階建ての建物が1つずつ、それと病院らしい7階建ての大きな建物が1つあり、それぞれが廊下でつながっている。

これら一連の施設を所有するのが『倉山学院(くらやまがくいん)』。全寮制で、今回行く施設では高校1年から3年相当の生徒が暮らしている。こことは別に、他の地域で中学校も持っているようだ。

 前日にあらためて、今日のボランティアの内容を確認しておいた。障害者たちと精神的な交流を図る――なんて内容は後半だけで、今日は介護実務体験という肉体労働がメインらしい。そういうことなら、体格のいい海斗やキム、スポーツでインターハイ出場経験がある竜兵を人選したのは、不合理とは言えない。ただ女子2人は、男女比のバランスを兼ねるためだけに選ばれたとしか思えない大人しい2人組だ。彼女らを、体力自慢の竜兵ら3人でサポートしてやれという意図もありそうだ。

 6人が正門に行くと、カーディガンを来た若い女性のスタッフが待っていた。

 正門のすぐ向こうには、4階建てのビルがある。平日に通う校舎や職員用のスペースがある建物だという。

 女性職員に連れられてビルの前に行き、竜兵たちは引率の教師と一緒にビルに入った。

 ビルの1階に入ると、竜兵が勝手に考えていた障害者施設よりもずいぶん明るいイメージがそこにあった。

 受付スペースのある1階は、薄い茶色や緑色の壁紙で飾られていて、それらを明るいLEDの照明が照らしている。清潔感があり、一方で病院のような無機質さもなく、程良い暖かさが部屋全体を包み込んでいる。

 そのスペースで、1人の車椅子の少女が待っていた。淡いピンクのブラウスを着て、黒髪をポニーテールにした、やわらかな雰囲気の少女。

「あっ……」

 竜兵たちを見た少女は、小さい声を出してこちらの面子をじっくりと確認し始めた。

 その少女は、先日竜兵たちが手助けした彼女だった。

「あれ、お嬢さんじゃないか。偶然だね」

「へえー、ここに通ってたのか。これは運命ってやつだな!」

 海斗とキムも少女に気づき、早速声をかけ始める。少女は嬉しそうだ。それを一歩離れて見る担任や女子たちは、よく状況を飲み込めないまま黙っている。

 そんな中、奥から1人の男性が竜兵ら6人を出迎えにやってきた。

「みなさん、こんにちは。私は理事長の大蔵(おおくら)と申します」

 大蔵と名乗った男性に丁寧なお辞儀をされ、竜兵たちもいったん私語をやめて大蔵に挨拶した。

 グレーのスラックスにベージュのジャケット、ゆったりしたチェックのボタンダウンシャツを着用している大蔵は、落ち着いた中年の男性だ。年齢は40代くらいか。中肉中背という体格、かつ長くも無く短くも無い七三カットという外見は、特別尖った印象を与えない。「福祉関係者」という言葉が本当にぴったりな男性だ。

「今日、皆さんにお越しいただいて、私たちも大変嬉しく思っています。ここにいる生徒たちは、あまり他の学校の生徒と交流を持つことができません。彼らに新しい友人をつくる機会をなかなか作ってあげられないのが、私の悩みでもあります。今日はどうか、みんなと仲良くしてあげてください。特に、ここの秋奈(あきな)さんは今日を大変楽しみにしていましたから」

 理事長の大蔵に話を振られ、秋奈と呼ばれたその少女は、少し照れくさそうに笑いながら自己紹介を始めた。

森園(もりぞの)秋奈です。皆さんと同じ高校2年の勉強をしています。今日は1日、よろしくお願いします」

 車椅子の上でお辞儀する少女に対し、竜兵たち6人も挨拶を返した。

 大蔵に連れられ、6人はビルの奥へと案内された。歩く廊下は、車椅子2台がすれ違えるように、幅を広くとってある。

先頭を大蔵と担任教師が歩き、次に女子2人が、続いて海斗とキムが、そして一番後ろを竜兵と秋奈が並んで移動する。

 廊下を歩きながら、竜兵、海斗、キム、秋奈の4人は自然とこの前の出来事を話題にした。

「偶然ですね。この前は助けてもらって、今日もまた3人にお世話になるなんて。この前は、本当にありがとうございました」

「秋奈さん、同い年なんだから、敬語は抜きで行こう。俺は野辺海斗。こっちの2人は、俺よりバカなキムと、俺より頭がいい竜兵だ」

「おいてめえ、何て紹介だ!」

「俺よりキムの方が脳筋度は上だ」

 早速、くだらないことで言い争いを始める海斗とキム。竜兵は、しゃべる気にもなれなかった。

 ふと、隣を車椅子で進む秋奈と目が合った。

「竜兵くん……って呼んでいい?」

「別に、俺は構わないよ、森園さん」

 さすがに竜兵には、ほとんど初対面の女の子を名前で呼ぶ勇気は無かった。

「この前はありがとう。介助の手際が良くて驚いちゃった。竜兵くんは、身近に車椅子を使う人とかいるの?」

 人懐っこい笑みを浮かべながら、秋奈は竜兵に訊いてきた。

「あー、やっぱりわかる人にはわかるんだな。俺の姉貴が下半身不随で、家で介助することもたくさんあったんだ」

「そうだったんだ」

 正確には「姉貴」――清海と竜兵には血のつながりも法的な親族関係も無いのだが、事情を話すのが面倒なため自分の姉として説明しておく。

「お姉さんって、いくつなの?」

「数週間前まで25歳だった、って言い方が正しいかな。今はこの世にはいない」

「えっ……」

 秋奈は急に笑顔を引きつらせ、何とかこの場を取り繕うとしているのが、竜兵から見て手に取るようにわかった。よく表情の動く人だなと竜兵は思った。

「いいよ、事実だからな。森園さんは、いつから車椅子に乗ってるんだ?」

「私は、生まれてからずっと。生まれてすぐに、障害のせいで両足を切断したの」

 彼女は先天的に、膝から下が無く大腿骨も短かったという。17歳になる今の彼女には、一般人の大腿の半分くらいの脚があるだけだ。

 乳幼児時代と小学校低学年までは特別支援学校に在籍し、それから中学卒業までは普通の公立学校に、そして中学卒業を機に今の倉山学院に移ったのだという。

 竜兵たちが案内されたのは、視聴覚室のようなやや広い教室だった。そこには、竜兵たちと同じ高校2年生の生徒7人が待っていた。秋奈を加えた合計8人の2年生は、男女それぞれ4人ずつ。知的障害者らしき者も男女1人ずついる。

 大蔵が進行役で、竜兵たち5人と倉山学院2年生たちがそれぞれ自己紹介を始めた。

 各自が抱える障害も様々だ。秋奈のように手足を欠損している者が2名、欠損ではないが腰から下が完全に不随の者が1名、視覚障害者が2名、聾唖者――視覚障害者が1名、知的障害者が2名。

 自己紹介イベントの途中でも、秋奈は同学年のクラスメイトたちと、ひそひそ声や手話で何かを話していた。秋奈は、この8人の交流の中心にいる生徒のようだ。

 自己紹介が終わった後、早速実習が始まった。まずは車椅子の介助体験だ。

 自力で起き上がれない被介助者を対象に、床から車椅子への移乗、車椅子の正しい押し方、段差の乗り越え方、やってはいけないことなどを2人1組で学ぶ。

 ペアの2人は、お互いが似たような体格になるように組まされた。必然的に、体重100キロ以上の海斗とキムがペアになり、女子2人は互いがペアになった。残る竜兵は秋奈を介助することになった。偶然にも竜兵は、秋奈と骨格の大きさが同じくらいだ。

「ずるいぞ! 何でおまえだけ秋奈さんとペアなんだよ!」

「てめえ、ぶっちゃけ、俺よりパワーあるだろ! 女子並みの体格で全身脱毛のつるんつるんだからって調子の乗るんじゃねえ!」

「うるせえよ、キム!」

 竜兵はキムを蹴り飛ばしたくなったが、ぐっと堪えた。

春海にもよく言われるが、竜兵には生まれながら、髪の毛・眉毛・まつ毛以外の毛が一切生えていない。今まで不思議に思っていたが、これも生体兵器たる所以らしい。竜兵の体には、頭や眉など極一部以外に毛穴がない。体組織を外部の極端な温度差や有毒物質から守るためだというのが春海の予想だ。

「本当! 竜兵くん、お肌が綺麗ねー」

 車椅子を後ろから支えている竜兵の腕を、秋奈が華奢な手で触れ、まじまじと見ている。今、自分の肌に感心されても全くいいことは無いのだが……。

 介護実習を徹底的にやらされた次は、聾唖の男子生徒から手話を教わる。男子生徒の名前は片村(かたむら)と筆談で示してもらった。彼はいわゆるイケメンで、やや細身の体格とか長めの髪型は、テレビに出ている芸能人を彷彿させる、華のある男子だ。海斗やキムとは全く逆の感じがする。

 彼は、介護実習中も積極的に竜兵と秋奈のペアをサポートしてくれた。おそらく、秋奈とも特に仲の良い人物なのだろう。

 そんな彼から、基礎的な手話の表現をたくさん教わった。竜兵たち三本橋高校の5人だけでなく、倉山学院の8人も集まって一緒に手話の練習をする。

「倉山学院ではね、聾唖者でなくともある程度の手話ができるの。聴覚障害者と視覚障害者の通訳を誰でもできるようにね」

 隣にいる秋奈に言われて納得する。ちらりと反対側を見ると、視覚障害者の女子と片山が、別の生徒を交えて何かやり取りをしている。

「竜兵、さっきからおまえばっかり秋奈さんの近くにいるなよな!」

「そうだぞ! ずりぃぞ!」

 海斗とキムがやってきて、竜兵と一緒にいる秋奈を囲む。竜兵は何を言ってやろうか迷ったが、秋奈は嫌な顔1つせずに、彼らに手話を教え始めた。

「野辺くんとキムくんも、だいぶ手話が上手になったわね!」

 早速始まった秋奈のわかりやすい指導に、海斗とキムは大変満足そうなにやけ顔になった。

(森園さん、こういうところが大人だよなあ。俺だったら、こんな面倒くせえ初対面の2人なんて、相手にしてないな)

 竜兵は、秋奈が根っから他人に好かれる性格なのだと思った。春海と同じ種類の、要するに人格者だ。ちゃんと気の利いたコミュニケーションが取れる。

「ギブ・アンド・テイク」という言葉があるが、秋奈はコミュニケーションの随所で「ギブ」を振りまいている。それが彼女の評判や尊敬という「テイク」となって返ってくる。

 彼女は春海と同じく、思ったことをすぐには口に出さず、自分の態度が相手にどう思われるかをきちんと考えてから表現している。一方で、大事な場面では自分の気持ちを素直に表現することができる――例えば、感謝の意を示す時とか。

 その辺の自己コントロールのうまさは、竜兵とは真逆だ。竜兵は、思ったことをすぐ口にしてしまう一方で、誰かに謝るときなどはなかなか素直になれない。だからこそ、竜兵は秋奈に感心どころか尊敬さえできる。

(俺にもこれくらいのコミュ力があれば――)

 ふと、警察の雪子や井出口の顔が浮かんできた。

「どうしたの、竜兵くん? ぼーっとしてた?」

「いや、何でもねえ」

 もし自分にもう少し大人げがあれば、雪子ともあれだけ鋭く対立することもなかったのではないか――いつの間にか、そんなことを考えていた。


 転校したその週末に、初めての学校行事。4人班に分かれてのゴミ拾いだが、雪子にとっては不思議なことが多かった。

 まず、意外にも乗り気でない生徒が多い。この授業も他科目と平等に大学へ評定として送られるはずだ。しかも数学や理科と違い、「ゴミ拾い」なら努力さえすれば誰でも高評価をもらえる内容である。みんな、もっと真剣にやっても良さそうなものだ。

 国道の歩道で空き缶を拾い上げ、隣の春海が持っているゴミ袋に入れる。

 春海は、相変わらずニコニコと笑顔を振りまきながら、班員の拾ったゴミをかき集めて分別している。

 優秀な生徒が集まる三本橋高校の中でも、ずば抜けた頭脳を持ち、スポーツでも、特待生制度のない三本橋高校の中では高い能力を持つ春海。すらりと高い背や整った顔立ちなどは美人そのもの。明るくハキハキとした性格と相まって、男女共に人を惹きつける魅力がある。

(それにしても……)

 体格、容姿、声――その全てが、生体兵器テロ対策課のエース研究者だった竹石清海に似ている。似ているというか、そのまんまと言った方がいい。書類上では実の姉妹としか書かれていないが、彼女は清海のクローンだという。

(おそらく、それは正しい情報でしょう。遺伝的に全く同一の個体でなければ、『XG-0』が適合するはずありません)

 警察が『XG-0』にかけた費用は、軽く10億円を超える。その費用の多くは、移植後の安全性を追求するために使われた。

 義手や義足の類とは違い、外見から神経まで全てに刻み込まれる『XG-0』系のパーツは、個人の遺伝的な差で適合する・しないの反応が顕著に表れる。しかも通常の臓器移植と違い、拒絶反応は強烈なものになる。

なにせ、一般的な生物の呼吸で生み出されるより遥かに多くのエネルギーを生産できるマイクロブラックホール機構がパーツに含まれているのだ。移植者の身体とパーツの不適合が見られた場合、パーツの特殊細胞が急速かつ際限なく増殖し、宿主の体を吸収してしまう場合もある。

 雪子は、生体兵器テロ対策課の捜査員として「改造人間生産工場」と言える施設を何度も見てきたが、そこには必ず「失敗例」があった。この世の物とは思えない、もはや人間とは言えない物体を大量に見てきた。春海がそのようにならなかったのは、単なる幸運だけが理由ではないだろう。

 雪子は、自分の持っているゴミ袋がいっぱいになり、新しいゴミ袋をもらいに担当係のところまで言った。その場で再び春海と鉢合わせする。

 雪子自身より20センチほど背が高い春海は、何か意味ありあげに笑うと、急に雪子の手を握ってきた。

「田中くん、私たちは国道の反対側の掃除を始めるわね」

 春海は、同じ班の男子生徒にそれだけ告げて、雪子を引っ張って歩道橋を渡ろうとする。雪子は訳も分からず彼女に従うまま、反対側の歩道まで移動した。

「何ですか?」

 反対側の道路についてから、雪子は春海の手を振り払って立ち止まった。

 雪子は多少語気を強めて言ったのだが、春海は笑顔を崩さない。

「雪子ちゃんと、まだちゃんとお話する機会がなかったら、こうして2人でお話しようと思ったんだけれど。嫌だったかしら?」

「余計なお世話です。私は、慣れ合いをしに来たのではありません」

 雪子の口からは、まず拒絶の言葉が出てしまった。

 別に、彼女との接触を完全に絶ちたいと思っているわけではない。対象者から情報を聞き出すには、密接なコミュニケーションが不可欠だ。井出口からも中原からも、その他の捜査員からも、それは言われている。

 しかし雪子は、どことなく春海に怖さを感じていて、それが彼女との距離感を計りかねる原因になっている。

なぜ怖いと感じるか――それは春海が裏で何を考えているのか雪子に想像できないからだ。彼女はたった何日かの時間で、改造人間や生体兵器のエネルギー源として不可欠なマイクロブラックホールの存在に辿り着いた。さらに捜査員の尾行を撒いたり、相当なレベルの技術解析データを自宅のコンピュータに保管していたりと、とても17歳とは思えない能力を発揮している。

 今この瞬間にも、雪子の及ばない範囲まで考えを巡らせ、駆け引きしようとしているように思えて仕方がない。そして雪子は、彼女との駆け引きに勝てる自信が、残念ながらない。

 そんな雪子の気持ちはお構いなしに、春海は話を続けた。

「そんなに固くならなくてもいいわよ。私は、雪子ちゃんとの対立は望んでいないから」

「どういうことですか?」

「分かり合える部分は分かり合いたいし、協力できる部分は協力したい。私は、警察よりももっと対立すべき相手がいるし、警察だって私や竜くんだけを追いかけていればいいわけではないでしょう?」

 春海の言う「対立すべき相手」とは自由同盟のことだろう。彼女に瀕死の重傷を負わせた犯人そのもの、そして彼女の姉の命を奪った組織でもある。

「それに私も、竜くんや『XG-0』の技術を調べる中で、どうして雪子ちゃんたちが必死に技術を秘匿しようとするのか、わかってきたしね」

 春海を無視してゴミ拾いを始めようとしていた手が止まる。

「マイクロブラックホールが組み込まれた細胞――簡単に『MB細胞』と呼んでみるけれど、雪子ちゃんたち警察は、改造人間そのものというより、『MB細胞』の技術を秘匿しようと必死になっているんでしょう? 『MB細胞』は、人間が単独で空を飛べるほどの高出力エネルギーを、原子力並みに半永久的に放出する驚異の生体エネルギー源。これを人間単体が放出できるとなれば、犯罪者はたくさんの使い道を思いつくでしょうね」

「……その通りです」

 近年、民間ではウェアラブルだのIoTだのという言葉が流行っているが、軍事の面でも同じく、兵士個々人をIT技術によりリアルタイムで情報共有できるようにするとか、さらにそれらを一体化させたパワードスーツで兵士1人1人の戦闘能力を強化しようとする研究が進んでいる。現在、それらの要素技術は全て実現しているが、まだ戦場でパワードスーツは実用化されていない。なぜなら、全てはエネルギー源がボトルネックとなっているためだ。

ハイテク装備を積んだパワードスーツも、バッテリーが切れてしまえばその時点で荷物以外の何物でもなくなってしまう。生体兵器テロ対策課の『機械化機動隊』が活躍できるのも、背後にインフラが整っているからこそ。これが本格的な野戦となると、今のパワードスーツのバッテリー駆動時間では心もとない。

逆に、このエネルギー問題さえ解決できれば、個人装備も無限の発展性を見せる。そして発展するのは警察や軍隊だけでなく、犯罪者も同じだ。

「あなたのいう『MB細胞』が、どれだけの脅威を秘めているのか、理解しているようですね」

「そうねえ。私は、最初は『MB細胞』さえ使わない改造技術なら、警察も規制しないだろうと思ったわ。でも調べていくうちに、そんなものは存在しないってわかった。改造人間の驚異的な治癒力も、『MB細胞』のエネルギー生産力があるからこそ実現している。改造技術と『MB細胞』は、不可分の関係みたい。『MB細胞』の無い改造技術なんて、それこそ『カレールーの入ってないカレー』並みに矛盾する存在なのよね」

 春海は、袖だけをまくっていたYシャツを肘より上までまくり上げ、両腕を雪子の方に出して見せた。

「例えば、私が両腕を切断したとして、これを再生しようとするわね。腕1本分の細胞が増殖するのに、人間だといったい何ヶ月かかるのかしら? 細胞の増殖速度を上げようにも、結局は血液循環で回って来る酸素でエネルギー生産量が制限される以上、限界があるわ。でも『MB細胞』なら、その制約にとらわれず、可能ならばその日のうちに腕を生やすことも可能でしょうね」

「そうです。それほどの能力があるからこそ、『MB細胞』の技術を規制せざるを得ないのです。あなたの言ったような、再生治療にのみに技術が使われるのなら、私たちが規制する理由はありません。しかし『MB細胞』は、体に宿った時点で多種多様な使い道があります。エネルギー源が体内に組み込まれれば、再生治療と称して作り上げた身体も、プログラム1つを書き換えるだけで超人の身体になり得ます」

「だから日本警察は、銃器と同じく『MB細胞』の存在そのものを非合法として取り締まっている。『人を殺すのは銃ではなく人自身だ』と主張するアメリカで、年間3万人が銃犯罪で死んでいることから考えると、人間の倫理なんて信用できないものだものね」

 雪子は、春海の考えが自分たちとそう違わないことに少し安心した。

「では、それを知ったあなたは、これからどうするのですか?」

「んー、そうね。『MB細胞』の潜在的な脅威があったとしても、私は必要な人に必要な技術を届けたいと思うの。この気持ちは変わらないわ」

 それでも、春海は雪子ら警察と同調する気はないようだ。

「既存の再生治療では手に負えなくても、『MB細胞』の細胞増殖速度を生かした技術で救える患者はたくさんいるわ。例えば、テロ事件での私とかね。中枢神経を損傷した当時の私は、今すぐ死ぬか死なないかの瀬戸際だった。その場面で、中枢神経を再生できます、しかし完全に再生し終えるのは3か月後です、なんて言われていたら、私は翌日にでも死んでいたわ。数時間という短い時間で細胞増殖と治癒が完了する『XG-0』のおかげで、私は今生きているの。私と同じ境遇になる人は、日本国内だけでも年間何人もいると思う。その人たちを助けられるなら、私は改造人間が普及することに賛成だわ」

「あなたは頭がよく、倫理観にも恵まれた人物です。しかし、世の中はあなたのような良い人だけがいるのではありません。社会に拡散した『MB細胞』――そして改造人間がどんな脅威になるのか、あなたはまだ理解が薄いようです」

「それでも私は、可能性を捨てきれないわ。医者を目指す者として、死に際にいる人たちを放っておけないの」

 穏やかな春海の笑顔の奥に、強い意志が隠されているのを、雪子は感じ取った。

 残念だが、今の春海とはわかり合えそうにない――雪子は、残念な気持ちでいっぱいになった。

(それでも、私の意志を貫き通すだけです。彼女が医者の卵としての意志を持つのなら、私は戦士の卵としての意志を持ち続ける)

 容易ならざる相手だと感じた雪子は、静かに春海から離れ、道端のゴミ拾いを再開した。

「ところで話が変わるけれど、雪子ちゃんって、どんなタイプの男子が好みなの?」

 再び、かがんで地面の紙くずに伸ばしていた手が止まった。

 この質問の意図は何だろう。自分を撹乱しようとしているのだろうか。

「……ノーコメントでお願いします」

「あら、そう。こういうお話は、もう少し仲良くなってからの方がよかったかしら?」

 うまい答えが見つからず、雪子は無言を貫いた。

 春海はそのままゴミ袋を片手に、ここから少し離れた歩道橋の下に移り1人でゴミ拾いを始めた。春海の笑顔が、なぜか満足そうに見えたのは気のせいだろうか。

 雪子が「ノーコメント」としたのは、単に質問の答えたくなかったからではない。正確な答えが自分の中でもわからないからだ。

 雪子にとって、同じ年代の男女と日常を過ごしたのは、11歳が最後である。それ以来、同い年の学生たちと囲まれる生活は経験していなかった。

 だから、思春期の恋愛がどんなものなのか、自分が誰に対してどんな感情を抱くのか、自分でもわからない。小学校のころに淡い憧れを抱いた男子がいたとか、そんなレベルの話しか自分は持ち合わせていない。

 ただ、恋愛云々は別として、どんな男性を尊敬できるかというと――。

「……」

 他人のために必死になれて、自分の身が危うくなっても逃げ出さない、あきらめない。そういうことができる人なら、心から尊敬できるだろう。雪子は思った。

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