軟弱なる現代人
「すみません。私めはゴミ虫です」
家を出て、どのくらい経ったんだろう。最初の一時間くらい? は、けっこう楽しく文化の違いなんかを話しながら歩いた。意外にも、フィリップはすごく話しやすかった。その間に、トイレの二十四時間使用権を獲得して喜んだり。モンスター的なものは居るけど、エンカウント率かなり低いらしいと聞いて、見てみたかった気もしたり。そこまでは良かったのです。
吹奏楽部ですので、と言い訳させてもらいたい。あたしは息が上がって口も利けなくなり、足まで痛くなりはじめて、とうとう歩けなくなってしまったのだ。
Tシャツ・ジーンズ・スニーカー・リュックという、実に軽快な散歩スタイルなのに、情けない。ううう。フィリップはもちろん平気だし、三四郎も平気そうだ。鍛えてたんだね、王子様。
獣道のように踏みしめられているだけの道は、草原を抜けて森に差し掛かかっていた。
『仕方ない。異世界はあまり歩かないところなのだろう』
あれえ? どうしたのかなフィリップ。ディスらないいの? というか、そんな優しく言われたら、情けなくって涙目になるよ。話してちょっと仲良くなれたのかな。えへへ、それは素直に嬉しいと言えます。
「面目次第もございません王子……」
『ま、焦っても仕方ない。どうやら俺の頭も大丈夫みたいだしな。さっきの布を広げろ』
調子狂うなあフィーリップン。っていうか「その言い方はなんだよ」とか突っ込むところだよ、ここ。なんて馴れ馴れしく思いながら、あたしは言われた通りに、さっき畳んだ布を広げる。フィリップが何事か唱えだすと布が消えた。布のあった場所に立ち上る陽炎。
『今日はここで休もう』
とことこ歩くフィリップが消える。ええ!? まさか! 慌ててケンケンで追いかけると……
「わあ」
空間がグニャリと歪んで、あたしが立っていたのは、朝まで過ごしたあの家だった。やがて現れた三四郎も不思議そうに周りを見回す。ホイポイ……以下自粛。
『ふっふっふ。異世界への移動式を作り上げるほどの大天才魔術師にとって、こんな移動魔術は朝飯前なのだ』
「すごい! 本当にすごい! 本当に天才!」
自慢気で、嬉しそうなフィリップ。だって、本当にすごい! そして何より嬉しい~。たった一晩だけど、馴染んだ空間は安心するよ。
『まあ、人の姿なら、精神の入れ替えはもちろん、魔方陣であっという間にコーダのところにいけたんだ。だが、この手では薬も調合出来ないし、複雑な移動の魔方陣は書けないからな』
「あの、何で入れ替わっちゃったんでしょう?」
あたしは少し魔法に興味が湧いて、聞いてみる。ウスバカって言われるかな。
『向こうの世界に、体そのものが渡れるかどうか、がわからなかった。一旦体と精神を切り離し、精神だけを通してから体を呼び寄せようと。まあ、お前がこうしていることを考えると杞憂だったな』
ふ、とフィリップは三四郎を見つめる。ん? なんだろう? と三四郎を見ると不機嫌な顔でフィリップを睨んでいる。あれ? どうしたの?
『まあ、少し休め』
「え、あの」
『お前に高貴な魔法を説明しても仕方ないだろ』
それはそうだ。多分、いや絶対聞いてもわからない。説明させるだけ野暮ってものです。
「すいません、じゃあ失礼します」
『三四郎は残れ』
あたしに付いて来ようとした三四郎をフィリップが引きとめる。
三四郎はますます機嫌が悪い、という顔になる。今まで、いつだってニコニコ印の三四郎の不機嫌、気になる。
『ユウコを一人で休ませろ』
はっとした顔で、あたしを見つめる三四郎。で、どうしたのフィリップ。いくらなんでもおかしくなーい?
「大丈夫ですよ。おいで、三四郎」
三四郎はちょっと考える。首がナナメに曲がってる。かーわいいー。あざとさがない。その可愛さに、あざとさがないんですよ。三四郎君は。
「いい。待ってる」
はわわ。お利口さん。いいよって言いたいけど、くたくただからお言葉に甘えさせていただきます。回復しないと迷惑かけちゃうから、ごめんね。
「ごめんね。ありがと、三四郎。すぐ元気になるからね」
三四郎はとびきりの笑顔で、嬉しそうに笑う。この信頼と愛情にこたえられる飼い主で居よう、うん。この無垢な生き物にの献身的な愛を、疑うなどあってはならない。
あたしは重い足を引きずって二階の部屋に行くと、ベッドに座って靴を脱いだ。
うっわあ……やっぱりな。べろんと皮が剥けてる。血もけっこう出てるなあ。痛いなあ。異世界だし、人面疽とかになったらどうしよう。……でもちょっとだけ興味あるな。
シーツを汚さないように足を外に出したまま横になる。昨日より少しは見慣れた天井。匂いは……もうわからない。あたしはあっという間に眠りに落ちた。