表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TS無知ムチ使いの異世界ドカ食い気絶旅~脂肪と糖を添えて~  作者: Seabird(シエドリ)
最終回 むちのたび~脂肪と糖を添えて~
24/24

むちのたび

 大会は無事に終了した。

 喧騒を離れ、私は島を歩いている。


「そういえば、僕が以前誘った彼女。探し人がメスートさんだったなんて、偶然ですね」


「メスートは、いつ頃ここに来た?」


「うーん……先月くらいですかね。あまり自分のことを話す方じゃなかったので、正確には分かりませんが」


「そうか……だが、まだ島にいるはずだ」


 私は、これまでの経緯を簡単にゼツへ説明した。

 島を案内してもらう途中、彼の紹介で港の人々にも話を聞いて回っている。


 小さな女の子が島に来た、という証言はあった。

 だが、まだ島から出てはいないらしい。


 島の出入り口は一つしかない。


 夕暮れ時、空はゆっくりと橙色に染まり始める。


 海岸沿いを歩いていると、突然、声がかかった。


「おーい、ゼツちゃんやーい。ちょっと手伝ってはくれんかねー」


 網の手入れをしている老婆だった。


「ばっちゃん……まったく、何してるんだよ」


「行ってこい。だいたいのことは分かった。あとは私ひとりで、ゆっくり散策する」


「すみません。うちのばっちゃん、目を離すとすぐ働こうとするので。でも、ムチーノさん。本当に助かりました。また、きちんとお礼させてくださいね」


 ゼツは頭を下げる。

 そして、思い出したように付け加えた。


「メスートさんのお気に入りの店があります。この海岸沿いを、ずっと先へ行ったところにある古びた店です。青い看板が目印ですよ」


 それだけを伝えると、彼は足早に戻っていった。




 海岸沿いの道を、ひとり歩く。

 潮風は強く、塩の匂いが肌にまとわりつく。


 古びた店へ向かう道の途中、ぽつんと開けた場所に、それは建っていた。


 銅像だ。


 だが、英雄像ではない。

 剣も槍も掲げていない。

 堂々と立ってもいない。


 腹を前に突き出し、どこか満ち足りた顔を空に向け、どっしりと座り込んだ人物像。

 肩は落ち、手はだらりと垂れ、今にも眠りに落ちそうな姿勢だ。


 潮風に晒され、表面はところどころ緑青に覆われている。

 だが、その腹だけは、妙に光っていた。


 私は足を止め、像の傍らに置かれた石碑へと目を向ける。


 簡素な文字で、こう刻まれていた。


 キ・ゼツ──異国に生まれ、世界を食べ、この島で眠り、そして目覚めなかった美食家。


「……なるほど」


 私は、ゆっくりと息を吐いた。


 忘れられた美食家。

 名を残さず、国を動かさず、伝説にもなりきれなかった男。


 それでも、確かに“ここにいた”。


 幸せそうに食べ、満ち足りたまま眠り、そして、そのまま帰らなかった。


 私は像の前に立ち、自然と声を落とす。


「キ・ゼツ……あなたは、幸せでしたか」


 答えはない。

 だが、像の表情は穏やかだった。


 私は軽く頭を下げ、そして、そっと像の腹に手を置く。


 やはり、そこだけがよく磨かれている。

 多くの人が、ここに触れてきたのだろう。


「これからも、美味しい食べ物に、出会えますように」


 願いはそれだけだ。

 最初から、今までずっと。


 食べて、笑って、眠る。


 それ以上の望みなど、私にはない。


 顔を上げると、道の先に、青い看板が見えた。


 潮に色を抜かれ、文字も読みづらい、古びた店。


 メスートが立ち寄ったという店。

 そして、私が辿り着くべき場所。


 足取りは軽い。


 空腹を胸に、期待を腹に、世界の真理を、全身で抱えながら。




 青い看板の店は、外見の古さに反して、中は清潔だった。

 焼き台の熱。油の匂い。鉄板に落ちる肉の音。


 カウンターの一番奥に、先客がいた。


 小柄で、ぷにぷにとした身体つき。

 勝ち気そうに吊り上がった目。

 高い位置で結ばれた、二つの尾のような髪。


 ツインテールの少女が、バーガーにかぶりついている。


 私は何も言わず、彼女の隣に腰を下ろした。


「バーガーを一つ。シェイクも頼む」


 店主が無言で頷く。


 隣では、少女が乱暴に紙を剥がし、指にソースをつけながら食べていた。

 相変わらず、行儀は良くない。


「……」


 一瞬、視線が交わる。


 少女の動きが止まった。


「なに見てんだ、よ……ムチーノ……?」


 生意気な口調。

 だが、その目は確かに私を捉えている。


「久しぶりだな」


「……っ!」


 少女は口の中のものを急いで飲み込み、顔をしかめた。


「なんでここにいんだよ、ムチ野郎」


「今はムチ乙女と呼んでくれ」


「知るか! ……まだ生きてたのか」


 強がった笑み。

 だが、肩がほんの少し強張っている。


「似合っているぞ」


 私は優しく笑い、少女の姿を眺めた。


「見るな。ライバルに薬を盛られたんだ……」


「ライバル? 私ではないのか?」


 私は少女の顔に、くっつきそうになるほど近づいて問いただす。


「なあ、教えてくれ。ムチーノとメスートは、ライバルじゃなかったのか? 私“が”ライバルに薬を盛られたんじゃないのか?」


「ひっ……」


 少女の顔が、さっと青ざめた。

 まるで、過去を思い出しているかのように。


「ムチーノは、その……」


「その?」


「……家族だから……」


「そうだったのか。確かに、そうだな」


 私は静かに頷いた。


 その時、店主が私の前にバーガーを置いた。


 分厚いパン。

 香ばしい肉。

 滴る肉汁。


 私はそれを手に取る。


「なあ、メスート」


「……なんだよ」


 私は一口、かぶりついてから言った。


「一緒に飯を食わないか」


 少女は一瞬、言葉を失ったようにこちらを見る。


「……は?」


「それだけだ」


「意味分かんねえ……」


 だが、彼女はバーガーを置かなかった。

 むしろ、もう一口、強く噛みついた。


 脂肪、糖、二人分の咀嚼音。


 それで、十分だった。


 我思う、ゆえに食う。

 食えば眠い。

 それでいい。


 ムチを振るってきた私の旅は、無知なまま腹を空かせ、いつの間にか、むちむちと肉を蓄えながら続いてきた。


 だが、それも悪くない。


 これは、食の旅。

 そして、食事の度。


 腹が減ったら、また食べよう。


 私は、もう一口、バーガーをかじった──




 TS無知ムチ使いの異世界ドカ食い気絶旅~脂肪と糖を添えて~ 完

笑顔で美味しい飯を食う。

色々と試行錯誤をしながらの作品になりましたが、主人公が単純な幸せを享受する物語を描けて、本当によかったと思います。

読んでくださった方々には、感謝の気持ちしかございません。

ありがとうございました!


それでは、またいつか、どこかでお会いできればと思います。


シエドリ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ