異世界のトイレ事情
*下品な場面があります。苦手な方はお気を付けください。
出来た煮込みを、台所に置かれた二人がけのテーブルの上で木皿に取り分ける。おいしそう。だけど、あれ?
「犬ってこんな塩辛い味、だめですよね」
『おい、食わせない気か』
「だ、だって、三四郎の体なんですよ! ああ、でもドッグフードがあるわけでもないし……」
『はあ……黙って食え、もう今日は疲れた』
誰のせいだよ、と思いつつ木皿を一つ床に置く。フィリップは不服そうな顔を一瞬だけして黙って食べ始めた。三四郎を見ると、ああ、なんて躾のいいお利口さん。ちゃんと椅子に座って待っている。飼い主の顔が見た~い。あ、あたしだあ。まあ、目は皿から離れないけど。よだれ、垂れそうだけど。
「三四郎~待て。待て~……よし! ……って、まてええええええい!」
三四郎はお皿に顔を突っ込みかけて止まった。
「えと、お匙を使ってみようか、三四郎」
うん、だよね。やっぱ無理だよね。仕方ない、仕方ないんです。
「三四郎、あーん」
「あー」
あああ、かわいい。無垢な表情やばい。じゃない、違う。これはつまり、母親が赤ちゃんにきゅうんとくる類のものであって、決して恋愛感情ではない。そうだよ。三四郎が子犬の時、同じ気持ちを感じたよ。断じて、絶対、恋愛感情ではないのだ。
「おいしー」
にっこり微笑む三四郎。 こ、このときめきは!!……初恋の相手が飼い犬でいいの? 夕子! いや、良い訳がない。良い訳がなーい! 騙されないで、これの正体はバカ王子なのよ!
ふう。心頭滅却の苦行な夕飯が終わって、お茶を飲んで、片付けも終わった。窓も時計もないからわからないけど、多分もう夜更けだろう。
『さて、寝るか』
うん、寝る、んだけど……。
「すいません、お手洗いは」
『手洗い?』
う、通じないの?
「トイレは……」
『ああ、外でしてこい』
そ、んな、気は、し、て、た。そんな気はしてた! 異世界にトリップする小説はいっぱい読んだ。でもね、誰もトイレに困ってないから、おかしいなっては思ってたんだよ。思ってたんだよ。
『そこの扉じゃなくて、隣の部屋の扉から出ろよ。俺が居ない時はな』
「わかりました。じゃなくて、えっと、何で、拭いたら……」
『なんだ、大きいほうか』
「ちがいますよ! もういいですよ!!」
まあ、いずれは大きいほうも出るでしょうけどもね。 とりあえず、ポケットティッシュ持ってるからそれ使おう。うん。
「ユーコ、僕もおしっこー」
え? えええ? ええええええ? あたしは多分、泣きそうな顔だったと思う。縋るようにフィリップを見つめる。犬の視力じゃ見えてるかどうか、わからないけども。
『しょうがねえな。ついて来い三四郎。お前はこれ持ってけ』
フィリップは台所にあったランプに例の魔法で火をつける。わあ、幻想的。でも今はそれどころではない。沈痛な面持ちであたしは玄関に向かった。フィリップと三四郎は台所の「フィリップが居ない時は出てはいけない」扉から出て行く。
わたくし、前田夕子、十四才。うまれ~て、は~じめて~、屋根も壁もないとこで用を足しました。ちーん。
家に戻ると、フィリップと三四郎が玄関の部屋で待っていた。上手に出来たかい? 三四郎君。足を上げては駄目なんだよ。
『いくぞ』
フィリップは、玄関の部屋の奥にある幅の細い階段を登り始めた。階段の手すりの細工が可愛い。おお、二階には丸い窓もある。壁は光ってはいなくて、所々にぶら下げられたランプが優しい光を放っている。外、真っ暗で何も見えないな。あ、窓枠の細工も可愛い。なんだか随所に可愛らしさがあるなあ。
『ここは、俺の部屋だ。あとは、あっちの部屋しか開いてないから二人で使え』
「あ、はい」
二階には二部屋。ああ、扉も可愛いなあ。白いのがいい。目の高さくらいに小さな四角がくくり抜かれいて、ステンドグラスがはまっている。なんというか、手作り感があったかい。つかガラスがあるんだ。あ、よく考えたらランプもガラスだ。中身は何の油だろう。思ったより文明は発達してるんだろうか。
『じゃあな』
考え事をしていると、フィリップはトコトコと『俺の部屋』とやらに向かったが、立ち止まって扉を睨んでいる。
『開けてくれ』
「あ、はいはい」
すみませんね、気が利かなくて。あたしは腕を伸ばしてドアを開ける。
『俺の体に変なことするなよ?』
「しませんよ!?」
あたしはドアをバタン! と閉めた。なんてやつだ。尻尾を挟んでやればよかった。あ、三四郎の尻尾だった……くそう……
「もう寝よう、三四郎。今日は散々でしたね」
「ぼくは、ユーコと話せてうれしいよ」
「そっかそっか。……はあ?」
自分たちに与えられた部屋のドアを開けて、あたしは間抜けな声を出す。なんということでしょう。
……お決まりだ。お決まりのようにベッドがひとつです……。
雪山で二人きりで遭難するか、記憶喪失か、隣にイケメンが引っ越してくるか、くらいにベタです。
そう、そのイケメンはきっと意地悪なんです。びっくりするくらい金持ちで頭がいいけど、何故か頭の悪い主人公と同じ高校にいる不思議。あ、マンションの隣に一人で住んでることにしよう。
まあ、イケメンが意地悪してくるのは気になって仕方ないからでして。アイドルみたいにかわいいライバルとか、優しいけどちょっと強引な幼馴染の男の子に揺れながらも、絆を深めていく二人。みんなで夏休みに旅行に行くんだけどはぐれてしまって、やっと見つけたホテル、空き部屋はひとつ、ベッドもひとつ……ふたりはお互いの気持ちを確かめ合い、そして……
「どうしたの、ユーコ?」
固まっているあたしの横をするりと通ると、三四郎は大きなあくびをして、床の上に丸まった。お、おう、そ、そうか床か。良かった、うん、良かった。ちょっとがっかり? してない。断じて。
「なんでもないですよ、お休み、三四郎君」
「おやすみ、ユーコ」
眠そうな上目遣いぃやあああ! 声! 声も甘い!
でも、こう、床の上で人が丸まって寝てるの図ってあれだなあ。不憫だな。でもな、中身は犬だし、いいのかな。あー疲れた、すごく。おやすみなさいー。