本当の気持ち
その日の午後は働きまくりだった。買っておいたものを移動ハウスの中に入れ、空になっていた水がめに新鮮な水を汲む。
……ここから歩いて一ヶ月移動分を、ですよ? ただ事な量の食材じゃない。一体、町と家を何往復したろう。三四郎も最初はちょっと不機嫌だったけど、あまりの仕事量の多さに、何故か嬉々と動いていた。
くたくたになって、夕食をかきこむように食べ、宿屋へと戻ってすぐお風呂に向かう。
ええ~……湯船がない~……洗い場の奥に、外から炊いているらしい鉄釜があって、中はゴンゴングラグラに沸いた熱湯。隣には水をはった水槽? がある。手桶を使って、ちょうどいい温度にして、洗えって事か。うーん、ちょっと残念。かな。浸かりたい。それに、シャンプーとボディソープが欲しい。なんて贅沢は言うまい。
あたしが部屋に着いても、まだ二人は戻っていなかった。男より風呂が早いとか。もう、本当、あれですね。
あー髪乾かしたいなあ。ドライヤー、ああ、ドライヤードライヤー(五・七・五)本当に、文明ってすばらしいんだなあ。当たり前だって思っちゃいけないんだなあ。いや、むしろ素晴らしいと思うのが間違っているのでは? 本来人間も動物なのであって……なんて事を考えながら、あたしは眠ってしまった。
★
「おはよう、三四郎」
「……うん」
あれ? 素っ気無い?
「途中で何か買って、食いながら行くか。置き忘れのないようにな」
ふあーあ、と伸びをしながら、フィリップは言うと浴布を持って部屋を出る。
「はい。三四郎、顔洗いに行こ……」
三四郎は返事もせず、目も合わせず行ってしまった。え? 何? 何なの…… 不安がぞぶん、と心臓を包む。
おはよう、に返事がないのは嫌だな…… 理由もわからずに避けられるのは、もっと嫌だな……
あたしはとぼとぼと二人の後を歩いて、顔を洗う。歯ブラシは昨日買ってもらった現地仕様のもの。これ、こんな木の棒なのに、意外にさっぱりするな……そんで……で……うん。
結局、あたしは三四郎に何も話しかけられないまま、宿を出る。フィリップも何も話さないから、なんだか空気が重い。途中の丘でもそもそと、味のしない朝食を食べて、また昼間で歩いた。
「よし、休憩しよう。陣出せ」
「あ、はい」
見慣れた台所でお茶を煎れて、パンを焼きなおす。野菜を刻んでいたら、涙がじわりと浮かんだ。泣いてたってしょうがない。泣いてたってしょうがないのに、怖くて何も聞けない。こんな時、なんて言ったらいいのか、全然わからない。
「あの、あたしなんか疲れたんで、上で一人で食べて、ちょっと休みますね」
あたしは早口にならないように気をつけて言うと、皿とマグを持って階段を登る。走っちゃだめ。ゆっくりゆっくり。そう、ゆっくりと、いつもどおりに、問題から逃げだす。
食べる気にはならず、棚に皿とマグを置くと、ベッドに腰掛けた。三四郎の顔が見えないと、ちょっと冷静に考えられそう。まず、三四郎はなんで怒ってるのか。アクセサリーだよね。それか、嘘をついたこと。じゃあ、なんて謝ればいいのか。本当に可愛いと思った、はだめだめ。
「あれはないわ! 次はあたしに似合うマトモなの、選びなさいよっ」 ……お前がないわ。つか、妄想に逃げるのはダメ。ダメよ~、だからダメだってば。
「ユウコ?」
コンコン、というノックの音と三四郎の声。
「あ、はい、何?」
声、裏返った……かっこわるい。カチャリ、と静かに扉が開いて、しょげ返った三四郎が入ってくる。
「ごめんね、ユウコ」
「え? 何? 何? どうしたの? なんで、なにが?」
慌てすぎ、あたし、慌てすぎだよ。
「俺、ユウコの事、大好きなんだ」
「あたしも三四郎の事、大好きだよ!!」
嫌われてなかった! 良かった~。三四郎は、でも、浮かない顔。どうして?
「それは犬として、でしょ」
ん? いや、だって、三四郎君は犬だよね。今はフィリップの姿だけど……
「俺は、つまり、俺の好きは、恋愛感情なんだ」
え? は? 恋愛感情?
「だから、ユウコの側にいると触りたくなるし、舐めたくなるし、いろんなこと、したくなる」
え……懐いてた、から、じゃないの? イロンナコト……熱が、かあっと顔に上がる。心臓が痛い。
「フィリップと居たほうがユウコ、楽しそうだし。俺は犬に戻るんだし、離れてようと思って」
そんな、こと、ない。でも、うん、そう感じさせたかもしれない。三四郎は犬だから話しても仕方ないって思っていた、のかもしれない。
「でも、戻ったらユウコと話せなくなるのに、嫉妬とか、遠慮とか、そういうのは時間が勿体無いって思って。それにユウコが淋しそうなの嫌だし。」
返事。三四郎君は本気で話してる、すごくたくさん、あたしのことを考えていてくれたんだ。返事、ちゃんとしなくちゃ。これは本当に逃げたら駄目なやつ。お願い、あたしこれ以上、自分を嫌いになりたくない。
何を、あたしは何を、三四郎に。今まで考えてなかったから、自分で自分の気持ちがよくわからない。わからないものをどうやって伝えたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう。
三四郎はあたしの隣に腰をおろして、何もない壁を見つめている。
「ありがとう、三四郎、すごく嬉しい」
あたしはようやく、掠れた声でつぶやく。本当の気持ちを伝えようにも、本当の気持ちも曖昧なんだ。今わかる間違いのない本当の気持ちはこれっぽっちしかない。三四郎は淋しそうな目であたしを見つめる。
「ごめんね。俺の事、そういう風に見れないのも、俺じゃユウコを幸せに出来ないのも、わかってるのに。ただ、混乱させてる。気にしないで、帰るまでも、帰ってからも、今まで通りにして」
大きな手で頭を撫でられて、ほとんど無意識に涙が零れた。
考えてなかったんじゃない。考えないようにしてたんだ。三四郎の気持ちに、本当はとっくに気がついていた気がする。それなのに、気がつかないフリをして、考えることから逃げてた。考えたら、あまり居心地の良くない答えが出そうだったから。
ずるい。
あたしは、とてもずるい。