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TS無知ムチ使いの異世界ドカ食い気絶旅~脂肪と糖を添えて~  作者: Seabird(シエドリ)
最終回 むちのたび~脂肪と糖を添えて~
22/24

極東の島と部活動

 大陸の端から出発して、船に揺られること丸一日。

 私は、東の果てに位置する小さな島へと辿り着いた。


 この島は、国と国との境目にある。

 さらに東へ船を進めれば、巨大な島国があるらしいが、ここはその手前に浮かぶ中継点のような場所だ。


 どの国にも属さない中立の島。

 だからこそ、私のような事情持ちの旅人や、純粋な観光客が入り混じっている。


 島の名は、私の国の言葉で――ファット。

 由来は、向こうの国の言葉である──不合島(ふあとう)

 音が訛り、簡略化され、今の呼び名になったらしい。


 甲板から見えていた島影は、近づくにつれて色を変えた。

 濃い緑に覆われた丘。

 白く縁取られた砂浜。

 陽光を反射する、浅い海の青。


 山の街マギとはまるで別の、異世界だ。


 船が岸に横付けされ、渡し板が下ろされる。

 私は荷を肩にかけ、ゆっくりと下船した。


 板張りの桟橋が、ぎしりと鳴る。

 その音を確かめるように、一歩、地面へ足を下ろす。


 暖かい。

 地面も、風も、空気そのものも。


 こうして私は、食と境界の島に足を踏み入れた。




 島の中を歩く。

 小さな島だと聞いていたが、思っていたよりもずっと広い。

 一日では到底、全てを見て回れないとすぐに理解した。


「宿でも探すか……」


 腹が鳴ったが、聞こえなかったことにする。

 まずは荷物を置ける場所を確保しなければならない。


 港を離れると、すぐに道は細く入り組み、大通りと呼べるものは見当たらなくなった。

 低い家々が並び、洗濯物が潮風に揺れている。


 住宅地だ。


 よそ者が踏み入る場所ではなかったかもしれない。

 私は少し申し訳なくなり、来た道を引き返そうとした。


 そのときだった。


「そこのお方。食べるのが好きとみた」


 不意に声をかけられる。


 振り返ると、そこにいたのは一人の青年だった。

 背は平均的、体格も細すぎず太すぎず、服装も、顔立ちも、立ち姿も、驚くほど特徴がない。


 あまりに普通だ。


 だからこそ、逆に印象に残る。

 この青年を表す言葉を探すとしたら、”普通”という語以外に思いつかなかった。


 ただ一点を除いて。


 彼は両手にバーガーを持ちながら話しかけてきたのだ。


「……わんぱくだな。どうして分かった?」


「勘ですよ。腹の音も、歩き方も、視線も」


 青年は屈託なく笑う。


「実は明日、この島で食の大会がありましてね。大食いの、しかもペア戦なんです」


 話の流れが分かった気がした。


「誘った方が急に来られなくなりまして。困っていたところなんですが……」


 青年は私の腹部にちらりと視線を落とし、にこりと笑った。


「お腹、空いてますよね?」


 普通の顔で、普通の声で、彼は言った。


 どうやらこの島、到着早々、穏やかでは済まないらしい。




 地元民が通うような、住宅街の一角にある飯屋。

 そこで私と青年──ゼツという名らしい──は飯を食っていた。


 ゼツは、にこりともせず、しかしどこか必死な目で、こちらを見ている。


「良い食べっぷりですね。実に正直で、見ている僕までお腹が空きます」


「うまいな。ライスが、いくらでもいけてしまう」


 私が食べているのは、定食と呼ばれる、ライス、おかず、スープが揃った食事だ。

 中でも、魚を甘辛く煮たおかずが秀逸で、ライスとの相性が抜群だった。


 人目もはばからず、私は何度もおかわりをする。


 何をどれだけ食べたのか分からなくなる頃、背もたれに体を預けた。


「ふう……満足だ」


「大盛を五杯、ですか……甘いものもいけますか?」


「デザートまであるのか。いただこう」


 そうして運ばれてきたのは、もちもちとした大きな球体だった。

 ゼツが頼んでくれたものらしい。


 これが、思った以上に腹に溜まる。


 名前も分からない異国の菓子だが、甘くておいしい。

 噛んだ感触は、どこかライスにも似ている気がした。


 腹は膨れ上がり、急激な眠気が押し寄せてくる。


「餅を三個……すごいですね。ムチーノさん。大会に出ましょう。あなたしかいません」


「いいだろう」


「え、いいんですか!?」


 あまりにあっさりした返事だったのだろう。

 ゼツは目を丸くしていた。


「私にも、少し頼みがある。大会が終わったら聞いてくれ」


 そう言って、私は立ち上がる。

 とにかく、今は寝たい。


 思ったのだが、ライスという穀物は、どうしてこうも眠気を誘うのだろう。


「とりあえず、明日の朝、港で会おう」


 そう告げて歩き出す。


 この機会を、逃したくないと思った。




 適当に選んだ宿の寝台は想像以上に柔らかく、私は目を閉じた瞬間から記憶が途切れた。

 夢も見ない、完全な睡眠だった。


 ――そして朝。


 港には、すでに潮の匂いと人の気配が満ちていた。

 水平線から昇る朝日が海を照らし、波は静かに岸を叩いている。

 大会の日らしく、どこか落ち着かない空気も混じっていた。


「おはようございます、ムチーノさん!」


 先に来ていたゼツが、大きく手を振る。

 相変わらず普通の青年の顔だが、今日はどこか気合が入っているようにも見えた。


「よく眠れましたか?」


「おかげさまでな。久々に何も考えずに寝た」


「それは良かった。その様子だと、消化もうまくいったようですね」


 そう言ってから、ゼツは少し言いづらそうに視線を逸らした。


「……あの、改めて説明しておきたいことがありまして」


「大会のことか?」


「はい。それと、僕自身のことも」


 港に積まれた木箱に腰を下ろし、ゼツは深く息を吸った。


「僕、この島でドカグーイ部の部長をしているんです」


「ドカグーイ卿か……カーボは良い街だったぞ」


「行ったことあるんですか!? 羨ましいなあ……じゃなくて! 驚かないんですね」


「別に。だが、それがどうしたというのだ」


「それがですね……ムチーノさんは知っていますか? ドカグーイ部が、廃部寸前だということを……」


 ゼツの声は、心底困ったように沈んでいた。


「向こうではドカグーイクラブ、でしたっけ。呼び方は違っても、ドカグーイ卿の意思を継ぐ活動を、僕はこの島でひとり続けてきました」


「良い心がけだ」


「ただ、以前ここを通った旅人が教えてくれたんです。国中、いや、世界中でドカグーイ部の部員が、次々いなくなっているって」


「そうなのか……」


 私の声は、自然と低くなった。

 確かに、これまでの旅路で、同じ志を持つ者に出会った覚えはない。


「みんな、どこへ行ったんでしょうね……」


 ゼツは困ったように、しかしどこか諦めたように笑った。


「寝ているんじゃないか?」


「はい。今もどこかで、ぐっすりです」


 朝日はすっかり昇り、海はきらきらと光っていた。

 港のざわめきも、潮騒に溶けて穏やかに響いている。


 今も世界のどこかで、あの満たされる感覚に身を委ね、深く眠っている者がいるのだろうか。

 そう思うと、不思議とお腹が空いた。


 そして私は、この島で迎える一日が、ただの大会だけでは終わらない予感を、確かに覚えていた。

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