第二十五 忠臣が欲を抑えて民を慈しんだら、天が感動して不思議な報いを見せた話
故・中納言・従三位の大神高市万侶卿(おおみやの高市まろきょう)は、持統天皇の時代に仕えた、とても忠実な臣下だった。
記録にこう残っている。
朱鳥七年(692年)二月、天皇が諸役人に詔を下した。
「三月三日、伊勢へ行幸する。準備を整えよ」
これを聞いた中納言の高市万侶は、農繁期に天皇の行幸は民の負担が大きいと考え、恐れながらも上表して諫めた。しかし天皇は聞き入れず、行幸を強行しようとした。
すると万侶は冠を脱ぎ、朝廷に差し出して再度強く諫めた。
「今はちょうど農作業の大切な時期です。行幸はなりません!」
また、旱魃で田が干上がった時には、自分の田の水門を塞いで水を止め、すべての水を百姓たちの田へ流して与えた。自分の田の水が尽きても、決して惜しまなかった。
すると、天は彼の忠義と慈悲の心に深く感動した。
龍神が雨を降らせたが、不思議なことに万侶卿の田だけに集中して雨が降り、他の土地には一滴も落ちなかった。
まるで古代の聖天子・堯や舜の時代のような、理想の政治と徳の現れだった。
これはまさに、忠信の極みであり、徳の高さの表れである。
讃(ほめ言葉)
立派だな、大神氏よ。幼い頃から学問を好み、忠義に厚く仁の心を持ち、清らかで汚れのない人だった。民を慈しみ、水を分け与え、甘い雨が時を得て降り、その美しい名声は長く伝えられるだろう。
解説
本話は、古代日本の貴族でありながら、民を最優先に考えた大神高市麻呂の「至誠」と、それに対する「天の祝福」を描いた、因果応報・感応譚の傑作です。
1. 歴史的背景:持統天皇の伊勢行幸と「蟬冠」のドラマ
文中の「朱鳥七年(持統六年)」の伊勢行幸は、『日本書紀』にも全く同じ事件が記録されている史実です。『日本書紀』でも持統天皇が周囲の反対を押し切って伊勢へ向かったことが記されていますが、本書(霊異記)では、高市麻呂が「蟬冠(貴族の象徴である冠)を脱いで職を賭して諌めた」という、より具体的で劇的な描写がなされています。
宮廷の最高位に近い人間が、天皇の方針に対して民の農繁期(春の種蒔き・田植えの時期)を理由に命がけで抗議する姿は、古代の政治劇としても非常に見応えがあります。
2. 「施水塞田」の奇蹟と文学的レトリック
後半では、旱魃の際に「自分の田の水を止め、すべて民に与えた」という私心のないエピソードへ繋がります。
ここで、仏教的な「龍神の降雨」という奇蹟が起こるわけですが、その描写に「堯雲更靄き、舜雨還霈(ひさ雨ふ)る」という、中国の伝説的な聖王(堯・舜)の治世の比喩が使われている点が秀逸です。
編著者である薬師寺の僧・景戒は、仏教的な因果応報だけでなく、儒教的な「徳治政治」の理想を高市麻呂に見出しています。
3. 本話のテーマ:仏教的「少欲知足」と「王権への眼差し」
タイトルに「小欲知足(欲を少なくし、足るを知る)」とあるように、高市麻呂の私欲のなさが奇蹟(=自分の田だけに雨が降る)という形で報われます。
一見、持統天皇が「民を顧みない独裁者」のように描かれ、高市麻呂が「正義のヒーロー」として対比されているように見えますが、これは当時の知識人(僧侶や下級官僚)が、肥大化する律令国家の権力に対して抱いていた「民を大切にしてほしい」という切実な願いの投影でもあります。
格調高い漢文の中に、政治的緊張感と、神話的な美しさが同居した素晴らしいエピソードです。




