第13話 第1編 科学の厄災 13:同じ生体兵器として
「第1章 結末」という段階の話です。ぶっちゃけ、そんな派手な結末ではありませんが。
これまでの話は、完全に竜兵のことを中心に書いてきたと思います。この話から徐々に雪子や春海について掘り下げていきたいと思います。
それではよろしくお願いします。
第13話 文字数:9017文字
※次の第14話は、結末の最後、ラノベでいうエピローグ的な章なので、文字数は少なめになります。
「またその、抽象的でわかりにくい名前の法律か」
中島は、わざとらしくため息をついた。
竜兵は、それが今まで聞いていた規制法規にあたる法律だと理解した。改造人間の存在を即違法とする法律だ。
「俺はともかく、黒山は『改造』を受けたわけじゃないだろ」
「それは、調べてみなければわかりません。少なくとも、一般人と異なる能力を持っていることは確かですから」
「なんとまあ、くだらない言い訳だ」
中島は、余裕の笑みを浮かべている。
竜兵も彼女に言いたいことがある。
「土曜日は世話になったな。あんたら警察の態度のおかげで、俺は意を決して春海を助けることができた。あんたらは間接的に春海の命を救ったんだ。感謝するよ」
「黒山、なかなか洒落の効いた皮肉じゃないか」
変なところに感心する中島に対し、正面の雪子は表情1つ変えずにいる。ただし竜兵には、彼女が内心でムッと思っているのを雰囲気から察した。
「黒山竜兵。あなたは、自分の実行したことの重大さがわかっていないようですね」
目の前の雪子は、感情を抑えながら言った。
「あなたが反抗すればするほど、規制当局の見る目はさらに厳しくなり、結果として規制がさらに強まるのです」
「そうかもしれないけど、存在自体が禁止されてる今、これ以上規制が強まる余地があるのか?」
余談だが、小学生のころ、門限を破って春海の父に叱られたとき、全く同じ意味で叱られたことを竜兵は思い出した。約束を守って信頼を積み上げれば、規則はどんどん緩く、自由になる。逆に約束を破って信頼を失えば、規則はどんどん厳しくせざるを得ないと。
「建前と本音、法律で定められていても、実際には黙認されている場面はあります。あなたや竹石晴海が、土曜日から今日まで逮捕も職務質問もされなかったことを不思議には思いませんでしたか?」
「俺たちの存在を、警察は黙認するつもりだってのか?」
「私は反対しましたが」
雪子はゆっくりと頷いた。
「ただ一方で、あなたの一連の行動に、警察はあらためて改造人間の危険さを認識しました。ごく普通の男子高校生が、決定的な手かがりを残さずに3人の男を殺害したり、警察の最重要機密を盗み出すことに成功したのですから」
素人が改造を受ければ、その道のプロも出し抜くことが可能になった――確かに、警察組織にとって竜兵はショッキングな存在だろう。
「そして今、白昼堂々と別の改造人間と暴れています。しかも幸か不幸か、警察のパワードスーツ部隊でも歯が立たなかった相手と、あなたは互角に戦えるほどの強さを秘めています。これ以上、あなたを放置しておくわけにはいきません」
「――へえ、放置できないなら、どうするんだろう?」
竜兵と雪子の間に、中島が入った。
「俺はともかく、黒山は生まれながらの生体兵器だ。原理上、『普通』の人間に戻すことはできない。それなら、どういう手段で対処するのかな?」
中島の問いに、雪子は口をつぐんだ。
竜兵も、生易しい手段では済まないだろうと想像はしている。
(生まれながらの生体兵器……そもそも俺は、人間扱いしてもらえるのか?)
しばらくして、雪子がわずかに体を震わせながら口を開いた。無表情で淡々としていた彼女から、初めて感情らしい何かを竜兵は感じた。
「あなたが勝手に振舞えば、あなただけでなく他の改造人間や生体兵器、さらには派生する技術全般への風当たりが強まることを理解してください。生体兵器である私が自由に外を歩けるのも、周囲の多大なサポートがあったおかげです」
「そういえば、どうして俺たちと同い年のやつが、警察官になってるんだ?」
竜兵は、本来なら真っ先に訊くべきだった疑問を今思いついた。
「それは、黒山も想像できることじゃないかな」
再び中島が口を挟んだ。
「パワードスーツ部隊が俺たちに大敗北したのが1年前。一方で対抗する『XG-0』はついこの前完成したばかりだった。警察が彼女を利用する理由は……?」
「――なるほど。警察は、不足する戦力を埋めるため、とにかくすぐに改造人間が欲しかった。だからJKだろうが利用できるものは利用したってわけか」
「その『利用する』という言い方はやめてください。私が戦っているのは、あくまで自分自身の意思です。しかし、テロリストは何でも知っているんですね……」
雪子は中島を睨んだ。一方の中島は、余裕の笑みを浮かべている。
「半年ほど前、警察の改造人間――真っ黒な身体に鮮血のような紅い瞳を持つ改造人間の噂が立ち始めた。しかし君は、どういう経緯で警察に協力することになったんだ?」
中島の問いに、雪子は答えなかった。中島は言葉を続けた。
「きっと偶然警察が、何かの捜査中に君を見つけたんだろう。その後に警察が君を体制側の戦士に仕立てたのは、人間扱いする名目をつくるためだ。例の規制法に従えば、生体兵器は原則全て殺処分。でも、いくら法律だからって女子高生と全く同じ外見の生体兵器を処分するのは気が引ける。だけどそうと言っても、超人的な力を持つ17歳を、一般人として開放するのは危機感が足りない。それならば監視付きの一般生活を送らせればよい。さて、どういう名目で警察の監視下に置こうか――警察のお偉いさんが頭を悩ませた結果が、警察官と同等の役割と義務を与えること。警察側も、体制のために戦ってくれる駒を欲しがってたし、ちょうどよかったんだな」
「そういうことかよ……!」
生体兵器は、基本的に全て殺すことで処分している。たとえ、どんなに人間と同じ姿をしていても。今目の前にいる彼女も、当然のごとく処分が検討された。しかし警察としては、自前の戦力を確保したい。だから彼女を利用しよう――。
竜兵は、怒りよりも落胆を感じた。雪子の処分の検討にしても戦力化にしても、まず考えなければならないのは雪子自身の自由のはずだ。それが完全に抜け落ちている。役所の人間は、そんなことも考えられないのか。
はっきりとした反論をしない雪子を見る限り、中島の語った内容で概ね間違いないのだろう。
「……黒山竜兵。あなたのせいで、私をかばってくれている上司の立場が大変危うくなっています」
今までと同じ、淡々とした声。しかし竜兵は、今までで最も大きな感情の振幅を彼女から感じた。
「警察上層部には、私を研究施設に閉じ込めておくことを主張する人たちが大勢いましたし、今もいます。しかし私の上司が上層部を説得しくれたおかげで、私は届出さえあれば自由に外出できることになりました。それにその上司は、あなたや竹石春海への対応でも、早急な身柄拘束に反対し、監視付きで通常の生活を過ごさせようと説得に動いています。なぜだかわかりますか? その方は、私やあなたたちの自由をできるだけ尊重したいと本気で考えているからです。ですが今、『XG-0』を外部の者に持ち出された責任を追及されています。さらに、あなたが法に背くことを続ければ、穏健派のその方もこれ以上かばいきれなくなるばかりか、その方自身が厳しい責任を負わざるを得ません」
「辞職の瀬戸際にいるのは、井出口さんか中原さんか?」
竜兵は事件当日に出会った警視庁警視の名前を思い出した。その予測に対して、雪子は頷いた。
「井出口さんは、良識ある優秀な警察官僚です。井出口さんがいなくなれば、私が他の人と同じように外出することは不可能でしょう。あなたも、昨日今日と過ごしてきた日常を、もう送れなくなるかもしれません」
竜兵にとって井出口は、真面目だが最終的には信用ならない典型的な小役人に映った。しかし政府や警察には彼以上に狭い考えの人間がうようよいて、さらに井出口のおかげで自分や春海がかなり甘い措置で済みそうだということに、やや意外性を感じた。
(警察の中でも、一枚岩じゃないってことか)
雪子は強い声で続けた。
「井出口さんだけでなく、生体兵器テロ対策課の方たちは、優しい方ばかりです。私をできるだけ同年代の人間の少女と同じ環境で生活させたいと願ってくれたり、あなたが『XG-0』を持ち出した行為にも、少しですが理解を示してくれています。あなたの友人が瀕死に陥ったあの日には、本気で技術流用を考えて、各官庁に怒鳴り込んだメンバーもいたんですよ」
あの事件の日、竜兵は井出口や中原や雪子に向かって叫んだ。そんな竜兵と同じ理不尽さを感じ、内部の人間の立場で可能な限りを尽くしてくれた人がいたことに、竜兵は純粋な感謝の意を心の中で告げた。名前も知らないその人たちに。
「半年前から、生体兵器テロ対策課は一定の穏健な信念のもと、地道な活動で実績と信頼を勝ち得てきました。私も、未成年ですが可能な限りのお手伝いをしました。上層部への信頼を勝ち得てきたからこそ――もっと正確には井出口さんたちの努力があったからこそ、上層部は、私やあなたを一般人と同じ領域で生活させるというやり方を黙認しているのです」
そうか――。
雪子がどうして改造人間技術の封じ込めに必死なのか、やっとわかった。
もともと雪子は、『生体改造及び特殊能力規制法』の条文そのまま、生体兵器として厳重な管理下に閉じ込められる予定だった。そこを井出口らが必死になって守ってくれたおかげで、雪子は何とか人間らしい生活を勝ち取った。
今でも警察上層部には、雪子をすぐに施設に閉じ込めろ、新たに見つかった竜兵も身柄を拘束せよと主張する者がいる。しかし今日まで、雪子や井出口は任務を通じてそれらの声を撥ね退けてきた。雪子は施設に閉じ込めなくても社会に迷惑をかけないし、彼女がいるからこそ生体兵器テロ対策課の戦いが成功している。だから井出口たちは、自分たちの考えが正しいのだと上層部を説得できた。
だがここにきて、急速に井出口の立場が悪くなった。その原因は全て、『XG-0』を盗み出した竜兵にある。
恩人が左遷されそうになっているだけでなく、竜兵の今後の態度如何によっては、雪子自身の扱いにも深刻な悪影響が及びかねないのだ。雪子が竜兵に対し、プラスの感情を抱くはずがない。
「あなたは、井出口さんたちが築き上げてきた実績や信頼を、全て崩そうとしています。それを自覚してください」
雪子が、溢れそうになる感情を精一杯抑えて言った。少なくとも竜兵にはそう聞こえた。
(俺のやったことは、俺の想定より遥かに大きな問題だったんだ。俺のせいで、俺や彼女を庇ってくれていた人が、とばっちりを食った……)
雪子の言葉が、竜兵の心を激しく揺らす。己のやったことが、味方となる人も災難に陥れ、自分と同じ人型生体兵器の自由を奪いかねない結果になったことは、とても悔しく感じた。完全に自分本位でしか物事を考えられていなかったと、竜兵は猛省した。
「個人的な意見ですが、あなたは生体兵器の能力を安易に使用すべきではないでしょう。あなたは自分の安全性を社会に証明するために、我慢を覚えるべきだと私は思います」
それに対して、中島が腕組みをして唸った。
「黒山に対して、容赦ないな。でも――」
「でも、それはおかしいんじゃないか?」
竜兵は、中島を遮って自分の口を開いた。雪子の視線が微かに動いた。
「俺は、16年前の3月29日に、他の人間と同じように生まれた。普通の日本国民と同じ自由を持ってね。それなのに、警察上層部に気にいられないと自由が認められないってのはおかしいことだろ」
「それは――」
「俺が生体兵器だからか? でも生体兵器だから何なんだ? 俺は1人の、ただの自由人だ。俺の自由に、警察上層部の意向は関係ないはずだ」
竜兵自身、確かに考えの及ばない部分が多々あり、井出口や雪子に迷惑をかけたかもしれない。だが、それとて竜兵の自由を奪う理由にはならない。
人間は生まれながらにして自由に生きる権利がある。それは竜兵自身も同じで、政府や役所の規制で奪っていいものではない。
「……もう1度言います。あなたは『生体改造及び特殊能力規制法』に違反しています。私は法律を執行するまでです」
「俺は、生まれ持った才能をちょっと使っただけだ。しかも、それ相応の場面でな。勝手に才能まで規制する法律なんて、俺は認めない。どうせなら、土曜日の強要罪の逮捕状を持って来い。まあ、逮捕状があろうがなかろうがどっちにしろ、春海にも手を出してたら、俺は承知しねえからな」
雪子は雪子なりのやり方で、自由を獲得た。竜兵は竜兵なりのやり方で、自由を勝ち取るつもりだ。
雪子の全身を覆っていた緊張がやや解れ、彼女は小さくため息をついた。それから急に皮膚に黒い斑が現れたかと思うと、急速に彼女の顔や手が真っ黒に染まっていく。真っ直ぐな瞳にも、血が湧き出たような紅色が広がって行く。
紅い目と黒い肌の超人――竜兵自身と同じ種類の改造人間、いや生体兵器が目の前に出現した。
「あなたは、何も現実をわかっていません。――実力行使を始めます」
燃えるような瞳で竜兵を睨みつけたまま、雪子は堂々と言い放った。
その振る舞いに竜兵は圧倒される気分になった。やはり同い年とは思えない。
彼女は背負う覚悟が竜兵とは違う。半年間、自らを懐疑的ないしは敵対的な目で見てきた警察上層部の下で、自分の価値を主張してきた雪子。彼女がどんな思いで警察の仕事についているかはわからないが、生半可な気持ちではないはずだ。同い年の人間として、竜兵は素直に尊敬できる。
(でも、俺だって負けてられねえ……!)
竜兵の信念も固い。雪子たちのやり方は間違っている。政府の都合で、技術的に救える命を捨てることは許せない。中島たち『自由同盟』のようにやたら滅多に人間を改造するのは反対だが、少なくとも他に回復手段の無い患者のためには、改造技術の使用を許可するべきだ。
加えて、生体兵器だからと問答無用で自分や雪子の自由を奪おうとする連中も許せない。自分たちは政府や役人の持ち物ではない。
竜兵は、両足幅を整えて構えた。すると雪子は、脚力と跳躍力を利用して一瞬で距離を詰めてきた。
(――速い!)
彼女が繰り出した一撃目の正拳突きは左手で防いだものの、次の蹴りをもろに左の横腹に打ち込まれた。骨と内臓に衝撃が響き、小さなうめき声まで出てしまった。
それでも、生体兵器なりの耐久力で竜兵は痛みに耐えた。すぐに竜兵は雪子の顔面を狙ってパンチを出すが、拳は空を切る。
雪子は竜兵の攻撃を避けながら位置を変え、様々な方向から竜兵に突きや蹴りの打撃技を繰り出してくる。
「警察を甘く見ないことです」
竜兵は彼女の攻撃の大部分を防いでいるが、明らかな劣勢だ。攻撃ではなく防御に意識が集中てしまい、相手の動きをとらえるインパクトのある攻撃を当てられないでいる。そのためにさらに雪子からの攻撃が強く激しくなり、やはり防御に集中せざるを得なくなる。悪循環だ。
竜兵かも雪子の攻撃の合間を縫って技を繰り出すものの、雪子の防御動作に阻まれ手ごたえはあまりない。竜兵は、彼女より少し大きな体格と長い手足を利用して攻撃を掠らせているように思える。
「その程度ですか?」
「……どうだろうな?」
自分の防御動作を無視して、無理にでも雪子に攻撃を当ててみる。雪子の正拳付きをそのまま左胸に受けてしまうが、見返りに勢いをつけた中段蹴りが彼女の脇腹を的確にとらえた。
彼女の表情がわずかに歪んだ。今までとは違う大きさのダメージを与えられたと実感する。
しかし、無防備な脇腹を蹴ったはずだが、非常に硬いものを足で蹴ったようだ。それこそ、コンクリートの壁を思い切り蹴ったような感触だ。
(リキッドアーマーとか春海が言ってたけど、あれは本当らしいな)
急所への攻撃だったが、硬化した組織により衝撃が分散される。さすがは生体兵器――まさに戦闘のための生物だと実感する。
次の攻撃が来る。左横から、雪子の拳が竜兵の顔面目がけて飛んでくる。それを裏拳で弾き飛ばす。雪子は読んでいたかのように左足で蹴りを繰り出す。竜兵は脚を構えて何とかガードする。
それでも、いくつかの攻撃を竜兵はくらってしまう。リキッドアーマーのおかげで致命傷にはならないものの、ダメージは蓄積していく。所詮、竜兵は素人。半年間とはいえ、警察で正式に訓練を積んでいる雪子の戦闘力には歯が立たない。
再び、相手の攻撃リズムを無視した、無理な攻撃を出してみる。雪子の勢いのついた蹴りを右太腿に受けるのと引き換えに、竜兵は彼女の胸元――鎖骨のあたりに渾身の右ストレートを当てた。
互いが少しだけ後ろに仰け反る。竜兵は痺れるような痛みが右腿に残ったが、雪子の連続攻撃を止めることに成功した。
再び、お互いに手を止めて相手の出方を伺う。
(……今のやり方はまずかった。消耗戦になればなるほど、俺が不利だ)
彼女の鎖骨を殴った右手の感触を何度も思い出しながら、竜兵は頭を悩ませた。
リキッドアーマーは、一般人の皮下脂肪にあたる組織がその役割を果たしている。男より女の方が皮下脂肪がつきやすいと言われるが、生体兵器もそれと似たようなものだろう。雪子の女性らしい体格が、そのまま防御力の高さに直結している。渾身の右ストレートでも、彼女へのダメージは想定よりも少ないようだ。
一方で攻撃でも、警察で格闘術を学んだ彼女の連続攻撃に分がある。竜兵が対抗できるのは、カタログスペック上でのリーチの長さと、せいぜい一撃の威力くらいか。
「これ以上の悪足掻きは無駄です」
正面からこちらを見据えて断言する雪子。それに対し、竜兵ははっきりと答えた。
「……いや、無駄じゃねえよ。足掻けば足掻くほど、俺がどれだけ本気なのか、あんたらは知ることができる。もしこのまま引き下がれば、俺は駄々をこねるガキにしか見てもらえない。でもここで粘れば、あんたらは俺や春海の思いを体の芯まで覚えるはずだ」
「最終的な結果は同じです」
「どうだろうな。とにかく、よく覚えておけ。俺の本気を!」
一瞬のフェイントを入れて、前方に向けて大股で踏み出した。動きの先手は竜兵だ。
受動的になりながらも、こちらの動きに対応した姿勢をつくる雪子。ほとんど反射に攻撃と防御のどちらも繰り出せる姿勢をつくるとは、相当の鍛錬を積んでいる証拠だ。
竜兵はすれ違いざまに、跳びはねながら彼女の脇の下を蹴り上げた。やや狙いははずれ、彼女の肩の筋肉をローファーのつま先が捉えた。
着地と当時に踏み切り、再び跳び蹴りを雪子の背後から放つ。今度は空中回し蹴りで、雪子の肩甲骨に一撃を加えた。
着地して、再び相対する。雪子は痛みを顔に出さないが、先ほどまでとは明らかに違う表情になっている。具体的に言えば、顔から余裕が少し消えている。雪子の戦闘意欲を失わせるには程遠いが、確実に彼女の体に今までとは別の感覚を覚えさせることに成功した。
(全く……、中島とやりあった教訓を全然生かせてなかったな)
竜兵には、器械体操で鍛えた抜群の空中バランス能力がある。空手の打撃技もあるし、当時の道場の先生は中国武術にも精通していたため、幾種類かの空中技も教えてもらった。
自分の得意分野は、適当な間合いを開けて空中技を駆使する、一撃離脱戦法だ。間合いは、雪子の連続攻撃に巻き込まれないほど広く、一方で彼女の腰の拳銃を使わせないほどには狭くとる。相手の隙を見て、攻撃力の高い一撃――できれば蹴り技を打ち込む。
今までは雪子の腰の拳銃を意識して、間合いを狭く取り過ぎていた。狭い間合いが得意な雪子の流れるような連続攻撃に竜兵は苦戦したが、今度は自分の得意な領域に持ち込んでいく。
(中島の衝撃波と同じだ。拳銃にビビってたってしょうがねえだろ! ――ん、中島はどこに行った?)
完全に意識から消えていた彼の存在を思い出したとき、公園の端から例の破裂音がした。
竜兵も雪子も、すぐに意識が音のした方向に向く。見ると、10名ほどのパワードスーツ着用の隊員が倒れており、その先の道路に止まるグレーのセダンに中島が乗り込む一部始終が目に入った。
雪子は竜兵との戦闘を中断し、倒れている隊員たちに駆け寄った。そのうち指揮官らしい1体の脇に膝を下ろした。
「中原さん、申し訳ありませんでした! すぐに応急手当てをします」
「そう焦らなくて大丈夫だ。こっちは命に別状はない」
中原といえば、竜兵は2度会っている。1度目は拝島利樹の自宅で、2度目は例のテロ事件後の病院で。その時の30歳くらいの刑事か。
彼のパワードスーツは、主に下半身の損傷が大きい。特に左足の末端部。左の下腿骨を折っているかもしれない。
何だか複雑な気分だ。自分と彼女が本気で戦っている間に、真の敵である中島にまんまと逃げられてしまった。
(『機械化機動隊』の4人が負傷か。俺のせいでもあるのかな……)
4名の隊員を、その2倍くらいの数の隊員で取り囲み、担架で運び出そうとしている。そんな場面を数十メートル離れた場所から見ていると、改造人間の持つ力がどれほどのものなのか、また思い出した。
「ずいぶん、大騒ぎになっているのね」
よく聞く声がして振り向くと、後ろには変身状態の春海が立っていた。
空はもう暗くなっているが、紺とスカイブルーの2色の改造人間の外観が、くっきりと闇に浮かび上がる。
ただ不思議なことに、彼女は陸上部で使うようなぴったりとしたタイツを着用している。
「春海、どこにいたんだ?」
「ずっと物陰から隠れて見ていたわよ。パワードスーツのセンサー類に探知されない、少し離れた場所からね。竜くんが本当にまずくなったら飛び出せるように、準備していたのよ」
「それでそんな格好をしてたのか……」
春海は、竜兵と中島との会話もおおよそ全て聞いていたというのだから、相当早いタイミングからこの近辺に隠れていたのだろう。
春海は、学校で竜兵の電話の話を聞いて、すぐにただ事ではなさそうだと察知し、先回りをして下校、さらに24時間体制で見張る警察の尾行を撒いてからここにいたのだという。
「さてと、帰りましょうか。ゆっくりと戦略を練らなきゃね。今日で色々な情報がわかったわけだし」
「そうだな……」
今日1日で、また色々なことが判明した。自分でも、ゆっくり考える時間が欲しいと思った。
竜兵と春海は変身を解除し、春海はタイツの上から制服のスカートを履くという技を駆使してすぐに身なりを整え、2人はゆっくりと公園を後にした。警察には、彼らを追う余裕はないようだ。