犬が王子で王子が犬で
「まさか……あなた……三四郎……」
ん? あそこに見えている、あれは……
はーい、まさかですよねー。
外国人さんの後ろにいるじゃないか、三四郎! どうして主人のピンチに助けに来ないのか。危うく変態をお前だと思うところでしたよ、三四郎君。
「三四郎君? 見てたなら助けようよ」
三四郎は興味無さ気に、くるりと向きを変えて歩き出した。
「ちょ、どこいくの~」
草原から突き出た黒い耳だけがピョコピョコ遠ざかっていく。あたしは慌てて三四郎を追いかけた。あああ、変態さんが四つん這いでついてきちゃってる……。歩いたほうが早いだろうけど、逆に怖い。前に目を戻すと、三四郎は何もない空間にふいに消えた。
「三四郎!」
慌てて全力で走る。わんわん! と鳴いて? 叫んで? 追ってくる変態さん。三四郎が消えたあたりに到着すると、空気がぐらあん、と歪んであたしはいつの間にか建物の中に居た。すぐ隣に変態さんも現れる。
変態さんと距離をとりながら、きょろきょろとあたりを見回す。古本屋のような匂い。たくさんの本棚に、大きな机の上に載った三角フラスコ。なんというか、魔法使いの家みたい……なあちゃってな、とか思っていると、
「ワッワン!」
と、本棚の後ろの方から、聞き間違いようの無い三四郎の鳴き声が聞こえた。
「三四郎君?」
棚の後ろに回ると、三四郎が二本足で立って、白い薬品戸棚を、前足で引っ掻いていらっしゃる。
「いけません!」
叫んで、慌てて三四郎を止めた。棚には、理科室にあるような、というよりもずっと胡散臭い感じの瓶が、びっしりと並んでいる。三四郎は静止も聞かず、棚をガリガリと引っ掻き続ける。
「なんなのよう」
棚の中を眺めると、怪しげな薬瓶には一つ一つラベルが貼って……あれ? 読める。日本語?
<喋り薬 (動物用)>
三四郎の目の前には、そんなラベルの瓶。なんという安直なネーミング。とはいえ、こんな怪しげなものを愛犬に飲ませる気にはとてもならない。
「だめです。いくよ、三四郎」
「ウーーーー!」
「はあ?」
首輪を引こうとするあたしに向かって、三四郎は唸った。すると、変態さんがやってきて三四郎に向かって
「うーーー!」
と、唸りだす。二匹、もとい、一人と一匹は前かがみの姿勢で威嚇を始める。もう、一体なんなんだ! おかしい。天国おかしいよ! とにかく、ここが天国でも、相手が変態さんでも、三四郎に人を噛ませるわけにはいかない。
「おすわり! 伏せ! まて!」
あたしは厳しい声で指示する。厳しい現実には厳しい対処、だよ、三四郎。お前が憎いわけではないのだよ。
……で、何故伏せをするか変態さん。そして何故、二本足で立つのですか、三四郎。
三四郎は二本足で立ったまま、ちょいちょい、と自分を指差す。
「三四郎?」
三四郎は頷く。頷く!? 驚いている間にも三四郎はちょいちょい、と棚を前足でつつく。
「薬を?」
またもや頷く三四郎。次に三四郎は瓶を片手に、飲み干すジェスチャーをしてみせた。
「飲む?」
大きく二回、頷く三四郎。……いや、落ち着こう。よし、落ち着こう。おちちゅおちゅ あーーーーー!!!
「夢か! そうか、これは夢だ!」
声に出すって本当に大事。声に出して整理してみよう。うん。
「こりゃあ、明晰夢ってやつですよ。実際のあたしは救急車か、病院のベッド。とにかく、あそこでジェスチャーしてるのは三四郎じゃない。これは三四郎っぽい動きのマッパの変態だし。だから、あの犬が薬を飲みたがってるんだから、飲ませたらいいんじゃないかな!」
あたしの言葉に頷く三四郎もどきの犬。
「ですよね!」
更に深く頷くもどき。棚を開けて、目的の瓶を取り出す。ええと、皿? ないなあ。仕方なく自分の手のひらに垂らす。もどきは物凄く嫌そうな、そう、犬のクセに表情が豊かすぎでしょ、ってくらい嫌そうな顔をして、仕方なさそうに薬をぺちゃぺちゃと舐めた。
『この薄ら馬鹿女! とっとと飲ませろボケ! カス!』
「すいません!」
ヘリウムガスを胸いっぱいに吸い込んだような声で超ディスられた……。しかも、条件反射で謝ってしまった。犬に。え? 犬に?
『全く、鈍いな! いいか、良く聞け』
本当に喋った! 犬が! 突っ込みどころは満載だけど、とにかく頷く。だって怒ってるし。
『ああ、その前にまず、俺の体に服を着させろ』
もどきは、あごで変態外国人さんをさす。
「え? もどきの体?」
思わず聞き返した。
『もどきってなんだよ、ウスバカ。フィリップ王子という立派な名前がある。ついてこい……早くしろ!』
「は、はい!」
王子(笑)とか思いつつついて行く。本棚の裏側の空間にある扉を開けると、窓の無い部屋。重厚な机が一卓置いてあって、その後ろにはまた壁一面の本棚があって分厚い本がぎっしり入れられている。何故だろう、壁がぼんやりと光っていて……明るくはないけれど見るには困らない。そして床には、これは……あれだ。こう、悪魔とか召還獣を呼び出す的な……
「魔方陣?」
『馬鹿のクセによく知ってるじゃないか。あそこにある服を着せろ』
よく見ると部屋の隅に洋服らしき布の塊。拾い上げると、犬っぽい外国人さんに向かう。
「ええと、フィリップさん? 犬が怒ってますので、服を着ましょう」
『あほ。その中には犬が入ってるんだから、犬の名前で呼べ』
「……へ? 中?」
『ウスバカ。まだわからんのか。犬の中に俺の精神が入って、俺の中に犬の精神が入ってるんだよ』
は? それってつまり、俺があいつであいつが……のやつ? 犬と? 王子が?
なんて夢! フロイト的にはどんな意味が? ググりたいから、早く目覚めて~!!