青春デイリー
私立春日原高等学校、周りを山と森と田んぼに囲まれたド田舎に建てられてからまだ10年も経たない新設校。環境及び設備が良い以外は特にこれと言って何もないこの学校を選んだ理由は唯一つ、家から徒歩10分以内に通えるからだ。
俺、小野宮 翔16歳。ここ春日原高校2年A組に通う思春期真っ只中の明るくてちょっとお茶目な高校生。ちなみに出席番号は5番。そんな俺の只今目下の最大の悩みは、恋でも勉強でも友人関係でもない。ついでに言うなら青春についてでもない。
この目の前にあるなかなか空欄が埋まらない“進路希望調査票”だ。
7月21日 木曜日
夏になり本格的に熱くなりだした今日この頃。おかげで昨夜はなかなか寝付けず、今日の終業式に思いっきり遅刻した。今更終業式出るのも億劫なので、今日まで提出期限を延ばしに延ばしまくった進路希望調査票を持って、風が気持ちいい屋上へと逃げてきた。
さすがに壁を背に日陰に座っていても熱いが、冷房を止められた教室よりはまだマシだった。
4つ折りにした真っ白な進路希望調査票をポケットから出し、自分の目の前に掲げる。
そして考えてみる、“自分の将来”。
まったくもって想像ができない。
就職難なこの時代やはり大学に進学すべきなのだろうが、つい此間まで高校に入って新しい環境にウキウキしていた自分が、今はもう高校を卒業した後の事を考えてどんよりしているなんて、心底変な気分だ。
参考に周りのとっくの昔に進路希望調査票を出した奴らに聞くと、そんなもの適当に大学の名前を書いたやら、将来なりたい仕事があるからそれに沿った学部がある学校名を書いたと言っていた。
後者は羨ましいほどに納得する。だが前者はなんだ、適当って、適当でこんなの書けるか!とクラスメイトに逆切れしたのは記憶にまだ新しい。
そんなこんなで、散々周りに聞いたあげく結局今日までかかっても進路希望調査のプリントは真っ白のままだった。
一体どうしたものか……。
じめじめした熱さに、額から汗が垂れて真っ白なプリントに落ちた。
俺は慌てて濡れた部分を指で払って、額の汗を手の甲で拭う。
「チッ、クソあっちぃな」と、悪態を吐いたとき
「なら、とっとと冷房の入った教室に戻るぞ、翔」
と、自分以外誰もいないはずの屋上にいきなり返事が返ってきた。
「うおっ!!」
気付けば目の前に、一人の男子生徒が少し呆れた顔で俺を見下ろすように立っていた。
「びびった……、なんだ香か」
「悪かったな、俺で」
夏の制服をきっちり着込み、こんなクソ熱い日にわざわざネクタイまでしっかり着けているこの黒髪好青年は、2年A組出席番号19番の橘 香。ちなみに我らが春日原高校の生徒会長である。Yシャツの胸ポケットにつけられた輝く金のバッチがその証だ。
「てか、いつのまに来たんだよ……。
気配消して近づくなよなぁ」と俺が胸をなでおろしながら言うと、香は苦笑して「消してないよ」と答えた。
俺はプリントを再び4つ折りにしてポケットにしまうと、立ちあがり汚れたであろうお尻を手で払う。
「にしても俺がここにいるってよくわかったな」
「去年1年で翔の事はだいたい学習したよ。
ほら、さっさと行かないと。藤原先生お冠だったぞ」
そう溜息付きで香は言うと、俺を置いてさっさと屋上から出ていってしまう。
「さいですか……」
嫌々ながらも仕方なく、俺も香の後追って屋上を後にした。
香とは、先ほどの会話からも判ると思うが、去年1年生のときも同じクラスだった。母親に似て少々、いやほんのちょびっとだけずぼらなとこがある俺は、たまたま席が近かったお人好しの香に去年に続いて現在進行形でも大変お世話になっている。
どんな風にかというと、教室へ戻る途中での俺たちの会話からでも察していただこう。
「携帯、また鞄の中に入れっぱなしにしてるだろ」
「え……、あーー、そうかも。
なんで?」
「今朝、電話したんだよ。お前、絶対寝坊すると思ったから。
繋がらないと思ったたら、案の定だよ。
ったく、終業式だって言うのに。
たぶん、また電池切れになってるぞ」
「悪い悪い。サンキューな」
「まったく、今日帰ったらちゃんと充電しておけよ」
「はいはーい」
と、まあこんな感じだ。
下手したら、母さんより俺のことを熟知しているかもしれない……。
涼しくなった教室に戻るとちょうど1学期最後のHRが始まるところだった。たいした説教が無い代わりに担任より拳骨を1発もらい、あまりの痛さに涙を堪えながらも俺は大人しく席についた。
その後、成績表返還にて教室内で阿鼻叫喚が飛び交った以外、特に問題もなくHRを終えると俺たちの待ちに待った夏休みが始まった。
「礼っ!」っと、最後にお辞儀でHRが終わると、途端に教室内がざわざわと騒がしくなった。
あらかじめ帰り支度を済ませていた用意周到な奴らは、すぐさま鞄を持って「ヤッホー!」「夏休みだ~~!!」等を叫びながら教室から飛び出して行く。
勉強からの解放感のあまり頭がおかしくなったのだろう。
そんな頭がおかしくなった奴が、俺の目の前にも約1名いた。
「うっしゃーー!!! ヒャッホイ! 夏休みィ!」
俺の席の前に座っていた男子生徒が、まるでスーパーマンの様に両拳を上に突き出しながら立ち上がってそう叫んだ。
「よし! 遊びまくるぜッ!! なっ! 小野宮!」
そう嬉しそうにこちらを振り向いたのは、2年A組出席番号21番富永 順。頭は悪いが、その分運動神経が無駄に良い。それに俺と似た性格な為か、俺とはよく気が合ったりする。
俺は富永に同意しようと口を開こうとしたその時、違う場所から声が割り込んだ。
「遊びまくるって、さっき自分の通知表見ながら嘆いてた奴のセリフ?」
「うぐっ!」
これから始まる夏休みに幼い子供のようにはしゃぐ富永に、水なんて通り越してドライアイスを投入したのは、富永の右斜め前に座る2年A組出席番号11番の黒河 優。本人曰く背が小さいことがコンプレックスらしいが、態度は山よりでかい……と俺は思っている。死んでも本人には言わないが。
「まぁまぁ、黒河。今日くらい見逃してやれって」と、俺はこの毎日のやり取りに苦笑してとりあえず富永をかばうと、「そーだぜ~、せっかく気分好いところに水さすなよ、黒河!」と富永が俺を盾にしながら黒河に抗議した。やめてくれ。
「フン、夏休みくらいでしゃぐなよ、小学生のガキじゃあるまいし」と、黒河には鼻で笑われた。
うん、ごもっともだ。
それでも
「いーだろ~、いつだって少年の心を忘れるな! だぜ。
それよりもさ! いつものとこで昼飯喰ってこーぜ。な? 別に予定なんてないだろ?
もう俺腹ペコペコなんだわ!」と、富永は黒河の毒にも堪えずに笑顔で俺と黒河を昼飯に誘った。
実は富永のこういうところ、俺はちょっと尊敬していたりする。
本当は、ただのバカなのかもしれないが。
「おーい、橘! 昼飯喰いにいこーぜ~! もっちろん、いつものメンバーで!」と、唯一俺たちとは席が離れている香に、富永は手を振りながら呼びかける。
その横で
「まるで僕達が暇人みたいな言い方しないでくんない?」と、黒河が名前通り黒い顔してつぶやいていた。
「まあまあ」
とまあ、こんな感じで俺たち4人はいつもつるんでいる。
仲は、それなりに良い…………はず。
俺は今日もらった通知表やプリントなどを鞄に詰め込むと肩にひっかけ、待たせていた3人の後に続き教室の出口に向かった。
「なぁ、昼飯の後どうする? ゲーセンでも行くか?」
富永が先頭に立ち、顔だけをこちらに向けながらウキウキとした顔で聞く。
それに「それよりも夏休み遊ぶなら、お互いの予定照らし合わせてちゃんと計画立てとかないか?」と、優等生らしく香が答える。
「僕も賛成。
朝、いきなり電話かかってきて“今日遊ぶぞ!”なんてのは絶対御免だしね」と、黒河も香に同意する。
どうやら以前にもそんなことがあったようだ……。
だが、あえてここで空気を読まないのが、この俺!
「俺カラオケ行きたーい! もうオールでがんがん歌いたい、喉が枯れ果てるまで!」
「おっ! 良いね、カラオケ!! 日頃のストレス発散しちゃおうぜ!」
右手を挙げて明るい声で俺が主張すると、やっぱり一番気が合う富岡が同意するように手を挙げてくれた。だが、案の定残りの二人はあからさまに嫌な顔をする。
まあ、当然だ。
二人とも、見ての通りカラオケなどという騒がしい場所は好きなタイプではない。
「“日頃のストレス”? 富永とは、一番無縁な言葉だよね」
ぼそっとさっそく俺の横から黒河嫌味が飛び出る。
だが、
「……せめてオールじゃなくて、2,3時間程度にしてくれないか」と、渋い顔をしながらも香が妥協案を出した。
「えー!!! せめて4時間!!」と、俺は指を4本香達の前に突き出す。
「3時間」と、今度は黒河。
そこに富永が割って入る。
「その間をとって3時間半!」
「「分刻みでの料金設定は無い!!!」」と、俺と黒河は綺麗にハモって富永にツッこんだ。
そんな感じで俺達が言い合いをしながら教室の出口に差し掛かった
その時
「うおっ!」
と声を上げて、ちょうど俺の前を歩いていた富岡が唐突に何かを避ける様にしゃがんだ。
「あ?」
何だ?と思う隙もなくガッと強い力で首がしまり「ぐえっ!!」と無様なうめき声をあげると、そのまま頭ごと俺は後方へと倒され冷たい床に尻もちをついた。
「ぃうっ、ゲホッゴホッ……っ
な、に???」
あまりの衝撃に息が詰まり、少しむせる。
「悪ぃ! 大丈夫か、小野宮?」と、富永が少し申し訳なさそうにむせる俺の背中をなでる。
「大丈夫? ラリアット、綺麗に入ったね。
あんなに綺麗に入ったのを生で見たのは初めてだよ」と黒河がちょっと感心したような顔で、俺に手を差し出す。俺だってあんな綺麗にラリアットを入れられたのは初めてです。
黒河の手を借りて立ち上がると、深呼吸をしながら荒くなった心拍数を抑える。そして、今回被るはずのなかった被害を被った原因を思いっきり睨んだ。
「てめぇ、富永。
ちょっと一発殴らせろ」
さすがに寛大な俺でも、ちょっとカチンときた。
これはどう見てもとばっちり以外のなにものでもない!!
「いや、だから悪かったって!」
「ちょっと歯ァ喰いしばろうか?」
そんな俺という蛇に睨まれた富永蛙を救ったのは、ハツラツとした女性の声だった。
「謝らなくてもいいぞ、富永!
初めっからターゲットは小野宮だ!!」
ちょっとぶっ飛んだその発言に、俺と富永も顔を引きつらせる。
「いや、藤原先生は謝ってください、やりすぎです!
いい加減訴えられますよ?」
「おう、悪いな。
そんなに綺麗に入るとは思わなかった」
「俺に謝ってどうするんですかッ!」
香に珍しくツッこませるこの目の前で仁王立ちしたジャージ姿の女性は、我ら2年A組の担任藤原加奈子先生、通称“加奈ちゃん”である。ちなみにジャージから察せられると思うが、加奈ちゃんの担当はもちろん体育だ。
だが、いくら担任であろうとはたまた体育教師であろうと、いきなりラリアットは無いだろう。今朝の遅刻の制裁はすでに受けたはずだ。たまらず俺は加奈ちゃんに不満の声を上げた。
「ちょお~、加奈ちゃんひどいよ。
何? なんか俺に恨みでもあるんですか?」
「大丈夫、心配するな。
大いにある!」
なぜか担任に断言されてしまった。
「「「「え、あるの……」」」」
今、初めて4人の心が一つになった!
綺麗にハモッたツッコミを無視して、加奈ちゃんは俺に笑顔を向ける。
「それよりも、小野宮。帰る前に私に渡さなきゃならんものがあるよな?」
加奈ちゃんは美人さんだが、いくら美人さんでもこの黒い影が差し込む笑顔は嫌な予感しか感じない。
「え?」
だが心当たりが無く、俺は首をかしげる。
何かあったっけ……。
「お前がどーしても書けないからって言うから、今日まで待ってやったんだよなぁ、小野宮?」
「お」
加奈ちゃんの言い方に、なんとなく足元から寒気が這い上がってくる感じがする。それと一緒にすっかり忘れている物もそこまで出てきそうな気が。
「今日まで待ってやったんだから、もっちろん書けてるよなぁ、“進路希望調査票”」
「……」
「「「…………?」」」
一瞬の間、俺以外の3人はあまりにも時期外れのソレに首をひねるが、俺は瞬時に青くなった。
「うあっ、やっべぇ!!」
なぜ忘れていたのか解らないが、そういえば屋上から戻ってきたまま尻ポケットに入れっぱなしになっていた。
慌てて俺は尻ポケットから四つ折りにされ尻に敷かれてぺったんこになったプリントを取り出すが、もちろんのことその中身は真っ白だ。
何も書かれていない進路希望調査票に5人の顔が覗き込まれる。
「「「…………」」」
「あ、ははははっ」
もはや俺に残された手段は空笑いしかなかった。
残りの反応は実に様々で、一人は呆れたように頭を抱え、一人は我関せずといった様に顔をそむけ、一人は隣から漏れる冷気に震え慄く。
「さて、小野宮翔君?」
もはやフルネーム呼びだ。鳥肌ものだ。
「今日の午後はぁ、先生と一緒に資料室でみっちりデートしようねェ?」
とっても魅力的なお誘いだが、“デート”の単語につける形容詞がおかしい気がする。それになぜか笑顔でお誘いしてくる加奈ちゃんの背後に金棒をもった鬼が……。
「い~~~やぁ~~~~~ッッ!!!!!」
あとは俺が周りに白い目で見られながら加奈ちゃんに襟首を掴まれ地獄の底へと引きずられていくというお決まりの構図で、唯一ノッてくれた富永が「小野宮ぁぁああッ!!!」と涙ながらに叫んでくれるだけだった。
夏休み、始まって早々よく響く学校の廊下に俺の無様な悲鳴が木霊した……。