どうやら夢ではないらしい
『何を考えている? 早くしろ! ウスノロ!』
三四郎もどき、もとい、フィリップはどうやら、ウス、を付けて貶すのがマイブームらしい。
「す、すみません。三四郎? おいで」
ああ、やっぱり本当に三四郎なの? 四つん這いで近づいてきて、あたしの前にお座りする。目線に困りながら、白いシャツを着せてボタンを留める。服なんて着せたこと無いから嫌がって暴れそうだなあ、と思ったけど案外じっとしている。
はい、問題の下半身です。
「三四郎、立てるかな?」
三四郎の手をとって立ち上がらせる。
「ええと、足上げて」
三四郎を肩に掴まらせて……なんという羞恥プレイ。ブ、不、個性的な顔立ちではあっても、中身はまだ初恋も知らない、花も恥らう十四歳なんですよ?
「ううう……」
『ウスノロ! さっさとしろ』
黙れハゲ。いや、ハゲてないけど。やっと下着らしきものを履かせて、おへそのあたりの紐を結ぶ。あとは、黒いズボンだ。三四郎は下着を履いてコツをつかんだのか、ズボンはすんなり履かせられた。
「できた! いい子だったねえ、三四郎」
「ありあーとう」
「いえいえーどーいたし……ええ!? あの、フィ、フィ、フィリっさん! 三四郎が」
『まずいな』
フィリップは、慌てた様子で一通の手紙と手帳を咥えて机の上に置いた。
『いいか、この手紙の差出人の魔術師のところに行く。そして、犬と俺を入れ替えて、お前たちを元の世界に戻す』
「元の世界って? これ、夢じゃ……」
『黙って聞け! 犬が話せる様になった、つまりは、俺が話せなくなるかもしれん。この手帳には、異世界への移動方法が書いてある。中身の取替えは簡単な魔術なんだが、犬の手では無理だからな』
フィリップはひどく慌てた様子で、ウロウロ歩き回りながら話す。
『脳のつくりの問題がある。声帯は薬でなんとかしたが……、そうそう、三四郎のズボンのポケットに鍵が入っている。そこの机の引き出しのだ。金はそこに入っている。いいな、魔術師コーダを探すんだ』
そして、何か考え込むようにフィリップは黙り込む。黙……
「ま、まってフィリップさん! 戻ってきて! ここはどこですか! 住所だけじゃ、地図も無いし」
つまりここは異世界? そういうとこには、かわいい子が飛ばされるものでしょうよ。んでもって、お忍びで草原にやってきていたイケメン王子と偶然に出会って好かれちゃったり? 悪者に出会ってしまって売られそうになったところを、助けてもらった騎士団長に好かれちゃったり? あるいは両方に好かれちゃって逆ハーレムなーんつっちゃったり?
もしくは見た目は平凡だけど、心のキレイな子で、闇を背負った剣士の心を癒して魔王を倒しちゃったり? ギリギリでも平凡、平凡ですよ。
それなのにあたしってば、出会った王子(笑)にはウスバカ呼ばわりされるし。つか、王子犬だし! 頼れる男は中身が犬だし! 知らない世界で一人で、どうやって魔術師を探すのよ。
「……そんな、一人じゃ無理ですよ」
へたへたと座り込む。本当に夢じゃないのかもしれない。だって、ちょっとおなかすいてる。頭も痛い気がするし、リアルすぎる。
あたしは世界一安全な国日本でだって、一人で旅行なんかしたことないのに。でもがんばらなきゃ、元の世界には帰れないんだ……。
『まあでも、俺、もう少しいけそうだわ』
おい。
『さすが、俺。犬の脳みそでもそこそこいけちゃう』
おい。
『まずは、こうなった経緯から説明しよう。こっちへこい』
まあ、とにかく良かった。はあ、とため息をついて重厚な机の上に飛び乗ったフィリップに近づく。
「あ、三四郎もおいで」
声をかけると、困ったような顔で立っていた三四郎は、にこおっと笑った。どき! え? 土器?
「ユーコ、大好き」
笑顔のままで三四郎は言う。え、えええええ、なになになになに。これは恋か、これが恋か? 心のときめきがドンスト……ちがうノンストップだ。とまれ! 心臓。いや、止まっちゃ、まずい。
「あ、ありがと。あ、あたしも三四郎君、大好きですよ。ささ、行こうか」
「うん!」
まぶしい☆ 笑顔がまぶしすぎる。フィリップ、中身はゴミなのに、なんてイケメンだ。肩まである波打つ金髪に青い瞳。絵に書いたような王子様。何を言われても許してしまいそう。でも、ああ、うん。だから男の子だって、かわいい女の子にはやさしいんだよね。
『ウスバカ! さっさと来い』
怒鳴るフィリップに、偉そうなあ……と思ったあたしの前に三四郎が立つ。
「イヌ、ユーコをばかというな」
『イヌはお前だろ! 俺のスペシャルな脳みそのおかげで話せるようになったくせに調子にのるな!』
「うーーーー」
唸る三四郎。フィリップの体は背も高いしがっちりしてるから、ちょっと怖い。
『ウス……ユーコ、止めろ。俺が怪我をしたら、元の世界に戻れないぞ』
犬フィリップは慌てて言う。
「どうなんでしょうか」
意地悪な顔でぼそり、と言ってみる。おお、こんなこともできるんだ、あたし。新しい自分発見。言ってやる。素直で明るいいつものあたしを捨ててやる。
『な、何を言ってる』
「年上の方に失礼かもしれませんが、あたしたちは今、運命共同体です。犬のあなたは一人じゃ何にもできやしないんですよ。それとも野良犬にでもなりますか?」
言ってやる。言ってやるんだ。
「王子様は記憶喪失で、私は命の恩人だ、とでも言えば、生活には困らないのかもしれない」
『う……』
「仲間には敬意を払うべきかと」
『わかった』
「分かってもらえれば……偉そうに、すみませんでした。では、話を聞きます」
胸を張って、立派な革貼りの椅子に腰掛ける。あまり意見を言ったことがないから心臓ばくばくです。落ち着かずにきょろきょろしてしまう。そしたら、一生懸命座って、期待に満ちたまっすぐなまなざしをあたしに向けている三四郎と目が合った。
「い、いい子だね、三四郎」
と言うと、三四郎はとろけるような笑顔を向けた。いかん、あれは犬だ。犬でござる。
『まず、今回の出来事の発端についてだ。この国の尊い王子にして、稀代の天才魔術師こと俺は、異世界へ移動する方法を発見し、崇高にも、自らの体を使って実験したのだ。不幸にも、移動先にお前たちがアホ面を並べていたせいで、惜しくも失敗に終わってしまった。それで』
は?
「待ちましょう」
右手を上げてフィリップをさえぎる。全部、お前のせいじゃねーか! という突っ込みをギリギリ喉元で押さえ込む。フィリップは面倒くさそうな顔を向けた。王子様とか知ったことか。そういや首輪に見えたあれは王冠っぽい。でも、あたしはこの国の国民じゃないから関係なくない? 今日のあたしは一味違うんだよ。
「すみません。次の話を聞く前に、一言謝罪を頂きたいです」
『こ、小娘! 調子に……』
「うーーーーー!!」
怒鳴るフィリップに向かって、ガタンと立ち上がる三四郎。
『……悪かった』
ちっという舌打ちが聞こえた気もしたけれど、一応フィリップは謝った。許そう。ごめんと言ったら、警察は要らないんだよ。うん。
「何度も中断させてすみません、では続きを聞きます。三四郎君、おすわり」
帰れるかもしれない。三四郎と二人で。いや、絶対に帰るんだ。