第1話 第1編 科学の厄災 01:異形の怪人
近年はあまり見なくなった改造人間ものを書きます!
以前(といっても相当前ですが)に別の名前で小説家になろうで連載していた話のリメイク版です。
ただし前のシリーズの登場人物等は一切引きずっていないので、初めて読む方でも大丈夫です。
それではみなさん、よろしくお願いいたします。
都内、私立三本橋高校に終礼のチャイムが響き渡る。月曜日の、皆がかったるいと思う1日の終わりを告げる音だ。
「今日のHRはここまで。今週からはテスト期間だ。部活が無いからと言って遊びに行くんじゃないぞ?」
担任の、あってないような忠告を最後に、クラス委員長が号令をかけた。そそくさと教室を出て行く担任と対照的に、クラスの中では皆がざわついている。早速来週のテストを気にする者、友人たちを遊びの誘いに行く者など様々だ。
(さてと、俺はとっとと帰るとするか――)
黒山竜兵は、ゆっくりと机や鞄の後片付けを始めた。1週間もまとまって陸上部の活動がない期間はそうそう無い。先週には都大会があったばかりで、たまった疲労を抜くにはちょうど良い。今日は家でゴロゴロしながら、英単語の暗記など簡単なところから勉強に手をつけようと思う。今日の放課後プランはそれだ。
「おい、竜兵。今日は繁華街に遊びに行こう。天気予報によると午後から南の風が強くなるらしいから、きっとパンチラが大量に拝めるぞ!」
竜兵の放課後プランをぶちこわしにやってきたのは、野辺海斗。竜兵から見ればバカで変態でどうしようもない人間なのだが、これでも柔道部のエースである。身長180センチ近く、かつ体重100キロ以上もある筋肉質の男子が竜兵の隣にやってきた。隣に立たれると、高さ以上に体の幅を感じる。彼がしゃべるとき、顔の動きと連動して3ミリの丸刈り頭と額が光っているようにも見えなくはない。
竜兵は、座って机に視線を向けたまま、声だけで海斗に返事をする。
「……海斗、結論から言うとやめておいた方がいい。おまえの授業の理解度を考えると、そんな余裕があるとは思えない。俺自身も、今日は家で休みたいんだよ」
「まあ、確かにそうかもしれない。でも、テストまであと1週間もあるじゃん。勉強の時間はまだたっぷりある。それに今日みたいな晴れて風の強い、パンチラ観察の絶好日は次にいつ来るかわからない。今日を逃す選択肢はないだろ」
情けない屁理屈を述べる海斗に、竜兵はため息が出てきた。
「竜兵、おまえのその低い背なら、スカートの下をのぞき放題だ。さらにおまえの紅い目。メラニン色素が全く無く暗闇でもよく見えるらしいが、それは夕刻のときでさえ、どんなわずかなパンチラも見逃さず感知できることを意味する。おまえは俺よりも、ずっと恵まれた立場にいるんだぞ? おまえはどうして俺と一緒に来ないんだ?」
「俺の体はパンチラを見るためだけにできてるんじゃないんだぞ……?」
会話からしてバカ丸出しである。竜兵は頭が痛くなった。
ちなみに竜兵の身長は157センチ。高校2年男子の平均値に比べるとかなり低いが、海斗の言うようにスカートの下をのぞき放題にはならない。あと生まれつき竜兵の瞳は鮮やかな真紅に染まっているが、これは瞳の部分にだけメラニン色素が欠ける特殊な体質らしい。取り立てて目に悪い影響があったことはないが、その代わりに暗闇でも目が聞くということもない。
「おーいキム、おまえも来いよ。今日は3人でパンチラ探索に行こうぜ!」
「おう!」
早速、呼ばれた本人――金益洙が鞄を担いで竜兵の机まで大股でやってきた。
韓国から留学してきたキムは相撲部所属。身長は海斗よりもやや低い程度だが、130キロ以上はありそうな肥満体は遠くからでも一発でわかる。おまけに髪型はオールバックとまるで悪役プロレスラーだ。ちなみに成績は海斗以下である。
「よっしゃあ海斗、今日は隣町の繁華街にしようぜ。あそこは道幅が広くて強い風が吹きやすいからな」
「そうだな。それから駅の反対側にある公園にも行く。あそこは踊り場の無い長い階段があるから、下でスタンバってれば必ずチャンスがあるはずだ」
さっそく作戦を立て始める2人。どうせなら来週のテストの作戦を立てるべきだとも竜兵は思ったが、2人はテストのことなど微塵も考えていないようだ。
(まっ、少しくらい付き合ってもいいか。遊びながら、こいつらの勉強の進捗を確認してやろう。……俺もお人よし過ぎるか?)
竜兵自身も、帰り支度を始めた。
そのまま3人で学校を出て、隣の駅へと移動した。海斗と金は、移動中の階段でもあからさまに目線を低くすることを繰り返していた。
そして繁華街に到着。3人はゆっくりと歩きながら、来たる風を待つ。
「俺が日本の高校に入学してから、もう1年以上になるのか。俺は韓国にいるとき、日本の女子高生は全員が膝上20センチのミニスカ制服を着ていて、体育のときはブルマー着用だって思ってた。そのために、一生懸命日本語を勉強した。でも、現実は違った……」
「アニメと現実の区別をつけような?」
「――おまえら、静かにしろ。いい風が吹きそうだ」
海斗が急に真面目な顔をして、歩く足を止めた。そして前方を歩く制服を着た同年代の女子3人組に視線を向ける。
ちょうどそのとき、突風が吹いた。電線が揺れ、道端のゴミ袋が転がる。まさに海斗が示した絶妙なタイミングで吹いた風。その風は、前方の女子たちのスカートを、ほんの一瞬だが巻き上げることに成功した。
「野辺海斗、目標の補足に成功!」
「白、ピンク、黒!」
「バカ、聞こえるぞ」
興奮して声を上げようとする2人を止める。バカをするにも、他人を巻き込んではいけない。
「よし! 最初の目標は達成だ。次は公園の階段で、風でも何でもない、本当に自然なパンチラを拝みにいくぞ」
海斗の中では、風が吹いて見えるパンチラと風が吹かないで見えるパンチラの間に大きな違いがあるらしいが、竜兵にはその概念がさっぱり理解できない。
それにしても、パンチラという現象1つにここまで情熱を傾けられるとは。
「おまえらなあ、その行動力を少しでも勉強に使ったらどうなんだ?」
「竜兵、どうしてそんなに冷めてるんだ? 女の子の、それもかわいい女の子のパンツが見えたんだぞ? 男として当然の喜びを表現すべきじゃないのか? なあ、キム?」
「全く、海斗の言う通りだ。――ああっ、さてはおまえ、一緒に住んでる竹石春海の下着を見放題なんだな! 今のパンチラに何の価値も感じねえって顔してるぜ!」
「そうだった。竜兵は俺たちとは比較にならないほど恵まれた立場にいるんだ! クラスのアイドル、いや学校のアイドルの竹石春海と一緒に登校してきて、一緒のクラスで授業を受けて一緒に弁当食って、一緒に陸上部で練習して一緒に帰る……24時間365日ずっと一緒にいるのがこいつなんだ!」
「パンツを含めて下着はいつでも手に入る。きっと一緒に風呂入って、頼めばおっぱいとか触らせてもらえるんだろうよ。並みの刺激には反応しなくなってるんだぜ、きっと。他の男子は、竹石さんと廊下ですれ違うだけで股間が反応するってのに!」
「俺は、すれ違うまでもなく、声を聴いただけで体に電撃が走るぞ!」
「おまえら、言いたい放題じゃねえか……!」
少しだけイライラがこみ上げる。
確かに竜兵は、幼馴染と同居している。だがそれは同居せざるを得ない事情があるからこそ。それに、とてもじゃないが幼馴染をそんな目で見られる環境ではないのだ。
「さて、次のパンチラを探しに行こうか!」
今までのやりとりなど何も無かったかのように、海斗はこの先にある公園の方向を指さした。竜兵は、すぐさまイライラが収まって再びため息をついた。
「やめとけ。もう帰って、今日みたいに余裕のあるうちに、数学と化学の勉強を進めておけよ。海斗だけじゃなくて、キム、おまえもだぞ。2年生最初の中間テストで赤点を取ったら、祖国の奨学金団体から援助を打ち切られるんじゃないのか?」
「う! そうだ。そしたら留学も強制終了しちまうんだった。やべえな、韓国には戻りたくねえぞ……」
「おまえら、数学も化学も基礎コースだろ。教科書の例題と練習問題がきっちり解ければちゃんとした点数か返ってくる。今日のうちに、例題だけでいいからノートに解答を書いて明日持って来い。半分くらい解けない問題だろうが、とにかく明日、解けなかった部分を教えてやるから」
「はーい、竜兵先生。お願いします」
「竜兵先生がそう言うんだから、しょうがねえな。今日は帰るとするか。――あっちの公園の中を通って、隣の駅から帰ろうぜ。俺たち全員、そっちの方が帰りが早いだろ」
キムの提案で、3人は近くの公園を横断して、降りた駅とはまた別の駅から電車に乗り、それぞれの家に帰ることにした。
この近くは起伏の多い地形で、ここから公園に入る前に急な階段を昇らなければならない。海斗やキムがパンチラポイントとしているのももっともで、コンクリートでできているその会談は、竜兵たち男子高校生も手すりが無ければ不安になるくらい勾配がきつい。
「俺たちの前をミニスカを履いた女子が歩いていれば、この急で長い階段も辛さを感じないのに……」
「くそ、相撲部のデブにこの登りはきついぜ……」
体重の軽い竜兵はともかく、100キロ以上の体重がある海斗とキムは階段を昇っただけでかなりの体力を使ったらしい。登り切って公園の広場に出ると、特にキムは地面に膝をついた。
「運動部のくせにだらしないな」
時刻は午後5時を回った。5月下旬の東京では、少しだけ空が薄暗くなる時刻だ。夕方の太陽の下、不意に3人の目には刑事ドラマで出てくるような黄色いテープが目に入った。
「あれ、警察が公園を占領してるな。せっかく階段を昇ったのに、公園の中を抜けられないのか」
「マジか! デブの努力が全て台無しになっちまったぜ!」
海斗とキムのいう通り、公園の中央には黄色いテープとブルーシートで囲まれた一角があり、スーツや作業服を着た数人の男たちが地面にへばりついたり数人と話し合ったりしている。
竜兵は、今朝のニュースを思い出した。
「確か一昨日の深夜、強盗殺人があったってニュースで見たぞ。結構うちの高校の近くだったのを覚えてるけど」
「ああ、俺も思い出した。会社帰りの中年サラリーマンが、深夜に殺されて財布を奪われた事件だ。でも、現場の公園がここだってことをすっかり忘れてたな」
「俺もだ。日本語の勉強のために読んでた今朝の新聞で――」
「キムが読むところは、芸能欄とスポーツ欄だけだろ?」
「いやいや、そんなことねえよ! 違うって!」
何にせよ、封鎖された強盗殺人の現場を通って行くのは、物理的にも心理的にもできそうにない。仕方がないので、3人はせっかく昇ってきた階段を降りて、やってきた駅と同じ方向に歩き出した。
「警察も不親切だよなあ。公園の中央が立ち入り禁止なら、こっちの階段の下にも看板を出しておくのが常識だろ」
「まあ、キムのいう通りだな。――でも、キムと海斗にはいい運動になったんじゃねえの?」
「130キロのデブにはきついんだよ」
「そうそう、竜兵は何を言ってるんだか。せっかく部活が休みなのに、どうしてわざわざ運動をしなくちゃいけないんだ?」
海斗もキムと同じく、著しい不合理を感じているらしい。
しかしこの2人から出てくる発言、柔道や相撲で全国大会に出場したスポーツマンのものとはとても思えない。
「……疲れた。ちょっと休もうぜ」
「おいデブ、せめて駅まで辿り着けよ」
「俺もキムに賛成。竜兵、ちょっと勉強教えてくれよ。さっきおまえは、例題だけノートに解いてこいって言ってたけどさ、たぶん俺たち、解ける問題の方が少ないから、1人で勉強するだけ時間の無駄だと思うんだ」
教科書の例題レベルで無条件降伏されると、竜兵はもう打つ手がなかった。
「しょうがねえな。ハンバーガーでも食いながら勉強するか」
竜兵はたまたま近くにあったファストフード店を指さして、2人を引っ張って店内に入っていった。
『竜兵、この教科書の例題ってどういうことだ? 教科書を読んでも全然理解できん。なんでこの問題だと、こことここがゼロになるんだ?』
『恒等式は変数がどんな値を取ろうが常にこの式が成り立つから、それぞれの係数はゼロじゃないとだめだ』
『じゃあこっちは? ゼロじゃだめなん?』
『そっちは恒等式じゃなくて、方程式として解かないとだめなんだよ』
『なあ竜兵、水素って1番構造が単純で、1番基本になる原子なんだろ。で、その原子がHって書かれるだろ。つまり宇宙の基本的要素はエロってことにならないか?』
『……キムは論外だな。今すぐ韓国に帰るべきだわ』
竜兵たちがファストフード店を出たのは午後8時過ぎ。今日の収穫は「海斗は化学の、キムは数学と化学の両方の例題レベルの問題がやっぱり怪しいことがわかった」程度だ。竜兵に付きっ切りになって勉強した2人より、彼らに付きっ切りになりながら自分の勉強を進めた竜兵の方が、はるかに進捗があった。
「あの2人は、赤点回避が目標だな。それ以上の高望みはできなさそうだ……」
完全に暗くなった帰り道、竜兵は少し遠くの駅まで歩いてから帰ることにした。最寄りの駅で電車に乗ってもひと駅ですぐに乗り換えなければいけないため、気分転換も兼ねて少し体を動かそうと思ったのだ。普段から部活で運動していると、いざ休もうと思っても体を動かさずにはいられない――そんな気分だ。
いつもは電車で通り過ぎているだけの町を歩いてみると、すごく新鮮な気分になる。近道のため住宅街の中を歩いてみたが、この地域には意外にも高級住宅が多い。そして思った以上に物静かで、すれ違う人は誰もいない。
そんな高級住宅街の一角にある、洒落た門と柵に囲まれた洋風の2階建て住宅。壁の色は暗くてよく見えないが、少し目を張ると抹茶が少し黒みがかったような濃い緑色をしているのがわかる。電灯の類は一切消えている。竜兵は、その住宅の傍を通りかかろうとしたとき、異変に気付いた。
住宅2階の窓枠付近で、黒い影がうごめくのを感じた。もう少し竜兵が不注意な性格だったら、気づかなかっただろう。
あらためて、気になった方向に視線を送る。やはり何かが、窓の隣に張り付いている。
ふと、その物体が微かに動き、窓枠から落下した。芝生の庭に静かで鮮やかな着地音を立てる。
(おいおい、こいつは泥棒ってやつじゃないのか……?)
窓枠にぴたりと張り付いていたのは、人間だった。ふと柵を挟んで、庭の中に立つその人物と向かい合う。しかし――。
(なんだ、こいつは!)
頭のてっぺんからつま先まで、濃いグレーで覆われている。つなぎのような作業着で全身を包んでいるのかと思ったが、よく見ると男はタンクトップと短パンしか着用していなかった。男の地肌そのものが、濃いグレーに覆われているのだ。それも、厚くて頑丈そうな皮膚をしている。その皮膚が顔面まで覆い、唇はその皮膚の延長として固く縁どられている。頭には水泳キャップのようなぴったりとした帽子をかぶり、目元はサングラスで隠している。どちらも黒色で、夜間には目立たない。
そして竜兵が度肝を抜かれたのは足元だ。もちろん靴は履いていないが、普通の人間の足とは形が違い、最初は「裸足」だと認識できなかった。何というか、足というより人間の手の形に似ている。足の5本の指は長く、逆に踵はほとんど目立たない。指の先には長く尖った爪がある。ふと思い出すのは、図鑑で見た恐竜の爪だろうか。おそらくは陸上競技のスパイクのように地面を捉えるためにあるのだろう。爪だけではなく、固そうな皮膚と言い全体的に爬虫類を連想させる形態だ。まさに「怪人」という言葉がしっくりくる。
サングラス越しに、男と視線が合ったような気がした。あまりにもあり得ない姿形をしていて、竜兵は咄嗟に逃げることも声を上げることもできず、ただじっと男を凝視することしかできなかった。サングラスと帽子を別にすれば、タンクトップと短パンと小さなリュックサック以外に何も身に着けていないこの男。ただの空き巣には見えない。
突然、男は柵を飛び越して竜兵のいる道路に飛び出してきた。竜兵の身長より高い160センチはありそうな策を、男は軽い両足ジャンプで超えてきた。
(ただ者じゃないな。高跳びの選手だって、こんな軽々とジャンプできるかよ)
男は家の住人でも関係者でもなさそうだ。おそらくは窃盗犯。不法行為を竜兵に見られたわけだ。
男は無言のまま、急に竜兵に飛びかかるように突進してきた。100メートルを10秒台で駆け抜ける竜兵を遥かに上回る素早い動きで、竜兵は避けることが一切できなかった。竜兵は体当たりをもろに食らい、数メートル後ろに突き飛ばされて反対側の家の塀に背中から激突した。衝撃を受けた瞬間に反射的に背中を丸めて頭をカバーするも、あまりにも強い衝撃のため背中・頭・尻の全身を塀に打ち付けてしまった。頭をゴチリと打った鈍い感触が身体を駆け巡る。
続けざまに男は、両手の爪をこちらに向けて駆け寄って来る。足についているのと同じような爬虫類らしい鋭い爪がある。あの爪で竜兵の体を抉るつもりだろう。
竜兵は、頭を強打したにも関わらず、竜兵は態勢を切り替えして男の攻撃をかわした。
(逃げる……しかないよな!)
しかし、1度かわした攻撃も2度はかわせなかった。スピードとパワーが一般人と桁違いだった。竜兵は鋭い爪の生えた手で左肩を掴まれ、驚くべき怪力で強引に上半身の骨格をねじられる。爪が体に食い込んだ痛みよりも、自分の意に反して強制的におかしな方向に曲げられる筋肉や骨の痛みの方が何倍も苦痛だ。
この一瞬で、竜兵はとても自分はこの男から逃げられないと悟った。諦めに近い感情も湧き上がってくる。
竜兵の動きを封じた男は、落ち着いたまま反対の手で竜兵の頭を掴んだ。そして、再び怪力で、竜兵は頭を顔から地面に打ちつけられた。その際に首の骨からおかしな音がした気がするが、まだ意識を保っている。
「やめろ……!」
地面にうつ伏せになった竜兵に対し、男はさらに頭を上から押さえつけて力を咥える。竜兵の頭蓋骨を丸ごと潰すつもりだろうか。
竜兵は、頭を押さえつけている男の手首を、自由になっている自分の右手で掴んだ。抵抗になっているかすらわからない抵抗を、竜兵は無意識にしていた。
たまたま空き巣現場に遭遇して、口封じのためにあっけなく殺される――こんな死に方があってたまらない。
(ふざけんなよ! なんで俺が、殺されなくちゃいけないんだ!)
その瞬間、電撃のようなショックが全身を駆け巡り、苦痛でいっぱいだった意識が急に晴れてきた。全身の筋肉に、今まで以上に力が入るような気がする。
不意に、頭を押さえつけている男の手から力が抜けた。さらにその直後、竜兵が握っている手の中で、何か固いものが砕けた。竜兵の握力で、男の手首の骨が折れたのだ。
同時に、掴まれていた左肩も自由になる。竜兵は、折った相手の手首を掴んだまま地面に叩き付ける。男はがくんと腰を落として、四つん這いのような姿勢になった。そのままその手を支えにして、うつ伏せから上体を起こす。そして反対側の左手で、すぐ近くにあった男の頭を押さえて、今度はこちらが相手の頭を地面に叩き付けた。パキリと乾いた音がして、男のサングラスが割れた。
先ほどとは完全に立場が逆転した。土下座のような姿勢で地面を頭に置かれた男に対し、竜兵がその頭と背中を抑え込む。
(えっ、なんだ、俺の手……!)
夢中になって男を押さえている自分の手の異変に気がつく。日本人としては中間くらいの濃さの肌の色をしていた自分の手が、真っ黒な皮膚に包まれている。手から腕にかけての皮膚の色が、墨で塗ったかのように変色しているのだ。
竜兵が自分の体に起きた異変に戸惑った一瞬の隙を狙って、男は地面を転がって竜兵の拘束から逃れた。
が、しかし。竜兵は男を逃さなかった。竜兵も無我夢中で地面の男に飛びかかり、背中に跨ってから首に腕を回し、精一杯の力で締めつける。さらに竜兵は、もう一方の手を男の顎に引っ掛け、首を外すように斜め上にひねりあげた。
力を入れて、1秒経過するかしないかのうちに、勝負はついた。男が声にならない悲鳴を上げたかと思うと、頸骨がはずれ、頭が力なく崩れ落ちた。
ぴくりとも動かなくなった男の亡骸から竜兵は離れた。あらためて男の身体を見る。身長は170センチ前後で、体格は標準か少し痩せている。際立ったアスリートには全く見えない。中肉中背の一般人が軽い運動を始めて脂肪が落ちた――せいぜいその程度の体つきなのだが、この体からは竜兵を押さえつけた怪力がとても想像できない。竜兵自身は体重に比して大きな力を発揮できるタイプで、体重100キロを超える海斗やキムとも互角に渡り合える部分は多い。しかし今回味わったパワーは、今までの経験とは全く次元の違うパワーだった。竜兵自身がアスリートだからこそ、理解できない。この男がそんなパワーを発揮するなどあり得ない。
(……ていうか、この現場を誰かに見られたら相当まずいんじゃないのか?)
戦いで興奮していた竜兵の体から、急速に血の気が引いていく。
竜兵は、少し離れたところに転がっている学生鞄を手に持って、駆け足でその場を離れて行った。
先ほどまでは戦うことに夢中だったが、今度は逃げることに無我夢中で、竜兵はひたすらその場から離れようと走った。変な男、あり得ない運動能力、そして――。
(俺の体、いったいどうなってるんだ……?)
いかがだったでしょうか。
といっても、まだまだ導入部分に過ぎないのですが…。
更新は金曜日の週1回、まれに火曜日にも更新しているかもしれません。
これからよろしくお願いします。