短編:キャンディケーンの殺人
謎解きにもなっていないミステリ風 ほぼ2005年当時のままです。ファイルのタイムスタンプは 2005/12/23。
私の持っている3人目の主人公 史岐谷 丈と成也 真邑のコンビもの。このコンビではあまり小説自体は書いてないので、今後も登場は多くないと思います。新作書けば別ですが。
「寒いね」
ホテルの窓辺で、真邑が窓の下を見下ろしながらつぶやいた。
確かに寒かった。この町は北国でも雪のあまり多くない、しかし気温だけはかなり低い盆地になっている。
雪の少ない町は多い町に比べて気温が低いのだということを、真邑はここへ来て初めて知った。
部屋の中は暖房が充分にきいているのだが、外はマイナスの世界だ。
だが、この辺りの人間に言わせると、これでもまだ暖かいほうだという。本格的な冬は、年を越さねばやって来ない。まだ少し先の話だ。
指先でそっと触ると、窓ガラスが氷のように冷たく感じられた。
6階から見下ろす窓の下には、うっすらと粉雪の降り積もった歩道が見えている。
4、5日前に降った雪はあちこちの日陰にまだだいぶ残っていたが、車道や歩道にはもう雪は残っていない。ここのところはだいぶ寒く、明け方にさらりとした粉雪が薄く降り積もるということを繰り返していた。
まだ12時も廻っていない時間帯の駅前だというのに、人の通りはもうほとんどない。店もほとんどがすでに閉まっていて、時折車のライトが流れていくだけだった。
だが、駅前の一角だけは妙に華やかだ。
3階分ほどの高さのクリスマスツリーが広場にでんと腰をすえているのだ。
昼間に流していた明るいクリスマスソングは夜中ということもあってやんでいたが、灯りはたぶん一晩中灯るのだろう。赤や緑や黄色のにぎやかな光が、ツリーの上を縦横に駆け巡っている。
真邑はかしゃりと音を立てて、ブラインドを下ろした。
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北国のさほど大きくないこの町に、2日前に2人は仕事でやってきていた。
仕事自体は、あまり苦労もせずに終わったのだが、始末がついた時間ではとうに新幹線の最終便がなくなっていて、しかたなくもう1日駅前のホテルの宿泊を延長した。
クリスマス間近ということで、駅前も街中も、そしてホテルの小さなロビーすらもどこもかしこも浮かれたクリスマスソングとチカチカする電球の煌きに覆われていた。
「ワクワクするよ、この季節」
笑顔で真邑が言うと、ベッドの端で膝に乗せたノートパソコンに黙々とデータを打ち込んでいた丈がふんと鼻で笑った。
「他人様の誕生日のどこがわくわくするんだよ」
「他人様、っていうより聖人の誕生日だよ。やっぱり、それってめでたくない?」
お前の頭のほうがよっぽどめでたいぜ、と丈は軽く首を振った。
「日本人ってのは都合よく出来てるよな。あんなバリバリに宗教くさい代物の浮かれた楽しい部分だけは、しっかり生活に取り入れていくんだからな」
「いいじゃん」と、真邑は肩をすくめてコーヒーテーブルの上の紙コップを手にとった。
ミルクの入ったそれはすでに生ぬるくなっていたが、真邑はかまわずひとくち飲み込んだ。
「そういうところが柔軟で日本人のいいとこなんだからさ。どうせ僕も丈も、血の半分だけが日本人で、日本戸籍もないような中途半端な人種なんだから、どこの国のものでもこだわる必要なんかないじゃないか」
パタンとノートパソコンの蓋を閉じて、丈が背伸びをした。
「ま、確かにな。別に目くじら立てる気はないぜ、俺だって。浮かれるなり何なり好きにすりゃいい」
丈の言葉に真邑が軽く眉を上げた。
「なんかけんか腰だなぁ。丈ってそんなにクリスマスとか嫌いなんだっけ?」
真邑の言葉にさめた目で一瞥を返した丈は、肩をすくめてみせた。
「別に、好きでも嫌いでもない。あえていうなら『どうでもいい』。世界の半分がいい気分になれるんだったら、それに越したことはないが、俺はその中には含まれない」
「ふぅん」
と、不満そうな声をあげた真邑は、どさりと音を立てて窓際の椅子にかけ、足元に落ちている夕刊に気づいて拾い上げた。
テレビ欄から表へ返すと、一面の左隅にはカラーでツリーの写真が載っているのが目につく。
記事はクリスマス商戦のもので、駅前にあるものとは別のツリーのようだった。
だが、その写真のおかげで駅前のツリーにまつわる話を思い出した真邑は、新聞を折りなおして、三面の該当記事を読み始めた。
「そういえばさ、あの駅前のツリーのところで、おとといの夜、殺人事件があったんだって。丈、知ってる?」
ああ、とノートパソコンの電源ケーブルを抜きながら、気のない返事を丈が返した。
二人で昼間見たきらびやかなツリーは、確かに無粋な黄色のテープで仕切られていて側には近づけないようになっていたが、その理由に気づいているのは地元の人たちと、地方紙にも目を通している真邑のような人間だけだっただろう。
テレビのワイドショーなどでクリスマス殺人と銘打って報道はされていたが、その関係者でない限りわざわざツリーだけを見に来る旅行者はいない。
その黄色いテープ以外、事件とこのツリーを結びつけるものは、ほとんどないといってよかった。
いや、たぶん地元の、特にこの辺りで商売をしている人間にとっては、旅行者には気づかれたくないことだっただろう。あえてツリーは撤去されないままだ。
「殺された会社員の梨木田宗さん五十五歳は、腹部と背中を鋭利な刃物で数回刺されており、血痕が駅ビルの入り口付近から点々と続いていたことからそこで刺された後、自力でツリーのところまで逃げたものと見られる、だって」
「ふぅん」
と、さっきの真邑のまねをして丈が気のない返事を返したが、真邑のほうは新聞記事を読むのに夢中で、それに気づいた風はない。
「梨木田さんは昨夜から降っていた雪にまみれた状態で発見されたが、ツリーの回りには、梨木田さんの足跡しか残っておらず、犯人のものと見られる遺留品も見当たらない。ただ、梨木田さんの手にはツリーの飾りのクリスマスステッキが握られていた、って何これ?」
記事を読み上げて首をひねった真邑に、丈が小さく笑った。
「読んでるお前がわからないのに、俺がわかるわけないだろ?」
「いや、だからさ。殺されたこの梨木田って彼は、死ぬ前に力を振り絞ってツリーのステッキを掴んだってことでしょ? ダイイングメッセージってやつ?」
「倒れたときに掴んだんだろ。別になんでもないんじゃないのか」
丈が言うと、真邑が首を振った。
「違うね。倒れたのはツリーの少し手前だったみたいだ。わざわざ這っていってステッキを掴んだようだ、と新聞には書かれてるよ」
うーん、と丈が眉間に皺を寄せた。
「ところで、さっきからお前、ステッキっていってるけど、それってキャンディケーンのことか?」
と、丈が言うと、真邑がきょとんとした顔をした。
「え? あれって正式名称そういうの?」
「ああ、柄のところが、まっすぐなやつはステッキ、つまりスティックのこと。ツリーのオーナメントによくあるJ型、鉤に曲がったものはケーンというんだ」
丈は空中に指でJを逆さにした形を描いて見せた。
「へぇ、なるほど。でも、キャンディでできたものって日本じゃあまりみないよね?」
確かに赤と白のストライプに染められた杖の形をした飾りはあるが、日本の場合は、プラスチックのようなもので出来ている割合が高い。
正式名称どころか、あれ自体がキャンディでできているとは思ってもいない日本人は多いのではないだろうか?
外に飾られているものの場合は、特にそうだろう。
真邑はうーんと唸りつつ首をひねった。
「どういう意味だろ? 犯人は杖をついた人?」
「サンタのじいさんかもな」
新聞を何度も読み返している真邑が真剣な顔でつぶやいた言葉に、丈がちゃちゃを入れた。
「だったら、サンタクロースのオーナメントだって下がってたんだからそっちにするだろ? わかりやすいし」
真面目に言い返す真邑に、丈は笑って肩をすくめた
「サンタかどうかはともかく、足が悪いじいさん、という線はなくもない」
「なんで?」
真邑が新聞から目を上げた。
「ツリーまで近づいていないから」
「はい?」
丈の言葉に真邑が首をかしげた。
丈はしなやかな動作でベッドから降りると部屋を横切り、窓のそばに立って先ほど真邑が降ろしたブラインドの真ん中を指でぐいと押し下げた。
「つまり、犯人は数回刺しておきながら、最後にとどめを刺してはいない。追いかけて行ってツリーの下で倒れた被害者に、なぜとどめを刺さなかったかというと」
言葉を切って丈は、ブラインドを離すと真邑のほうへ身体の向きを戻した。
「というと?」
真邑がじれったそうに先を促した。
「特徴のある自分の足跡が残ることを怖れたから、かもしれない」
あ、そうか、と真邑はもう一度新聞に目を落とした。
「確かにツリーの下には、被害者の足跡しかなかったと書いてあるよね。なるほど、杖をついてるから特徴ありってことだね。そういうこともあるか」
素直にうなずく真邑に丈が苦笑した。
「信じるなよ。ないよ。そんなこと」
「なんで?」
あっさり自説を引っ込められて目を丸くする真邑に、丈は薄く笑った。
「被害者は腹と背中を刺されたんだろう? 駅ビルからツリーまで結構な距離があるぞ」
「だから?」
「杖をついた人間が、あのすべりやすい雪道を何度も刺せるくらい追いかけられるか? 杖をついたままで人を刺すのは、なかなか大変だと思うが」
「うーん、そっか。言われりゃそうかも」
真邑が唸って額を押さえた。
駅ビルからツリーに向かう方向にはいくらひと気がないといっても、ツリーの更に向こう側にはタクシー乗り場があって、そこには深夜でも客待ちのタクシーが数台止まっているのを真邑は見ていた。
最初に刺された時点でツリーから少しそれて、そちらへ向かって死に物狂いで走っていれば、杖をついた相手からは逃げ切れるかもしれない。
だが、実際は違う。たどり着く前に追いつかれて何度か背中を刺されているのだ。
再び真邑は思いついたことを口にしてみた。
「サトウケン、なんて名前の顔見知りの犯行ってのはどう?」
真邑の言葉に、丈はちょっとだけ何かを考えていたが、やがてその端正な顔にニヤニヤ笑いを浮かべた。
「何だよ、それ。まさか、キャンディが砂糖で、ケーンがケンだからサトウケン、とかどっかのオヤジでも言わないような駄洒落じゃないよな?」
笑いを含んだ口調でからかう丈に、真邑が抗議のしるしに顔をしかめてみせた。
「誰がオヤジさ。だめかい、これ」
丈は真面目な顔にもどると、ポケットから煙草の箱を出した。
「お前でさえ、あれがキャンディケーンというのだと知らなかったのに、五十五歳の会社員が知ってる確率はかなり低くないか? それに、ダイイングメッセージは解けなきゃ意味がないんだぞ。捜査員も知ってるとは限らない」
丈は煙草を箱の中から一本引き出した。
「加えて言うなら、あそこのツリーのケーンは作り物だった。砂糖じゃない」
「え、そうなの? 何で知ってんの?」
煙草に火をつけずにくわえたままで、丈が顎でくいっと駅のほうを指した。
「昼間にじっくり見たからさ。興味があるだろ、近場で起きた事件だし」
「あれ? なんだよ。昼の時点で知ってたんなら、僕にも教えてくれればいいだろ」
と、真邑が頬を膨らませるまねをして、すっくと立ち上がった。
真邑はそのままつかつかと丈に近づくと、
「さ、行くよ」
といって、丈が火をつけようとした煙草を唇から強引に奪い取った。
「どこに? ツリーのところか?」
さほど驚いた風でもないところを見ると、丈のほうは真邑の行動は想定内だったらしい。それがおもしろくなくて、更に真邑はむっとした顔でベッドの上の丈のジャケットを彼に向かって放り投げると、その側においてあった自分のコートをひっつかんだ。
「当然だろ! 僕もちゃんとこの眼でみなくちゃ」
ホテルのフロントにいた男は二人の鍵をそれぞれ預かると、曖昧な笑みを浮かべた。
寒いのに物好きな、旅行者はこれだから、とでも言いたいところだろう。
確かに、ドアから一歩出たとたん、真邑は自分の発言を後悔した。
ただの寒風というだけではすまない、冷たいナイフの風が容赦なく襲ってくる。
避けようのない肌に突き刺さるその刃に、真邑は無意識に身を振るわせた。
「寒いっていう言葉以外に何かある?」
と、思わず振り向くが、丈は外でも中でも変わらず無表情のままだった。だが、それでも真邑の言葉にかすかに肩をすくめてぼそりとつぶやく。
「凍る、かな」
「『しばれる』ってのはこの辺りの方言じゃないんだっけ?」
「ああ、違うな」
車道と舗道には、もうほとんど雪がない。
道の両脇に積み上げられた雪が残ってはいるが、人が通る部分は下の赤いレンガが見えていた。
しかし、それでも油断はできない。
昼間に気温がプラスになるとわずかに雪が融け、それが夕方からの冷気に薄い氷となるのだ。
そのような氷の部分がところどころにあって、下を見ないで歩いていると思いがけなく滑ることになる。
今日のようにうっすらと雪が積もっていると、それが氷の反射を隠すのでさらに厄介なことになる。
真邑は、舗道をこれ以上ないほど慎重に歩いた。
雪国仕様のブーツを履いていても、油断はできないということがこちらにきて学んだことの二つ目だった。
クリスマスツリーは、ホテルを出て左側に見える駅舎の前に立っていて、きらびやかな光を放っている。
すぐそこにあるのだろうが、真邑にはそれが何億光年も彼方に見えている。
「これじゃ、普通の人間でもあまり早くは走れないかもね。いくら慣れた地元の人でも」
口を開くと冷気が肺の奥にまで忍び込み、身体の奥から冷えてきそうだ。
真邑は思わずポケットの中から手を出して口元に当てた。
あの日もこんな夜だったはずだ。
しんと冷えていて、粉雪が舞っていた。
粉雪はさらさらとかすかな音をたてて舗道へ舞い落ちていく。
地下街の飲食店があいている時間帯ならそれなりに駅前もにぎやかだが、すでに真夜中に近い時間帯では人通りは少ない。バス乗り場も駅舎のまん前にあるが、そこもすでに真っ暗で、わずかな表示板の灯り以外、人の気配はない。
駅舎の正面よりやや右寄りにあるクリスマスツリーだけがちかちかと誰も見る者のいない虚しい灯りを振り撒いている。
その更に右には、大きな駅のファッションビルがあり、明るいショーウィンドウの中のマネキンも見える。
血痕は、そのショーウィンドウの前の舗道の上から続いていたと新聞には書いてあった。
そこからツリーまで目算で80メートルほどだろうか?
ショーウィンドウ沿いの舗道を歩けば、ツリーまで遠回りにはなるが雪はない。駅舎から小さな屋根が張り出しているからだ。
だが、被害者はそちらの道は選ばなかった。
たぶん、まっすぐに人のいそうなタクシー乗り場を目指したのだろう。
バスの乗り場を越えて、ツリーを越えれば駅舎のほとんど反対側にタクシーが何台か止まっているのが見えている。
途中で被害者はタクシー乗り場へ向かうのを断念したのだろうか、と真邑は思った。
ツリーは確かにタクシー乗り場へ向かう途中にあるが、そちらへ向かうならツリーの下へわざわざ行く必要はない。
通り過ぎてそのまま何十メートルか進めばよい。
だが、被害者はツリーの下で倒れた。
いったい何を伝えようとしたのだろう。
おっかなびっくり歩いている真邑を尻目に、いつのまにか追い越した丈が先にツリーの下へついていた。
「何でそんなに早いんだよ」
文句を言う真邑に丈が呆れたような声をあげた。
「仕事の間だって似たようなもんだったろ。お前だって足元を気にしてもいないようだったが?」
確かにそうだった。
「仕事のときは、僕だっててんぱってるの!」
真邑が文句を言うと、
「なら、表に出るときは常にてんぱっとけ」
こともなげに言って、丈は頭上を見上げ、それにつられたように真邑もツリーを振り仰いだ。
ツリーはあまり大きくはない。
トウキョウやヨコハマあたりで見かけるツリーは、小さなビルくらいならあっさりと凌駕しそうな勢いだが、ここのツリーは室内で飾られそうないたって小ぢんまりとしたノーマルな大きさだった。
そのためにツリーの枝には小さな子供でも手が届く。
這っていった被害者が少し身体を起こして手を伸ばせば、下の枝には手が届くだろう。
飾られているものもごく普通によく見かけるオーナメントだった。金や赤や緑の輝くボール、天使やサンタクロースの人形、赤いリボンのかかった小さな箱、白い小さなテディベアと、そして赤と白の斜めのストライプが入ったJの字型のキャンディケーン。
ツリーのあちこちに降り積もった白い雪が、作り物ではなく本物なのがいかにも北国らしかった。
真邑は黄色のテープの外側から仔細にキャンディケーンを眺めてみたが、30センチ程の長さでプラスチック製なのがわかっただけで、どこといって変わったところは見受けられない。
「理容店のマークとかも赤白ストライプだっけ?」
思いついたことを真邑がつぶやくと、丈が薄く笑った。
「青が入るのが正式だろうがな」
真邑は軽く眉を上げた。
「そういえば、僕のうちの近くの理容店はオレンジと緑と黄色のストライプだったかも」
真邑はそのまましゃがみこんで、ツリーの下を覗き込んだ。さすがに被害者と同じくそこに倒れこんでみる勇気はない。
踏み荒らされてはいるがツリーの下には、何日か前に降った雪が10センチほどの厚さに残っていた。
風に飛ばされて吹き込んだのであろうその雪は、斜めにツリーの下に吹き溜まっている。辺りの雪の様子から見ると、たぶん血の跡だけが削り取られているように思われた。
真邑は今度はツリーを下から見上げてみた。
「やっぱりこの形『J』に見えるよね。まさか、丈がやったんじゃないよね。自白するならいまだよ?」
真邑のあまり笑えそうもないジョークに、丈は肩をすくめた。
「それを言うなら、ひらがなの『し』にも見える。いや、『つ』かもしれない」
「なるほど? 言われてみればそうか」
丈の指摘に、改めて真邑はキャンディケーンを眺めた。
丈は、近くの雪をブーツのかかとで軽く蹴った。
ブーツに蹴られた雪は、ざりりとザラメのような音を立てて削られた。
だいぶ硬いが、氷でもない。
「で? 丈の結論は何? 僕ばっかりいろいろ推理を披露してるじゃん、ずるいよ?」
「結論なんてない」
丈はきっぱりそう言うと、もう一度ツリーを見上げてそれからくるりと踵を返した。
「冷凍肉になる前に戻るぞ」
空気以上にさめた丈の声に、真邑は諦めて彼の後を追った。
「子供の頃」
ホテルへの道をゆっくりと歩きながら、丈が唐突に低い声で話し始めた。
「文字隠しという遊びをしたことがある」
「文字隠し?」
真邑は不思議そうな声をあげた。まるで心当たりのない遊びだった。
「硬い土の上に釘で30センチほどの円を書いて、その中に鬼がひらがなかカタカナを1文字だけを書くのさ」
真邑は再度首をひねった。
「すぐ見つかるでしょ、そんなの」
「釘で文字を書いたら、上に土を被せるんだ。薄くかけられた土で文字は隠れる。それを鬼以外の子供が順繰りに指でさぐって最初に当てたものが勝つ」
単純な遊びだ。特に固い土の上でないとそれは成立しない。固い大地の上に釘で彫られた文字は上にかけられた土で隠れるが、指でさぐれば彫られた文字が浮き上がる。
あ、と真邑は声をあげた。
「まさか、丈は被害者が雪の上に文字を書いたと?」
「犯人は被害者を何度も刺した。被害者はツリーの下へ倒れこんだ。犯人は彼が死んだと思ったか、ほっといてもこの寒さならじきに死ぬと思ったかもしれない。自分は雪の上に足跡を残す危険は犯したくなかった」
丈がそこで言葉を切り、代わりに少し興奮した声で真邑が後を続けた。
「だけど、被害者は生きていた。そして倒れこむときに掴んだキャンディーケンを釘の代わりにして、硬い雪の上に犯人の名前かなにかを書いた? あ、そうだ。ずっと粉雪が降っていたんだ。被害者は半ば雪にまみれた状態で発見されているよね」
粉雪は、硬く凍った雪に彫られた文字を隠してしまったのだろうか?
「あんなに踏み荒らされていたら、もう確認するのは無理かな」
やっとたどり着いた暖かなホテルのロビーで、立ち止まって再び駅のほうへ未練がましく目を向けた真邑に丈が釘を刺した。
「今のは推理なんてもんじゃない。なんの根拠もないただのたわごとだ。俺に思いつけるのはせいぜいそんな程度さ。確かめようなんて思っても無駄だぞ?」
いうなり丈はさっさとフロントへ行き、自分の部屋の鍵を受け取った。
慌てて真邑も自分の部屋の鍵を受け取ると、エレベーターの前で丈に追いついた。
「雪はかなり硬かったよね。だから、文字が書けそうなキャンディケーンを掴んだんだね」
丈は顔をしかめた。
「あれで殴るつもりだったかもしれないぞ? どっちにしろ、この話は不毛だよ。被害者が死んでいて永遠に答えは得られないんだからな」
エレベータを降りると、丈はそう言いおいてさっさと自分の部屋へ消えた。
「どうかな? 犯人が捕まったらわかると思うけど」
口の中で真邑はそうつぶやきながら、自分の部屋の鍵をまわした。
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奇しくも、犯人が捕まったのは、クリスマスイブだった。
あれ以来、地方紙のニュースに目を光らせていた真邑は、クリスマスの朝、全国紙の片隅にその小さな記事を見つけていた。
犯人は、彼の同僚の女性で金銭に絡んだトラブルのようだった。
犯人の名前には、『J』の字も『し』も『つ』も含まれていなかった。
とどめを刺さなかったのは、人に見られたくなかったのと、雪の上にハイヒールのブーツの跡がつくのをおそれたからだと新聞は報じていた。
「うーん、さすがだな。丈の言うのが当たってたんだ」
あの日の会話を思い出して真邑は唸った。
「それにしてもハイヒールのブーツであんなとこ歩けるのか、すごいな」
今度は妙なところに感心しつつ、真邑は何紙かとっている他の新聞でも記事を探して目を通した。しかし、どこにもダイイングメッセージについては書かれていない。
インターネットも駆使して調べたが、事件の詳細が書かれた地方紙でも、キャンディケーンについては一言も言及されていなかった。
「やっぱり、丈の言うとおり永遠の謎のままなのかな?」
犯人の名前を、彼は雪の上に書いたのか、あるいは書かなかったのか。
丈に電話をしようかと、電話機に手を伸ばしかけて思いとどまった。クリスマスだというのに、丈は別の事件で出かけているはずだった。
「でもこの事件が片付いたのは、クリスマスだからかもね」
ため息をついた真邑は、淹れたばかりのコーヒーのカップを目の高さにあげ、
「Joyeux_Noel! (ジョワイユ・ノエル)」
と、かつて使っていた父の国の祝いの言葉を小さくつぶやいた。
※ジョワイユ・ノエル=仏語でメリークリスマスの意味




