中巻 序文
ひそかに我が国の歴史を振り返ってみますに、第二十八代の宣化天皇以前の時代は、人々は仏教以外の教え(外道)に従い、占い(卜者)に頼っていました。しかし、第二十九代の欽明天皇以降は、仏・法・僧の三宝を敬い、正しい仏の教えを信じるようになりました。
その間には、ある皇族や臣下が寺を焼き、仏像を川に流すといった仏法への迫害(物部守屋などによる廃仏事件)もありましたが、またある皇族や臣下は寺を建て、仏法を世に広めようともしました(聖徳太子や蘇我馬子などによる興隆)。
これら歴代の天皇の中でも、勝宝応真聖武太上天皇(聖武天皇)は、特に東大寺の大仏を造立され、永く仏法の種を次世代へと引き継がれました。天皇ご自身も髪を剃って袈裟を身にまとい、戒律を受けて善行を積み、正しい仏法によって民を治められたのです。
その慈悲の心は動物や植物(動植)にまで及び、その徳の高さは千古の歴史の中でも抜きん出ておられます。天皇は一たび国家の運命を掌握されると、天・地・人の三霊(世界のあらゆる神霊)の頂点に君臨されました。
この聖武天皇の広大な福徳があまりに大きかったため、空を飛ぶ亀(螯)は、霊薬である芝草を口に咥えて寺の屋根を葺くために集まり、地を這う蟻は、黄金の砂を運んで塔を建てるのを手伝ったほどです。
仏法の旗(法幢)は高く掲げられて八方の隅々まで行き渡り、慈悲の船は軽やかに浮かんで、その帆の影は遥か天の果て(九天)までを覆いました。めでたい奇蹟の兆し(瑞応)である奇妙な花が国中のあちこちで競うように咲き誇り、現世における善悪の応報が、吉凶の兆候として人々の前に次々と現れました。それゆえにこそ、人々は「勝宝応真聖武太上天皇」と尊称し奉ったのです。
この聖武天皇の御代において、善悪の報いに関する記録(表)がとりわけ多く残されているのは、この聖なる天皇の功徳が世に最も顕著に現れたからにほありません。
これまで歴史の記録から漏れて顧みられなかった出来事について、私は今、人々の口から聞いた評判に従い、事実かどうかを何度も検証(且載且覆)しながら書き記すことにいたしました。
心の中で深く探求してみますに、進むべき正しい道は……(※数文字欠落)……極めて明らかであり、……(※数文字欠落)……。
悪を好む者には(死後、地獄で)鉄の杖がその身に振り下ろされ、善を好む者には、金や真珠で飾られた鉢(功徳の報い)が与えられます。これはたとえば、汚れた場所から遠ざかって清らかな場所に身を寄せ、災いを取り除いて幸福を満たし増やすようなものです。
(かつて中国の伝説の隠者である)許由が世俗の穢れた話を聞いて耳をすすぎ、巣父がその穢れた水を嫌って牛に水を飲ませずに引き返したという故事がありますが、私のこの執筆の意図も、そうした世俗の汚れを忌み嫌い、清らかな仏道を求めるという点で、どうして異なると言えましょうか。
そもそも、私たちが生きるこの三界(迷いの世界)を巡るさまは車輪の回転のようであり、六道(地獄から天界までの六つの世界)に生まれ変わるさまはウキクサが水面を漂うかのようです。ここで死んではあそこで生まれ、ありとあらゆる苦しみを具さに受けるのです。
悪業という原因は、馬の轡を並べて走るように、人々をまたたく間に苦しみの場所(地獄)へと急がせ、善業という条件は、崖をよじ登るように、人々を安らかな世界(浄土)へと引き上げてくれます。
(仏法の慈悲の力によって)虎が(出家者の)膝の前で従順に懐き、生への愛着の深さゆえに、(亡くなった親の魂が鳥となって)子供の頭の上に巣を構えて羽を休めることもあります。
中国の孟嘗君が示した七つの善行や、魯恭が治める地で起きた三つの奇蹟(蝗害が起きないなど)の故事も、すべてはこの因果応報の道理を物語るものにほかなりません。
しかしながら、この私、景戒は、生まれつき聡明ではなく、口下手で話すことも得意ではありません。その知恵の鈍さは、まるで切れ味の悪い「なまくら刀(鑞刀)」のようであり、文章を綴っても華やかさがありません。情熱ばかりが先走って愚鈍な心は、まるで(水に落とした剣の場所を船べりに刻んで探そうとする)「刻舟」の寓話のように的外れでもあります。
編み出した文章は乱れ、句のつながりも不揃いですが、ただ「善行を尊びたい」という一念が抑えきれず、未熟ながらも白い紙を墨で汚し、人々の口から伝わったお話を誤りながらも書き注いだ次第です。
己の至らなさを深く恥じ入り、恐縮するあまり、顔は赤くなり、耳まで熱くなるような思いがいたします。
どうか、この拙い文章を手に取ってくださる皆さまにおかれましては、私の未熟さは天や人に対して恥じるばかりでありますので、どうか大目に見ていただき、記述の不備は忘れてください。そして、「自らの心を基準(師)とするのではなく、正しい仏法をこそ心の基準としなさい(作心之師、莫心為師)」という教えを胸に刻んでいただきたいのです。
私は、この書物を編纂した功徳によって、右の脇には福徳という翼を授かって大空の彼方(沖虚の表)へと羽ばたき、左の脇には知恵という松明(炬)を掲げて仏性の頂へと登りつめたいと願っております。そして、この功徳をあまねくすべての生きとし生けるもの(群生)に施し、皆と共に仏の悟りを開く道(成仏)を成就したいと願うものであります。
奈良の右京、薬師寺の僧・景戒、これに録す。
解説
この中巻の序文は、単なる目次や前置きではなく、『日本霊異記』全体の思想的支柱であり、作者・景戒による熱烈な「宣言書」とも言える重要な文章です。
1. 聖武天皇への絶対的な賛美と「黄金期」の演出
景戒は冒頭で、仏教伝来以降の歴史を総括し、その最高峰として「聖武天皇」を位置づけています。
聖武天皇が自ら出家し、大仏を造立して国を治めた功徳があまりに大きかったため、空飛ぶ亀や地を這う蟻までもが建築を手伝ったという、神話的な表現を用いて聖武天皇の御代を「奇蹟に満ちた黄金期」として描いています。中巻に聖武天皇の時代の説話が多く収録されている正当性を、ここで見事に提示しているのです。
2. 中国の故事を駆使した「隠者」と「因果応報」の裏付け
文章の中盤以降、景戒は『荘子』や『後漢書』などに登場する中国の高度な故事(許由と巣父の隠者伝説、孟嘗君の善行、魯恭の奇蹟、刻舟の寓話など)を次々と引用します。
これは、自分が集めた日本の地元の民間説話(口伝)が、決して怪しげな噂話などではなく、大陸の進んだ文明や歴史の教訓、そして仏教の世界観(三界六道の輪廻)と完全に一致する「普遍的な真理」なのだと証明するための、編集者としての高度な説得技術です。
3. 「謙譲の美徳」と「壮大な結末の情景」
結びにおいて、景戒は自分の文才を「なまくら刀」や「刻舟」に例えて極限までへりくだります。顔を赤くし、耳を熱くしながら書いたという人間味あふれる告白は、読者の共感を呼びます。
しかし、その直後に語られる未来の展望は圧倒的です。「右の脇に福徳の翼を広げて空へ舞い上がり、左の脇に知恵の松明を掲げて悟りの頂へ登る」という、まるで宗教画のような壮大で美しい情景を提示し、すべての生きとし生けるものと共に救われたいという大乗仏教の崇高な祈りで締めくくられます。この構成の緩急の付け方は、まさに一流の表現者による筆致と言えます。




