ショートストーリー 屁に関する芸術論
屁に関する芸実論
屁はところかまわず いつ何時出るか予想できない。
食事している時や妙齢の美人と話している時でも、もよおすことがある。
音がしないときもあれば、大きな音がするときもあるし、
かわいらしい音がするときもある。
臭くない時もあれば、強烈に臭い時もあり、自分で鼻をつまみたくなる。
屁は出るまで音がするのか、臭いがするのか分からないから始末が悪い。
Aさんは詩人である。
やぐらコタツで詩を書いていた。
前には奥さんが料理番組のテレビを見ていた。
そこで一発かましたのである。
音はしなかったがしばらくして臭いが立ち込めてきた。
「ああ くさい!」
奥さんが目を吊り上げて怒った。
「そんなことはないだろう いい匂いじゃないか」
「あんたの詩と一緒で あんただけがいい匂いと思っているだけや。
読んでくれる人に感動を与える匂いじゃないのよ。分かる私のいっていること。
あんたの詩はあんたのおならと一緒で他人が読むと下手なの つまり臭い屁ってところよ」
事実Aさんは自分の屁はそんなに臭くない。
むしろ、いい匂いとさえ思える。自分が書いている詩も同様なのか。
おおむね自分の屁はいい匂いなのである。
だから自分でこっそり屁の香りを楽しんでいる時がある。
でもその屁も他人が嗅ぐと鼻が曲がるほどくさい。
へどが出そうだ、とおしかりを受ける場合がほとんどだ
芸術家を自認する皆さん!
自分の作品も屁と同じで自分ではいい匂いがすると思うが、
他人にとっては強烈に臭い作品であることが多い。
他人も良い匂いと言ってくれることは稀である。
他人にもいい匂いと思ってもらう屁のような作品を書いてこそ、プロになれるのよ。
とAさんの嫁はんが言っていました。